第一章 お姫様と魔法と騎士の世界

何かが来る

第三話 何かが来る①

◇◇◇ 帝国歴 二百八十七年 五月


 リア自室


 そう、昨日の朝、突然前世の記憶が蘇った。


 前世は十七歳の日本人。母は病死。父は健在。剣道で県大会二回戦出場。

 まぁまぁ、普通の女子高生。

 映画と恋愛ドラマと部活が全てだった学生生活の終焉が、三ヶ月の闘病と絶望だったことまで思い出した。


「ありがとう、ナターシャ」


 白湯を受け取りながら昨日の自分に起きたこと、リア・クリスティーナ・パーティス七歳に起きたことを考える。


 正直、何が起きたかはわからない。多分あっちの『わたし』は死んだのだろう。ベッドで微かに聞こえてきた医者達の会話には多臓器不全、脳浮腫、などの物騒な単語ばかりが並んでいた。


 体の内部からの鈍い痛み、果てしなく続く気持ち悪さ、そんな苦しさから早く解放されたくて、眠りに落ちる時はいつも、もう目が覚めませんように、と祈っていた。明日が来ないかもしれないという恐怖に怯えながら、明日が来ませんようにと祈る毎日。

 記憶と共にその時の暗い感情まで思い出される。


 水が半分入ったコップを机に置く時に体が震えた。ゆっくりと腕を抱える。


「寒いですか? 羽織るものをお持ちしましょう」


 ナターシャがドレッサーからカーディガンを持ってくる。薄いピンクでレースが控えめに入っていて可愛い。


 羽織りながら、

「少し冷えたみたいです」

 とお嬢様風に答えた。


 それにしても…………あちらの世界も辛かったが、こちらの世界も悲しみばかりだ。昨日の朝ベッドの上で目を覚ます迄、この世界のわたし……『リアちゃん』も三ヶ月ほど原因不明で意識不明だったらしい。


 そして……そして……昨日知らないおじさん……いえ、お父様から聞かされた。知らない間に……わたしがベッドで寝ている間に……お母様は自殺してしまったらしい。


 騎士にとって自殺はあまり良くないことらしく、不名誉除隊として記録が抹消されたとのこと。葬儀も内密に片付けられたことを今朝教えて貰った。

 理由については任務が辛かったのだろう、としか教えて貰えなかった。

 前世のわたし、『亜里沙』には母親の記憶は無いの。だから耐えられたのかもしれない。一瞬、誰の何が死んでしまったのか理解できなかった。

 でも、突然にリアちゃんの記憶が思い起こされた瞬間に感情が溢れ出した。



 あまりにも色鮮やかに鮮烈な悲しみ。

 天真爛漫なお母様の暖かなイメージ。そのお母様に二度と会えないという恐ろしいほどの喪失感。

 後悔と絶望。強烈に湧き上がる、後を追いたいというあまりにも強い願い。



 半日ほどずっと泣いていた。

 リアちゃんの記憶がわたしの心の中で荒れ狂ったの。

 ひたすら大泣きして、ナターシャや心配になって見にきたお父様に『もう死にたい』と訴え続けたのよ。



 そして、それはダメだ。この優しい人達を悲しませてはいけない、そんなリアちゃんの『最後の決意』を、『優しい想い』を思い出した。



 思い出したところで、なんとか自分を取り戻したの。昨日は泣き疲れてご飯も食べず、そのまま翌朝まで寝てしまったわ。



 今は大丈夫。

 自分の記憶ではないと分かっていても、涙が出てくるのは抑えられない。『わたしもだったよ』。そうこの身体の元の持ち主に語りかける。でも受け入れるしかないんだよね。


「ふぅ……」

「リア様、どうされました?」

「いえ、何でもないです……」


 あら、ナターシャが怪訝そう。そりゃ心配よね。半日泣き倒して丸一日寝てたんですものね。

 お陰で身体も頭もスッキリしたわ!

