10. 風の人のはじまり
8月29日 このところずっと日中はカンカン照りで暑かったが、久しぶりに朝から曇り空。しかし、午後には晴れるという。9月2日にある陸上競技大会の、学生関係者証をもらったから、彩が届けに来ると言ったが、私の部活ことだからわざわざ来てもらうのも悪いので、取りに行くことにした。待ち合わせは元町にある”y”字路のところに立っている時計塔を囲むように並ぶベンチ。
花壇は地域の婦人会がキレイに花を植えていて、きちんと管理もされているようで、枯れることなく花を咲かせ、ミツバチが蜜を集めに来たりしている。
「ごめん 待った?」
「いや~ いまミツバチの様子を写真に撮ってたところ。カメラを持つと退屈しないわ。」
「じゃ、行こうか~。」
ここから15分くらい歩いたところに彩の家があるそうだ。
この街はかつて林業も盛んだったので、材木を運ぶための鉄道があった。木材は水運が一番早いのだが、近くには大きな川がなかったために、運河を作るための十分な水量が確保できなかった。今の技術があれば大きな遊水地を作って、そこから水路を巡らせることもできただろう。
そのため、街の区画が当時の鉄道を基準に作られている部分もあるため、不自然に三角形になっていたり、カーブしていることも多い。
彩の家はマンションだった。私の高校の超優良選手が住んでいるのはどんな豪邸かと思っていたら、マンションだった。エレベーターに乗って7階へ。
「上がって上がって~、いま家に誰もいないから、くつろげるよ。」
「おじゃましま~す。仕事で?」
「そう、仕事で。」
彩の部屋に案内されて、
「飲み物取って来るから待ってて~」
「うん」
部屋には、いつからのかわからないけど、大会のトロフィーや賞状がたくさん飾られていた。どんなのがあるのだろう、と壁や机の上に飾られているものを眺める。小学校の運動会の徒競走、リレーに始まって、中学も短距離の数々の大会の賞状が飾られている。
「お待たせー。」
彩が飲み物をお盆に乗せて入ってきた。
「すごいね~。コレ。ポッと出の私とは全然違う。」
「ふふ、でもあることに気づかないかい?」
「え~何?」
競技の種目は100、200、リレー。
「あれ、高校に入ってからはリレーに出てないの?」
「おー、早い。さすが、千に早いと書く名を持つ者よ。」
「なにそれ。」笑
「そう、リレーは1年の時から出るのを辞めたんだ。」
「こんなに足が速いんなら、強制的に出されるんじゃないの?」
「そうなんだよ。でも、なんでかって言うと、、、」
スマホを取り出して、動画サイトを開いて何年か前の陸上競技の動画を私に観せてきた。
『第2レーン 上城崎高校~』
と会場アナウンスがあって4人並んでポーズを取ってなにか踊ったりしている映像が出る。
「ウチ、これがイヤなんだよ。踊りヘタクソだし。」
「そんなに運動神経いいのに?」
「走るのとダンスは別の神経でしょ」
「確かに、水泳のリレーにコレはないけど。」笑
「こんなふざけたの要らんし、リレーで高校の名前が売れようとウチは2年半しかないから、知ったこっちゃないし、出る競技ではちゃんと成績を残しているから、他を当たれ!って言ったの。」
「う、うん。」
まぁ、確かにわかるような、わからないような。
「あれは、罰ゲームっていうじゃん?音ゲーじゃないんだから。」
「ア、アスリートのごもっともな意見のような気もしてきた・・・。」
「あ、これね関係者証。帰るときに本部の人に返してね。」
「ありがとう。・・・これっていつのときのユニフォーム?」
壁に大事そうにハンガーで掛けられ、その時のスパイクも飾ってある1セットのユニフォームがある。
「あーそれね。中学校3年の時のかな。優勝はできなかったんだけど、200mを初めて向かい風で27秒前半の自己ベストを出した時の。あ、靴は洗ってあるからね!ちゃんと!」
