回帰分析の彼女と、特異点の彼

神山良輔

第1話 天才的彼女


 神代学園。都内でも伝統ある私立学校の一つで、在籍する生徒の質もそれなりに高いとされている、初等部から大学院まで兼ね備えた巨大な学校法人。


 その中等部二年三組の教室では、恒例のテスト返却行事が繰り広げられていた。


 高瀬遥斗(たかせはると)は、窓の外に桜の木に薄いピンクの蕾が付き始めている様子をぼんやりと眺めながら、さくらんぼは桜を前提とした名前を付けられているのに対し、cherry blossomはcherryを前提とした名前を付けられているんだなあ、と益体も無い事を考えていた。


「――瀬くん。……高瀬、遥斗くん!」

「え? あっ、はい!」


 声がした方を見上げると、担任教師の中城(なかじょう)が、むっとした目で睨んでいる。


「呼ばれたらすぐ来なさい!」

「はーい……」


 クスクスと同級生に笑われながら、遥斗はバツが悪そうに前に出て、中城の前に躍り出る。


「まったく……。はい、今回もよく頑張ったわね」


 中城は呆れと称賛が入り混じったような顔で答案用紙を手渡してくる。


「ありがとうございます」


 遥斗は澄ました顔でそれを受け取り、内容を確認する。


 ――まあ、想像通りの点数だな。


 遥斗が内心ほくそ笑みながら座席に戻ると、後ろの座席から頭が飛び出してくる。


「うわー遥斗、数学のテスト95点かよ。また学年一位はお前か?」


 答案を覗き込んできたのは、坂井雪人(さかいゆきひと)。遥斗とは昔からの悪友であり、どちらかと言わずともアホである。よく自分と雪人がつるんでいることに対して違和感を覚える者も多いが、遥斗は彼の事を、気安く接することの出来る得難い友人であると思っていた。


「ま、今回はそんなに難しくなかったしな。このくらいは余裕だよ」


 遥斗が飄々と答えると、雪人は大げさにバシバシと彼の背中を叩いて笑う。


「ったく、可愛げのねーヤツだ。小学校からこんな調子だもんなあ」

「所詮は中学生の学習範囲だしな」


 遥斗が「ふっ」と何処かバカにした笑い方をすると、「こいつー」と雪人が軽く小突く。


 そんなやり取りを見ていた周囲の同級生も、遥斗に近づいてくると、


「えー! 凄いじゃん、高瀬君!」

「オレ、ここの問題分かんなくてさー」


 と称賛や助けを講う声がやってくる。


 こうやって褒めそやされる気分は悪くない。


 いや、むしろ最高だった。別に勉強なぞ出来ようが出来まいがどうでもいいが、こうして持ち上げられるのは最高の気分だ。


 遥斗が得意げに自分の答案用紙を見せたり、難問の答えを教えたりしていると、唐突に担任教師である中城の声が教室に響いた。


「桜庭(さくらば)さん! 今回は難しくしたのにホント凄いわ! あなたが一番よ!」


 その会話に遥斗は目を見開く。


 中城はニッコリとしながら、一人の女子生徒に答案を返す。


 それを彼女は屈託の無い笑顔で受けとった。


「ありがとうございます。先生」


 赤いヘアピンを載せた、ふわりとした長い茶髪をたなびかせた彼女は、透き通るように綺麗な声で、礼を述べながら会釈をする。


 桜庭透花(さくらばとうか)。つい最近、この学園にやってきた転校生。見知らぬコミュニティに入って来たにも関わらず、その人懐っこい性格と、その愛くるしい見た目から、彼女はすぐに同級生を虜にした。


