結婚式後夜

百門一新

短編「結婚式後夜」

「はぁ、結婚かぁ」


 隣に座る多田(ただ)が、馴染みのカクテルBARで何度目か分からない言葉をこぼした。


 結婚式の後、親しい友人達と居酒屋を三軒回った際にも相当飲んでいたが、こちらにきて数十分、多田は既に五杯目のハイボールを飲んでいた。しっかり数えていた浅倉(あさくら)は、そんな友人を横目にリキュールベースのカクテルを少し飲み、口を開いた。


「お前、今日はやけに絡むなぁ。なんだよ、式場でお前も『めでたい』って祝ってくれたじゃないか」

「祝福はしてるさ。でも彼女は、我らがマドンナだったんだ。そんな彼女がとうとう結婚しちまったんだなぁって思うと、どうにもやるせなくてッ」


 多田はグラスを机に置き、悔しそうに言葉をしぼり出した。


 美人で聡明という言葉が誰よりも似合う少女が、すっかり大人となって、今日、めでたくも世界一幸せな花嫁となって結婚した。


 幼い顔立ちに清楚な美貌を持った彼女は、大学入学当時も沢山の男達の注目を集めた。のんびりとした温厚な性格に、今時珍しい純真無垢なタイプの少女は、男達の間で密かにマドンナと呼ばれていた。


 いつ誰と付き合うのか、と始終周囲の関心を集めていた彼女だが、恋愛未経験で奥手なのは周知の事実だった。結局は特定の誰かと付き合うような影も姿も見せないまま、彼女は卒業していった。


 そのため、大学卒業から一年も経たないうちに知らされた彼女の結婚は、未だに淡い恋心が忘れられない男達にとって衝撃的であったらしい。


「一体いつからなんだッ? 彼女はいつから大人になってしまったんだ!」

「大学の三年生になったあたりかな」

「ちくしょーマジかよっ、全然気付かなかったぜ!」


 思わずといった様子で、多田が目を剥いて隣の彼を見た。


「というか、お前さ、親友である俺には教えてくれても良かったんじゃないか? 相変わらず涼しい顔して、いっつも美味しいところだけ持っていきやがるよなぁ。この憎たらしいハンサム野郎めッ」

「露骨に羨ましがるなよ。まぁ、お前の失恋に乾杯」


 浅倉は友人の想像以上の荒れ具合に同情を覚え、とりあえず半分になったグラスを掲げて見せた。


 多田が悔しそうに奥歯を噛みしめ、ハイボールを一気に飲み干した。その直後、「マスター、もう一杯!」と続いた掛け声に、浅倉は肩を落とした。


「飲むのはいいけど、酔い潰れて俺に迷惑を掛けるなよ。介抱する気はないぞ」

「簡単に酔い潰れねぇよ」


 多田は唇を尖らせ、新しいグラスを受け取る。


 手狭な店内には、浅倉と多田の他に客の姿はなかった。浅倉は友人が新しい酒に口をつけるのを横目に、ゆったりと流れる洋楽に耳を傾けた。聞き覚えのある懐かしいメロディーだったが、歌っている歌手も曲名も分からなかった。



「……でも、さ。いいドレスだったよな。彼女にぴったりだった」



 しばらくして、多田がぽつりと呟いた。


 浅倉は、思い出すような間を置いた後「あぁ」と相槌を打った。多田が、手に持ったグラスに視線を落としたまま言葉を続ける。


「さすが、お前が選んだだけはある」

「しっかり付き合わされたからな。期待には応えないといけないだろ」


 多田が「そうか」と言い、熱に潤んだ目を細めて口をつぐんだ。浅倉も、ぼんやりと自分のグラスへ視線を戻しながら、数時間前の結婚式の様子に想いを馳せた。



 改めて思い返しても、あれは良い結婚式だった。身内と親しい友人を呼んだだけの小さな結婚式だったものの、一生に一度の晴れ舞台のために、ホテル側も予算内で出来る事を行ってくれた。


 純白のウエディングドレスを着た彼女は、人生で一番輝いて美しく見えた。心の底から、幸福さを噛みしめるような微笑みが印象的で、そこに辿り着くまでの下準備は大変だったが、浅倉は結果的に満足していた。



