第36話 遭遇-9


 こっそりと王宮を抜け出したフォルテは、クラヴィスの馬に乗り、北へと向かっていた。

 数日前に衛兵たちと共にサンクティオの王宮へ向かう時に、結界の範囲は把握していたから今はそこを目指している。普段はサンクティオの民や商人が多く行き交う街道も、冬という季節と魔物の出現が増えている事から、昼間でも人の姿は少ない。危険を承知で出てきたが、あくまでも無事に戻る事が前提だから、出来れば陽が落ちる前に王宮へ帰りたいフォルテは、先を急ぐために馬を駆る。

 サルトスを出て、オレアに向かう途中には出会わなかった魔物は、神殿へ立ち寄ってから見るようになった。オレアとゲンティアナには神子がおらず、加護が薄いのかと思っていたが、メディウム近くでも遭遇したことから、加護の問題ではないと思い始めていた。メディウムに帰った時、父の仕事を手伝いながら国内外の情報を集めていたフォルテは、特に魔物に関する事に目を向けていた。国内でも魔物の目撃情報は、例年よりも多くなっている事は分かったが、実際の被害報告は上がっていない。その時には推論の決定打になるものは得られなかった。

 しかし、今回の件は加護の問題ではないということを裏付ける事実だ。何故なら、魔物たちは自分たちの後ろではなく、向かっているサンクティオ方面から現れたのだ。幾ら結界の為に加護と魔力が集められている状態で中央から離れているとはいえ、サンクティオは神子の加護の一番強い国でもあるはずなのにだ。


 結界の境目に着いたフォルテは、近くの木へ馬を縛ると周囲を窺った。この場所に近づいてきた頃から感じていた人とは違う気配は、恐らく魔物のものだろう。腰に下げていた得物の存在を確かめ、水晶が落ちないように首から下げた革袋に入れた。そこにはリデルから預かった加護の宝玉も入っている。


「ウェルスからソリオの分も借りてこれば良かったな…」


 ぎゅっと革袋を握りしめ服の中へ納めると、フォルテはゆっくりと結界の外へ踏み出した。

 ギギギと耳障りな声がして、魔物たちが集まってくる。しかし、この前と違い、どうやら魔物たちも何か警戒している様子で遠巻きにフォルテを窺っている。互いの距離を保ったままにらみ合いの状態が続く。


『カギ……』


『……サガセ……』


『カギヲ、コワセ……』


 耳障りな声の中、確かに魔物たちが言葉を紡いだ。今まであった魔物たちは咆哮するのみで、言葉を話したことはなかった。数も増え、力を増すとともに知能まで手に入れているということだ。フォルテは舌打ちしたい気持ちになりながら、対峙する魔物たちの気配を探った。おそらく数がこれ以上増えることはなさそうだが、中に一際強い気配がある。群れのようなものだろうか、そいつを仕留めれば後は何とかなりそうだ。そう思った時、その強い気配を持った魔物が他の魔物たちをかき分けるように進み出てフォルテの正面に立った。気配と同じく他の魔物たちより一回り大きな体を持つその形にフォルテが息を飲む。黒い靄のようなものに覆われた姿は、まるで人のようだった。


『カギヲ……ヨコセ』


 フォルテは真っ直ぐに対峙しながらもその気配に圧されそうになる自分を心の中で叱咤した。少しでも多くの手懸りを得るんだ、その為にここに来たはずだと言い聞かせる。


「鍵? 何のことだ」


『ドコニカクシタ』


 フォルテの問いに答える気はなさそうだが、じりじりと距離を詰めようとする魔物に、フォルテは無意識に腰の得物を握った。一歩、魔物が進み出ると、フォルテも同じように一歩後退り距離を一定に保つ。接近戦を得意とするフォルテにとって、この数を相手にするのは分が悪いのは確かだ。


『トモニイタハズ』


「えっ……」


 その言葉にフォルテの気が魔物から逸れてしまった。

 一瞬の隙を見逃されるはずもなく、一気に距離を詰めてきた魔物はフォルテの喉元へ腕を伸ばしてきた。咄嗟に握っていた得物を前に突き出すが、傷付く事も厭わず魔物はその刃を握る。目前でにらみ合う形になったフォルテと魔物。


『ミツケタ』


 魔物はぐっと刃を握る手に力を込めると、ニヤリと嗤う。ぞくりと背中に冷たいものが走るが、ここで怯めば確実にやられるとフォルテは奥歯をギリっと噛み締めて魔物を睨み付けた。そんなフォルテの中に在る恐怖に気付いているのか、くくっと喉を鳴らした魔物は自らの血で濡れた指を滑らせ刃をなぞっていく。一筋の朱を描きながら刃の根元まで来た指が、そこに飾られていた宝玉に触れようとした瞬間、フォルテの胸元から目を焼くような光が溢れ出た。その光を浴びた後ろの魔物たちが断末魔を上げながら消えていく中、強い光に目を抑えて後退った目の前の魔物へ、振り払う様に得物を振るうフォルテ。その刃は確実に魔物の身体を捉え、そして、その身を二つに割いた。


