第17話 画策-9

 リデルから連絡を受けていたという今期の統治者は、リデルの叔父にあたる人だった。一夜の宿ともてなしを受けた三人は、まだ朝もやが周囲を包む中、外に出た。


「今は神殿にも警備のものを置いておりますが、ご到着の際は扉を開け放つように伝えておきました。この後の道中もどうか、お気をつけて……」


 クラヴィスは彼の妻だという女性から神殿までの地図を受け取りながら、その後ろに立つ想像していたよりも年若い彼を見る。リデルのアカデミーでの様子を聞く姿は、慈しみを浮かべていたが、その奥にあるものは決して弱くはなかった。力でこの地を治める人の本質を知ることはあるだろうかとクラヴィスは考えた。少しでも、ルーメンにある平和な時間が続けばいいと願いながらも、彼の力を示す姿を見てみたいと素直に思ってしまった。


「ありがとうございます。皆さんもどうか、お気をつけて。もしもの時は、アカデミーへ」


 頷いた女性の微笑を受けて、クラヴィス自身も馬上の人となると、三人は振り返ることなく神殿を目指した。


 その神殿は、草原の中にありながら木々に囲まれた所にあった。傍らには澄んだ水を湛える湖もあり、秋の女神が恵の女神であることも示していた。そこでは、人だけでなく動物たちも多く集い、争いの気配など少しも感じられない。


「ここの雰囲気は、サルトスに似てるね。神聖っていうのかな。神殿てどこもこうなのかも」


「うん。開けた場所では生命たちの躍動を感じたのに、神殿の近くだからか、何となく今は息を潜めている感じ……」


 馬を降り、湖の近くにつなぐと、そこから神殿までは徒歩で向かう。説明を受けていた通り、神殿の入り口には弓を携えた警備が立っていた。三人が近づくと、何を問われるでもなく彼らの笑顔と共に扉が空けられる。礼を告げて彼らの横を抜けて建物の中に入ると、それまで辺りを包んでいた柔らかな気配は、凛としてどこか刺すようなものへと変わった。確かに感じる微かな敵意がピリピリと肌を刺す。


「なんか、僕たち歓迎されていない感じ? 」


「俺だけ、女神の末裔じゃないから……かな」


 辺りを警戒して見渡すフォルテとウェルスを庇う様に前に出たクラヴィスが眉を下げて笑って見せた。

 神子の血を引く王族のフォルテとウェルスと違い、従兄弟と言えど、母親同士が姉妹である為にクラヴィスは王家の血を引いていない。サンクティオで現国王の兄が神官長を務めるのと同じように、メディウム、そしてサルトスでも神官長を務めるのは神子の血をひくものが多い。また、オレアとゲンティアナにおいて、神官を務めるのはその地を守護した女神の末裔とされていた。そのどちらでもないクラヴィスは、ステラの中でも、今この場においても、ただ一人の例外であった。今までその事を誰も気にしたことはないし、気にするような事も起きてはいなかった。


「でも、今はちょっとだけ許してもらわないと……」


 行こうと言って再度歩き出したクラヴィスの背中を見つめるフォルテは、くっと息を詰めた。まただ、と思う。時折、なぜだかクラヴィスがまるで別人のように思う事があった。近くにいるのに遠くにいるような、自分を見ているのに他の誰かを見ているような、言葉では上手くあらわす事が出来ない感覚。そう思うのに、それは何時も一瞬で何処かへ行ってしまう。正体を掴む前に逃げられてしまう。


「クラヴィス……」


 ウェルスもそんな彼の様子に気付いたのか、じっとクラヴィスを見つめた後、フォルテを見た。その顔に浮かぶ困惑に、フォルテもまた同じような顔で首を横に振る。


「大丈夫、ちゃんと、分かってくれたみたいだ」


 良かったと胸を撫でおろしたクラヴィスの言葉通り、気が付けば肌を刺すような気配は消えていた。


「クラヴィス、何したの? 」


「何も? ただ、俺はルーメンを護りたいから力を貸して欲しいって願っただけだよ」


 そう言って振り返ったクラヴィスは、何時ものクラヴィスだった。知らずに息を詰めていたフォルテは、そんな彼の笑顔にほぉっと息を吐きだした。


「フォルテ、大丈夫? 」


「平気。それより早く奥へ行こう。女神さまの気が変わらない内にね」


 アカデミーを出る前に聞いたリデルの話では、冬石の一件から魔物の出現を警戒して警備を置くようになったが、普段のオレアの神殿には神官がいないらしい。そもそも、神官職がオレアにはいないのだとか。では、どうしているのかというと、エイレイ家が管理をしていると聞いた。統治戦に参加しないのは、それがあるからだろうか。形は違えどメディウムみたいなものかもね、と一緒に話を聞いていたカーティオが言っていたのを思い出す。


