第5話

 私は、幼馴染だったその女の子が好きだった。

 今思い返すと、それは異性に抱いた初めての恋心、とやらだったのかもしれない。高校生になって経験した心高まる熱く激しい恋とは少し違っていたが、私はいつでも暖かい瞳で【彼女】を見守っていたのだ。


「※※※君」


 蕾のような唇が、そうやって私の名を呼ぶたびに、私も彼女の名を呼び返していた。



 けれど何故か、今、その名が思い出せないでいるのだ。

 歳のせいだろうか。それとも、数十年の年月が過ぎたせいか……?



「全く、君は本当に怖がりだね。霊感をチェックするゲームだなんて、ただの心理ゲームみたいなものだろう」


 よく一緒に遊んでいたはずの、気難しい言葉をよく喋る幼馴染の男友達の名すらも思い出せないでいた。あの日、彼は顰め面でそう言って、私の後ろに隠れていた彼女を見やったのだ。


 彼女が「だって」と渋るように呟くと、それを聞いた途端に彼が「やれやれ」と言って頭をかいた。それは少し感情表現が苦手な彼の癖で、困ってしまった時は、そうやって何食わぬ顔で突然私に話を振ってきた。


「おい、※※※君。彼女は、先に帰してしまった方が良いのではないだろうか?」


 彼なりに、怖がる彼女を気遣った提案だった。

 何せ、その霊感テストをやってみようと言い出したのは隼巳だ。彼が「やろう」と言った事は、余程のことがない限りは決行される。だからやりたくないのなら、今ここで帰してしまうのが一番の解決策だった。隼巳はいつでも、友人と一緒になんでもやりたがったから。



「嫌よ。※※※君と一緒がいい」



 スカートをぎゅっと握った彼女が、私の後ろからそう言い返した。その声は震えていたが、彼女なりに一生懸命主張するような強さがあった。

 それを聞いた彼が、小さく降参のポーズを取った。気持ちを尊重するように無理には説得を続けず、「なら仕方ないね」と言って、やんわりとした視線を私の後ろに投げて寄こす。


「※※※君の右隣は、もう僕だと決まっているのだから、君はその左隣で文句はないだろうね? 僕だって正直乗り気ではないのだが、※※※君は断われない性質たちだから、怖がりな彼に付き合ってやろうと思ってね」

「ええ、それで構わないわ。だって皆で円を作って手を繋ぐんでしょう? それだったら、きっと怖くないと思うもの」

「怖くない、ね。それはどうかな。皆でいるからといっても、自身が感じる怖さが軽減するかどうかはまた別の話だよ。わざとらしいくらい色々と約束事が付けられている『心理ゲーム』みたいだからね」


 彼はそう言って、怪訝そうに鼻を鳴らした。


 しばらくすると、集まる約束をしていた午後五時の鐘が公園まで聞こえてきた。


 ちょうど私は中央のブランコに座っていて、彼女がその左隣でブランコを漕ぎ、彼が私の右隣のブランコに腰かけて本を読んでいた。公園の出入り口を確認してみたものの、隼巳と天然パーマの男の子、そして眼鏡をかけた小さい男の子はまだ来ない。


 実は来ないんじゃないかという心配はなかった。いつだって彼らは、少し遅れてやってくるのだ。だからいつも私達は、待つかたわら三人で過ごしている事も多かった。


 午後五時の鐘が鳴り止むと、彼が本から目を上げて「陽が傾いてきたね」と言った。ぼんやりと空を見上げていた私は、雲の形を動物に見立てながら「うん」と曖昧な返事をし、ブランコに飽きた彼女が「まだ明るいわよ」と答えながら木の棒で砂地に線を引く。


「しっかし、隼巳君は何が楽しくてあのゲームをしたがるのだろうか。僕にはまるで理解し難い」

「うーん、多分、君が本を読むことと同じじゃないのかなぁ……」

「おい、※※※君。自分が活字が駄目だからと言って、僕と隼巳君を同枠でくくらないでくれよ。そもそも彼が興味を持ったその『お遊び』とやらは、オカルト紛いのモノじゃないか。僕はね、こっくりさんだとか肝試しといったことは、大嫌いなんだ」


 彼が、珍しくハッキリと拒絶を口にした。その嫌そうな表情を見て、私は「なるほど」と相槌を打った。


「そういえば、※※※※君はそういうモノを信じないよね」

「君だってそうだろう」

「うん。多分俺はね、それが本当に起こるとしたら怖いから、信じたくないんだよ」


 私はちょっと白状するように、小さく苦笑を浮かべてそう答え返した。すると彼が、しばし考えるような間を置いてから、こう言ってきた。


「隼巳君のいう『霊感テスト』とやらは、恐怖心を煽るキーワードやら暗示のようなルールが並べ立てられていて、だからますます嫌なんだ。僕は、とても警戒してしまう」

「※※※※君が言うことって、難しくてあまり分からない時があるよ」


 一体どういう事なのかと尋ねると、彼は「うむ」と頷いて再び口を開いた。ブランコのすぐ下にしゃがみ込んでいる彼女が、指先の砂を払って私達の会話を見守っていた。


「隼巳君から話を聞かされた時、怖がりでなくても恐怖心を持つよう仕組まれているように感じた。簡単ではあるけれど、やけに具体的なルールがまたリアルさをうむ」

「入りますっていう意味で『必ず』玄関をノックして、入ったら『必ず』時計回りで進みなさい、っていう決まりのことかしら?」

「そうだ。それでいて確実に作り話であるのかどうかも分からないから、僕らは『約束事を守らなければ、恐ろしいことが起こる』とも感じてしまうわけだろう?」


 ホラー定番のお決まりみたいなものだ。だからますます好奇心が煽られて、やらない方がいいというのなら、やってみたいと怖いもの見たさが出てきたりもする。


「恐怖を覚えるように仕組まれているんだよ。その【家】の設定にしたって、同じ窓を持った廊下しかないだなんて、普通の家だったら有り得ないだろう?」


 そう促されて、私は「まぁそうだね」と答えた。それを聞いた彼は、共感を得て少し満足したような声で「そうだろう」と言った。

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