第17話 俺はこんな女に騙されへんもん

 久しぶりに吸ったシャバの空気は死ぬほど美味かった。ドンブリで4万杯は食べられるほどに美味い。あまりにも外の空気が美味すぎて『ショーシャンクの空に』という映画のポスターみたいに両手を広げて空気を吸った。

 見上げた空はこれでもか、というぐらいに青かった。

 自動車が走る音、人々が生活する雑音が聞こえた。


「これが外の世界か」と俺は呟いた。


「久しぶりやと世界の見えかたが違うやろう?」

 と白石さんが言う。


 全然、違う。

 大阪の街がアルプスにいるように感じられた。


 彼女はダンジョンの敷地内に置かれたロッカーから荷物を取り出した。ダイヤル式のロッカーである。


「あれ? 白石さん、そんな荷物持ってたっけ?」

 と俺が尋ねる。


「持って来たよ。ダンジョンで奪われたら困る物を入れとくねん」

 と彼女が言う。


「奪われたら困る物?」

 と俺が尋ねる。


「着替え。財布。アイフォーン」

 と彼女が言う。


 着替え、という単語を聞いて俺は自分の服を見た。

 すごいドロドロである。

 5日間は同じ服を着て、ダンジョンで戦っていたのだ。

 汗臭いとか通り越して芳醇ほうじゅんである。

 

 白石さんのプロテクター装備もドロドロだったけど、ダンジョンの中で一緒にいたから臭いとは感じなかった。


「着替え、持って来てへんわ」

 と俺が言う。


「安い服、売ってるで」

 と彼女が言った。


「ええわ。俺の近いし」


「ポーション売りに行かんでええん?」

 と彼女が尋ねた。


「あっ」

 売りたい。

 売る場所も知らん。

 今なら白石さんに付いて来てもらえる。


「ほんじゃあ服買って、銭湯行ってから、天王寺に行こっか?」

 私も銭湯で体を洗ってから着替えよう、と彼女が呟く。


「でも俺お金無いで」


「私が貸してたるやん。ポーション売れば、すぐに返してもらえるし」


「お願いします」と俺が言う。


 ドロップしたアイテムはポーションが15本だった。当初の報酬分も合わせて俺の取り分は8本である。ポーション1本が15万だから世界を支配できる金額になる。


「なんでドロップしたアイテムはポーションばっかりなん?」

 と俺は尋ねた。


「このダンジョンはポーションがドロップしやすいダンジョンやねん」と彼女が言った。


 ダンジョンによって出やすい物と出にくいものがあるらしい。


 俺達は服を買うために商店街に向かった。


「手、握る?」

 と白石さんが尋ねた。


「無理」と俺が言う。


「こういう時は手を握って歩くもんやで」

 と彼女が言う。


「それはカップルの場合やろう?」


「めちゃくちゃ私でチンチンたってたくせに、手も握られへんのか」


「外でチンチンとか言うな」

 と俺が言う。

「聞かれたら恥ずかしいやん」


「チンチンチンチンチンチン」

 と白石さんが俺の耳元で囁く。


「子どもか」と俺が言う。


 彼女がクスクスと笑う。


「それじゃあオンブして、疲れた」

 と白石さんが言う。


「しません」と俺が言う。


「疲れた疲れた疲れた疲れた」

 と白石さんが呪文のように俺の耳元で囁く。


「子どもか」と俺は同じツッコミを繰り返す。


 そして、また彼女は嬉しそうにクスクスと笑った。



 スーパーの2階にある服屋さんで9500円分の服を購入した?

