3. 撮りたいもの

 夏休み前の最終登校日、私の高校は2学期制であるため終業式がない。終業式のようなものがあるわけでもなく、学校の先生たちの働き方改革の一環とかで校長先生のあいさつ、のようなものもなく、ただ午前中の授業が終わると淡々と休み期間に入るのだ。

 今日は学校帰りに渡瀬さんにカメラの見積りに付き合ってくれる約束になっている。

 玄関の掲示板のところで待ち合わせだ。ホームルームが終わって、急いで向かう。1年生の階は私たちの上だから、同じ時間に終わっても普通に歩いてくれば1年生の方が遅いから、特に急ぐ必要もないんだけど。

 掲示板の壁にもたれながら、左肩に手提げかばんを掛けてスマホを触っている姿が見える。・・・早いなぁ・・・。


「ゴメーン、待った?まっすぐこっちに来たんだけど。」

「いえ、わたし、黙ってましたけど、瞬間移動ができちゃうんです。」

 2回目、厳密には3回目の対面とは思えない冗談に呆気にとられる私。

「あ、冗談です、冗談。じゃあ、行きましょうか。」


 私たちの高校は繁華街とは離れ小島にある。地理で習う難しい言葉を使うと『陸繋島』というらしく、有名な観光地で言えば秋田県にある男鹿半島や、神奈川県にある江の島のような地形のところにある。

 この断崖の上に建つ高校の土地は、第2次世界大戦が終わるまでは通信基地や敵の艦隊から守るための砲台や崖の中には、そういう人たちの活動のためのトンネルが掘られているのだとか。島の中をくまなく調べれば、コンクリートで封鎖された出入口がいくつもあって、夏の夜には肝試しのために森の中に分け入っていく人も多い、知っている人にはとても有名な場所だ。


 繁華街に出るためには、それほど人口も多くないところなので、高校生の利用が集中する時間には専用のバスが学校から用意されていて、8割近い学生はそれを利用する。一般の乗り合いバスは6時~9時、16時~19時、いわゆる通勤時間帯には30分に1本、それ以外は1時間か2時間に1本くらいしかバスが走っていない。休日になると学校に向かうバスはあちら側の始発で9時半、こちら側の最終バスは17時でだいたい1時間半に1本の間隔でこの事情を知らない人はビックリするそうだ。したがって、目的のバスに乗るためには、しっかりした行動計画と時間管理が必要で、まるで社会人の訓練を受けているかのようだ。

 専用のバスは最寄りの鉄道駅とバスターミナルの2か所しか停まらないので、その途中にあるものを利用しようとすると、一般の乗り合いバスに乗った方が移動効率が良いのだ。

 渡瀬さんに付き合ってもらうアサヒバシカメラは、来年になると駅前に完成する新しいビルの中に移動するのだが、今は鉄道駅から2キロくらい北にあった、というかあるというか、(定期旅客航路がないので)休止状態の埠頭と駅の中間地点にあるので、それに見切りをつけるということだ。

 この街の中でも古い建物なので、新しくできた建物よりも天井が低かったり、立体駐車場の駐車スペースの幅が現代の車に対応していないので狭かったりと、もはや時代に合わなくなっているところもあるようだ。


 今日は、専用バスに乗って駅で降りても良かったのだが、途中、おしゃべりをしたいね、ということになって学校からつながる坂の下で専用バスに乗れるのだが、わざわざ数百メートル下にあるバス停まで行くことになった。13時発なので終業の12時から逆算してもとても余裕のある時間だ。


「あ、あの、」

 学校を出てから、石の階段を下りながら最初に会話を切り出したのは渡瀬さんの方だった。

「永野センパイ、下の名前は何ていうんですか、もし、下の名前で呼んで良ければ、あの、その」

「いいよ~。私、千早っていうの。日本人が大好き3文字の呼び名だよ。」

「ありがとうございます。千早センパイ。って呼ばせてもらいます。わたし、瞳って言います。」

「ひとみちゃんか~。漢字は眼のヤツ?」

「そうですよ」

 童のような目、心が童なら憧れだね。

「ひとみちゃんは、普段はどんな写真を撮るの?」

「鳥の写真が多いですかね。大きな鳥から小さな鳥、山に棲む鳥、海に棲む鳥、いろんな鳥の写真を撮ります。この街には海もあるし山もあるので本当にたくさんの種類の鳥がいるんですよ。街の公式ガイドに載っている鳥にはまだ全部出遭っていないんです。」