 そんな彼女にとって、今回は、転校先で受ける初めてのテストだったはずだ。


 そして今、彼女の学力が明かされた。中城の賞賛が確かなら、彼女は明らかに自分の成績を超えていて――。


 透花が自席に戻ろうとすると、一斉にクラスメイトたちが透花を取り巻き、わいわいと騒ぎ出す。そして、彼女の答案を覗き込んだ一人が驚きの声を上げた。


「百点ってつまり……高瀬君よりも頭がイイっ……てコト⁉」

「わ、ワァ……!」

「奇才型か~?」


 ユウカや橋本、山田といった同級生たちが、羨望の眼差しを透花に向けている。


「マジかよ、すげー!」

「私達にも見せてよ、桜庭さん!」


 自分の周りに居た連中も皆、透花の方へと行ってしまった。


「えへへ……。そんなに大したことじゃないよ」


 透花は恥ずかしそうに照れた様子ではにかんでいる。

 遥斗が茫然とその光景を眺めていると、雪人が「ひゅーっ」と声を漏らし、


「おいおい、この間来た転校生凄いな。カワイイうえに、頭も良いなんてよ」


 だが、そんな友人の軽口も、遥斗にとっては、アイデンティティクライシスに近しい。


 遥斗は「あ、ああ。そうだな……」とだけしどろもどろに告げ、思わず机の下で答案用紙を握りしめた。


     *


 二年三組の廊下に「三月試験順位」が壁に貼られたのは、それから一週間後。遥斗は絶句した様子で、雪人は感心したように手を顎の下に当てながら、それを見上げている。


 そこには「一位・桜庭透花・五〇〇点」。「二位・高瀬遥斗・四八五点」と書かれていた。


 こんなはずでは……。今まで、勉強なんてせずとも、一位の座は自分のモノだったのに。


「お決まりの試験結果が覆されるとはね。まさか、お前より頭がいい奴が居るなんてなー」


 雪人の感心したような声が自分の心を抉る。が、遥斗は全く気にしていないといった風に両掌を上に向け、


「ちゅ、中学校の試験順位なんて、人生に大した意味は無いさ……」


 と精一杯の皮肉った笑顔を作り、「やれやれ」と平気な振りを装う。


「とかなんとか言って、ホントは悔しいんじゃないか~?」


 雪人がニヒヒと笑いながら肩を小突いてくる。図星を突かれた遥斗は引きつったような笑顔になってしまった。


 すると、一人の少女が廊下へと現れた。彼女はいそいそと遥斗の方へとやって来て、


「――あ、噂の高瀬遥斗くんだ!」

「さ、桜庭……透花……」


 春のように柔らかな笑顔を携えた転校生が、「こんにちは」と上品な口調で挨拶してきた。


「ちっすー、桜庭さん」


 雪人が片手を挙げて気安く挨拶を返す。すると、


「ちっすー! 雪人くん!」


 と、透花も少し砕けた口調で、切り返す。


「ほらほら、遥斗くんも、ちっすー!」


 透花は邪気の無い笑顔で挨拶を求めて来る。遥斗は面食らいながらも、「ち、ちっすー……」と返す。


 自分から一位の座を奪った少女と、快く会話できるほど、遥斗は大人では無かった。


「うんうん。ちょっと暗いけど、まあ、許容範囲内かな?」

「……いきなりご挨拶だな……」

「挨拶は最初が肝心だからね!」


 透花は、ズレてるのかすっとぼけているのか、よく分からない返答をしてきた。


 そんな彼女は突然、「忘れていた」といった様子で声を上げると、


「あっ! そういえば雪人くん。さっき中城先生が呼んでたよ?」


 雪人は「げっ!」と露骨に嫌そうな顔をする。


「あークソ、この間の社会の宿題、適当に書いて出したのがバレたな……」


 自分の頭髪をグシャグシャとかき乱し始める。


「なんて書いたんだ?」


 遥斗が尋ねると、雪人は「えーと」と思い出すように天井を見上げると、


「例えばさ、『実効支配中の日本の島の名前を書け』って書いてあるからよー」

「うん」

「『千島列島』って書いた気がする」

「交換条約根拠論者じゃん」

「義務教育の敗北だねー」


 だが、昔からアホな友人はとくに気にした様子もなく、


「おいおい、中世史の話題は辞めてくれよ。あれ、GHQに勝ったのは平家だっけ?」


 雪人は思いっきり近代の話題を中世にまとめた挙句、歴史を改竄すると「んじゃまあ、行ってくるわ」と言って去って行く。遥斗は透花と二人、取り残されてしまった。


「ふふ。雪人君って面白いねー」


 透花は穏やかに笑っているが、遥斗の内心は全く穏やかでは無かった。


 いくらクラスの人気者と言えど、自分を二位の座に引き摺り下ろした転校生と、これ以上一緒に居るのは耐えかねる。


 また、悔しさの余り、透花に幼稚な態度を取ってしまったら最悪だ。遥斗は無理に笑顔を作って、透花に告げる。


「……じゃあ、俺も戻ろうかな。またな、桜庭」

「あ、待ってよ遥斗くん!」


 透花に手を取られ、引き留められる。


 そして、彼女は壁に張り出され順位表を指さすと、


「――ねえねえ、遥斗君、二位なんだよね。頭いいんだねー!」


 そう、自分の順位など気にしてないかのように、感嘆の声をあげ始めた。


 その物言いに、少しだけカチンときてしまう。


 それは、自分が一番気にしていたことだから。


「……なんだよ、それ。嫌味か?」


 少し表情が険しくなるのを自覚する。

 

 だが、その次に彼女が繰り出したのは、予想の斜め上を行く台詞だった。


「――ううん。私が一番なのは当たり前だから、二番は凄いなあって思っただけだよ」


 そう、小馬鹿にするような笑顔で言い放つ。


 それは、先ほどまで彼女が見せていた、愛くるしい同級生の表情とは似ても似つかなかった。


「な……なんだよ、それ……?」


 面食らう遥斗に対し、透花は人が変わったかのようにせせら笑いながら、


「こんな程度の成績じゃさー、わたしの予定が随分狂っちゃうんだよね。悪いけど、見込み違いでしたーっていうのは、勘弁してほしいかな」


 そう、訳の分からないことを語り始める。


「よ、予定……?」


 だが、彼女はそれ以上答えない。ただ、教室で見せるのとは別種の雰囲気を纏っているように、遥斗には思えた。


 そして透花は、驚くこちらを尻目に「ふっ」と鼻で笑うと、


「なーんてね! ま、これからも二位の死守に、頑張ってくれたまえよ。じゃ、またね」など


 と言って透花は去って行く。


「…………」


 呆気にとられた遥斗は、ただ去って行く彼女の背中を眺めることしか出来なかった。


「いやー、中城からお説教食らっちまったぜ。なあなあ、遥斗、知ってたか? 江戸幕府を創ったのは徳川家康なんだぜ――って、どうしたんだ、そんな顔して?」


 ぼやきながら戻ってくる雪人の声を聞き流しながら、遥斗は肩を震わせて宣言する。


「あ、あ、あいつにだけは、絶対に負けねえ!」


 そんな遥斗の表明をしかし、透花は振り向きもしなかった。

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