21. 春分

3月20日 春分の日

 12時半に進学のために旅立つ先輩の見送りのために城崎駅へ。午前中、カフェで雑談を交わし、窓からホームの見える喫茶店で過ごしていると、昼近くなって、この駅が始発になる、先輩の乗る特急列車が入線してきた。

「じゃあ、そろそろ行こうかな。」

「列車が来たみたいですね。」

「うん。」

 手伝いますよ、と荷物の一つを持って店を出て入場券を買って改札機を通って3番ホームに向かう。8両へっせいの銀色の車体の列車が着いている。先輩は6号車15番A席。窓側だ。出入口のところには「清掃・準備中」という札が掛けられていて、時々、案内があるまではホーム・待合室で待つようにという放送が流れている。

 春風が草木の芽吹きの匂いとともに穏やかに、優しく吹く。

 それほど長い時間を待たずに列車に乗り込むことになるだろうから、話が盛り上がって中途半端に終わってしまうような話題を放り込むのもどうかと、長く続かない、場つなぎのような内容の会話になってしまう。

 そのサイクルを断ち切ったのは先輩の方だった。

『1番線を列車が通過いたします、ご注意ください。・・・1番線を列車が通過いたしますご注意ください。』

「・・・ねぇ、千早。あのね、好きな人、、いや、付き合っている人はいるの?」

「えっ?」

 ブーンと機関車が低い音を立てて、貨物列車が通過する。

 貨物列車の音が遠くに去っていった。ホームには、先輩の乗る特急列車のモーター冷却扇の音だけが聞こえる。

 私は、どう返答したら良いかわからないので、先輩をまっすぐ見つめることしかできずに、しばらく呆然として、答えなきゃ、と口を動かそうとしたとき、

「うん、言わなくていい。・・・わかった。うん、わかってる。」

「・・・ごめんなさい。」

「うん、いいんだ。わたしが、勝手に温めすぎて腐らせた感情なんだから。」


「ずっと好きだったんだ。・・・おととし、あのとき千早が落ち込んでいるところに入り込んだら、きっとうまく行ったんだ。・・・でも、あそこで、あそこでうまくいっても、そんなのズルいと思って。そんなのでうまくいっても、わたしは、わたしを許せないから。・・・でも、ズルいよね。こうやってしばらく合わなくなるのをきっかけにするなんて。」

 途中から、声を震わせて、言葉を詰まらせながら言う。


 場をつなぐとかではなくて、どんなふうに言葉をかけたら良いかわからず、ただ列車の機械音だけが大きく聞こえる。でも、いろいろ伝えなければいけない思い出があって、それは言わなければならないので、これ以上時間を浪費するわけにはいかない。

「あの、先輩。・・・去年の夏、学校のプールに涼みに行こうとして声をかけてくれたのは、後輩としてですか、それとも恋人としてですか?」

「私にはどっちでもいいです。でも、辞めたくせに戻ってきたのか、って言われなくて私は嬉しかったんです。みんなで泳いだ後、楽しくて、いま、また精神的に負担がかからないくらいに戻ろうと思った。10日に練習試合があったんですけど、久しぶりに100自で1分5秒まで戻ってきました。私、いろんな人に支えられてここまで戻ってきた気がします。」