 一番高かったのはジャンバーの5000円だった。

 9500円を使ってもポーションさえ売れば、まだまだお金がある。

 そして俺達は商店街の外れにある銭湯に行った。


 銭湯に入って俺はビックリした。頭の汚れを洗い落としたお湯は墨汁のように黒かったし、体を洗い落としたお湯もイカ墨のように黒かった。


 「いただきます」と俺は言って湯船に入った。いただきます、と湯船に対して言いたかった。

 久しぶりに入った湯船は極楽だった。気持ち良すぎて、「あぁぁぁ」とキモい声も出てしまう。


 湯船から上がると脱衣所で白石さんと選んだ安いトレーナーとズボンを履いた。

 さっきまで着ていた服は触りたくもないぐらいの汚物に見えた。


 人前でスキルは出したくないのでトイレに入って、1人部屋の扉を出現させて汚物を捨てるように部屋に放り込んだ。

 そしてジャンバーを抱えて、のれんをくくった。


 ホカホカの白石さんがベンチに座っていた。俺を見つけて嬉しそうにニッコリと笑った。

 嘘やろう? 胸がキュンとなってしまった。

 いや、コレは何かの勘違いだと思う。

 俺みたいな奴を待ってくれている女性がいて、その子が嬉しそうにニッコリ笑っている。こんなシチュエーションを俺は夢見て来た。

 でも白石さんやで? 

 淫乱やで? 

 ナニカの方法で俺を搾取しようとしている女性やで。

 きっと今日が終われば2度と会わない。だから別れの寂しさで胸がキュンとなってしまったのだろう。


 危なっ。

 恋愛詐欺に引っかかりそうになった。


 ホカホカの白石さんが「山田く〜ん」と言いながら俺に手を振っている。

 ホカホカの彼女はモコモコしたセーターを着ていて、小動物のウサギのようだった。

 可愛いとか思ってへんから。


「待った?」と俺が尋ねた。


「私も今出て来たところ」と白石さんが言う。


「髪の色、そんなにピンクやっけ?」


「汚れ落としただけ」と彼女が言う。


「荷物持とっか?」と俺は尋ねた。

 何を俺は白石さんに優しくしてんねん。


「いいよ。重たいから」と彼女が言う。


「俺のスキルもう忘れたん?」と俺は言った。


「そうやったわ。ほんじゃあ持って」

 と彼女が言って、汚れたプロテクターが入った手提げカバンとヘルメットを差し出した。


 それを俺は受け取る。


「ちょっとトイレで荷物を入れて来るわ」と俺は言って、トイレに向かった。


 トイレから出て来た時には俺の手には何も持っていなかった。


「ありがとう」と彼女が言って、冷たいポカリを差し出した。


「おごり」と白石さんが言う。


「ありがとう」と俺は言ってポカリを受け取った。


 そして彼女から貰ったポカリを飲んだ。血液のようにポカリが染み渡る。


「んっま」と俺は言う。


「私にもちょーだいや」


「あっ、でも間接キスになるで」

 と俺が言う。


「山田君の唾液ゴクゴク飲んでるねんで。今さら間接キスぐらい気にせいへんわ」


 人が聞いてるかもしれんのに、唾液ゴクゴクとか言うな、と俺は心でツッコむ。


 俺はポカリを渡す。


 ゴクン、ゴクン、と喉の音を鳴らして彼女がポカリを飲んだ。

 彼女が俺の唾液を飲んでいたことを思い出して、すごくゴクンゴクンという音がエッチな響きに聞こえた。


「全部飲んでもうた」と白石さんが空になったペットボトルを持って言う。


「ええよ」と俺が言う。


 本当はもっともっとゴクンゴクンと彼女には飲んでいてほしかった。


「それじゃあ天王寺に行こっか?」と彼女が言った。


 そして俺達は銭湯を出て駅に向かって歩き始めた。


 白石さんと手を握りたいとか、そんな事は思ってないけど、横を歩いていると手と手が触れ合って、ちょっとぐらいやったら触れ合っても彼女のことは好きにならん、という自信があったので、小指同士で指を握って歩いた。


 別にこれは手を握ってるわけじゃないからセーフである。手を握ったらアウトっていう訳じゃないんだけど。

 ちゃんと今日で白石さんとお別れして2度と会わないことができるもん。

 俺はこんな女に騙されへんもん。



 

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