10.自衛隊大好き?
ライラックがおわり、ニセアカシアの白い花が鈴なりに咲き、甘い香りが街中に漂う初夏。
その日はやってきた。
初夏と言えども陽射しが強い日曜日だった。
普段は厳重な警備のもと、一般民間人を遮断している基地にたくさんの民間客が訪れる日。
記念日なので、隊員関係の式典もあり、戦車や装甲車に隊員行進などの閲覧行進も行われる。寿々花も音楽隊員として屋外での演奏マーチングに参加。
隊員が催す『ふれあい広場』などは縁日のような出店もあり、小さな子供たちにはお祭りに来たように楽しめるコーナーもある。
自衛隊の文化祭のような日だ。
そんな日に館野一尉と五歳の息子が対面をする。
父に相談した結果、父が自分の副官の事情だからと最善の配慮をしてくれ、息子さんと彼女のご両親を『招待客』として扱ってくれることになった。
観覧席の場所も取り、一尉がエスコート役を担当することになった。という名目で、息子さんと一緒に一日楽しむことにしてあげたようだ。
だが父も旅団長としての役目があり、一尉も副官としての役目がある。
離れられない時間もあるということで、父が下した判断は――。
「はじめまして。音楽隊員をしております伊藤と申します」
「いらっしゃいませ。おなじく音楽隊員の堂島と申します」
娘の寿々花まで『エスコート役』として任命したのだ。
正面門で『息子くんとお祖父様お祖母様』を迎え入れたのは、寿々花だけでなく堂島陸曹も同行していた。
一尉から相談を受けた数日後、彼が決断をしたと母から聞いた翌日。音楽隊長から堂島陸曹とともに呼び出され言いつけられたのが『訳ありの招待客のエスコートをすること』だった。
堂島陸曹とともに仰天させられたが、音楽隊長が言うには『司令部、あー、旅団長から直々のご指名』と困ったように言われた。
伊藤陸士長の父親だから、身内のことは身内の事情を知る者同士で任命されたことを、音楽隊長も重々承知なのだ。
事情を知っている隊員が、ちょうど音楽隊に二名いるではないかということになったらしい。
堂島陸曹は、館野一尉の事情を当時から知っているために指名される。
堂島陸曹も旅団長直々のご指名とのことで茫然としていたが、寿々花が今回の状況に至った事情を話すと彼女も『はあ? なにそれ! 絶対になにかあるでしょ。それ』と怒っていた。
でも事情を匂わせないよう、自然に接するという指令のもと、その任命を二人で受けることになった。
上品な佇まいのお祖父様とお祖母様に連れられてきた男の子が、寿々花と堂島陸曹を見上げている。
「たっくん。ご挨拶をしましょうか」
「こんにちは」
お祖母様に促され、ちょっと人見知りの様子を見せながら男の子が挨拶をしてくれた。
館野一尉より先に対面してしまい、寿々花は申し訳なくなる。のだが。
その男の子を一目見て、気がつく。そっくりじゃない? 一尉に。一瞬でそう感じられたのだ。
「閲覧行進が始まりますので、まずはそちらのお席へとご案内いたします」
上官である堂島陸曹が率先してエスコートをしてくれる。
音楽隊は一般市民と触れ合う機会が多いので、こうした接客対応を勉強する良い機会だと、寿々花は思うようにした。
気のせいか。お祖父ちゃんとお祖母ちゃんに連れられながらも、男の子がぐずっているように寿々花には見えた。
ほんとうに自衛隊好きか? 無理矢理つれてこられたんじゃないのこれ。不安になってくる。
母親である彼女は、館野一尉には会いたくないのか合わせる顔はないのか、札幌までついてきて宿泊先にいるらしいが、駐屯地まで訪ねることはないとのことだった。
ママがいなくてぐずっているのかな、どうなのかな。でも本当のお父さんに会う時は機嫌良くしていてほしいなと寿々花は思い、その男の子に笑いかける。
