2.すずちゃんに相談


 岳人は驚き遠慮をして『いや、将馬さんと……』と言いかけた。でもそこには拓人が『パパ』を見上げる視線がある。いまの父子であるままにと、リリートレインにふたりだけで手を繋いで乗り込んだ。


 踏切で寿々花と実父の将馬がカメラを構えて待機。

 身体いっぱいによろこびをみせる笑顔で、窓から手を振る拓人が『いちい~!』と呼ぶだけで、将馬はひっそりと涙を滲ませていたのだ。


 最初の乗車権利を持っていてもいなくても。もう愛しい息子がそこにいるだけで幸せな男になっている。

 それでいいのだということを、ついつい遠慮しあう父親同士で摺り合わせる日々をすごしてきた。



 昨年、寿々花は『館野寿々花』になった。同時に音楽隊の三曹に昇進。

 将馬は父の副官を続行の状態で『三佐』に昇進。次の異動で、冬季遊撃レンジャーの教官になる予定。その時に父も旅団長の務めを終え、また道内の管理職ポジションに異動するのではないかと予測されていた。


 挙式も終えている。寿々花が望んだとおりに、小学生になった拓人が、リングボーイを務めてくれた。おしゃまな黒いフォーマルスーツの装いで緊張した様子だったが、かわいい笑顔で結婚指輪を夫妻になった将馬と寿々花のもとまで届けてくれ祝福してくれた。


 実の父親の結婚式に、その父と奥さんになる女性へとリングを持っていく息子。

 ……という事実を知る人は少ない中、『館野三佐の親友の息子さんがリングボーイとして選ばれた』という馴れそめで紹介された。

 札幌に来てから、たくさんの大人に囲まれてのびのびと育ってきた拓人は、徐々にしっかりとした自己をもつ賢い子に成長。その頼もしさでリングボーイを務めあげてくれた。


『将馬おじちゃん、すずちゃん、しあわせになってね。僕、ずっとみてるよ』


 その言葉に号泣しちゃった自衛官制服姿の新郎。『あの館野三佐があんな顔をするなんて』と驚く隊員招待客たちが印象的だった。


 いまはパパと、パパの親友とその奥さんのすずちゃん。

 この三人で拓人を育てている。

 拓人にとっては、いつもこの三人がいるのが当たり前なのだ。


「ふう、これで将馬さんと拓人のリリートレイン乗車も残せた」


 さきに譲ってくれたから、今回こそは、本当の父子である二人の姿を残せてほっとしているようだった。

 カメラの画像を確認している彼と一緒に、ルピナスの道沿いを寿々花も歩く。


「お母さん、お元気ですか」

「ああ、うん。元気だよ。また北海道に遊びにいきたいと、次の計画を練っているみたいだよ」

「いつでも来てくださいと伝えてね。たっくんにとっても、お祖母ちゃんでもあるから。父と母にもそう強く言われているの。またお母さんと一緒に、ドライブに行こうね」

「うちの母にまで気を遣ってくれて……。ありがとうね。寿々花ちゃん」

「……お母さんも、一生懸命、子育てに協力してくれたと聞いているから。たっくんがここにくるまで素直でかわいい子でいられたのは、岳人パパとお祖母ちゃまのおかげなんだから」


 岳人がちょっと憂う眼差しになり、緩い微笑みのまま黙ってしまった。

 彼の手元にあるカメラに、今日撮影したふたりの父親と息子と、寿々花の画像が繰り返し表示されている。


「でも。あんなに溌剌と弾けるような元気な男児という顔つきになったのは、やっぱりここに来てからだよ。母親の顔色を窺うことをしなくてよくなったからね」


 彼の表情が強ばり、最後の語気は言い捨てるように強かった。


「今日もここにあいつがいたら、スマホ片手に花と自撮りだけをして、ひとりで日陰がある場所に座り込んで動かなくて。拓人の相手をするのは鳴沢の義父と義母、それと俺だっただろうしね。虫がいるのは嫌だ。靴が汚れる。はやくレストランに行きましょう……」


