第六話 わたしが守ってあげるから②
◇◇
またベッドの上だ。鳥の声ではなく話し声で目が覚めた。窓の外には夜の帷が降りている。
「おお、起きたかクリス」
「リア様、ご無事ですか! ご気分はいかがですか」
「お父様、ご心配をおかけしました。ナターシャ、ありがとう。昨日に引き続きですね」
お淑やかに答えるが、ナターシャは首を振って神妙な顔をしていた。
「三日間、昏睡状態でした。魔力は生命力とほぼ同義。死にかけたんですよ」
涙が見える。そうか……死にかけたのか。
「さて、少し難しい話をせねばならぬ……」
ここで『お父様』と呼んでいるおっさんが言葉を出しづらそうに話を始めた。ちなみに家族はミドルネームで呼び合うのが習慣、というか伝統だ。
「クリス、あの魔導は誰から教わったのだ?」
「えっ、なぜ? 自分で考えたんだけど……」
質問の意味がわからない。いや、質問の意味はわかるが、何故聞かれるかがわからない。
「あの魔導は強すぎる。ファイヤーリザードを一撃で凍らせるなんて、誰にもできない事だ」
声が少し震えている。
「不可能なんだよ……」
そうか……やりすぎたんだ。こちらの世界の常識にはないことをわたしは知っている。魔導を使う時、イメージが重要。つまり、どこまで具体的に細かいイメージを頭の中に作れるか、それで精度や威力が大きく変わる。
人智を超えた存在には未知の恐怖しか抱かない……よね。
沈黙が場を支配し、何か物音を立てたら全てが壊れてしまう様な重い空気だ。
しかし記憶の中には、このやりとりの解答があった。リアちゃんとしては何故か想定済みの質問だったらしい。
「……天啓を得ました」
「天啓だと⁈」
ばっとリアの顔を見つめる。わたしは窓の外を見ている。初めてこの世界に来た時と同じ様に。
「はい。天啓です。異世界の少女の記憶がわたしの中に入ったのです」
「異世界と言うのか……」
「この世界の理りでは理解できない世界です」
ナターシャは話についていけない。
「……異世界? 御伽の国なの?」
「いや、異世界はおとぎ話ではない。年に数人は渡りがあると聞く。あの雷帝も異世界渡りをしている。まぁ、あれは人為的な渡りで、しかも戻ってきたがな」
「「雷帝……」」
わたしの呟きとナターシャの呟きが重なった。もっとも、ナターシャとわたしでは『雷帝』に続く言葉が違う。ナターシャは謎なやり取りの中に突然自分の知る言葉、『雷帝』が出てきたので反応しただけだ。
逆にわたしは『誰?』という意味。
なんか……偉くて強い人……だったよね?
「クリス、もう一つ教えてくれ」
少し空気感が軽くなった気がする。こちらも少しほっとして息を吐く。
「お前はどちらだ?」
『オマエハ
質問を理解した瞬間、息が詰まる。しまった……こちらの質問が本命か! どうする? いや、息が詰まった時点で気付かれたか?
男の表情も厳しい気がする。
だが、実は、この答えも記憶に用意されている。
『私はリア。異世界の少女の記憶だけが渡った様です』
こう回答すれば、もう誰も何も疑う事はできない。しかし、わたしは
「……わたしは……リア……であり、亜里沙……というものでも……あります」
また沈黙に包まれる。
「何を言って……アリ……サ……?」
わたしの名前を呟く男の表情が思いのほか厳しくなっていることに気付く。
ダメか。リアちゃんゴメン。答え教えてくれてたけどね。そこだけは、この人にはしっかり答えなければと思ったのよ。
目を瞑り、覚悟を決める。
捨てられようが、どうなろうが仕方がない。『どうせ、わたしはあの時死んでいたのだ』と悲痛な考えに支配されたところで、男が呻くように呟いた。
「まさか……いや、偶然……な訳があるか」
少しの間、男の声に耳を立てるが、今度は咽び泣く声が聞こえてきた。泣いてる……の?
「この子が……この子が……」
わたしの身体を男が震えながらぎゅっと抱きしめる。そこには愛情と悲しみと優しさしか感じられない。
「クリスは、とても優しい子だね……」
はっとした。
『クリスは消えてアリサがクリスになった』
その事実を……愛娘が誰か見知らぬ女に変わったことを、この男は受け入れたんだ。今、この瞬間に受け入れてくれたんだ!
大粒の涙が溢れ出してくる。何故か男も泣いていた。二人の頬が互いの温かい涙で濡れる。
「お父様……ありがとう」
リアを愛してくれて。
そしてわたしを受け入れてくれて。
急に人の暖かさに触れたからか、涙がとめどなく流れる。伝えなければいけないことが沢山頭に浮かぶのだけれど、嗚咽混じりでまともに喋れない。それでもわたしの声を、ゆっくり一生懸命に聞いてくれた。
◇◇
「……それでは、私は執務室にいる。何かあれば声をかけてくれ」
「分かりました、旦那様」
照れ隠しの咳払いと共に、この城の主人は退出していった。
ナターシャが布団を掛けながらそっと呟く。
「さぁ、もう少し休みましょう。閃光騎士団の皆も喜ぶと思います。タマラなんか昨日までここで泣いていたんですから」
「そうですか。礼も言いたいし、明日は宿舎に出向いてみます。はい。今は……少し……休み……ます」
そこで寝てしまった。
「ふふっ、出向く暇はないと思いますけどね」
ナターシャが楽しそうに呟くのが聞こえた気がしたが、その声も、既に夢の中だったのかもしれない。
◇◇
翌朝、起きてナターシャに朝の挨拶をしていると、数名の騎士団の若い子が押しかけてきた。二言三言、体調のことを聞かれると、あっという間に走り去っていった。それを見たナターシャは何故か頭を抱えて呆れていた。
「疲れたらお伝え下さい。皆を下げさせますので」
誰か来るのかな? あっ、そうだ。宿舎行かないと……そう思った時、続々と部屋に人が入ってきた。最終的には騎士団全員がわたしの部屋に押しかけてきたのよ。フラワーと呼ぶ予備要員も含めて総勢四十人ほどが一斉に部屋に入るからぎゅうぎゅうよ。ふふふ、賑やかで楽しい!