「いや、それは聞いてない。聞いてない。」笑
優勝することにこだわっていないけど、自然に記録がついてくる、そういう競技スタイルなんだろうか。
「その時は、自己ベストで満足できたの?」
「その時はね。それ、高校に入るまではそこに飾ってなくて、ちゃんとしまってあったんだけど、最近、ウチ、記録伸びないんだよね。気分転換に部屋を片づけていたら、ここ何年かで一番楽しかったと思えたときのものが出てきて、なんとなく、ここに飾っておこうかなって思ったんだ。」
「そうなんだ。」
「でも、今度の土曜日の大会はいい記録が出そうな気がする。千早っちが来るからさ!」
「え、それって関係ある?」笑
「ウチ専属のカメラマンが来るんだよ。いつも以上に気合入るじゃん?」
「専属て」
「目標タイムは、200mは26秒5、100mは11秒8なんだ。これを切れば、ウチの自己ベスト更新。」
「そういえば競技名簿にリレーも入ってたけど、今回はリレー出場するの?」
「あの、罰ゲームがあってもカメラの前なら・・・」
「よくわからん・・・。」
「でも、あれ、本当にやめてほしいんだよね。ウチの思想・信条には合わない。競技をナメてんのかって思っちゃう。みんなそういうつもりじゃないのは知ってるし、わかってるんだけど。ウチはあそこに、走るために立ってるんだし、別に人気を取りたい訳じゃないし、陸上でどこかの会社だとか、ナントカ強化選手に選ばれるための宣伝をしている訳じゃない。ただ、走りたくて、風になりたくてあの場所にいるんだ。それだけはわかって欲しいなって思うんだよ。」
私は黙ってうなずいた。何があっても流されない、そういう信念の強い人なんだ。でも、その信念を曲げてまで今度出るっていうのは何か考えがあるようにも感じた。
こんなに強い存在感のある人なのに、どうして今まで、クラスではこの「存在感」を感じなかったんだろう。
「ねぇ、クラスでいじめとかされてないよね?」笑
テーブルの右面に座っていた彩が急に私の隣に座って、
「そうなの~ いじめられてるの~ みんな無視するの~」
と私にくっついて言い始めた。
「誠に、信じられん。いじめなんて、なかった。いいね?」
「えー 一番、無視してたの千早っちのクセに!」
「何も言えねぇ!アタシは超人見知りだから、ホントに気がつかなかったんだってばよ!」
「えー えー?先輩にグラビア写真撮られてニコニコして人見知りぃ?」
「ちょっと、離れなさいよ」
「あ、千早っち、意外と胸大きいのな。水泳部の人って水着がキツいからわからないけど、意外とデカいって本当なのな」
「水泳部じゃないし!”元”水泳部だし!こら揉むなソコ!触るな、やめろ~」
彩は私の右の肩に顎を乗せて耳元ささやく
「今度の大会、いい記事の材料を出すから、ギャラの前払いだと思ってさ」
「なんじゃそれ」
一通り触って満足したのか、元の場所に戻った。
ふぅ、暑い暑い・・・
「千早っち、かわいい。」笑
「うるさい!もう。」
「あ、そうだ、うちに来たついでだ。昔のアルバムとか見たいとか言ってなかったっけ?」
「うん、いいの?」
「いいよ、ちょっと待ってて。」
小学校と中学校のアルバム2冊を引き出しから出してテーブルの上に置く。
まずは小学校のアルバムから。当然だが校門で親と一緒に撮られた入学式の写真から始まり、運動会の写真が来る。徒競走の写真やリレーの写真と続く。
年次が上がっていくにつれて、走っている姿の写真が増えていく。市が主催するマラソン大会の写真もいつからか出てきた。
「ウチね、勉強とかダメだけど走るのだけはね・・・」
中学2年の秋の体育祭100m走の写真を開いたとき、
「ねぇ、風が見える。」
「え?」
「え?彩には見えないの?」
「ウチには必死になって走ってる自分の姿しか見えないな。」笑
その風を除けば、確かにショートヘアーを風になびかせた横顔で「足が速そう」な写真だ。
