第2話 対決

 桜の木が花開き、いたるところに花びらが舞い散り始めたかと思えば、もう葉の色が緑に代わっている。遥斗は中学二年生へと進級した。


 放課後の夕方。遥斗は教室に居残り、黙々と勉強をしていた。


 壁に六月のカレンダーが掛かっている。二年生最初の定期考査まで、あと一週間もない。


 部活動も休止期間となり、大体の生徒は帰宅しているが、自宅よりも集中できるという理由で、遥斗のように学校を勉強場所に選ぶ生徒も居る。


 遥斗は数学の出題範囲を黙々と解いていた。ちなみに、この問題集は既に四週目である。


 すると突然、高飛車で生意気な声が飛んできた。


「熱心だねえ。〝中学校の試験順位なんて、人生に何の意味も無い〟んじゃなかったのかな?」


 見上げるとそこに居るのはもちろん、桜庭透花にほかならない。


「またお前か……。わざわざ嫌味を言いに来たのか?」

「お世辞に聞こえたのなら、現代文の勉強をもっとすべきじゃないかな?」


 その皮肉に対し、遥斗は舌打ちで返す。が、透花は特に気にした様子もなく近づくと、興味深そうに遥斗のノートを覗き込んできた。


「あ、こら」


 遥斗は露骨に嫌そうな声を漏らしたが、透花は「ふむふむ」と呟きながら、解答中の問題を眺めまわす。


「ここ、間違ってない? 答えは多分、『42』だと思うよ」

「え?」


 慌てて見直す。本当だ。でも、今の問題は、大人だって暗算は難しそうな数式だった。


 彼女は、一瞬にしてそれを解いてみせたのか。


 透花は、驚く遥斗の顔を確認すると満足そうな笑みを浮かべ、そのまま隣の席の机に腰掛けると、リラックスした様子で足をプラプラとさせる。


「お前は勉強しなくていいのか?」

「勉強? あはは! 勉強なんて授業でとっくに受けてるじゃん! むしろ、どうしてみんなが自習しているのか、そっちの方が不思議だよねー」


 にへら、といった様子で笑う透花に対し、遥斗は苛立ちと共に不思議な感慨に襲われた。


「……クラスの奴らには控えめに振舞うのに、俺に対しては随分と偉そうだな?」


 透花はクラスの間では、勉強が出来るのに偉ぶらず、美人なのに容姿を鼻に掛けず。男女両性から好かれる魅力的な同級生として認知されていた。こんな言動を昼間の教室でしている姿など、遥斗は見たことが無かった。


「君だけが知ってるわたしの本当の性格……。そういうの、男の子は好きでしょ?」


 透花は胸に手を当て、きゅるんといった擬音が聞こえてきそうな目で見つめてくる。


 だが、遥斗は特に気にせず、


「はあ?」


 とよく分からなかったので首を傾げながら返答してやった。


「…………中学生の遥斗君に、わたしの魅力はまだ早過ぎたかな?」


 呆れた様子の透花に対し、遥斗も嘆息する。


「そこはかとなく馬鹿にされていることだけは俺も分かった」


 透花は「ふん」と少しだけ不機嫌そうに鼻白むと、


「――ねえねえ。遥斗君はさ、どうしてそんなに一位に拘るの?」


 いきなりの不躾な質問に対し、遥斗は面食らってしまう。


「なんだよ、突然」

「別にー。なんでそんなに一位に拘るのか興味があっただけ」


 何の気なしに聞いているが、遥斗はなんとなく、透花が真面目な話をしているように思えた。


「なんで、って……。教師からの評価も高くなるし、同級生からも一目置かれるからだろ?」


 そうだ。自分の自己成長とか、頭の良さを世の中に還元とか、そんな難しいことは考えていない。ただ、周りから評価されるのが気持ちいいから、一位の座を守りたかっただけだ。


