18. 置き去り

 ウチは家に帰ると、さっきの封書を母に渡す。

「彩、これどうしたの。」

「この前、修学旅行で、走ってるところを誰かに見られていたらしい。」笑

「推薦のお誘い、3校目じゃない。彩、本当にすごいね。」

「だってさ、これで進学できれば、ケガさえなければ学費もかからないし、助かるじゃない。お父さんいないし。」

「別にスポーツのところに行かなくても、学費のことなんて言わなくてもいいのに。」

「いいじゃん。同級生はここで就職するって人が半分くらいだし、ウチには必要なことかどうかわからないけど、走るのが好き、好きなことをみんながこうやってやらせてくれるなら、こんな良いことはない。」

「全部別々の地域から来てるけど、今のところはどこにしたいの?」

「うーん。・・・」

 ウチは左手首のブレスレットに視線を落として黙り込んだ。

「そっか、そういうことで悩んでるのか。」

「?」

「お母さんが思っていること、話してもいい?」

「何?」

「あんたさ、今年の秋から、妙にだらしないところが抜けたよね。」

「そう?」

「千早ちゃんかい?」

「・・・どこまで知ってるの?」

「まぁ、深くは聞かないことにするけど、たぶん、あんたが千早ちゃんと、友達ではなくて、もっと別な思いで一緒にいたい、って思っているだろう、っていうところまで。これ以上は言わないし聞かない。」

「やっぱり、気づいてた?」

「お母さんは、良いと思うよ。新時代だ。好きな人と一緒にいるのは全然悪い事じゃない。それに、アンタのセンスじゃそのブレスレットは作れないよね。」笑

「ひどーい。」

「別れるまで付き合ったら?」

「うん♪」

「おカネのことはいいから、あんたに身がしっかり入る進路を選びなさい。推薦枠じゃなくてもいいから。」

「うん、ありがとう。」


 千早に電話しようと思って部屋に帰ってベッドに腰を掛けたとき、コロコロと何かが床に転がる音がした。ん、と思って見ると、青い石。ラピスラズリが割れて転がったようだった。私汗っかきだからかな、と思っていると、いやでもこれはパワーストーンだろ。と、ウチにしては珍しく調べることにした。


 調べてみると、石が割れるのには、元々品質が悪かったことや、そもそも水に弱いという風に言われているので、使っているうちに劣化が進んだという、物理的な要因。このほかに、「役目をおえた、守ってくれた」、「変化のサイン」、「持ち主が持っているエネルギーが石の力を上回った」というものがあるらしい。

 不吉なこと、というよりは前向きなことが多いみたいだ。

 そうか、せっかくキレイなブレスレットだから、冬休み中に、また同じ石を入れてもらえばいいや。と思ってとりあえず、電話だ電話。


 いくら呼んでも千早は出ない。

 あれー、お風呂にでも入っているのかな。でもまだ6時前だし。

 もうちょっとしたらかけてみるか。


 20分後、近所をサイレンを鳴らしたパトカーと消防車と救急車が何台も通った。

 また千早に電話をかけてみる。何十秒か鳴らして出た相手は千早ではなかった。

「あ、あの、た、高旗さん?」

 だいぶ慌てているような声だ。

「あ、あれ、千早の電話・・・ではない?」

「・・・あ、ごめんなさい。千早の母です。千早、そっちに行ってませんか?」

「いえ、来てないですよ。」

「えーっ・・・」

 声が涙声に変わった。

「え?千早どうしたんです?」

「私が余計なことを詮索したせいで、30分くらい前に家を飛び出してしまって。」

「はぁっ!?ちょっと、ウチ、探してみます」

「ちょっ、ちょっと待って!切らないで!」

「そうか、千早のスマホか・・・ウチの番号教えますから。メモできますか?」

 ウチのスマホの電話番号を伝えて、切った後に、千早のお母さんの電話番号を残すために、何コールか呼んで着信履歴を残してくださいと伝えて、いったん電話を切る。


「お母さん、千早が!」

「ん、どうしたの?」

「なんか家を飛び出して、連絡がつかないって。ちょっと探してくる!」

「あら、それは大変。何かわかったら連絡するから。」

「うん、たのむ。」

 私は動きやすい服装に着替えて家を出た。

「あのバカ。なにやってるんだ。どうしたんだよ・・・」

 30分前に家を出た、ということはウチの近辺にはとっくにたどり着いているから、途中までは最短ルートで来るはず。いつもの元町のバス停まではウチから10分。だから、千早がいるとすれば、あのナナメ通りよりも千早の家の方だろう。千早の家の近所には水路はないから、滑ったりして水に落ちることはない。


