2. 一雫

「よぉ、千早。元気か?」

「あ、仙道センパイ。お久しぶりです。」

「千早ぁ、水泳部にもたまに顔出せよ、泳ぎに来いよ~。自由形、あんなに速かったのに、もったいないなぁ。ウチらの後輩に教えてやってくれよ。」

「すみません、変な理由で辞めちゃって。私、水泳がイヤで辞めたわけではないですから、ホントに・・・。」

「あー、知ってる知ってる。楽しくないものをやってたって、気持ちが沈むだけだから、気にするなって。そうそう、文芸・新聞部が書いた今年の新人戦の記事見た?」

「へぇ、取材されたんですか。」

「よく書けてるから見てよね。・・・あ、いけないそろそろクラス展示交替の時間だ。またゆっくり話そうな。また一緒に泳ごうね!」

「はい、ありがとうございます。」


 仙道センパイは背泳ぎがとても速くて、一度、私がプールの底にこっそり潜水して、真下から泳ぐのを眺めたことがある。背中がとてもキレイで、尾を引く空気の粒はまるで彗星の尾のように輝いていた。ターンの時にはバレないようにいなくなるつもりだったのだが、水中で前転して横向きになって、脚で壁を蹴るところも見たくなって、そのままいたら、ビックリされたっけ。


 文芸・新聞部の展示コーナーに来た。ここ何年かの受賞作品が展示されている。受賞作品にはさっき先輩に教えられた今年の新人戦の取材記事があった。写真部門の受賞で優秀賞らしい。クロールで左腕をいっぱいに伸ばして右腕が水面から今にも上がってきて、息継ぎのために斜め右後ろに顔を上げている時の1年生の姿だとわかる写真。

 ゴーグルに付いた水滴、水をかき分けて波打つ水面、被写体の全てにしっかりと焦点が合って、0.01秒、その瞬間が切り取られたかのようだ。


 ハッと息をのむ写真。こんなに美しい瞬間を切り取ることのできる技術があるなんて。


 こんな世界があると知っていれば、あの時、あの南の島で見たあの世界をいつまでも眺めていられるのに。


「・・・の、、、あの、、、」

「・・・これだ、、、」


 誰かに話し掛けられているのにも気づかずに私は、ポツリとつぶやく。


「え?」


ハッ!

「あ、あ~~、すみませんっ!」

 教室でビックリして大声を出してしまって、中にいた客が一斉にこちらを向く。

「こ、この写真すごいですね!新聞部の人ですか!?」

 大袈裟に声を裏返しながら横に立っていた人に返事をする。

「そ、そうですけど」

「この写真を撮ったカメラってどこまで拡大できるんですか。」

「新聞の見開きサイズまでしかやったことがないです。」

「むこうに、部で持っているプリンターの最大サイズの写真がありますよ。よかったら案内します。」


 案内された先には、先々週、港の埠頭で行われた花火大会の写真があった。

 漆黒の空に咲く大きな大きな花火。シダレヤナギのような形で、背景に観覧車が映っているから、その高さと比べると、中心は150mくらいであろうか。大きさから言って花火大会の終わりの方に打ち上がるものだろう。


「キレイですね。でもスマホとかで撮っても、こんな風に撮れない。」

「マニュアル撮影の機能があるものだと、ここまでは無理にしても、多少は線を撮ることはできますね。シャッターを一定時間開けっ放しにしたり、撮った画像を重ねることができるんです。この時期はまだ花火大会が始まる時間には太陽が沈み切らないので、シャッターを開けっ放しにすると、空が蒼くなったり、炎色反応の色がキレイに撮れなくて白くなってしまうので、何枚も写真を合成することもできるんです。」

「すごい!このカメラは海の中で写真を撮ったりとか、できますか?」

「そういうカメラケースはあるにはあるみたいですよ。」

「あの水泳部を撮った写真も同じカメラで撮ったんですか?」

「そうですね。こういう暗いところで撮る用のやり方と、スポーツのように、瞬間瞬間を撮る方法、いろんな撮り方があります。いま、水滴を水面に落ちる様子を連射する体験ができますけど、やってみますか?」

「やる!やる!」


「焦点は合わせてありますから、このリモコンのボタンを押しっぱなしにしている間は、書き込み速度さえ追いつけば1秒間に10コマ撮れます。じゃぁ、いきますよ。」


 水滴が球になってスポイトを離れ、加速度運動をしながら、次第に水面に速くなりながら落ちていく様子が収められ、水面に着いたら、いわゆる、王冠の形を作って水面で水玉がバウンドしていくのがキレイに撮れた。


「・・・これだ!私、この部に入りたい!2年ですけどいいですか!」


 7月、夏休み前、私は文芸・新聞部に入った。


 文芸・新聞部は、部員が少なくなったので合併を繰り返して、短編小説など文を書く人、写真の好きな人、マンガのような絵を描く人の集まりの結果、このようになったらしい。美術部も吸収したくてウズウズしているとか、していないとか。