『大変お待たせいたしました、二ノ関行きの特急列車、ご乗車の準備が整いました。待合室などにお忘れ物なさいませんよう、ご乗車ください。』


「ほら、先輩、時間ですよ。」

「うん。」

「・・・あの、先輩、私から言うのも変ですけど、また合って、お話してくれますよね?」

「・・・うん」

 力の入らない様子で荷物を両手に持ち、列車に乗って2段上がって、こちらを向く、目を真っ赤にした先輩がいた。

「いろんな、私の知らない世界の話、楽しみにしていますから。」

 先輩は両手の荷物を急に離して2段降りて、私を抱きしめてきた。

「ゴメン、千早、今だけ、わたしの最初で最後でいいから、3分だけ、わたしの千早になって!」

 先輩の涙を私の首筋に感じる。先輩の髪の塩素の匂いではなく、シャンプーの匂いがする。初めて嗅いだ匂い。ホームと列車に開いた空間越しに私は抱かれた。


『二ノ関行き特急列車発車します。お見送りのお客様はホームにてお願いします。電車から離れてください。ドアが閉まります。』


「先輩、もう時間ですよ。」

「うん。」


 先輩は私から離れて、私は列車から一歩下がる。

「先輩、本当にありがとうございました。お世話になりました。」

 深く一礼をする。

 左手から長い笛が聞こえてくる。

 ドアが閉まる。

 私は顔を上げて、先輩はそれを見ると、右手をこちらに軽く上げる。私も右手を軽く上げて、ニコッと笑って見せる。

 列車はゆっくりと動き、加速が一瞬止まって、また加速し始める。その姿を私は駆け出しもせず見送る。列車の後尾灯が通り過ぎて行った。


 私は全身の力が抜けて、腕に軽い痺れを感じた。何とも言えない足取りで階段を上り、跨線橋を渡って駅舎に戻った。

 今日、彩が部活が終わって3時にお茶しようって待ち合わせなのに、私、どうしよう。とりあえず、この脱力感を何とかしないと。彩ではなく、誰かと何でもいいから、それまで時間を潰さないと。1月の初めころに行ったあそこは開いているかな・・・。


