第25話 追及-7


 いつの間に眠っていたのかと、ウェルスが目を開けると、そこには眠る前にいた部屋の天井ではない見慣れない景色が広がっていた。

 ……ここは?

 城のような建物のテラスで、長い髪の女性が佇んでいる。その向こうには、迷いの森を抜けた時に見たような真っ白な雪原が陽の光を浴びてキラキラと輝いていた。しばらくその風景に見惚れていたウェルスは、ハッとしてその女性に声を掛けようとした。しかし、声が出ない。指一つ動かすことが出来ない様子に、漸く、自分が見ているのは夢なのだと思い始めた。


「姉様! 」


 女性とは反対の方向から声がして、そちらへ意識を向けると、また別の女性が現れた。ゆっくりと振り返った長い髪の女性は、彼女をソニアと呼んだ。その名には心当たりがある。いつか絵本の中で見た夏の女神の名は、確かソニアだった。彼女は恐らくその名が示す通りの存在なのだろう。ならば、彼女に姉様と呼ばれた女性は一体。


「私は認めない。姉様一人だけが犠牲になるなんて! 」


「犠牲にだなんて、なるつもりはない。人の子らの可能性を信じているだけだ」


 詰め寄るソニアを優しく抱きしめ、その髪を梳く女性は慈悲深い表情を浮かべていた。縋る様に女性の胸に顔を埋めたソニアは声を震わせている。


「そのまま永遠に捕らわれてしまったら……」


「その時はその時だ。我がおらずとも人の子らがそこにあり続けるのなら、それでよい」


「でも……でも」


「ソニア、我の、ゲンティアナの子らを頼んだぞ」


「……分かり、ました。私が必ず姉様の愛したこの地を護ってみせる」


 そう言って意志の強いまなざしでソニアが女性を見上げた所で、ウェルスの視界は次第に歪み、黒に染まる。そんな中、最後にあの髪の長い女性と目が合った気がした。


 今度こそ、本当に目を開けたウェルスの視界には、眠る前に見ていた広い部屋の天井が映った。身体を起こすと、頬を伝うものがある。


「なんで、俺、泣いて……」


 夢というには鮮明な記憶に、知らず知らずのうちに流れた涙は、ウェルスを戸惑わせるには十分だった。無意識のうちに触れていたソリオから預かった耳飾り。不思議な夢を見たのは、この女神の加護を受けた耳飾りのせいかも知れない。そう思うと、何となく熱を帯びているような気がして、そっと外して掌に乗せる。しかし、小さなそれはソリオの手から受け取った時と変わらない姿をしていた。


 やはり朝食の席にもいなかったクラヴィスは、ウェルスとフォルテが出掛ける準備を終えて館の外へ出ると、門のところで二人を待っていた。まだ他の目があったからか、二人を見つけたクラヴィスはその場で腰を折った。彼へ近づいた二人とおはようと挨拶を交わして微笑むその姿は、心なしか元気がないようにウェルスの目に映る。


「クラヴィス、なんか疲れてる? 」


 ウェルスが首を傾げるとクラヴィスは、乾いた笑いと共に困ったような顔をした。


「昨日は精霊たちがうるさくて……中々寝かしてくれなかったんだよね」


「それ、ここに来た時は何時もの事じゃない。それにしても、ここの精霊たちに異様に好かれてるよね、クラヴィス」


「嫌われてるよりいいけどね」


「そう言えるところがクラヴィスだよね。普通の人が精霊たちに好かれたら、逃げたくなるんじゃない? 」


 そうかなぁと答えながら、クラヴィスはフォルテへと手を差し伸べた。ごく当たり前のようにその手を取ったフォルテを馬に乗せると、自分もその後ろに上る。そんな光景は、一緒に旅をする中で何度も見てきたはずなのに、今日に限って何故だかウェルスの心臓を跳ねさせた。自分の目で見ているのに、まるで他人事のような、不思議な感覚だ。


「カーティオはどうなんだろうね。ウェルス、知ってる? 」


「あ、えっと……俺が居るからか、カーティオが呼んだ時しか部屋には来ないよ」


 急に水を向けられて我に返ったウェルスは、同室の彼の事を思い出す。改めて考えてみると、学舎内では彼の周りを遠慮なしに飛び回る精霊たちは、寮の二人の部屋では見かけない。


「そうなんだ」


 クラヴィスへ頷きで答えながら、ウェルスも二人に倣って自分も馬に乗り手綱を握りしめた。ティエラと運命を共にするつもりでサルトスから出るつもりがなかったウェルスにとって、乗馬の訓練は無駄なものの様に思っていたが、今では良かったと思っている。馬上から見える普段より遠くまで見渡せる景色も気に入っている。

 今日の目的地である神殿までの道は整備されているらしく、昨日のように雪道を歩かなくても済みそうだと少しほっとした。


 クラヴィスが馬を用意していた事から、神殿まではかなりの距離だと思っていたウェルスは、拍子抜けしてしまった。屋敷を出て、馬をゆっくりと歩かせて向かったそこは、陽が真上の差し掛かる前に到着したのだ。