「その中で、どんな鳥が好きなの?」

「そうですねぇ、、、やっぱり一番好きなのはスズメとかヒバリでしょうか。」

「あ、ヒバリいいね!」

「ヒバリ、好きですか」

「私ね、空を眺めるのが好きなんだけど、スズメは冬でも丸くなって集まって見かけるけど、ヒバリはこの辺りでは雪が融けた頃にいつの間にかやってきて、春が来たって知らせに来る、ワクワクを運んでくる鳥だよね。それから、名前の通り、晴れた日に空高く舞い上がって縄張りを知らせるように、あんな小さな体で、あの高さからでも良く聞こえるように鳴くのはすごいなって。」


 学校下のバス停から埠頭の方に向かうバスが出発する。路線バスのコースは、駅を通って旅客船埠頭を通ってバスターミナルに向かう。


「千早センパイはどんな写真を撮りたいんですか?」

「私はね、天気のことが好きだから、空の写真だとか雲の写真とか。空って言っても、何十キロ先まで見えるような澄み切った空の時もあるけど、ちょっとモヤがかかっていて、限りなく見える空よりも濁っていたり、はたまた、暑い日の夕方みたいに急に空が曇ってきて大雨になったり、いる場所とその時の条件によっていろいろな色や形を見せる空をたくさん撮れたらいいなって思うんだ。撮り方によっても、いろんな撮り方ができるでしょ?」

「いいですね~。かなり前から言われていますけど、みんなスマホを見て、下ばかり見て生活している人が多いですもんね。ここみたいに中途半端に大きい街から、東京みたいな大きな街に出ると、いろんな種類の建物や道端に芸術的な作品があったり、イヤホンやヘッドホンなんてしなくても驚くほどいろんな音があって楽しいんですけどね。当たり前になってしまうと、そういうものでしょうかね。」

「そういえば、あの学校祭で展示してた水泳部の写真、あれは誰が撮ったの?」

「あ、あれ、実は私なんです。」

 照れくさそうに微笑みながら言う。

「すごい、私の中の有名人が今、目の前に。撮ったのは鳥じゃないのに!」

「みんなが、あの写真をあんなに推してくれるとは思いませんでした。」


「あ、次だね」

 乗り換えてから、それほど時間が経たないうちに目的のバス停に着く。きらびやかな2階建ての家電量販店に到着。カメラ売り場は1階の奥の方。


「うひゃー、カメラっていっぱい種類あるのね・・・。」

「そうですよ。千早センパイは空を撮りたいって言っていましたよね。」

「だね。」

「人それぞれですけど、風景写真を撮る人はニコンの人が多いイメージです。テレビで見た感じ、プロのカメラマンさんはキヤノンを使っている人が多いように思います。この2つのメーカーのカメラは、たぶん、ほとんどの人が使っています。この前の作品展の時に出品した他の学校の人はペンタックスを使っていました。理由を聞いたら、カメラ屋さんの店員がキヤノンとニコンありきで、態度が気に食わなかったから、ペンタックスかシグマにしようと思ったっていうことみたいです。細かいところではメーカーにこだわりの機能や仕組みがあるんだとは思いますが、それほど違わないというか、目に見えて違ったらそれはそれで問題なので、最後は好みです。」


 撮りたい写真はレンズから始まるということで、メーカーは後回しにして、だいたいの風景写真は望遠よりは広角だが、景色の中には自然があるので、どんなところをピンポイントで撮りたくなるかわからないから、望遠も必要だという話になり、50mm前後のレンズはセットのものを買えば本体と一緒についてくるので、20mmあたりの超広角と500mmくらいの望遠から100mmくらいの幅広い範囲を捉えられる、チョット重量のあるものがいいだろうとの結論に至った。

 レンズは中古のもので値段を抑えれば15万円くらいにはなるようだが、新品なら倍くらいかかるようだ。あとは、うちのスポンサー次第かな。


「今日はありがとうね」

「いいえ、カメラ買ってもらえるといいですね。」


 私の家の方に向かうバスは、だいたい1時間に1本。瞳ちゃんの家の方のバスも同じくらいの本数なのだが、発車時刻は私のよりも近い。


「あ、そういえば合宿の日程を聞いてなかったよ!」

「部長、言ってませんでしたか。部長に言っておきますから!あとでメッセンジャーで送りますね。日にちは8月1日からです。詳しいことはデータで見てください。」

「休み中も部室に行ったら誰かいることもあるのかな。」

「夏期講習の復習だとか言って、おやつ食べている人はいると聞いてます。」

「そうなんだ、時間が作れたら行くよ。」

「はい、それじゃまた!」


 ターミナルにバスが着くというアナウンスがあって、私たちは別れた。

 私はカバンからヘッドホンを取り出し、音楽プレイヤーを起ち上げる。最近の流行は全てスマホで完結するのだが、私はスマホはスマホ、音楽は音楽で分けたい派なのだ。ちなみに、今日のヘッドホンは大雑把に言えば紺色なのだが、こだわりのある人はブルシャンブルーだとか、アイアンブルーだとか、そんな風に言うのだろう。

