第34話 遭遇-7


 幼い頃、それこそ物心がつかない頃からティエラが言われてきた事がある。

 この国の神子は、森から出られない。

 本当に小さな頃は、それが当たり前だと思っていたが、森の外から来る人達の話を聞くたびに、興味は当然湧いてきた。

 オレアの何処までも広がる草原に降り注ぐ陽の光。

 メディウムの遥か彼方まで続く海と空の境界線を描く朝陽。

 ゲンティアナの無機質な白い雪原を火の色に染める夕陽。

 サンクティオの神殿を中心に広がる街に生活する人々の笑い声。

 物語の中で見る景色は、ルーメンに確かに存在するのに、森を出られない自分が見る事は叶わない。次第にその事実に疑問と不満を覚えていった。守護石を何度捨てても、次の日には自分の手の内にある。ティエラにはそれが逃げられない鎖のように思えて、神子という存在を呪う様になっていた。


「本当なら、リデルはもっと家族と一緒に過ごせていたのに、俺が望んだから……」


「何度も言ってるけどさ、それに関しては俺は何とも思っていないよ。サルトスに来たことで俺はかけがえのない友人を得ることが出来たんだから」


 その頃のティエラ自身では気付く事は出来なかったが、ティエラの心の状態はまるで森と同化しているようで、その頃の森は作物や果実の出来も悪く、国民たちの生活は困窮していた。サルトスの女王から現状を聞かされ救って欲しいと遣いを出されたオレオでは、通常よりも早いその時点で、エイレイ家の長男であるリデルをサルトスへ向かわせることを決めた。


「ほんと……お人好し過ぎ」


「なんとでも」


 それからすぐにリデルが来て、ウェルスと三人で過ごすうちに次第に安定してきたティエラは、神子として、サルトスの王子として森の中で一生過ごす事を受け入れられた。特別、神子としての務めがあったわけではないが、自覚をするという事が大きな効果があったのだろう。次第にサルトスの森も落ち着いていく。

 それでも、女王がティエラが森から出らない理由を話すことはなかった。やっと神子であることを受け入れられた我が子に、さらなる重荷を背負わせることを危惧したからだ。


「でも、俺は、もっと前にちゃんと神子の事を知るべきだったんだ」


『宝探し』の話のためにシルファに会った次の日、ティエラはリデルと共に城へ向かい、母でもある女王 ヴェーチェルへの謁見を申し込んだ。


 ティエラの訪問に驚きながらも、快く受け入れた女王には恐らく予感があったのだろう。女王の執務室に通されたティエラが目にしたのは、窓から眼下に広がる森を眺める後ろ姿だった。その手には神子の証とも言うべき『琥珀』があった。しかし、ティエラのものではない。何故なら彼自身の琥珀は、今もその腕を飾るブレスレットに嵌められている。ティエラの気配に気づいた彼女は、窓からその手元の琥珀へ視線を移すと、ゆっくりと穏やかな口調で話し始めた。


「これは、先代の神子の守護石。何時もは神殿の奥におさめられておる。でも、そろそろその役目も終わりのようじゃ」


 愛おしそうに手の中の琥珀をなでるヴェーチェルの指先は、ピタリと止まった。そこには、微かにヒビが入っていた。じっとその指先を見つめていたティエラは、聞きたい事も、新たに浮かんだ疑問もあるのに、何処か悲しそうに手の中の琥珀を見つめるその姿に言葉を飲み込んだ。


「先代の神子は、我の叔父にあたる方であった。森を慈しみ、その声で民を癒し、誰からも愛される、そんな……」


 そっと琥珀を包み込み、瞳を閉じたヴェーチェルの脳裏には、先代の神子の様子がまるで昨日の事のように浮かんでいた。

 ヴェーチェルは女王の座を継いだ時に、神子の本当の役目を知った。サルトスの神子は、かつてルーメンを脅かした魔王の核を閉じ込める檻の鍵。だから、他の神子と違い、絶えずその存在があり、魔王が復活するのを抑えているのだという。


「サルトスの神子が魔物の手に落ちれば、魔王の復活が現実となり、サルトスだけでなく、ルーメン全土を脅かす事になる。この森は魔王を閉じ込める檻でもあり、神子を護る砦なのじゃ」