 透花は腕を組み、頷く。


「なるほどなるほど。ま、その評価も賞賛も、今年から私のモノになったわけだけど」


 勝ち誇った様子で透花は天を仰ぐ。まるで自分は神様にでも選ばれたかのような態度だ。


「お前なあ、喧嘩売ってんのか?」


 遥斗が立ち上がった瞬間、透花はぐい、と顔を近づけてくる。


「ねえ、遥斗くん。わたしと、勝負してみない?」

「しょ、勝負?」

「わたし、1位になっても別に嬉しくもなんともない。でも、遥斗君のこんなに悔しそうな顔が見れるなら、次の試験も本気出してみるよ」


 なんて嫌味な女だろう。だが、学年一位の座を死守してきた自分にとって、この戦いは負けられないものであることを確信した。


「ああ、いいぜ。絶対に次は負けないからな」


 遥斗は真剣な表情で宣言するが、透花はせせら笑いを隠さない。


「ま、精々励んでくれたまえよ、――高瀬、遥斗くん?」


     *


「ただいまー」

「あら、お帰りなさい。テスト勉強、捗った?」


 夕食の用意をしていた母が、エプロン姿でいそいそと出てきた。


「うん、まあね」


 夕暮れの教室に現れたあの生意気な女が頭をよぎったが、すぐに脳裏から打ち消そうとする。


 だが、


「そういえば! ねえねえ、知ってる? この前、アンタのクラスに転校してきた桜庭透花ちゃんなんだけど!」


 最悪だ。なぜよりにもよってこのタイミングで母からヤツの話なぞ聞かされなければならないのか。


「……透花が、何?」


 そんな息子の気持ちを知ってか知らずか、母はスマホを持って来て、そこに写るウェブサイトを見せてきた。


 画面には「サクラグループの財閥一族」と題された記事が表示され、そこに写る家族写真には、見覚えのある少女の姿も映っている。


「すごいわよねー。まさか、こんなに凄い家系の娘だったなんてねえ!」

「あいつ、お嬢様だったのか……」


 サクラグループと言えば、中学生の自分ですら知っている、日本を代表する企業群の一つだ。


 明治維新期に政商として名を馳せた佐倉財閥を母体とし、商社から重工業、金融を筆頭にこの国の様々な事業分野に食い込んでいる、財閥四家の一角。


 記事によれば、透花の桜庭家も佐倉家の分家らしく、グループの経営陣に席を持っているらしかった。


「でも、神代学園はウチみたいな庶民でも入れる程度の学校なのに、どうして突然転校して来たりしたのかしら?」


 そんなこと聞かれても分かるはずもない。


「さあ。でも、確かに、お嬢様だったなら、あの高飛車で嫌味な態度も納得だな」

「なによー。透花ちゃんは保護者会ですれ違った時も、親御さんたに愛想よく挨拶する立派な娘よー? 何が気に入らないの?」


 大人から見ても、彼女の外面は完璧なようだった。


 だが、それは、友人にも大人にも教師にも見せない態度を、自分にだけ見せているのことの証左でもあった。


「……どうして、神代学園にやって来たのか。なぜ、俺に対してだけは、妙につっかかるような態度をとるのか……」


「ん?」


 母が訝しむのをよそに、遥斗は思考の迷宮に囚われていった。


     *


 今日は六月定期考査の当日。遥斗は学習内容を振り返る傍ら、先日母が口にした、桜庭透花がこの学園に転校して来た理由を、ぼんやりと考えていた。


「なあ、雪人。おかしいと思わないか?」


 前席に陣取る雪人へ声を掛けると、彼も「同意見だ」と真面目な顔して振り向いた。


「俺も違和感を抱いていた。お前と気持ちが通じ合って嬉しいよ」

「いや、まだ何も話してないが……」

「――だって、同接二万減っても〝あんたたち〟なんだぜ⁉ 三万人でも〝あんたたち〟。一万人でも〝あんたたち〟。彼女に必要なのは、俺じゃなく〝あんたたち〟だったんだ」