「戦車が行進をするの。ヘリコプターも飛んできて、そこから自衛隊さんが、レスキュー隊員みたいにロープだけで降りてくるのよ」
「戦車、くるの。ほんとう?」
「うん。大砲(空砲)も撃ってくれるから、大きな音でびっくりしないでね。お耳を塞げば大丈夫」
やっと男の子が笑顔になり、手を繋いでいるお祖母ちゃんを見上げた。
閲覧行進では、旅団長は高官が座る席で閲覧するので、副官の館野一尉も父のそばに控えていなければならない。その間、招待客の観覧席で息子さん一行に付き添うまでが、寿々花と堂島陸曹の役目。その後、館野一尉に引き渡し、そこでエスコート指令は完了となる。
閲覧行進が始まると、男の子は身を乗り出して元気いっぱいになった。
お祖父ちゃんとスマートフォンで撮影をして『すごい、すごい』とおおはしゃぎに。
ヘリコプターから降下する隊員のデモンストレーションにも目を輝かせ、予告通り、戦車の空砲の衝撃的な音に身を縮めていたが、その後は大興奮で目をキラキラさせていた。
自衛隊大好きは本当かもと、寿々花はほっとしていた。
堂島陸曹も既婚者ゆえ、子供の扱いも慣れていて、エスコートは滞りなく終わりそうだった。
閲覧行進が終わりかけたところで、館野一尉が姿を現した。
式典ゆえに、正装でモールも肩に飾っている凜々しい男が寿々花がいるところまで。
「堂島陸曹、伊藤士長、ご苦労様でした。交代いたします」
敬礼をした男の輝かしい姿に、寿々花は惚れ惚れしていた。
やっぱり素敵。すごーくかっこいい。
こんな最高の姿を息子さんはどう思うかなと……。すぐに緊張も襲ってきた。
元は義両親だったはずの夫妻が席を立ってお辞儀をする。
「本日は不躾な申し出を聞き入れてくれて、ありがとう。将馬君」
「ご無沙汰しております。今日はご招待をありがとう」
親しげな口調の元義父の様子から、元々ご縁があった間柄が伝わってきた。
「拓人くん、お祖父ちゃんのお友達の自衛隊さんよ」
どうして自衛隊の知り合いがいるのか。そう説明されているようだった。
五歳の男の子が、祖父母の前に押し出される。
館野一尉が制帽のひさしから、あの冷めた視線を男の子に降ろした。
男の子も見知らぬおじさんがやってきて、きょとんとしているが、視線が合った。
堂島陸曹も寿々花の隣で緊張しているのがわかる。
大人たちにとっては緊迫の一瞬だ。
「こんにちは。なるさわ・たくとです。自衛隊大好きです」
冷たい視線の男がそのまま黙っている。
でも寿々花は見てしまう。きっと堂島陸曹も気がついている。
冷たい顔を保った男の目が熱く潤んでいることに。
彼が制帽を取り払った。
やわらかな微笑みを浮かべ、男の子の目線へと制服姿のままひざまずく。
「こんにちは。拓人君。館野です。これからおじさんが案内しますね。戦車に乗りに行ってみようかな」
「戦車に乗れるの!」
「戦車の操縦席も見られるよ」
「行く行く!」
「では、おじさんから離れないように。ちなみに、おじさんは自衛隊では『いちい』と呼ばれているんだ。『いちい』と呼んでください」
「らじゃー、いちい!」
「らじゃーを知っているんだ」
そこで自然と彼と息子の手が繋がれた。
あの一尉が制服姿なのに、きらきらした笑顔で、男の子と手を繋いでいる。
どうしよう。むり。泣いちゃうよ。
涙をぐっと堪えるのに必死だった。
堂島陸曹もおなじなのか、もうハンカチを片手に持っていた。
お祖母様も涙ぐんでいたが、お祖父様は複雑そうなお顔をしていたのが気になる。
初めてしあわせそうな背中を見せている一尉と男の子が楽しめるようにと祈って、寿々花は見送った。
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