『グァアアア』


 叫び声と共にドサリと音を立てて地面に転がったその身体からは、人と同じ赤い血が流れた。今まで対峙した魔物のどれとも違うその手応えに、フォルテの身体が震え出す。


「あ……う、うぇっ……」


 膝を付き、込み上げてきたものをすべて吐き出したフォルテは、その場に座り込んだ。荒い呼吸を繰り返しながら、それでも何とか自分を落ち着かせようとするが上手く行かない。この場にいては、また違う魔物が来るかもしれない、そう思うのに身体が思うように動かないまま、手にしていた得物を手放そうとした。だが、震える指先は固まってしまったかのように動かず、ぎゅっと柄を握りしめたままだ。

 この剣はこんなに重たかっただろうかと考える。クラヴィスがこれを振るう時はまるで柔らかな羽根を舞わせているように見えたのに、実際に持ってみるとズシリとしたその重みを感じる。彼なら、クラヴィスならあの魔物も躊躇わず切り捨てていただろうか。刃を伝う朱色にまるで人のようだと動揺してしまった。相手は魔物なのに、目前で対峙したそれが人の様に思えて、躊躇ってしまったのだ。


「やっぱり、クラヴィスのようにはいかないな。僕も色々鍛え直さないと」


 ふぅっと大きく息を吐いたフォルテは、何も持たない手で柄を握る手の指を一本ずつはがしていった。カランと音を立てて地面に落ちた剣には、青く澄んだ空と同じ色の宝玉があしらわれている、はずだった。だが今そこにあるのは、まるで重い雨雲に覆われた空のような、くすんだ灰色の石だ。漸く自由に動くようになった、先程までそれを握っていた指で宝玉へ触れる。するとパシリッと音がしてそこから亀裂が走った。あわてて石が零れ落ちないようにフォルテが掌で覆うが、あっという間に粉々に砕けた石は、指の隙間から零れ落ちていく。


「な、んで……」


 なす術もなく、フォルテはただ茫然とそれを見つめていた。

 今、この場で石が変異し砕けた原因が何なのかは分からないが、少なくとも魔物たちが自分たちを襲ってきた理由は分かってきた。今回の事で、魔物がただの集まりではなく、何かしらの目的を持った組織的なものを築いている可能性が高くなった。それならば、徐々に数を増やし、挙句、力も知能も高い上位の魔物が現れた事にも納得が出来る。そして、女神の加護を収めた水晶には反応しなかったが、魔物たちが目的のものを探す目印としてきた可能性があるだろう。邂逅を重ねる内にそれは奴らの確信となり、今回はより力の強い魔物を差し向けてきたと考えられる。

 だが、悪い事ばかりではない。フォルテたちにとっても魔物の目的を知る良い機会でもあった。魔物との数少ないやり取りを思い出していくと、魔物たちは何かの『カギ』を探しているらしく、そして、それは恐らく人である事。フォルテと共にいたはずならば、それはクラヴィスかウェルスか。女神の加護を収めた水晶を目印にしていたならウェルスと考えるのが妥当だが、魔物が見つけたと言った時、握っていたのはクラヴィスの剣だ。そして、その剣の宝玉が砕け散った事など、クラヴィスではないと言い切れないのも事実だ。


「ウェルスは回復すれば目覚めるだろうけど、クラヴィスだよな、問題は」


 魔物の探す『カギ』がどちらかだとして、クラヴィスが目覚めない理由は分からないままだ。『カギ』を護る為、このままサンクティオに留まるにしても、ウェルスは自分の意思で動けるが、クラヴィスだった場合にどうすればいいのか。

 そうしてフォルテは起きた事を整理し、仮説を立て、次の行動を探っていく。どれだけそうしていたのか、気が付けば陽が傾き、夜の気配がそこまで迫っていた。とりあえず、馬を繋いだところまで戻ろうと立ち上がった時、遠くから自分を呼ぶ声がする。


「フォルテ様! ご無事ですか、フォルテ様! 」


 フォルテ自身、止められるのは分かっていたから、誰にも告げずに来たのだが、どうやら知られてしまっていたらしいと分かり、素直に返事をした。


「大丈夫、馬のところまで戻るから」


 まだ、結界の外にいたフォルテが、急いで馬を繋いだところまで戻ると、数人の衛兵たちが待ち構えていた。


「ご無事で何よりです」


「ごめん、すぐ戻るつもりだったんだ」


「何か、お忘れ物でもありましたか」


「いや、そうじゃないけれど」


「では王宮へ戻りましょう。その……戻りましたら、リテラート様が玉を繋ぐ様にと……」


 言い難そうにする衛兵に、分かったと告げながらフォルテは馬へとまたがる。灯りを持った衛兵を先頭にして、フォルテたちは王宮へと馬を走らせた。

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