 まるで話が見えなかった。


「……なんの話をしてるんだ?」

「え? いや、ぺこー――」

「遥斗くーん!」


 件のお嬢様は遥斗の席へいそいそと近づき、不敵な笑みを携えながらこちらを見下ろす。


「ふっふっふ、遥斗くん。今日のテストの自信はいかがかな?」


 丁度いい。先程の疑問を、本人にぶつけてみるか。


「……お前、お嬢様だったんだな?」


 突然の切り込みに対し、透花も少々驚いたようだったが、


「あれ? 話してなかったっけ? まあ、お嬢様って言われるほどお金持ちでも無いんだけど」


 透花はそれ以上動揺した様子も見せず、あっけらかんと答える。


「――どうして、この学校にやって来たんだ?」


 だが、重ねた問いに対しては、少しだけ反応が違った。


「……一位を取られたのが悔しいからって、そんな言い方は無いんじゃないかな?」


 相変わらずにへらとした口調ではあるものの、明らかに反応が遅かった。


「違う。勉強の順位なんてどうでもいい。俺はただ――――」


 すると、間抜けなチャイムの音が鳴り響いた。会話は打ち切りだ。


 目の前の透花は佇みながら、ぽつりと呟く。


「……もし、わたしに勝てたなら」

「え?」

「その時に、教えてあげる。――わたしがこの学園に来た、本当の理由を、ね」


 それは、彼女が初めて見せた、真剣な表情だった。


「――なんか……大変なことになってるな……」


 置いてけぼりを食らった様子の雪人が、何とはなしに声を漏らした。


     *


 一週間後。


 担任教師の中城が壇上に立つと、少しだけ教室の空気が張りつめる。


「この間のテスト返すわよー」


 遥斗が答案を受け取ると、九七点とある。


 このテストが最後の返却科目であった。現在までの合計は五科目合計で490点。だが、今日までに返却された透花の点数は、その全てが満点だったという。


 ――これでは、透花には勝てない……。


 遥斗が悔しそうな顔をしていると、横から雪人が覗き込み叫ぶ。


「遥斗すげー。俺なんて五四点だぞ!」

「それは流石に低すぎないか……?」

「当日欠席は追試で九割掛けにされるんだよー」


 そう言えば、透花と対峙した翌日のテスト二日目。「ペコパ」だか「ろしあ」みたいな名前のVチューバ―の熱愛が立て続けに発覚したショックから、雪人は失意のあまりに寝込んで欠席してしまったのだった。彼の将来を思うと、心配になってくる。


 ちなみに、最近はキズナメアイみたいな名前のVに乗り換えたらしい。あまり関心

が無いのでよく分からなかったが。


 するとそこに、透花がやって来る。彼女は自身満々の様子で答案を見せつけてきた。


「じゃじゃじゃーん!」


「100点」。もはや非の打ちどころもない。


「満点には勝てないな……」


 透花は不遜な態度を崩さないまま、チラ、と遥斗のテストの点数を見やると、


「ふっ。ま、遥斗くんにしてはよく頑張ったね」


 と勝ち誇ると、「えらいえらい」とバカにした口調で、こちらの頭を撫でてくる。


 勝利を逃してしまった。透花が何故この学園にやって来たのかも、お預けだ。

ふと、彼女の顔を見る。


 自分にだけ見せる傲岸不遜な表情は、相変わらず生意気で高飛車ないつもの透花だ。


 でも。


 その表情はどこか寂しげに見えて。


「待て、透花!」


 遥斗が声を上げると、透花は少しだけ驚いたように挙動不審になる。


「な、なに……?」

「見てろよ。次の定期テストは一位を取ってそのスカした顔を悔しがらせてやるぜ」


 遥斗は、挑戦的に彼女へ宣戦を布告する。


 神代学園中等部前期の定期テストは、今回受けた六月のほか、夏休み前にもう一回実施される。そのテストにリベンジを賭ける。遥斗は、その決意を新たにした。


「……ふ、ふーん。周りの評価じゃなくて、わたしを負かすために一位を目指すんだね?」


 透花の長い髪が揺れ、赤いヘアピンが蛍光灯の光を反射した。


「そうだ! お前がぐうの音も出ない点数を取ってやる!」

「面白いね……。わたしが負けるはずないけど、遥斗くんのお手並み、拝見させてもらおうかな?」


 遥斗と透花は互いにバチバチと火花を散らせた。


「すげえ! 遥斗と透花ちゃんのガチバトルだ!」

「桜庭さん、高瀬君にだけはいつも当たりが強いけど……。それだけ高瀬君を認めてるってことだもんね!」


 雪人が囃し立てると、クラス中がやいのやいのと騒ぎ出す。

学年首位の座を取られた男子生徒に対し、転校してきた優等生が受けて立つという構図は、きっと傍目からも燃え上がるイベントにように見えるのだろう。


 だが、それでも、遥斗の目には。


 彼女が見せる姿の全てがどこか、本来の彼女とは違う誰かを演じているように思えてならなかった。

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