 私は写真にピンと来たので写真で飽きるまでいいモノの撮り方を覚えるんだ。


 放課後の部室にはたいてい誰かが詰めているそうで、学校祭が終わってすぐに夏休みに入ってしまうので、日の開かないうちにと部室を訪ねることにした。

 引き戸を開けると、2人の顔がこちらをのぞく。1人の顔がパッと明るくなる。この前、私にカメラのことを説明してくれた人だ。


「こんにちは。お待ちしていました、空いてるところへどうぞ。」

 何となく、入って左のちょっと奥のパイプ椅子に座った。

「はじめまして、ではないですが、はじめまして。1年の渡瀬です。」

「こんにちは。もうすぐ引退しますが部長の河瀬です。」

「2年の永野です。よろしくおねがいします。」

「うちの部は運動部ではないので、基本的に自由参加ですが、一番、力を入れているのがこの前の展示にもあった、新聞です。毎年6月に出品するのだけど、企画はだいたい夏休み明けくらいから始まるの。夏休み中に企画会議という名目で合宿があって、自己紹介も兼ねて20人の部員と顔を合わせるつもりで是非来てほしいな。」

「はい。」

「で、何の希望だったっけ?」

「カメラは持っていないんですが、写真!写真です。」

「おー、そこの渡瀬はカメラだから、いろいろ聞くといいよ。」


 こっちこっち、と手招きされて奥の部屋に案内される。

 文芸新聞部は空き教室3つを与えられていて、写真関係の物品は元々ナントカ準備室だった部屋のようだ。

 渡瀬さんに案内されるままドアをくぐると、鉄製の4段の棚に一眼レフや交換レンズ、コンパクトデジタルカメラなどがあって、みんな、バズーカみたいなのを着けるプロの写真家が使うようなものなのか、と思ったら意外とそうではないようだった。


「あら、何か意外そうな顔をしてますね。」

「意外と、普通のカメラを使っている人もいるんだな、、、って。」

「ええ、そりゃもう。こっちのこのカメラなんて、本体だけで50万円、あのレンズは200万円くらいするんですよ。誰が使っているのかは、そのうちわかります。ふふふ。」

「スマホのカメラで撮っている人はいるのかな・・・」

「そうですねぇ、咄嗟に撮る時はそうする人もいますけど、写真を誰かに買ってもらいたいっていうインターネットのサイトに載せるときには、スマホでは規約でダメですし、この前みたいな水滴が落ちる連続写真を撮れるスマホもないことはないですけど、それを買うなら、カメラ1台買えちゃいます。あ、でも、カメラを持たない自由もありますから、そういう人には部のカメラがありますから、大丈夫です。」

「う、うん、ちょっと帰って相談してみる。」


 そのあと、部員の人たちの撮った、パソコンに入っている写真をたくさん見せてもらった。フォルダのプロパティを見ると、ルートフォルダで数万枚に及ぶ枚数になっていた。あの展示の写真は『水泳部 新人戦』の中に収められていた数千枚のうちのひとつだった。どれも適当に撮って、数打てば当たる方式ではなくて、それぞれの部員の力作の写真から、何日もかけて選び抜かれたものだったのだ。


 家に帰って、おカネの相談をするのに家族の帰りを待った。うちの両親は共働きなので、同時に帰ってくることはあまりない。兄はいるが、もう関東地方の大学に通うのに引っ越してしまったので、家にいるのは私ひとりだ。

 私も、再来年になったら進学か、就職かでいなくならないとダメなんだろうな。もし、進学するとしたら学費は出してもらえるかな・・・。

 そんな1年半先の遠いようで、とてもとても近い将来のことを何をするわけでもなく、お茶をすすりながら考えていた。

 8時を過ぎた。親が帰ってくる様子がないので、お風呂にでも入ろうかなと思っていると、珍しく父母揃ってご帰宅。何やら楽しそうにワイワイ話している。

 玄関に出迎えに行く私。


「おかえり~。待ってたヨ」

「いや~、聞いて聞いて、駅中のスフレチーズケーキ屋さんあるじゃない?あそこ、いっつも3時間並ばないと買えないけどさ、今日に限って、ラスイチが半額だったの。これはもう買うしかない!!って思ってさ。750円だよ750円。」

「あそこなぁ~、ラジオで紹介されてから急に流行ったよね。そんなにウマいのかって思ってオレも、かーさんを煽ったさ。買え~買え~って。」

「へぇ~。それは楽しみ。750円なら万が一、万が一でも傷は浅いね。カレー作っておいたからさ。」


 カレーを食べ終えてチーズケーキを食べて始めたころ、

「あのね、この前の学校祭でさ文芸新聞部の展示を見に行ったんだよ。」

「ほうほう」

「この、写真が優秀賞を取ったんだって。それで、写真、楽しそうだなって思って、帰宅部を辞めてこの部活に入ろうと思って。」

「ほう、そうきたか。」

「で、カメラが必要とか言い出すわけ?」

「くっ、話が早い・・・」

「カメラか、懐かしいな。年頃のムスメにはお下がりはプライドが許さないだろうから、部員さんに見積りを取ってもらうがいい。話はそれからだ。ただし、ポイントがあるから、アサヒバシカメラと交渉するもよし、その店より安いところを探すもよし。」

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