第3話

 婦人はちょっと意外そうな顔をしたものの、お喋り好きで自慢話好きなところもあって、得意げに「勿論よ」と言ってきた。


「あなたはテレビなんて高価なものは持ってないでしょうけれど、うちには、リビングと寝室にきちんとあるわ。たくさんの宇宙船が来るらしいし、その彼らが連れている巨大な衛星船? みたいなものが、三日間は太陽を遮ってしまうんでしょ? 政府は隠そうとしているみたいだけれど」


 ああ、彼女は一部出ているその噂の方をお楽しみでいるらしい。すると彼女の息子が、菓子を噛みながらこう言った。


「宇宙船をじっくり観察してやるんだ!」

「うふふ、そうね、パパも三日間はお休みだから皆で見ましょ。予定では、今日の夜には到着するみたいだけれど、パパはただの惑星のなんとやらとか難しいことを言うのよねぇ」

「宇宙船に決まってるよ! そんで一番に乗せてもらうんだ!」


 まるで現実感のない予定が、明日に迫っている。婦人が旧式の薄型テレビをつけて、盛大に続けられているカウントダウン番組を見やった。画面には、きれいなスーツを着た清潔感溢れる男がいて、遠い世界のような声や調子で明るく喋り続けている。


 皆さまご覧下さい、※※※の首都上空を通過した未知の一機が、陸軍本部内へと消えていく様子です! これまで世界の各首都で目撃情報が相次ぎましたが、これから本格的に空に停滞する宇宙船が見られるかもしれませんよ!? 展望台などでは、既に多くの人々がカメラを手に撮影準備を整えており、このニュータワー通り660号線沿いにも、買い物や観光を楽しみながらたくさんの人々が――


「君は宇宙船を見たことがあるのかい」


 しばし画面を見つめていた僕は、ろくでなしの息子に尋ねてみた。彼と、彼の隣に並んだ太ったネズミが、間の抜けた顔を同じ方へと傾ける。


「ないよ。多分さ、こっちにはまだ来てないんだ。きっとこれからだよ」


 その息子は、頬肉を揺らしながら再びむしゃむしゃと食べるのを再開し、ネズミも、もらったおこぼれの菓子のカケラを、同じように夢中になって齧り始めた。


 婦人は、いつの間にかテレビの前の汚いソファに陣取り、画面に見入っていた。


「ほら見て! すごいわ、こんなにたくさんの映像があるんだから!」


 そう興奮気味に言って、冷めたフライドホテトを引き寄せる。本物なのか偽物なのかも分からない。僕は、テレビに映った見慣れない飛行物体を最後に掃除へ取り掛かった。


 いつも通りの時間にきっちり終わらせ、次に二号室に向かってみると、既に錆びた扉が開いていた。一号室の掃除が終わる頃、いつもそうやって入り口を開けて待っているのだ。


 この日も、その部屋は汚い服や、使用済みなのか違うのかも判断出来ない服が玄関手前まで散乱していた。住んでいるのは、僕よりも二つほど年下のカップルで、もっもと仕事が楽ではない部屋だった。


 流し台は、たった一晩でゴキブリがわくほどごちゃごちゃになり、食べ物のソースや汁やジュースが床にまで散ってへばりついている。トイレは尿の飛んだあとがあるし、また妙な物でも食ったのだろうと思われる吐瀉物の一部が古い便器に残っている。


 この部屋のトイレは、水の出が悪いので連続で入ると手動で水を汲んで、タンクに追加してやらなければならないのだが、残念なことに、彼らは特に構う必要もなく無視しておける性質だった。


 暇さえあれば交わりに熱中する若き部屋主達のパイプ式ベッドや、なんのためにあるのかも分からなくなるほど淫らに汚れた浴室もそうだ。ひどい時は、狭い廊下にまで泡風呂の残り湯でぐしょぐしょになっているし、ニコチンで黄ばんだ仕切りカーテンも半分外れてぶら下がっていたりする。


 まるで大勢の若者が集まって騒ぎまくったあとのようなこの部屋を、私物だけが乱雑している平均的清潔な環境に戻すのが僕の役目だ。とにかく様々なものが混じったような、このひどい悪臭と室内の雰囲気を、人間が最低限守らなければならない生活基準のような状態にまで、もっていかなければならない。


 この若いカップルは、夕方から夜にかけて活動している人間らしく、いつだって朝はどちらも気だるそうにしていた。女の方も男の方も、僕が来るなり寝ぼけ眼を向けた。


「よろしくぅ」


 そう、今日も二日酔いのような声を上げる。すっかり傷んだカラーの髪はぼさぼさで、女はメイクがひどい具合に落ちかけている。どちらも背丈があって骨が見えるほどに細い。彼らは僕がやってくるのを見計らって、どうにか起床して玄関を開け、肌を多く露出するラフな寝着姿のまま、クッションが飛び出したカウチソファに並んで座るのだ。


 この町には、彼らのように、僕よりも楽をして金を稼げる若者も多い。住むところになんの執着も持たない代わりに、今を楽しむことだけに集中していた。


 苦労を知らないし、知りたいくもない、この町にいる『最下層ではない人間』の典型的なタイプだった。恵まれた都市に住まう上流層の人間から見れば、みすぼらしいこの町で、自分達が彼らと同じくらい偉いのだと信じて疑わない。


 とはいえ、彼らには総じて共通している点がある。それは自分達を、人間としての高い基準に置いて、僕らのような連中を「クソ以下じゃん」と嗤うことだ。


「しっかりキレイにしてよぅ~? アタシさぁ、台所が汚いの、なんか耐えられないもん」

「俺さぁ、ちょっと考えてたんだけど、新しいトコに住んじゃう? 先輩の部屋で一晩過ごしていいって言われた時、お前ってば、すっごく興奮してたじゃん? そっちの方が盛り上がんなかった?」

「もぅ、またその話~? だってさぁ、足の踏み場がちゃんとあったじゃん、二人分なんて余裕でスペースあったしぃ」

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