「どこまで続いているんだろう……」


 ポツリと零したウェルスの言葉と、三人の足音は石で作られた建物に吸い込まれていく。正面からでは気付かなかったが、神殿は想像よりも大きいらしく、随分歩いたがまだ最奥には届かないみたいだ。


「もしかして……」


 ピタリと足を止めたフォルテが、首から掛けていた革ひもを引き出した。その先についていた革袋の紐を解くと、中から小さな石を取り出して掌に乗せた。


「フォルテ、それ」


「アカデミーを出る時にリデルから預かって来たんだ。きっと役に立つから持って行けって」


「リデルがしてるブレスレットの……? 」


 多分ね、と答えたフォルテはぎゅっとその石を握り込むと、祈るように目を閉じた。


「こういうの……僕は得意じゃないんだけど」


 確かにフォルテは武術に長けているが、魔術が使えない訳ではない。その証拠に、すぐにゆらりと彼を包む様に魔力が立ち上り始めた。その中にリデルの気配を感じるのは、その手に握られている石の影響だろう。


「あぁ、そういう事。リデルもどうせならちゃんと説明してくれれば良かったのに。今、扉を開けるから待ってて」


 顔を見合わせた二人がフォルテにどういう事だと問う前に、周囲の景色が変わった。その様子に言葉を失う二人へ向き直ると、フォルテはにっこりと微笑んだ。


「リデルのくれた石が鍵だったみたい。これに気付かなかったら僕たちは永遠にここを彷徨っていたって事だね。帰ったら、リデルに抗議しなくちゃね」


 リデルの人生で、この地で過ごした時間は、サルトスで過ごした時間よりもずっと少ない。それを思えば、自分が託されていたその石の意味に気付くのが遅れたとしても責められるものではないのだが、永遠に彷徨っていたかも知れないなんて思うと、やはり背筋が冷える。


「えっと……程々にしてやって」


 フォルテの笑顔に、クラヴィスはやめろと言えなかった。そんな彼の横で、ウェルスが何か思い出したように肩から下げていた鞄を漁った。


「ウェルスどうしたの? 」


「俺もソリオから預かってた」


 あった、と弾んだ声と共にウェルスが取り出したのはソリオが何時も身に着けていた耳飾りだった。神子の側近を命じられた子供が代々受け継いているのだと、三人とも聞いたことがある。守護石を神子が持つように、その傍に控える子供への加護だと持たされたものだから、何時も身に着けていると。

 リデルのブレスレットを作っていた石が、オレアの神殿の鍵ならば、ソリオの持っていたそれは恐らくゲンティアナの神殿で鍵となるものだ。


「じゃぁ、それはきっとゲンティアナで必要になるかもね」


 フォルテの言葉に頷きを返したウェルスは、今度はそれを鞄にはしまわずソリオが何時もしていたように身に着けた。対の片方だけのそれは、意思を持つもののようにきらりと光った気がした。


 神殿の最奥の部屋には、女神の弓が祀られていた。翼を模したような白い弓の中心には、リデルに渡された石と同じものがはめられていた。


「リデルが弓使いなのは、女神の末裔だからかな」


 ゆっくりと伸ばしたフォルテの手が触れる寸での所で、弓から強烈な光が溢れた。目を空けていられないほどの光の中、クラヴィスは弓の前に立ち、懐から拳ほどの水晶を取り出した。すると吸い込まれるように光は水晶へと向かい、あっという間に部屋は静寂に包まれる。


「クラヴィス、それ……なに」


「二人がリデルとソリオから渡されていたように、俺もカーティオから預かって来てたんだ。女神たちの声を聞いてきてって。俺にはその意味は分からないし、言葉は分からなかった」


 手元にある水晶は、預かった時は透明だった。そして今は、オレアの草原を思わせるような淡い緑色を帯びている。


「けれど、これをカーティオに渡したら、オレアの女神の言葉、ちゃんと聞いてくれるんじゃないかな。後、メディウムとゲンティアナの女神たちの言葉も」


「じゃぁ、クラヴィスが道を決めて、神殿に寄るって決めたのは……」


「カーティオからのお使いの為って事? 」


「そうだよ。言ってなかった? 」


 聞いてない! と、フォルテとウェルスの声が重なり、神殿の中に響いた。


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