第11話
「先輩! ああ、良かった。先輩、ずっと眠り通しだったんですよ。見つけた時は、まさかと思いましたけど、どうして一番ひどい三区にいたんですか?」
「そこまでにしといてやれよ、ツエマチ」
その時、三十代後半といった大柄な男が、褐色の手を彼の細い肩に置いて言葉を止めた。そして、僕を見ると温かみのある苦笑をこぼした。
「色々と起こったが、まぁとりあえずはメシが先だな。あんた、本当にずっと眠りっぱなしだったんだ、水も飲んだ方がいい」
男はシズノと名乗り、数十年前、憲法が改正して出来た陸軍所属十三区分警護小隊の雇われだと言った。彼の話によると、二日目の夜に陸軍と空軍が、広大な旧市街地の十三区域すべてを包囲し、鎮静化に乗り出したのだという。
夜に覆われた町で軍による作戦が決行された時、最新の閃光弾が炸裂して睡眠ガスがまかれた。軍の作戦は、出来るだけ死傷者を抑えることにあったようだが、彼らが暴動を止めに入った時は、既に多くの死体が転がっている惨状だった――という。
これまでの格差に我慢のならなくなった群衆が、とうとう自分達よりも上にあるとする者達と衝突したこの騒ぎは、軍が双方を保護する形でどうにか収まったようだ。
これまで手付かずだったこの地区の再生構築に、国がようやく乗り出すことが決まって現在、早急に話し合いが進められているのだとか。
僕は、少量の水で乾いた口を濡らし、柔らかいパンを二ちぎり食べた。噛めば噛むほど甘い気がしたけれど、素晴らしいその食糧の感想は一つも思い浮かばなかった。確かに空腹はあったが、一口目のパンを噛み始めた瞬間から、胃は石がつまっているかのように重くなり、食べる行為を阻み出していた。
ツエマチ君は、どうやら早い段階で、シズノの所属する小隊に保護されたらしい。しかし彼は詳しい話をしたがらず、長い夜の始まりに話題が及ぶと口をつぐんだ。
彼は結局、誰も殺していないのだろう。彼をまるで小さな少年のように気遣うシズノを見て、僕は保護する者と、保護される者の関係を感じ取ってそう思った。僕もあえて、詳しいことを自分から口にしようとは思わなかった。ツエマチ君の「仲間」の一人すら、ここにはいなかった。
普段はがらんとしている通りは、陸軍の検問や支援物資を積んだトラックなどで、ごった返していた。
僕らは、ゆるゆると進むトラックで長い時間をかけて、騒ぎが収束したという自分達の区に戻った。そこでは死体の運び出しや、怪我人の手当てなどが建物の影や道端の至るところで行われていた。広い通りにはテントが設置され、疲れ切った顔をした高齢の医者と十数人の看護士達が、忙しく動いていた。
僕らはまず、各区に設けられた役場で、支援の申し込みと住民記録の再登録をしなければならなかった。暴動で隣の区まで流されたらしいツエマチ君は、役場までのことを優しくシズノから説明されている間も落ち着きがなかった。彼の目は、離れ離れになった仲間達を心配そうに探しているかのようだった。
「ちょっと用事があるので」
案の定、一通りの説明が終わると、ツエマチ君はそう先に告げて駆けて行ってしまった。本格的な暴動の中に残された彼のことを僕は知らないが、もしかしたら生死に関わるくらいのことが沢山起こったのだろう、ということだけは想像がついた。
「俺も、一旦戻らなきゃならん」
走っていくツエマチ君の後ろ姿を見送りながら、シズノが鼻から短い息をもらしてそう言った。
「なぁ、あんたは『先輩』とやらなんだろ? あいつ、俺が見つけた区で、たくさんの友達とはぐれちまったみたいなんだ。よかったら、ちょっと気にかけてやってくれよ。なんだか昔死んじまった弟に似ていてさ、ちょっと心配なんだよ」
「うん、分かった」
僕は、そう答えた。暴動が起こる前のツエマチ君との会話のことは、最後まで一つも口にしなかった。結局、ツエマチ君は大きな流れに巻き込まれて、革命の名のもとに翻弄されたのだろう。
僕から見れば、ツエマチ君はまだあどけないままの子供だった。人を傷つけるだけでなく、命を奪うというとりかえしのつかない行為に対して、微塵の疑問も抱かなかった大人達と同じだとは考えられなかった。
シズノと別れたあと、ぼくは見慣れた町の荒廃した様を眺め歩いた。
アパートD棟の駐車場には、破壊された車が二つと、死体が引きずり出された際の生々しい残酷な血痕だけが残されていた。誰もが目の前のことに精一杯で、強奪し尽くされた建物は似たような廃墟感を漂わせて、そこに出入りする人間に注意を払う人もいない。
僕は、まずアパートD棟の前に立ち止まり、ぼんやりとヒビ割れた各部屋の六個の小さな窓ガラスを数えた。それからしばらくして、通い慣れたそこになんとなく足を向けた。
食べ物で溢れていた一号室は、足の踏み場がないほど荒らされていた。食器類が割れ、カーテンは引きちぎられ、テーブルの上にあったものが衣類の山を崩してぶちまけられている。婦人の遺体があった場所は、やや足場のスペースが余っていた。
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