 結婚式の当日まで慌ただしく、時間は飛ぶように過ぎたものの、そこへ辿りつくまでの光景はほとんど見逃さなかったと思う。浅倉はその間にあった結婚の支度から当日の晴れ舞台が終わるまでの出来事を、使い慣れていないデジタルカメラに多く残したのだ。


 浅倉は昔から、思い出を形に残す事に意味合いを覚えない性質だった。例えば入学式も卒業式も、学校行事も家族のイベントも、いつもその場の空気に流されながら、半ば無理やり写真の中に収められるのが、彼の立ち位置だった。


 まさか自らの意思でカメラを購入し、説明書を読み込んで持ち歩き、撮影を行いながらも時には「僕らを撮ってくれませんか」と誰かに口にする日がこようとは、思ってもみなかった。


 浅倉は、自分の性格が淡白である自覚があった。喜怒哀楽の表現の乏しさは友人達のお墨付きで、団体行動や社交性に興味が浅く、笑い返せば「心がこもってない」「嘘っぽい」とからかわれる。


 そんな浅倉が、自然とシャッターを切った。


 彼が多くの写真を残したほど、それは素晴らしい結婚式だったのだ。


 鞄にあるデジタルカメラには、今日だけで数十枚の写真が新たに収められていた。それを思い返すたび、浅倉の眼差しは、最高の晴れ舞台を迎えた彼女を出迎えた時と同じように、自然と柔らかくなる。


 それを横目に見た多田が、浅倉の回想を容易に察したように「ちぇっ」と言い、若干面白くなさそうに眉根を寄せた。


「幸せそうで何よりだよ」


 多田は語尾に溜息をこぼした。しかし、数秒もしないうちに苦笑いをこぼすと、たまらず浅倉の横顔に顔を向けてこう続けた。



「――でもさ、実を言うと俺、彼女はお前と結婚するものだと思っていたんだ。お前だったら仕方ないかなって、俺、ずっとそう思っていたんだぜ」



 それを聞いた浅倉は、グラスに入っている酒を眺めたまま、静かに微笑した。


「そんな事はないよ」


 マドンナと言われた彼女は、今日、結婚式を上げた。かつて浅倉や多田と同じく、共に大学時代を過ごした少し気弱で心根の優しい、友人達の中でも涙腺の緩い男と晴れて夫婦になった。


 お互いが一目惚れだったにも関わらず、二人はどちらも奥手だったから、付き合うまでには二年以上の歳月がかかった。大学三年生の頃、ようやく想いを伝えあったものの、手を繋ぐので精一杯だった初々しい恋人時代を送っていた。


 それを浅倉は、今でも鮮明に覚えている。どちらも彼に相談してくるものだから、二人が付き合い始めても、結局のところ卒業するまで忙しい日々だった。


「だから言っただろう。彼女は僕にとって、家族と同じぐらい大事で、大切な親友なんだ」


 浅倉と彼女は家が近所で、幼稚園から付き合いのある幼馴染だった。彼の友人達は、異性の友情は認めないと言い張ったが、共働きをしていた家族同士で親交のあった浅倉にとって、彼女は数少ない大切な親友の一人だったのだ。


 だから結婚する事はないよと、大学時代にもよく口にしていた。


 そう思い出しながら、朝倉はその台詞をもう一度口にした。横顔に視線を感じながら、グラスの中で氷が溶けて音を立てる様子を見つめて、言葉を続ける。


「彼女は妹みたいに可愛くて、とても大切で――……可愛くて、愛しくて、仕方がない子なんだよ」

「んなの、あの時のお前の顔見れば、誰でも分かるさ」


 多田は不満を覚えるような顔をそらすと、新しいグラスを手に取って、思い出すような口調でこう続けた。


「式場でさ、彼女が出て来た時のお前、まるで父親か兄貴みたいに心底幸せそうに微笑んでいたんだぜ。お前って顔が綺麗系で、笑っても作り物じみて当たり障りない感じだったからさ、あの時は俺達もびっくりした。…………お前は本当に、彼女の事が大切なんだなって嫌でも理解しちまって、切なくなっちまった」