「リア様ぁーーー……」
鼻水も出て顔をくしゃくしゃにしたタマラは部屋に入る前から号泣していたらしい。顔を見るなり走って抱きつき頬にキスをしまくるの。熱烈よねー。
皆さん、お見舞いの品をくれたり、馬鹿でかいぬいぐるみを持ってきたり、後は歌うわ踊るわ、ちよっとしたお祭りよ。
更に厨房から料理人や給仕も押し掛けてきたの。それぞれデザートや飲み物なんかを持ってきて、騎士の皆さんにも配ったり、ベッドの上のわたしにアーンってやったり楽しかった。
ふふふ、ジェニーよりエリックが大泣きで、良かった良かったと繰り返してばかりなのよ。男の人の方が弱いわよねー…………と、ここらでまた意識を失っていたのよ。
ここからが問題よ。とっても疲れてたから寝落ちは仕方がないじゃない。
でもね、起きたら部屋に誰も居ないってのは、それはそれで寂しかったわ。真っ暗よ。一人起きたら真っ暗。明るい朝の賑やかさから一人ぼっちの暗闇に急展開。
そして暗闇に光る大きなぬいぐるみの瞳。
怖いわよ!
その日は次の日の朝まで二度寝を決めてやったわ!
◆◆◆ 少し前、賑やかな朝のリアの部屋
ナターシャは少し心配になり始めていた。
近衛騎士や同僚も続々と現れて、お昼に近くなってきたのにずっと賑やかだった。ずっとニコニコしていたリア様も疲れてしまったのか、偶に瞼が閉じそうになっいた。
そろそろ追い出そうと思いながら同僚と話していた時、遂に皆がいる中でそっと寝てしまった。
人差し指を口にあてて静かにするように促すと、皆が分かってくれたのか部屋から物音が消えたの。するとリア様の口からは小さな寝言が聞こえてきたわ。
「うーん……みんな……わたしが守ってあげるからね……幸せに……なるわよ……」
音を立てない様に、全員追い出すのは大変そうだったが何とか成功した。
◇◇◇ 数日後の王宮
それから少しの間は忙しかったの。新たな魔導強化につながると研究者が連日押しかけた。しかし、この世界の人には、分子の動きを止めたらマイナスニ百七十三度の絶対零度になる、水はH2Oで出来ている、など見ることができないことは話を聞いてもイメージする事は出来ない。
日に日に一人、また一人と研究者が来なくなり、徐々に日常に戻っていった。
そういえば、裏では怖い話もあったのよ。大人の皆さんは七歳児なんか何も理解できない、という感じで割と近くで大事な話を沢山するのよ。
まず、トカゲ事件だけど見た者の精神を混乱させる魔導の痕跡が見つかったから、正式に暗殺事件と扱われたの。それでね、暗殺者を七歳児が撃退ってことだから、『リアちゃんの魔導の才能』は国家機密となったのよ。うふふ、なんかギネスブックに載ったみたい!
でも、それを護る為に幽閉まで検討されたんですって! お父様が陰で頑張ったから回避されたって聞いたわ。大好き、お父様!
まぁ、細かいことは沢山あったみたいで、お父様筆頭にナターシャやタマラも大忙しだったのよ。
そうよ、七歳児には国家の裏側や陰謀、権力闘争の話は伝わらないの。だから、それなりに呑気に暮らしていたの。さーて、今日は何をしようかな。魔導訓練は明日だから暇なんだよね……。
魔導の訓練は騎士団のメンバーと実戦形式の訓練が認められた。最も身体もできていないので、参加は週一だけとなっている。それ以外の日は普通の七歳児だ。
「はぁー……」とため息が出る。
剣術の修行がしたい、と
「魔法はどれだけ練習しても誉められるだけなのに……はぁーっ……」
トボトボ歩きながら、また溜息が漏れる。
あぁ、落ちぶれたものよ。職人が真竹を丁寧に組み上げた高級竹刀で掛け声高らかに稽古してたのに。
今じゃあ、文鎮に布を巻いて人目を憚り夜に素振りだけ。これだけは、この世界に不満。
あぁ、サムライ魂を持った大和撫子に未来はあるのか……。
「まっいっか。おやつ食べに厨房行こっと」
第一章 End
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七歳の少女は為す術なく悪に討たれる運命だった。
しかし、それは覆った。
人知れず悪に抗う者達は微かに潮目が変わる予兆を感じ、ここに反撃は始まった。
でも、それはまだリアの知らないこと。
呑気な少女の穏やかな日々はまだ続きます。
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