 絶えず神子があり続けていたとしても、幼い神子に森の維持をすべて負わせるのは崩壊にも繋がるとして、最初に鍵となった神子が守護石に自身が亡くなった後も森を護り続ける術をかけた。以後、神子の責を次代の神子が完全に負う時、先代の神子の守護石は森への加護となり消えていく。


「ティエラ、こちへ」


 言われるままに隣に立ったティエラをそっと抱き寄せたヴェーチェルは、琥珀を森へ捧げるように手を伸ばした。


「この森は、神子と繋がっている。神子が健在ならばその恵みを存分に民たちへ分け与え、病んでいるならば同じように森も痩せていく。だからサルトスの民たちは神子の平穏を望む。だが、勘違いするでないぞ。民たちは自らの生活の為だけに神子を敬うのではない。彼らは森を愛するのと同じように神子を愛しておるだけなのじゃ」


 腕の中で頷いたティエラの頭をするりと撫でたヴェーチェルは、その腕を解き、ティエラと真っ直ぐに向き合った。差し出された琥珀を不思議そうに眺めたティエラに、ヴェーチェルの新たな言葉が降る。それは、母としてではなく、女王としての厳かさを持っていた。


「ティエラよ、神子としてしか生きられぬそなたには、猶予がある。先代の琥珀がある間は、まだそのすべてを担わずともよい。だが、もしもそなたが今この時をもってその責を担うというならば、その決意と共に我の手にある琥珀に触れよ。さすれば神子の負うべき全てがそちのものとなる」


 だが、と言葉を切ったヴェーチェルの瞳は、深い愛情をもってティエラを捉える。


「いましばらくはこの琥珀も耐えられよう……」


「母様……いえ、女王陛下、私はもっと早くこうするべきだったんです」


 微笑と共に手を伸ばしたティエラは、大切なものに触れるようにそっと指先を守護石に置いた。そのままゆっくりとヴェーチェルの手の上で守護石を包み込むように握り込んだ。すると二人の手の中で先代の守護石が光の粒へと変わっていき、その光は窓の外に出ると森へと降り注いだ。

 周囲が柔らかな光に包まれる。

 森の中に吸い込まれるようにその光が失われて行くのと同じくして、ティエラの身体に暖かな神気が廻っていく。


「あっ……」


 その中に、黒く渦巻くものを感じてぐっと胸を抑えたティエラは、それが魔王の核だと知る。


「核だけなのに、こんな……」


「七人の女神の力を以ってしても、魔王の全てを浄化する事は出来なかった。それから何代も神子と女神が生まれ変わってもなお、それが消えることがなく、今に至っておる。時を重ねればいつかは浄化されるのか、それとも他に何かが必要なのか……我も知らぬのじゃ」


「七人? 伝承に残る女神は六人のはず」


 そう口にしながらも、先代の琥珀がもたらした神気と共に確かに七人目の女神の存在を感じている事に何処か恐怖すら覚えるティエラの声は震えていた。


「自身に纏わる伝承ごと、魔王の核を封印する為にその身を賭した女神ティアナ。そなたならその身を以って確かめられるのではないか? 」


 ヴェーチェルの言葉に自身が感じたものが真実だと知り、その存在を探る様に瞳を閉じたティエラは、最初に感じた魔王の核の禍々しさを覆っていく力があるのを知る。そうして認めてしまえば、ティアナの存在は確かなものとしてティエラの中に在った。


「神子と女神の血を引く者たちは、女神ティアナの存在をその血で覚えておる。何時か魔王を完全に浄化する為、それが我らに課せられた役目じゃ」


 血に刻まれた記憶が真にその役割を継いだ時に知る事になるというのなら、恐らく、カーティオはもうすでに知っているのだろうとティエラは感じた。言葉の端々、今までの彼の行動を思い起こせば起こすほど、それは確信となる。

 だが、リテラートは、その他の女神の加護を受ける者たちは、そうではないだろう。全てを話してしまい、共にその荷を負う方法も選択肢としてある。自分はどうすべきか、答えの出ぬまま女王の執務室を後にしたティエラは、気遣うようなリデルの視線を感じながらも何も語ることなくアカデミーへ戻った。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る