 朝倉は、問うような視線を向けた。すると多田が、余計な言葉は要らないだろうとばかりに、どこか頼りない空元気な笑顔を返してくる。


 朝倉は長い付き合いから、彼が飲み込んだ言葉を察した。いつも陽気な多田の珍しくも弱々しい微笑みに、自分の心の全てが見透かされている事を知った。



 本当に、彼女が大事だったんだ。


 そう口からこぼれ掛けた言葉は、喉の奥が震えて声にならなかった。



 すると、多田が不意に、スーツの内ポケットを探り、そこから厚みのある封筒を取り出して浅倉の方へ寄越した。


「あの後みんなで話し合って、お前に気付かれないように、それぞれのカメラを持って急いでコンビニまで走って、写真を現像してきたんだ。結婚式の新郎新婦は一次会でいなくなったってのに、おかげで四次会まで続くはめになったんだぜ? お前って見た目の期待を裏切る酒豪だし、結局俺しか残れなかった」


 お前に付き合えるくらい酒が飲めるのって、俺くらいだよな、と彼が何気なく話を続ける。浅倉はその声を聞きながら、膨らんだ封筒の中身を取り出した。


 封筒に入っていた写真は、すべて結婚式の間の浅倉の様子が写っているものばかりだった。彼女がウエディング・ロードを歩いていた時に視線が絡み合った時のものや、新郎新婦に握手を求められて応じた時の様子などが、別々の角度から撮られている。


 浅倉が吸い寄せられるように、一枚一枚の写真をじっとり目に留める様子を見て、多田はその中の一枚を指してこう言った。


「人形みたいに愛想のない冷たい人間だなんて、大学時代に本気で言っていたやつは阿呆だ。見てみろよ。お前、こんな顔して笑うんだぜ?」


 写真に写し出されている朝倉は、どれも幸福そうに微笑んでいた。そこに写し出された自分は、彼女と同じように心の底から感情を表情に浮かべるような、そんな年相応の青年の顔をしていて、浅倉は長い間まじまじと眺めてしまった。


 新郎となった友人と熱い抱擁を交わした時の写真や、ヴァージンロードの途中で立ち止まった新婦と微笑みあった時の写真もあった。とはいえ、結婚式の間の浅倉の姿が多く残された写真は、ピン呆けや被写体の位置がおかしいものも目立った。


 慌ててシャッターを切ったのか、それとも本人に知られないよう自然な表情を撮影したいと配慮したのか、苦労して撮影されたらしいと窺える写真や、隠し撮りのように撮影角度が正しくないものも多々あった。


 カメラ慣れしているはずの友人達が撮影したとは思えない、そんな写真が、封筒には沢山収められていた。デジタルカメラの使用に手間取っていた自分に、使い方がぎこちないと笑っていたのは、どの口だろうか?


 しかし浅倉は、いつもみたいにそれを笑ってやる事が出来なかった。自然と込み上げた感情を抑えこもうと、震える呼気を呑み込んで、顔を片手で覆った。


「――……良かった、僕は、……ちゃんと笑えていたんだな」



 彼女を愛していた。物心ついた頃からずっと一緒にいて、好きだと自覚するよりも前には、深く愛してしまっていたのだ。


 この想いは誰よりも特別で、だからこそ浅倉は、彼女が世界で一番幸せな女の子になれる事を願った。そうやって見守り続けて、彼女が心の底から望む一人の人を見付けた事を見届けてあとに、――ずっと握っていたその手を離したのだ。



 多田は視線を向けないまま、震える浅倉の肩を無造作に叩いた。


「いい結婚式だったよ」

「…………」

「ああ、本当にいい結婚式だった。本音をいうと少し悔しいけどな」


 お前だったらまだ諦めはついたのになぁ、と多田は寂しげに呟いた。


 浅倉は目元を押さえた指の隙間から、涙がこぼれ落ちるのを感じた。多田が口許で傾けたグラスの中で、氷が涼やかな音を立てた。

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結婚式後夜 百門一新 @momokado

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