 元町のバス停まで来て、交差点のベンチに座ってすこし考える。どんな格好で出たか、聞かなかったな・・・。変なところが抜けている千早のことだから、きっと何も考えていない格好で出たに違いない。


 消防車がまた通った。さっきから5台は通ったぞ・・・。大きな火事にしては煙の臭いもしないし、交通事故だろうか。

 何だろう、ちょっと追いかけてみようか。


 シャーベット状の滑る雪だが、中学のころから履いている、よく動く子供向けの履きなれているけどダサい冬靴で出てきたので、割と平気で走れる。もうそろそろ引退させようと思うほど履きつぶした冬靴だ。

 5分ほど走ったところで見失ったが、遠くの方で赤いランプがチラチラしているところがあるから、きっとそこだろう。走って走って走って。息が上がる。さらに10分くらい走っただろうか。

 大手宅配業者の裏手に消防車が集結している。10人くらい消防士が集まって、雪をどけている。


(はぁっ、はぁっ・・・)

「あの、何があったんですか?」

 規制線のところにできている野次馬の1人に尋ねた。

「なんか、屋根から落ちてきた雪に埋まった女の人がいるらしいって。」

(まさか)

 ここは千早の家からソコソコ近いし、時々通るところだ。

「で、その人は、どうなったんですか?」

「棒で突いて、あの辺で反応があったようで今、掘ってる最中みたい。」


「ショベルとダンプが来まーす!」

 警察官が叫ぶ。

「通りまーす!」

 ブーンと音を立ててダンプが先に停まって、その後ろを大きなショベルカーが追いかけてくる。歩道の雪をダンプに何杯か積んで、ショベルの前にいる消防士の合図で上からゆっくり雪を取り除く。あっという間にダンプが満杯になる。そこにできた場所に、手掘りで雪をどんどん置いていく。

「ダンプ出まーす、次のダンプが来まーす!」

 ピピピピと笛を鳴らしてダンプを出す。

 2台目がショベルを追い越してもう少し前に停まる。


 2台目のダンプもあっという間に満杯になって次のダンプ待ちの間、歩道と縁石に落とした雪を片づけるショベルの運転手。


「服が見えたぞー!救急隊!」

 ウチは人ごみを掻きわけて、ブルーシートが張られる前に顔を見ないとと思って強引に前に出る。

 黒いポニーテールにグレーのパーカーにデニムパンツの姿が見えた。やだ!千早に似てる!

 黄色い立ち入り禁止のテープをくぐって救急隊の方向に飛び出す。

「そこの子!下がって!出ないで!」

 制止など聞かずに駆け寄る。

 ストレッチャーに移された。顔が見えた。千早だ。

「千早!!うそでしょ!やだ!」

 警察官が寄ってきて、ウチをどかそうとしたが

「キミ、この子の知り合い?」

「ええ、高校の同級生です!」

「今から、病院に運ぶから、とりあえず付き添ってくれる?時間があれば、、、だけど。」

「はい!」

 雪崩などの災害で生き埋めになった時、空気を確保できない場合、40分が限界だという。千早が埋まってから、救急車で運ばれるまで60分はかかった。どう・・・なんだろう。

 ウチは救急隊員に言われて、千早のお母さんに電話をした。搬送先の病院を尋ねて、東城崎の大きな総合病院に運ばれることを伝えた。


 体温34℃。心拍と自発呼吸は弱く、気管挿管されて、空気を送り込まれている。とても痛々しい。救急車じゃなかったら、ウチが千早を温めてあげるのに、何もできない。ウチが代わってあげたい。ウチがいたところで、この車の中では何もできない。東城崎は開実から電車で20分くらいの距離で、車ではおおよそ40分かかる。緊急車両とはいえ、せいぜい10分くらいの短縮が関の山だろう。