 重い足取りで20分ほど歩いて、外装がレンガで入口が赤いドアの店、喫茶「安城」に着いた。今日は、外にメニュー表の立て看板が出ているので営業しているようだ。

 そーっとドアを開けて、ドアベルが鳴ると店主のおじさんがこちらを向いて、

「いらっしゃいませ」

「こんにちは。お久しぶりです。」

「あらー、また会えましたね。ケガから全快したんですか?おめでとうございます。」

「ありがとうございます。」

「どうぞ、座って。」

 マスターの仕事が見える、カウンターの席に座って、

「何にしましょうか?」

「この前と同じので。」

「はい、かしこまりました。今日はせっかく目の前なので、サイフォンで淹れてみましょうか。」

 理科の実験器具のような丸底フラスコを取り出して、準備をして、水を入れて火をつける。ブクブクと水が沸騰してお湯が上へと吸い上げられていく。物理法則の不思議。

「そういえば、2回目ですけど、お名前を伺っていませんでした。よろしければ、ハンドルネームでも良いので教えてほしいです。」

「じゃあ、ハンドルネーム、千早で。」

「私、こういう者です。」

 名刺を差し出され、受け取ると、清水宗介と書いてあった。

「清水さん、ですね。」

「はい、そうです。」

 お湯が上がりきったところで少したってから火を消すとコーヒーに変わったお湯が下のフラスコに落ちてくる。コップ一杯のコーヒーができあがった。

 温めていたコーヒーカップに移して、私の手元に置かれた。

「は~い、お待たせしました~。」

「いただきます。」


 コーヒーの湯気を吸い込んでから、まず水を一口飲んで、コーヒーカップを手に取る。

「今日は、本はお持ちじゃないんですね。」

「そうなんです、駅に4月から大学に通う先輩の見送りに来たんですけど、」

「ほぉ、それは寂しくなりますね。」

「寂しく、ええ、寂しく、、、」


 店の奥の柱時計の振り子の音が響く。

 私のカップが空になったのを、マスターが見て。

「お代わりいかがですか、ちょっと、まだ余ってるんです。」

「え、良いんですか?」

「いいですよ~。ちょっと時間が経ってますから、ベストな味ではないと思いますが。」

 食器棚から新しいカップを出して、注ぐ。

 さらにビスコが2枚乗って出てきた。

「サービスです。」

「わあ、ありがとうございます。」


「今日のお見送りは、あまり良くなかったんですか?」

「うーん、ちょっと苦いですね。」

「あら、コーヒーの味、変わりすぎてましたかね。お湯を持っていきますか。」

「いえ、そうじゃなくて、見送りが。」

「そうでしたか。」

「立ち直れそうですか?」

「私、私じゃあないんです。」

「おや。」


「マスター、フったことありますか?」

「ええ、どちらもありますよ。フったことも、フラれたことも。数の比率は秘密ですけど。」

「どっちの場合も、立ち直れるもんでしょうか。」

「時間が解決してくれると思いますよ」


 私のスマホの着信音が鳴る。

「あ、ごめんなさい、ちょっと」


『千早?どうした?遅れてる?』

「え?」

 時計を見ると3時を少し回っていた。うっかりしていた

「あ、ゴメン近くはないけど、近くにいるんだ。」

「どこさ?」

「喫茶店。」

「もぉ~、時間を忘れるくらい楽しいとこなの?」

「うん、ちょっと・・・」

「行くから場所教えな?」

「ゴメン、うっかりしてた!ゴメン。いま地図送るっ」

「もー。どうしたのさ。早く送ってよ?」

「ゴメンてば!」

 電話を切って地図をスクショして送る。

「はぁー、やっちまった・・・」


「お茶の約束だったんですよね?」

「そうなんです。ああ、やっちまった。」

「いいじゃないですか、結果、喫茶店ですし。」笑

「そうなんですけど、、、」

「おや、まだなにか引っかかることが?」

「あの、変に思わないでくださいね。私、女の子と付き合ってるんです。」

「なるほど。今日はデートですか。いいですね。」

「そうなんです、さっきのこと、やっぱり言った方がいいんでしょうか?」

「さぁ、どうでしょうか。話の成り行き次第じゃないですか?私はどんな人か、まだ会ったことのない方なので、何とアドバイスしていいのかわかりませんよ。」笑

「確かに。」

 私はまたコップの水を飲む。

 量が減ったのを見てか、マスターは微笑みながら水を注いでくれる。


 ドアベルが鳴って入口に目をやると、彩が入ってきた。

「いらっしゃいませ~」

「こんにちは。あ、いたいた!」

「ごめんて~。」

「もー。」

「テーブルの方に移ろうか?」

「いや、いいよ隣で。」

 リュックを横の席に置いて羽織っているカーディガンを脱いで、椅子を引いて腰かける。

「はい、メニューをどうぞ。」

 水とメニューをテーブルの上に置いた。

「ありがとうございます。」

 彩はメニューの裏と表を一瞥して、

「走ってきたから、お腹すいちゃった。チョコパフェとコーヒーをください。」

「あ、マスター私にも同じものをお願いします。」

「はい、かしこまりました。パフェのアイスは何にしますか、チョコアイス・バニラアイス、抹茶アイスの3種類から2つまで選べますけど。もちろん1種類でもいいですよ。」

「えーホントですか~。じゃあ、ウチは抹茶とバニラで。」

「私は、チョコとバニラで。」

「はいは~い。パフェは先にお出ししますね。」

 店の奥にマスターは消えていった。食器を出す音や、冷凍庫や冷蔵庫を開け閉めする音が聞こえてくる。

「へー、千早、いい店知ってるじゃない。素敵なお店ね。」

「うん、ケガしていた時に、いつもの喫茶店じゃ飽きたから、地図で探していたらこういうお店があってね。実は2回目なの。」

「へぇ~。」

 会話が切れて、柱時計の秒針と調理音が響く。


 彩はどこと定まるわけではないが正面を向いてテーブルに両肘をつきながらグラスの水を口に含む。

 彩の様子を伺うような私の視線に気づいたのか、

「千早、どした?何かあった?」

「・・・うん、あったと言えばあったかな。」

「そっか、それで今、これか。今日、水泳部の先輩の見送りだったんだっけ?」

「うん、さっきね。」

「あー、そっか。寂しくなるねぇ。」

「そうだね。そう。でも、まぁそんなに遠くない大学だし、時々、こっちのプールに泳ぎに来てくれるらしいけど。」

「そっか。」

 彩は声のトーンをもう一つ落として

「千早の言いたいこと、それだけじゃないでしょ?」

「彩は何でもわかるのね。」

「やっぱり。どうする?聞こうか?」


「はい、お待たせしましたー。」

 パフェが2つテーブルに置かれた。

「いまコーヒーをご用意しますね。」

 サイフォンのコーヒーメーカーが2台並んでコーヒーが作られ始める。


「美味しいパフェになるかわからないけど、溶ける前に食べる前に彩には言っておく。」

「うん」

「私、鈍感なのかな。先輩の気持ち、全然知らなかった。さっき、告白されたの。」

「・・・」

「いや、答える前に、先輩は知っていた。私のこと。」

「そっか。確かにね。千早は周りのことをあんまり見ていなさそうだから。先輩には申し訳ないけど、私が先にゲットしていてよかった。」

「うん、そんなことがあったの。また会った時どんな顔すればいいのかな。」

「次に会うときは、きっと気持ちに整理がついた後なんじゃないかな。」

「うん、きっとそうだよね。」

「さて、溶けちゃう。食べようか。」


 淹れ終わったコーヒーがそっと差し出される。


 無言のままコーヒーを飲み、陽も傾き始めたから帰ろうとなり、また来てくださいねとマスターに見送られて私たちは店を後にした。

 駅までの道を歩き始めて少し経つと、ウチの千早は誰にも渡さないんだ。と私の左腕に彩は右腕を絡めて手に指を絡めてくる。手首のブレスレットの石がぶつかって小さな音を立てる。私たちは家の近くで別れるまでそのまま過ごした。

 彩は優しい。

 彩の方が足は速い、私よりもずっと先に遠ざかっていこうとするけれども、私は水の中を必死に泳いで追いかけていくんだ。

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