 さて、どうしよう? どうも可憐なお姫様に生まれ変わったっぽい事は確実だ。専属メイド付きの七歳児など、絵本の中でしか聞いたことがない。お姫様の記憶は全て持っているらしく、ボロが出る事はないと思う。ただ、このままで、事実を知らせず今まで通り暮らして良いのだろうか……答えはないのかもしれない。


 よしっ、一旦考えるのを止めよう。


「ナターシャ、あなたの入れた紅茶が飲みたいわ」

「少しお待ちください。お腹に優しいようにミルク多めで作ります」

「嬉しい。少しお腹も減ったの」


 お腹が空くのは元気な証拠。

 ナターシャも嬉しそうに頷きながらコップとピッチャーを片付ける。


「はい。お菓子もお持ちしましょう」と部屋からそっと出ていった。


 わたしは今、か弱い可憐なお姫様だ。変な事を口走って追い出されたら生活なんて出来るわけがない。リアとして、生きるしかないのだろう。

 父ちゃん、ゴメン。生きるためだよ、一旦父ちゃんの娘という事を忘れるよ。

 と割と重大案件を軽く決意した。


 うん、と頷き外を見る。ポカポカ陽気で気分がゆったりする。旅行でホテルのチェックインが早すぎて、やることがない時みたいだ。時間がゆっくり流れる。あぁ、スマホもない。テレビもない。絵本はあるけどマンガはない。

 仕方ない。七歳児の記憶で足らないところを勉強するか。


 渋々、少し大きな椅子から飛び降りて、本棚にトテトテと歩いて近寄る。


 うげっ、低い段は絵本ばかりで全て頭の中にある。読んだことの無い歴史書などは背伸びをしてぎりぎり手が届かない段にある。結局ナターシャ頼りか。


 また椅子までトテトテと歩き椅子によじ登り窓を見る。


 ふぅ、疲れた。

 変わらない風景をまた眺める。

 不便よ、この体! 華奢で何もできない。記憶力は抜群っぽくて読んだ本は全て思い出せるし、礼儀やマナーも完璧。正しく絵本の中のお姫様。前世のわたしとあまりにもかけ離れている。周りの大人達からお辞儀なんかされてもリアクション分かんないよ!


 でも凄いことがあるの。

 マ・ホ・ウ。

 ふふっ、わたし魔法使いなのよ!

 この子、五歳から魔法の勉強もしてるの。この世界は魔法の国の世界。手から火や水を出せるのよ!


 手のひらを上に向けて精神を集中。火の精霊をイメージすれば炎が、水の精霊をイメージすれば水が出てくる。過去の記憶に従い、絵本で見た水の精霊を思い浮かべると掌から水が湧き出した。その水を風の精霊の力を借りて浮かべるイメージをする。


 ふふふ、水の球体が掌のすぐ上でふわふわと浮いている。凄いよねー。


 緩やかに回転している水の塊をうっとり眺める。


 ご機嫌で鼻歌を歌いながら水の塊を回転させて遊んでいたら、ナターシャがお盆にぎっしりとお茶セットを載せて部屋に入ってきた。


「あら、お上手。リア様は魔導の才に恵まれていますね」


 微笑みながら紅茶をセッティングし始めた。


 手品師のように滑らかに指を一本ずつ折り拳をぎゅっと握る。

 ほらっ。小さな水の塊がスッと消えた。


「へへへ、あっ。本棚の本を取って欲しいんだけど」

「はい。ではお茶の後に持ってきましょう。何か気になることでも?」


 和やかに会話を続けながら、持ってきてくれた皿の軽食を物色する。


「サンドイッチも持ってきてくれたんだ。いただきます。えっと、この国の事をもっと知りたいの」


 ふと動きが止まる。


「あらっ、歴史や地理は苦手だったのに、どんな風が吹いたのかしらね」


 いえね、ご存知の通り苦手だからですよ。サンドイッチの次はスイーツよね。


 ほんのり甘いクッキーを頬張りながらミルクたっぷりの紅茶を飲む。


 あぁ……幸せ。さて、少し勉強するとしよう。


「あまり無理をせずに」と言いながら、歴史書と世界地図を持ってきてくれた。流石わたしのナターシャ、簡単そうなのと分厚い専門書の両方置くあたりそつがない。


 まずは薄っぺらいのから攻めよう。

 えーっと、貴族階級の学生向けの本かな? この国の基本的な事が書いてある。

 我が国、ナイアルス公国の人口は二百万程度で 帝国連邦五十七ヵ国の中では七、八番目の人口を誇る国……あれ、眠気が……。

 この国は南北に細長い形……ね、眠気が……。リアちゃん、地理苦手すぎよー。正確な地図がニャンコやワンコに見えてくる。

 頭を振りながら読み進める。うえの方にお山が沢山。みぎの方に海。後は森とお花畑……。だ、ダメだ。七歳児に引っ張られて頭がポワポワしてきた。上の方のお山を越えると帝国本国があるよ。