 そういえば、家に連絡するのを忘れていたので、メッセンジャーを使って、こういう状況であると伝えた。

 意識が戻ってくるといいね、大丈夫だといいね。と返ってきた。


 長い、早く、暖かいところに入れてあげて!ただそれだけを願った。


 病院に着いて、ICUの近くにある待合室の長椅子で待たされることになった。

 長椅子でじっと待っているのも疲れるものだ。喉が乾いたが、おカネは持って来なかったし、スマホのQR決済も、親に補充してもらわないと残金もない。交差点のあのベンチのところでうなだれて、ポロポロ涙をこぼしている千早がいると想像していたのだけど、どうしてこんなことに。

 救急入り口の自動ドアが開き、次の患者が運ばれてバタバタと私の後ろを通り過ぎた。

 スマホの電池も残り少なくなってきて、困ったな。と思っていたところに、病院の警備員さんが来て、お茶どうぞ、とペットボトルの温かいお茶を置いて行った。


 また自動ドアが開いて、救急搬送が多いなと思っていたら、

「高旗さん?」

 ガバッと起きて

「はいっ!」

「高旗さん、ゴメンね。探してくれて・・・」

「たまたま状況を聞いたらこんなことに。」

「夫、職場から出たのが私より後で、まだちょっとかかりそう。ちょっと隣に座っていい?」

「どうぞ。」

「あのね、高旗さん、、、千早と付き合ってるのかしら?」

「・・・、千早、言ってなかったんですか。」

「そうね、修学旅行から帰ってきて、千早は何か雰囲気が変わったなって思っていたんです。文芸部に入ってからなのかもしれないけど、特に修学旅行から帰ってきた後は、毎日がとても楽しそうにしていた。11月の体育祭の後、あんなにショックを受けたはずの水泳をまた始めたいって言いだして、スポーツクラブに入って。変わったな~、って思ったんです。・・・ある日、千早にタオルケットとシーツの洗濯を頼まれて、洗って、乾かして、今思えば、よせばいいのに千早の部屋に入ってベッドの上に置いたんです。ふと、机の上を見ると、水泳部の時代の写真ばかりだったところに、あなたと9月の陸上大会や修学旅行で撮った写真がたくさん並んでいて、私にも見せたことのない、本当に幸せそうにニコニコしている写真を見て、そこでもしかして、と思って。・・・これね、写真立てのところに置いてあった封筒。多分、千早はいつかあなたに渡そうと思っていたものだと思うのだけど、千早には黙って、今日持ってきてしまった。」

 宛名に、彩へ、と書かれたエアメールの封筒を差し出してきた。

 それを受け取って開くと、東京体育館の前で生乾きの髪のまま撮ったウチらの写真、おととい撮った千早の部屋でケーキを食べる写真の2枚が入っていた。

「千早ね、水泳に戻りたいって言い出すまで、寝た後に具合が悪くなったりすることが時々あったみたいで、朝、洗濯籠に、寝汗でびっしょりのパジャマが入っていたりすることがあってね。正直大丈夫かなって思っていたんだけど、たぶん、あなたと付き合うようになってから、だと思うんだけど、その回数が減っているように思うの。本当にありがとうね。」

「・・・あの、ウチのこと、気持ち悪いって思いますか?ウチのせいでこんなことになって。」

「いいえ、違うの。ヒトの遺伝子の半分は異性でできている。男であれ女であれ、100%同性由来の遺伝子は、おそらくこの世には存在しない。だから、どっち半分にしても、その遺伝子に惹かれることは、生物的本能の面を覗いて、ありうることだと思う。誰かのことを好きになるっていうのは素晴らしい事よね。・・・それを言おうと思ったらあの子、家を飛び出して行っちゃうんだもん。」

「そう、だったんですね・・・」


 医者がこっちに駆け寄って来るのが見えた。

「永野さんのご家族ですか?」

「あ、ウチは同級生です。」

「お母さまに状況を説明したいのですが、お話の途中でしたか?」

「いえ、いいんです。」

「家まで送っていくから、もう少し待っててくれる?」

「あ、ウチ、親に連絡取りますからお構いなく。ありがとうございます。」

 医者について行こうとするとき、振り返って

「千早に、とことんまで付き合ってあげてね。」

 と言って去っていった。


 しばらく経って、千早のお母さんが戻ってきた。

 ウチの隣に腰を掛けて、これは自分から何か声をかけるべきかどうかを考えているうちに、

「大丈夫だって。安心して過ごせそう。」

「そうですか、よかった。」

「とりあえず、屋根には氷柱や分厚い氷が少なかったから、致命的な外傷はないようだけど、右の鎖骨が折れているみたい。低体温と低酸素の影響は目を醒まして詳しく検査してみないとわからないようだけど、問題はない可能性が高いっていう話みたい。今日、明日くらいは鎮静剤で眠らせておくみたいで、集中治療室から出されるのは明日になるみたい。」