「馬に乗ったから、もっと遠いのかと思った」


「長老たちの手前、二人を歩かせるわけにはいかなかったんだよね」


 神殿というより、城のような建物を見上げながらため息を吐いたクラヴィスは、共に乗るフォルテにねっと同意を求めた。


「ここの人たちは、そういう階級的なものにうるさいんだ。ただ、生まれた家が違っただけだなんて、間違ってもこの地で言えない。理由は僕にも分からないけれど」


「だから、ここにいる間はあくまで俺は従者ってことで。ウェルスもそうして」


「なんか、改めてそうしろって言われると難しいな」


 フォルテを残して馬から降りたクラヴィスは、そのまま馬を引き、豪奢な門の前へ進む。すると、人影もないのに門がゆっくりと開いていく。ありがとうとクラヴィスが口に出すと、彼の周りに光が集まってきた。それが迷いの森で見たものと同じで、ウェルスにも精霊の存在が分かり、ノイアの神殿には精霊たちが居るという言葉を思い出した。なおも光はクラヴィスの周りを舞いながら三人と共に進み、建物の扉も触れる事無く開かれた。


「ここ、神殿っていうより、城って感じだよね」


「実際に女神がここに住んでいたって言い伝えられているらしいよ。何時か帰って来られるように『パトリア』って名付けられてる」


「帰る場所……か」


 願いの籠った名だからだろうか、ウェルスにとって初めての場所のはずなのに、何処か懐かしい思いを抱いた。


 精霊たちの光に導かれた三人が辿り着いたのは、アカデミーのサロンを思わせるような大きな部屋だった。陽の光が差し込む部屋の大きさに相応しい窓からは、自分たちが滞在していた街とその向こうに雪原が広がる。それらを望むことが出来る位置に、祭壇が設けられ、女神の化身とも言うべき宝杖が置かれていた。夕焼けと同じ色をした宝玉は、ソリオから預かった耳飾りと同じものだろうか。

 吸い寄せられるように祭壇へと近づいたウェルスは、あっと声を上げた。その場所からの景色に見覚えがある。昨晩見た不思議な夢と同じそれ。手を伸ばしたウェルスの指先が宝杖に触れようとした時、精霊たちの光が強い輝きを放ち彼を包んだ。咄嗟にウェルスへと伸ばしたクラヴィスの手は、彼を捉える事無く空を掴む。


「ウェルス! 」


 クラヴィスの叫び声が強い光の中に吸い込まれていく。それと共に、確かにそこに居たはずのウェルスは、気配すら残さず消えていた。


「クラヴィス、ウェルスは? 」


 何が起こったか理解できずに立ち尽くしたフォルテがようやく発した声に、クラヴィスは力なく俯いて首を横に振る。自身を落ち着かせるように大きく息を吐いたフォルテは、クラヴィスの下へ歩み寄るとその手を取った。


「とりあえず、ここで待とう。今はそれしか……」


 俯いたままのクラヴィスが頷くのを見て、同じように頷いたフォルテは、彼の手を引いて部屋の入口まで下がった。扉を背に二人で座り、祭壇を見つめる。無言のまま時が過ぎていく中、その静寂に耐え切れなくなったのかクラヴィスが口を開いた。


「フォルテは、冬の女神の存在を信じる? 」


 春の女神の加護を受けるフォルテには愚問だろうか。そんな事を思いながらも、それでもクラヴィスは問わずにいられなかった。フォルテはそんなクラヴィスの横顔を眺めながら、今まで口に出す事のなかった想いを打ち明けた。


「信じるっていうのとは違うけど、居ないことに違和感を覚えた事はある」


 ルーメンに伝わる女神たちにまつわる話は数多くある。そして、そのどれにも冬の女神の存在はない。だが、ルーメンには四つの季節が確かにあるのだ。


「リデルとソリオはどうか分からないけれど、僕は加護を受けていると言っても、その力みたいなものは正直持っているかどうかなんて分かんない。だから、当然、女神の記憶を持ってるなんてことはない。それでも……その存在はあった、と思うんだ」


 まるで禁忌であるかのように隠されてしまったと、そう思うほどに触れられることのない存在。


「そういうクラヴィスはどうなの? 信じてる? 」


「うん、俺は信じてる。何故って聞かれても困るんだけど、居るって、ちゃんと見てるって信じてる」


 そう言いながら、微かに熱のこもった眼差しを祭壇に向けたクラヴィスの横顔をフォルテはさして驚くことなく見つめた。幼い、それこそ物心の付く前から共にいる従兄弟の存在が、遠いものだと感じる事がある。今もそうだ。そこを見ているようで、もっと遠いところを見ているような、そこに居るのに居ないような、自分自身でも上手く説明が出来ない思いを抱く事があった。きっと彼には自分には見えていないものが見えているのだと、何時だったか、フォルテはそう理解した。

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