第6話

「違和感を覚える構造だと、話の雰囲気もあって印象に残りやすいんだ。『他に部屋が見えても絶対に寄り道しない』とかいう注意事項なんて、まるでそうなるよう仕掛ける暗示みたいだ。僕はね、そういったたぐいのモノも嫌いだ」


 私と彼女は、宙を睨みつけつつ話す彼のそばで、思わずこっそりお互いの顔を見合ってしまっていた。ただの小学生である私達には、やはり彼の言う言葉は少々難し過ぎた。


「隼巳君は、もう少し考えて行動した方がいいと思う。幽霊を信じない僕だって、こっくりさんは警戒してる。――何故ならこの世には、僕達の知らない恐怖だって少なからずあるだろうからね」


 それきり、彼は考え込むように黙り込んでしまった。


 私は、賢い彼が「この世には自分たちの知らないような恐怖がある」と告げた事で、本当にそんなことがあるのではないかと思って、なんだかじわじわと怖くなってきた。


             ※※※


 タクシーの車窓から流れる田舎の風景を眺めながら、私はしばしそんな事もあったなと過去を思い返していた。それは、隣にいるミサナが口を開いたことで終了となった。


「必ず玄関をノックして入り、最後はその玄関から外に出る。そうしないと、恐ろしいことが起こる……――うーん、怪談話と分かっていても、なんだか怖いですねぇ」


 ミサナは、タクシーの後部座席に腰かけてからスマートフォンを操作し続けていた。霊感をチェック出来るという例のゲームについて、他に何か噂話はないかと調べているのだ。


「玄関の戸を叩くのは、『家の主に失礼にならないため』とありますけど、まるでそこにナニかが住んでいるという怖い想像をかきたて、余計に怖さが増しますね」

「そんなことも書いてあるのか?」

「『霊感があるか手っ取り早く分かる方法』ってことで、今の学生さん達にもまぁまぁ人気があるみたいです。やっぱり、肝試し的な怖いモノ知りたさなんですかね?」


 その間にもタクシーは、見慣れない殺風景な町を進み続けていた。交通量は少なく、時々信号に引っ掛かるものの、車はスムーズに進んでいる。



「あんまり、遊び半分でそういうのに足を突っ込まない方がいいよ、お客さん」



 突然、運転手が口を聞いて、私とミサナはビクリとしてしまった。

 目を向けてみると、運転席に座っている初老の男が、垂れた小さな瞳を重たげに持ち上げて、サイドミラー越しに目を合わせてきた。


「俺もね、オカルトやら心霊やらはよく分からないけど、『よく分からないこと』だからこそ迂闊に手を出すのはやめた方がいい。日本のホラー映画、見たことあるだろう? あんな風になっちまったら、たまらないよ」

「おじさんの言い分だと、信じているようにも聞こえるわ」


 ミサナが、隼巳譲りの好奇心が覗く目を向けてそう言った。すると老人は、肉付きの悪い肩を竦めて「どちらでもないさ」と言ってきた。


「けど不審死なんかあるとさ、そうなのかなぁとか思っちまう程度には警戒するよ。テレビでもよく、そういう科学では証明が出来ないやつとかやっているだろ? 陰陽師とか坊さんとか霊媒師がいるのを考えると、やっぱりそういうのもあるんじゃないかなと信じちまいそうになるし、それにほら、こんな言葉があるだろう」


 語れぬモノについては、口を閉ざさなければならない。


 そう言葉を続けて、初老の男がニタリと目を細めた。

 私は、笑えない冗談だと思った。



 それからタクシーは、畑や荒れ地の間にぽつりぽつりと家があるだけの寂れた場所に入った。


 しばらくすると人の気配もなくなって、更に奥へと進んだ先で停まった。そこには、両側を高い木々に覆われた一本の古い道路の入り口があった。



 どうやら樹林へと入るこの先からが、『柏沼津』だという。料金を払ってタクシーを見送った後、ミサナが道の奥に向かって歩き出した。


 近くを見渡す限り、鬱蒼と茂る森で道路の脇には落ち葉が溜まっていた。私達以外に人の気配はない。


 ふと、カラスが警戒するような声を発して、空を横切って行った。私は幼かったあの日、公園から解散することになった時も、それが遠くから聞こえていたことを思い出した。


 幼い彼女の白い項は、今にも折れてしまいそうなほど細かったのを覚えている。

 あの白いワンピースからは、小さな背中と鎖骨が覗いていた。いつも私のシャツを掴んでいた手は小さくて、遠慮がちにそっと掴む様子は心細そうだった。


「なんだか緊張しますね。父さんの故郷に来たのは初めてです」


 ミサナは、印刷してきた持参の地図を見ながら、恐る恐るといった様子で辺りを見回しながら足を進めてそう口にする。


 ぼんやりとその言葉を聞いていた私は、ふと遅れて違和感を覚えた。


 ここが、彼の故郷?

 彼女は、一体何を言っているのだろう。


 だって隼巳の故郷であるというのなら、私の故郷であるということになってしまう。けれどここには見慣れた川もなければ、橋もなく、先程通ってきた町だって、古い時代の信号機が二、三個並んだ幅の狭い道路が細く続いていただけだ。


 私の故郷に、このようなひどい湿気を含んだ、生温い空気が満ちた鬱蒼とした樹林は存在していなかった。私にとって、ここに見覚えのある風景は一つだってない。


「隼巳の産まれは、ここなのか……?」


 私が訝って尋ねると、彼女が困惑した顔でこちらを振り返ってきた。


「故郷だから土地勘はあると言っていましたし、だからそれもあって付き合ってくれることにしたんじゃなかったんですか?」


 そう訊き返された。一体どうしてそんなことを訊くのだろう、と彼女の目は語っていて、その問いかけてくる声がどこか遠くになった。


 ショルダーバックを肩に掛けた彼女の背は、ぴんと伸びていて、白い項には傾いた日差しが当たっていた。ミサナがきょとんとして、続けてこう尋ねてくる。


「イナハタさん? 大丈夫ですか?」


 彼女は、なんでもないことだとでも言うように、少女みたいな表情で小首を傾げた。私はその様子に、どこか情報が不一致するような違和感を覚えた。

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