「そう、ですか。よかったです。」

「だれか、迎えにこれそう?」

「はい、もうすぐ来ると思いますから、ウチ、行きますね。」

「本当にどうもありがとう。目を醒ましたら千早に連絡させるから、お見舞いに来てあげてね。」

「是非、そうします。それでは、ここで失礼します。」


 まだ親に連絡を入れたわけではないのに、病院を出て、時計を見ると22時近く。開実まで行く最終電車はとっくに出て行ったはずだ。

 足取り重く、歩きながら親に電話をしたら迎えに来てくれるから、ファミレスで何か食べて飲んで待っていてと言われ、東城崎駅の近くにあるファミレスで待ち合わせをすることになった。

 とりあえず、そんな気分ではなかったが、少し食べないとなと思って本当に少しだが食べた。1時間くらい経って、親が来て、親もコーヒーを注文した。


 別に何も話したくない気分ではなく、むしろ、まだ興奮が少し醒めていないので、何か話したかったのだが、何を言っていいのかわからなくて、黙って飲み物を見つめては飲み、を繰り返していた。

「さて、そろそろ帰ろうか?」

 切り出したのは母だった。

「うん。」

 会計を済ませて車に乗る。ウチは助手席の窓に肘をついて外を眺めていた。

「ねぇ、彩?」

「ん?」

「落ち着いてきた?」

「うん~、でも千早から連絡が来るまではソワソワしてそう。」

「そう、何もないといいね。」

「うん。外からの感じでは別条はないように見えるって話らしいんだけどね。千早が帰ってこないとなんとも言えないみたい。」

「そう。」

「ウチ、千早に置いていかれたらイヤだなぁ。こんなことで手の届かないところに行かれたらイヤだなぁ。」

「そうね。」


 小一時間、そんな半分一方通行の話をして家に着く。千早を探し回って、体が冷えたのでお風呂に入りなおす。気を紛らわそうとラジオのアプリを起ち上げるが、イマイチ、これではない感じがあって、何局か選局して試してみたが、やっぱりコレじゃない感があって聴くのを止めた。

 お風呂から上がって、ベッドに横になってみたが、どうも寝つきが悪くノートパソコンを開いて、動画サイトにおすすめされるまま流しっぱなしにして、ぼんやりと画面を眺めてなんとなく時間を浪費した。


 千早はいま、どこの世界を泳いでいるのだろう、漂っているのだろう。

 溺れていないといいな。


12月27日

 静かな音楽が再生されっぱなしの動画がパソコンに映っている。この動画はかなり長いもののようで、再生されてからの経過時間を見ると、数時間経ったところだったようだ。多少なりとも寝たようだ。

 千早から連絡がなかったかと、慌ててスマホを開いてみるが、着信履歴もメッセージの履歴もなかった。今日、連絡は来るだろうか。来るなら、早く会いたい。

 着替えて、朝ごはんを食べて、リュックに本を何冊か入れて、そのままバスに乗って駅まで行ってそのまま列車に乗った。

 東城崎には喫茶店やネットカフェがない。長居できそうなお店は、昨日居たファミレスくらいなのだ。中心部はもう一つ先の城崎なのだが、ここではすぐに会えない。少し寒いから、どこかの公園で時間をつぶすことも難しい。

 この辺にもウチの学校に通う生徒はいるのだろうが、ウチにはこの辺に住んでいる友達はいない。

 電車の中で東城崎周辺でなにか時間をつぶせそうなところがあるかどうかを改めて調べなおしたが、大きな図書館や本屋は、やはり次の城崎にしか検索結果が表示されない。ここはただの住宅街で、まだ大きなカフェが進出してくるには時間がかかるだろう。

 病院は駅からかなり北東側にあって、昨日居たファミレスは北側にある。南側は多少離れているが、病院と同じくらいの距離のところに海岸線があって、ちょっと散策して、何かお店を探すのもありそうだ。

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