 そこで岳人パパが我に返った。すぐに寿々花に取り繕う笑みを見せた。


「あ、あんな女の話は二度としないと思っていたのに。ごめん……寿々花ちゃん」

「気にしないで。岳人パパのことだから、ずっと内側に溜めて、拓人のためだけに受け流してきたことばかりでしょう。どうしてかな……。血の繋がりがあって自分がお腹を痛めて産んだ子であっても、母親になれない人がいる。ほんとうにいるんだなって思った。なのに血の繋がりが無くても、子供を愛おしく思える人もいる。岳人パパのような男性がいてくれたことがきっと、たっくんにとっても、手に届かなくてもどかしい思いをして案じていた将馬さんにも救いだったんだと思ってるよ、私。岳人パパは救いだったの」

「すずちゃん……」


 そんな彼がいきなり寿々花にカメラのレンズを向けて、カシャッとワンショット、撮影をした。


「え、え、なんでいきなり!」

「あはは。俺たち男三人の真ん中にいる女神。すずちゃんだからね。いまの優しい顔も撮っておこうと思ってね~」

「えーー! 女神とかやめて!! そんなんじゃないしっ。それにいまの絶対に変な顔!!」


 大丈夫だってと岳人パパが笑いながらカメラの画像を見せてくれる。

 意外と自分が綺麗に写っていてびっくりした。まさかの奇跡の一枚!?

 でもそんな寿々花の横顔の写真を見て、また岳人パパが静かに呟く。


「これから、拓人の母親になっていくだろうけれど。よろしくな」

「……岳人パパだって、ずっとパパでしょう」

「もちろん。拓人の結婚式までがんばる決意だよ」


 明るい笑顔なのに、ちょっと憂いを秘めている気がして、寿々花は時々不安になる。いつかどこかに行ってしまわないか。不安になる。

 この男性にもしあわせになってほしい。


 いまは結婚は懲り懲り女も怖いと言っているけれど、この人なら素敵な女性に出会えるはずと寿々花は思う。

 その時に、拓人も一緒に祝福できるような環境にも整えておきたい。

 いつか自然に拓人が将馬を実の父と思え、育てのパパのこともそばに、パパのしあわせを受けいられるようにしておきたい。役割が終わったからと、離れていってほしくないから。

 


 ルピナスが咲く線路沿いを辿り、駅舎が見えてくる。一周が1.2キロメートルの走行を終えて到着したリリートレインから、乗客が次々に降りている様子も見えた。

 駅舎から拓人が出てきて、ガーデンから歩いてきたパパとすずちゃんを見つけて駆けてくる。


「パパ、写真とれた?」

「撮れたよ。ほら」


 パパのカメラを覗いて『三佐』とばっちり写っていることを確認した拓人が笑顔になる。


「すずちゃん。ソフトクリーム、いま、三佐が買ってくれるって。いこう。僕、バニラといちごがぐるぐるなってるやつ」

「おいしそう。じゃあ、すずちゃんもそれにする」

「おそろいだね」


 拓人が寿々花の手を握った。その手を拓人が一生懸命に引っ張ってくれる。

 二人のパパと、すずちゃんと、たっくん。いま三人の大人と子供が常に一緒にいるのは自然なことだった。



 ソフトクリームを片手に、木陰にあるベンチに拓人と並んでソフトクリームを食べる。

 将馬おじちゃんと岳人パパはさっさと食べ終わって、男ふたり芝生の広場に行って何故かサッカーを始めてしまった。


 あんなふうに男二人が童心に返る姿も珍しくなくなってきた。

 わかりやすくするために『親友』としていたはずなのに、いまは本当に『親友』になっている。


 拓人もソフトクリームを食べながら、そんなパパと三佐を眺めている。

 いつもなら早く食べて、パパたちと遊びたいと急ぐのに、今日は寿々花の隣でゆったりしていた。


「あのね、すずちゃん。相談があるんだ」

「うん? どうかしたの、たっくん」


 まるでパパふたりが遠くにいるからこそ、いまだと言わんばかりのタイミングに思えた。

 ソフトクリームをゆっくりとなめていた拓人が、真剣な眼差しで寿々花を見上げてくる。


「父の日に、パパだけじゃなくて、三佐にもおなじものをあげたら……おかしいかな……」


 なんですって! 拓人から先にそんな気持ちを芽生えさせてくれていたことに、寿々花は仰天する。

 やだ、もう涙いっぱいの三佐の顔が浮かんじゃって大変!

 超超極秘ミッションじゃないですかそれ!


 

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