第20話
実家にある仏壇に、線香を上げませんかと誘ってきたのは拓実だった。家には父の写真などもたくさん残されており、アルバムもあるから見せたいのだと、姉と揃って提案内容は大きくなっていった。
突然実家に上がり込んで大丈夫なのかとヨリは気にしたが、そうしたいと望んでいる自分もいた。亡き人のために、線香をあげて手を合わせたいと思った。
信号が変わり、車が動き出した。
「仏壇に、親父の写真が飾ってあるんです。あと、書斎もそのまま残っていて」
拓実は思い出すように語る。
「親父の本棚は、すごく古くて、幼い頃はそこで俺達の身長を測って切れ込みを入れて、母さんに『高価な本棚なのよ』と怒られたりしていました。ベランダからは庭の桜の木が見えるんですけど、親父はよく写真も撮る人で、母が丁寧にアルバムに収めていました」
「そうか」
「うん、そうなんです。……ねぇヨリさん、親父の部屋にも上がってみましょうよ」
弱った顔を向けて、拓実が笑ってきた。
「なんだか、あなたともう少し早くから、同じ時間を共有出来たら良かったのにと思ったりしました」
そう冗談めいた事を言われて、ヨリは車のハンドルを握ったまま小さな笑みをもらした。
「――多分、僕もそんな未来があるのなら、見たいみたいと思っただろう」
そうヨリが口にし途端、拓実がおかしそうに笑い出した。
「ヨリさんって、難しい文学者みたいな人ですね」
「そういう君は、さっきの台詞が詩人か作家みたいだと思ったよ」
「俺に文学的な事は無理ですよ。でも、まるでドラマみたいな話ですよねぇ」
慣れた運転に安心したのか、拓実がシートにボスッと身を預けた。
「誰かに打ち明けても、あまり信じてもらえそうにないですし、ドラマに仕立てるには定番ものか極端に王道から外れる気もするし……。あ、でも、いつか誰かが、俺達みたいな話を書く可能性はありますよね」
「ドラマにも話題にもならない、短い小説仕立てで?」
「そうそう、そんな感じです。あッ、でも気付けないだろうなぁ。俺、本はあまり読まないですし」
「僕だって、話題になっている推理小説の他は、あまり読まないよ」
ヨリがふむふむと答えると、拓実がパッと目を向けた。
「推理小説って、やっぱりかっこいいですねッ」
「え?」
「あっ、いえ、なんでも……」
途端に、彼が「しまった」という顔をして目をそらしていく。何か別の話題でも探そうとしたのか、落ち着かず視線を泳がせた後、無理やり話を戻した。
「えぇと、無理やりドラマチックに仕立てるとしたら、佐藤さんあたりが得意そうに思いました。もし頼んだとしたのなら、そのところどうなんですか?」
「もし脚本を頼んだとしたのなら、元の話が分からないくらいの、とんでもないものが仕上がると思うよ。多分、僕か君あたりがゲイに絡まれるか、ゲイになっているかの、どっちかだろうな」
「……確かに、やりかねませんね。嘘八百というか、むしろ全くのフィクションになりそうです」
「あの人は、それが女子受けすると思っているから」
そこで、二人はハタと気付く。そもそも、そんな三流みたいな小説は出ないだろうと分かって、何を真面目に考えたんだろうと声を上げて笑った。
それから間もなく、待ち合わせの建物の前に着いた。帰省用に、母への手土産を詰めた紙袋を抱えて待っていた茉莉が、車内を覗き込むなり驚いた顔をした。
「どうしたの、二人とも。泣けるくらい笑っちゃう事でもあったの?」
彼女はそう言って、特に激しく肩を震わせる弟の後頭部に訝しげな目を向けた。ひとまずは「失礼しまーす」と告げて後部座席に乗り込む。
「姉さん、おはよう。ふッ、ふふふふ……傑作なんだ、これが」
そう笑いながら説明する弟の横顔を、茉莉は仲間外れにされた子供のような目で見やった。頬を膨らませ、大層不機嫌な表情を作る。
「ちょっと拓実、私をのけ者にしないでよ。ヨリさんっ、私も混ぜてください!」
「え、いきなり言われても、始めからとなると少し説明し辛いんだけど……」
「姉さんは女だから、きっと分からないって」
「下ネタなんて最低!」
「俺に下ネタとか言うなよ! 逃げ出したいぐらい苦手なのにッ」
拓実が後部座席を振り返り、それから姉弟同士の言い合いが始まった。その光景を眺めていると、ああ姉弟なのだなと分かって、ヨリは少しだけ可笑しかった。
隣の県へと向かうべく、そのまま車を高速道路へ向けて走らせ出した。大きな通りに出たところで、ようやく姉弟喧嘩がやんだ。
「あっ、そういえば拓実、ヨリさんそのままで大丈夫か考えてくれた? きちんとしている横顔とか、お父さんっぽいもの」
「お父さんぽいって……僕はまだ、二十代なんだけどな」
後部座席から聞こえてきた、まるで緊張感もない茉莉の声に思わず呟いてしまう。しかし、そんなヨリの声は、元気な拓実の台詞におしやられた。
「姉ちゃんが心配するなら、帽子を被るとか」
「バカねぇ、室内で帽子をずっと被らせるつもり? 髪型を少し変えてみるとか」
「あ、それだと少しは雰囲気変わるかも。親父も癖毛じゃなかったし」
なんか、緊張がなくなった、というレベルではない会話が聞こえてきた。
そう思ってチラリと目を向けようとしたヨリは、不意に隣から、拓実に手で髪をわしゃわしゃとされて困った。続いて後部座席から、茉莉も同じく両手で触ってくる。
「うわっ、髪さらっさら! ヨリさん、女の私より綺麗な髪ですよ」
「……あのね、君達」
「ヨリさんっ、前髪に癖作っても全然イケる! 俺、整髪剤持ってるから、あとでセットしてみてもいいですか?」
頭を挟んで、有澤姉妹が元気よく色々と言ってくる。しばし触られ放題で聞いていたヨリは、とうとう小さく息をもらして「好きにしていいよ」とだけ答えた。
車内は賑やかだった。表情を動かさないでいる暇が少ないほどで、休日を一人で過ごしている佐藤から、拓実とヨリ宛てに悪戯メールが届くと一層騒がしくなった。
青空の下を、レンタカーは彼らの実家へと向けて走る。
ヨリは、気付いた時には三人揃って笑っていた。来週辺りにでも、自分から母に連絡を取ってみようかと、ふとそんな事を考えたりした。
僕は拙い恋の始まりを紐解く 百門一新 @momokado
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