3.父の日なにする?

 初夏の風が吹き込んでくる音楽室。中休みで隊員たちが外へと出て行く時を見計らって、寿々花は堂島二等陸曹に声をかける。


「え、たっくんがそんなこと言いだしたの!?」


 彼女も目を見開いて驚いた。


「そうなんです。岳人パパにも三佐にも内緒で相談って言われて」

「えーー! ちょっと、それ三佐が大変になっちゃうやつじゃない」


 堂島陸曹もよく理解してくれていて、寿々花は思わず笑ってしまった。

 同年代、おなじ時期に結婚するはずで、元はおなじ駐屯地勤め。将馬は独身を歩むことになったが、パパママになった時期も同世代。拓人は婚約中に妊娠がわかった子なので、堂島陸曹のお子様はもう少し小さくまだ保育園児だが、どこか通じていることも多い。


 いまは先輩奥様、先輩ママとして、寿々花の頼りがいある上官、先輩になっている。プライベートでも子供を連れて一緒にでかけたりもする。保育園も自衛官の子供が多く通う園なので一緒。館野三佐の事情を知っていることで、将馬自身も堂島陸曹のことを階級関係なしに『同年代、同駐屯地にいたこともある同志』としていて信頼している。


 だからこその相談だった。


「それで。父の日の子供からのプレゼントって、どんなものが喜ばれるのが一般的なのかなと教えてほしいです」

「一般的でいいのなら。お父さんの似顔絵じゃないかなあ。うちの夫、丸を書いて目がちょんちょんだけに毛が三本生えているだけのつたない絵でも号泣してたわよ。館野君も絶対号泣パパの部類でしょ。結婚式であんなに号泣していたんだから」

「わかります~。なにをしても泣いちゃうだろうなと思っているんですよ」


 将馬の涙もろさも知っている堂島陸曹なので、寿々花も一緒に笑い出しそうになった。


 そんな堂島陸曹も涙もろいかもしれない。『事情を知っている数少ないひとり』だったため、結婚式では彼女ももらい泣きしていた。寿々花の同僚として招待したほかの音楽隊女子たちが『え、堂島さんまで泣いている。もらい泣き?』と唖然としていたシーンもあったのだ。


 ただ館野三佐に子供がいることはそれとなく噂が流れていたので、拓人と将馬の関係を訝しむ様子も伝わってくるように。ただし『最近、一緒にいるようになったあの男の子。実は……。でも三佐の親友をパパと言ってるし確信できない。旅団長と関係がある人たちだし触れまい』という空気に収まっていた。


 父の日のプレゼントへと話を戻す。


「お父さんの似顔絵って、幼稚園でクレヨンで描いたようなものですよね」

「そうそう。あ、……でもそれって、拓人君はもうすでに岳人パパにやっているかもしれないね。小学生だともうクレヨンで似顔絵はあまりしないかな。女の子だとまだやりそうだけど、拓人君はどうかな~。オリガミとかでちょっとしたものを作ってプレゼントしてくれても、親は嬉しいものだけれどね。レンジャーバッジ的なものを作ってもいいんじゃないの」

「それいいですね」

「あと、ママと一緒に作ったごはんという手もあるわよ。寿々花ちゃんと一緒の手料理でもいいんじゃないかな」

「なるほど!」


 いろいろなヒントをもらって、拓人と話し合うことにした。

 あまり日にちがない。学校から帰ってきているだろう時間に、近所に住まう岳人パパのマンションへと訪ねる。

 二人用のお惣菜などをたまに持っていくので、それを名目に出向いた。


「おー、すずちゃんの惣菜。いつもありがとう。助かるよ!」

「遥ママとおなじ味がするポテサラがあるっ」


 男子ふたり住まいのこぢんまりとしたマンションだが、いつも綺麗にしてある。岳人の繊細さがよくわかる部屋で、デザイナーの彼が好むインテリアはモノクロお洒落で男っぽい。

 岳人パパもリモートワークとはいえ、家事と仕事を忙しく両立しているせいか、家の中では若干ぼさぼさ気味の髪に無精髭で疲れた目をしていた。


「たっくんとお散歩したいなと思って。よければ私、お買い物もしてくるよ」

「ほんとに? 助かる~。締め切り前なんだよ」

「それなら、たっくんはしばらく預かりましょうか。夕食、こちらで食べさせて寝る時間にまた連れてくるよ」


 岳人パパが少し唸った。寿々花に将馬が預かるというと、二つ返事でお願いとは言わない人だった。

 こんな時に寿々花は、心に痛みを覚えるのだ。

 手を貸して助かることでも、岳人パパにとって、拓人がいない夜があり得ない感覚になっているのだ。拓人がいないと心許ない。本当の父親の気持ちがそこに育っていて確立している。故に、やはり実父である将馬のところに素直に行かせられない心も持っている。

 これから彼はこの心を手放していかねばならないのかと思うと、寿々花も泣きたい気持ちになる。

 将馬と本当の父子に戻って欲しい、知ってほしいと思う反面。岳人パパの気持ちを考えると泣きたくなることもある。


「そうだな。頼もうかな。ほんとうにちょっと時間がなくて」

「わかりました。お風呂も入れておこうか」

「うん、よろしく。こちらに帰ってきたら寝かせられるようにしてくれていればなお助かる」


 ここで『うちで泊めてもいいですよ』と言いたくなることもあるが、将馬から言い出すまでは、また岳人パパから言い出すまでは、寿々花からは絶対に言えないことと心に決めていた。そこがちょっともどかしい。