 音なんてそんなに気にしないけれども、メーカーにはなぜかちょっとしたこだわりがあって、かつ、色の着せ替えができるか、種類がたくさんあるところを好む。この色は、おととしのサイパンの海で見上げた時の色で、現地のスーパーマーケットの一角にあった電機コーナーにあったものだ。

 父には、日本でも買えるだろ、アメリカンサイズは頭に合わないだろと言われたが、両方ともその通り。私の頭には少し大きいし、どうにもならないが、色が気に入っているので使っている。

 ただ、その頃は今よりも円高だったので、日本で買うよりは少しだけ安く買えたのだ。

 他にはその日の気分に合わせて水色系、橙色系、桃色系を持っている。どれも欲しくなったシチュエーションのある思い出の色だ。

 その思い出の色の話はまた何かの機会に。


 私の住むところに行くバスは私を運んでどんどん進んでいく。陽は西に傾き、少しずつ朱く染まって来た。車窓の右手には海が見え、太陽に向かってすこしずつ光の道がつながっていく。

 通学時間が1時間を超えると、バスの中ではちょっとしたことができるようになる。私はたいていは高校で一番好きな英語の勉強をする事が多いが、帰宅部になってからは、帰宅部で同じ方向の通学友達と帰ることも多くなって、中でも、組は違うのだが、読書が好きだという宮内悠香という同級生と途中までは一緒のことが多々あった。彼女は作家になりたいんだとか。世界史が好きで、学校の歴史の授業は年号と出来事を覚えるばかりでロマンが足りない、とよく熱く語り、歴史マニアがよくハマる日本の戦国時代や中国の三国志時代ではなく、好きな時代もさまざま。今は第一次世界大戦にハマっているのだとかで、数週間前にコレを読め。と言って独ソ戦の本を押し付けられた。

 必ず、感想を求められるから気が抜けない。最初の方は、なんじゃこれはと思っていたけれども、終わりの方に近づいている今、もう全てが涙なしには読めないほどの展開になってきた。彼女は、いい本を知っているなぁ、と感心する。それぞれに、それぞれが知らない世界を持っているはずなのに、それぞれの世界を知らないのは自分だけのような錯覚に陥ることもある。


 バスは私の降りる終着のターミナルに着いた。夏至は過ぎたとは言え、日没は7時台。8時くらいまで太陽の残光がうっすら残る。ここからは徒歩で家へ。2次会に使われる居酒屋さんがアップを始める時間。いろんな家の夕食準備の残り香と混ざって、自分の家の晩御飯は何かと心が弾む。

 家に帰ると、すでに両親ともに帰ってきていて、食卓の上には缶ビールが並んでいる。


「おー、帰ってきた。カメラ、どうだった?」

「うん、後輩ちゃんが何種類かおススメしてくれたよ。」

 店で作ってもらった見積書を4種類見せる。紙をパラパラ見ながら、

「有名なメーカーが良いか、それともツウ好みのメーカーが良いか、か。、、、で、どっちにしたいの?」

「私は、こういうの使ったことがないから、できれば、後輩ちゃんのと同じのがいいな、とは思ってるんだけど。」

「その後輩ちゃんは、何を撮る人?」

「鳥だってさ、それから、この前見せた、あの写真を撮った人なんだって!」

「へぇ、そうかい!」

「じゃあ、教えてもらうのに同じメーカーのを買ったらよろしい。明日は休みだから、カメラを買いに行こう。」

「あとね、夏休みに来年までの大きな大会に向けた企画会議があるんだって、自己紹介も兼ねて来たらどうか、と部長に誘われたんだけど。場所が、列車とバスを乗り継ぐ温泉旅館で、3泊4日なんだよね。お盆前で、それもちょっとお金が・・・。」

「ああ、いいよいいよ。高校の時の友達は、もしかしたら一生の友達になるかもしれないし、2年になってからの部活だから、いろんな大会やコンクールに出展する回数もそんなに多くないから、少ないチャンスを活かさないと。」


 翌日、家族3人で出かけて、私は瞳ちゃんと同じメーカーだが瞳ちゃんよりも年式が新しいので型番の新しいカメラと3本のレンズを買ってもらった。

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