「すごいよ、背中にパステルグリーンの風が見えるよ。」
「なにそれ、心霊系?」笑
「うん、なんか言葉で表現するとそういうイメージ。」
「小説家みたい。・・・そう、短距離のタイムが伸びてきたのがちょうどこのころなんだ。中学のうちは陸上クラブにも入ったりしたんだよね。もうちょっと後のページ。」
陸上クラブの写真が現れる。何十人かの同じユニフォームを着た、競技場での集合写真だ。隣のページには新聞の切り抜きで大会の記録が貼られている。
どの記録も100mは12秒1前後、200mは27秒2前後で、どれもだいたい3位。
「彩は中学ではテッペンに登ったことないんだ。」
「そうなんだよ。トップには2歩くらい足りないんだよね。最後の3m、ここの伸びが足りなかったけど、去年は初めて勝ったんだ。これこれ。」
『高校』と書かれたスクラップブックを開いて見せてくれた。去年秋の県大会を100m3位で、200m2位で通過して全国大会で100m、200mともにトップの立ち位置で表彰状を上に掲げて笑顔が輝いている写真があった。記録は11秒93と26秒63。あと100分の数秒で自己ベスト。
「ということは、自己ベストの2連続更新を狙ってるの?」
「そうだよ。贅沢を言えば公式記録も更新したいんだけど、11秒48と23秒45。さすがにコレは、オリンピックに出れちゃう。」笑
「県記録が、11秒83と24秒49なんだ。だから、11秒8と25秒5は、県記録も狙ってる数字。」
「うん、きっと大丈夫。・・・ライバルっているのかな?」
「バチバチじゃないけど、意識している子はいるよ。クラブで一緒だったんだけど、
「確かに。」笑
「今度も出るんだよね。しかも、コース、ウチの左隣。目障りだわ~」
「仲良かったの?」
「一応ね、クラブではリレーでチームになるし。でも、
「渡してみたかった?」
「一度はね、いや、二度、、、あったな」
「二度?」
「うん。ウチが3番手で、アンカーの鈴に。それと、鈴が3番手でウチがアンカーのとき。」
「おいしいトコだね。」
「もう、高校も違うし、ウチより速い人はたくさんいるから、代表メンバーに入れないから、あとは大学か社会人サークルでしかチャンスはないけど、もうないだろうなぁ。」
「うん、まずは今度の大会だね。」
「そうだね。」
窓のレースのカーテンがそよそよと揺れ、涼しい風が入ってくる。いつの間にか窓から入ってくる光の色が、白から少しオレンジ色に変わってきた。今日は夕立はないらしい。
壁掛け時計に目をやると17時を過ぎていた。
「あ、もうこんな時間。そろそろ帰ろうかな。」
「もう帰っちゃうの?」
「うん、まだ取材ノートとかメモとか作ってないから、忘れないうちに今日のことを書いておかないと。」
「なんだ、暗記の天才じゃないのか~。」
「んなわけないでしょ。ま、忘れたらまた見に来てよ、聞きに来てよ。電話でもアプリでもいいし。」
「うん、そうする。」
「じゃ、元町のあの交差点まで送っていくね。」
「いいよ、迷ったりしないから。」
「知ってる。帰り、ドラッグストアで買い物があるんだ。」
8月も末、太陽があるうちはムワっとしているが、それも割と早いうちに海の方角からの涼しい風が吹いてきて、夜には心地いい気温に落ち着いてくる。
私はひざ丈までのデニムに半袖の白いシャツだが、彩は、陸上部という本性に似合わず、水色の涼しそうなワンピース。学校で見る普段とのギャップがすごい。部活はなんだかんだで部活の格好だから、こういう時にオシャレをしておきたい、ということだろうか。
どこかのひまわり畑をバックに写真に撮ってあげたい、そんな風に思った。
「それじゃ、大会行くからね。」
「うん、カッコいいとこ、いっぱい撮ってね。」
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