 父親と親友の妻との間で話は決まったので、今度は拓人へと寿々花は確認をする。


「たっくん。パパ、お仕事で忙しいみたいだから、今日は三佐の家でごはんをしてお風呂に入ろうか」

「え、う、うん」


 ほら。拓人も。『夜はパパといたい。僕のおうちはここだから』と決まっているのだ。


「眠くなっても、三佐がおうちまで車で送ってくれるよ」

「パパ、忙しいの?」

 岳人が申し訳なさそうに、拓人の頭を撫でる。

「うん。けっこうギリギリなんだ。ごはんの支度ができなくてごめん」

「わかった。すずちゃんと一緒に行ってくる」

「夜遅くなるけど、それまでにパパの仕事、終わるからな」

「うん」


 揺るがない父と息子の絆が、血縁でもないのにできあがっている。

 ここまで岳人が本気でなさぬ仲の子供と向き合ってくれたからこその絆。実父が遠く離れていても、実の母親と祖父母が身勝手でも、義理の父親と壊れないほどの関係があるからこそ、拓人はいい子に育ったのだ。


 この男性のこの心意気がなければ、ここに素直な拓人はいない。

 それ故に、すぐにこの男性から拓人は奪えないし、拓人からもパパを奪えない。それをよく理解しているのも、大事に大事に慎重にしているのも実父の将馬自身だった。

 だから寿々花もそれを無碍にしないよう、慎重に努めている。


 すでに寿々花は制服から私服に着替えていたので、そのまま拓人の手を引いて、真駒内公園へと散歩へ誘う。その後近所のスーパーで買い物。パパに届けて、館野家となる三佐と寿々花の新婚さんの住まいに向かうことに。


 真駒内公園にふわふわとしたポプラの綿毛が舞い、黄昏に染まっていた。それを拓人が捕まえようと追いかけていく。

 寿々花側に用件があって拓人に会いに来たので、小さな彼をベンチに座らせて、途中で買ってあげたジュースを差し出して休ませる。


 夕暮れのベンチにふたり……。

 なんか二年前の初夏を思い出す風景だった。

 あの時はまだ一尉は凍った横顔と眼差しを見せていた。そんなことを思い出す。

 いまはその男性にそっくりな顔つきをしたかわいい男の子が寿々花の隣にいる。小さな手でペットボトルのキャップを一生懸命開けようと頑張っていた。前だったらすぐに手伝うところだったが、ちょっと前に『ギブするまで見守ってあげて』と岳人パパに言われたばかりだから、黙って見ている。


 開けられない日もあれば、諦めちゃう日もある。

 今日はなんだか頑張ってる。そしてきゅっと開けた。嬉しそうな笑顔をひとりで浮かべたので、寿々花も隣でひっそりと微笑むことができた。


「たっくん。このまえ、父の日にパパだけじゃなくて、三佐にもなにかプレゼントしいたいと言っていたでしょう。なににしようか」


 ごきゅごきゅとジュースを飲んでいる拓人に、寿々花から提案してみる。


「三佐の似顔絵とか? それとも、オリガミでレンジャーのバッジみたいなのをつくる?」

「うーん……」

 拓人的にはピンと来ないらしい。

「じゃあ、すずちゃんとお料理をしてご馳走にしてみる?」


 今度は拓人もピコンとなにかが閃いたような顔をみせた。おめめが大きく見開く。


「教官におしえてもらって、芹菜ママに作り方おそわる」


 はい? 唐突な提案が小学一年生から飛び出してきて寿々花は眉をひそめた。


『教官』は、先日ご自宅に招いてくれた将馬のレンジャー恩師のことで、『芹菜ママ』は教官さんの娘さんが結婚したお婿さんのお母さんのこと、お姑さんだった。『素敵な暮らし』と名がつきそうな雑誌並のセンスをお持ちの女性だ。とっても素敵な住まいに整えていて、寿々花もすっごく素敵と憧れたご自宅をつくりだしている。そのお母さんの手料理も素晴らしく、拓人のために焼いてくれたケーキも絶品だった。


 いったいなにを教わるのか?


「ケーキ焼いて、渡すんだ」

「ケーキ!?」


 一緒に料理から『ケーキ』を作ることを思いついたらしい。

 だが寿々花は焦る。そして拓人はそこもきちんとわかっていた。


「だって。すずちゃん、ケーキ焼けないよね」

「……や、焼けません。焼いたことありません」

「遥ママも、もうずっと作ってないんだって」

「あー、そうだね。すずちゃんが大人になっちゃったからかな。よっ君のお世話もあるしね」

「このまえ、バーベキューでおじゃましたときの、芹菜ママのケーキ、素敵だったし、おいしかった。そこに、チヌークのクッキーを飾りにのせてたでしょ。あれのレンジャーバッジのやつを作るんだ。レンジャーのバッジは、教官が知ってるでしょ。それで、また遥ママにピアノ弾いてもらって、赤いスイートピーを唄ってあげるんだ。結婚式で唄ってあげたら三佐すっごい喜んでくれたし、いまはあの唄ばっかり車で聴いてるじゃん」


 それは拓人が結婚式で唄ってくれたからだよ~。

 ただそれだけの思い出で、気に入ったお父さんの気持ちで聴いてるんだよ~。

 男の子から次から次へと出てくる提案に寿々花はいちいちギョッとしながら、あたふたするしかできない状態に。


「そそそ、そうなんだ。そんなことをたっくんは考えていたんだね」

「それでね。すずちゃん、ぼく、遥ママみたいにピアノ弾きたいから、ピアノ習いたい」


 ちょっとまって、いろいろと飛び出してきて、すずちゃんの頭のなか、いろいろな情報で大渋滞が勃発!


 あの優秀な三佐を相手に、極秘ミッション成功するのだろうか。

 格上陸佐であって夫でもある将馬。そんな彼に読み取られないように、寿々花は任務遂行開始の覚悟を決める。

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