 偉い人が沢山居る国で、学校もあるよ。沢山のお兄さんお姉さんが勉強してるよ。えらいねー。

 やっぱり眠くなる。だめだー。


「そろそろお休みしますか? 無理してはダメですよ」


 ナターシャが優しく微笑んでる。

 このーっ、負けてたまるか。


 紅茶を飲みながら貴族院がっこうに想いを馳せる。


 帝国本土、一度は行きたいよね。首都グラーツのイメージは北欧。まぁ、リアちゃんも順調にいけば十三歳くらいには入学の運びとなるらしい。お嬢様学校のようなものかな? やっぱり挨拶は『ご機嫌よう』なのかな。ヤバイよね……楽しみすぎる。

 ふふふ、少し眠気が覚めたよ。勉強に戻ろう。

 この国は温暖な気候のためか、比較的のんびりしているお国柄らしい。犯罪率も帝国連邦で低い方。イイね! だから主とする産業は牧畜や農業で、麦的なものや芋的なものが特産品。


「芋かぁ。地味だなぁ」

 ぼそっと声が出る。


「ダメですよ、好き嫌いは」

「……この国の特産品です」

「あら、そういう事ですか……」


 一緒に読書をしてくれていて、その読書姿も凛として美しいわたしのナターシャ! だけど、わたしは知っている。その中身がロマンス小説だという事を。

 机に放置されていた本の中身を少しだけ読んだ記憶がある。意味がわからなかったが、出てくる表現に少しドギマギした事を覚えている。ナターシャの慌てように、こちらまでイケナイことをしている気分だったわ。


「あらあら、それはわたしの本で大人向けなんですって」


……うふふ、今なら中身がわかる。

『あぁ、抱きしめて口づけを……』やら『両手を握り合い汗だくで……』とかキワどい表現だった。

 冷静に考えると、パラパラと読んだだけで良くこんなに覚えているな、と感心する。興味津々だったのかな。


 よーし、お姉さんが今度、しっかり読んであげるよ、リアちゃん!


 うんっ、勉強を続ける。次は歴史。

 わたしの実家……じゃない、我がパーティス家も元々はパーティス国という独立国家の君主として君臨していた……やっぱり眠い。地理とか歴史は七歳児には無理かぁ……。

 ふむーっ、隣国ナイアルスと合併して今の国になったらしい。パーティス国がうえの方で、ナイアルス国がしたの方よ。おうちがあるのは州都グロワール……ポテワール、揚げた芋に砂糖をかけた甘い料理の名前……ヘビーなスイーツよ。


 あれっ? お芋さんの話に……もう、今日の勉強終わりっ!


「散歩に行きたいです」

 本を閉じて、椅子からひょいっと降りる。


「お身体は大丈夫ですか、目が覚めたのが昨日の今日なんですから……」


 ……心配されてるな。入院した時を少し思い出す。お見舞いに来た友達が、病室に入ってくる時の顔がキライだった。あの真剣な顔。心からの心配が伝わってくる硬い表情。


「心配ありがとう。体調はすごく良いので」


 そうですか……とナターシャは少し考え心配そうに答えてくれた。


「今日は城内だけにしてくださいね」


 よしっ、許しを得たぞ。

「ありがとう! そのつもりでした」


 では着替えましょう、と壁に掛かっているドレスを取ってくれた。淡い黄色のシンプルなドレス……これは!


 膨らんだ袖のドレスだー!


 小学生の時の読書感想文で某少女小説は履修済み。うん。可愛いぞ。着替えたら、髪を整えてもらい、ぽそっと帽子を被せてもらう。日差しはまだ暑いですからね、とナターシャ。


 うん。やっぱりそつがない。

 姿見の前でくるっと回る。思わず独り言が出る。


「リアちゃん可愛い……」


 暫し自分に見惚れてから、扉に向かう。あっ、そうだ。ナターシャにもう一度手を振っておくか。大事な味方だ。


「では、行ってきます」


 ニッコリしながら小さく手を振ると、それに笑顔で返してくれるナターシャ。いやん、美人の笑顔。これからはミスパーフェクトと呼んじゃうわよ。


「はい。いってらっしゃい」


 そっとドアを閉めると、意気揚々と廊下を歩き出した。


◆◆


 ナターシャはパタンとドアが閉まると部屋の中で身悶えしていた。


「あぁ、愛らしいリア様! 自分で鏡見て『リアちゃんカワイイ』ですって! 何それーーっ! ほんとに可愛らしい‼︎」


 心の声がダダ漏れ。


「さて、良いものも見れたし、本とお茶を片付けましょう♡」


 読みかけの本をそっと閉じ、軽く背伸びをした。

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