第24話 追及-6


 所々、岩の転がる何処までも開けたそこには真っ白な雪が降り積もっていた。空は鈍色で、決して明るくはないが、薄暗い森と比べれば格段に明るい。雲の隙間から漏れ出る光は、白い雪の絨毯をキラキラと輝かせていた。息をするのも忘れてしまったかのようにじっと見つめていたウェルス、彼の口から次に出た音は、詩だった。


「白き世界は停滞の護り。祈れ、未来の光、芽吹く命の灯に。わが身を糧として」


 歌う様に紡がれた音は、冷えた空気の中に溶けるように消えていく。


「ウェルス、それは? 」


 真っ直ぐに雪原を見つめるウェルスの横顔に、ほぉっと息を吐いたフォルテが問いかけた。彼の言葉が、心の内から出たものであったのかと思ったのだが、そうではなかったらしい。


「うん、サルトス王家に伝わる詩。詩の存在は知っていたのに、その意味とか何も知らなかったんだけど……。今、この景色を見たら、なんだか、これの事を言ってるみたいだなって思って」


「そうなんだ。でも、不思議だね。ゲンティアナの景色を歌った詩がサルトスの、それも王家に伝わってるなんて」


 その言葉に、ハッとしたようにウェルスは首を傾げるフォルテを見た。言われてみればそうだ、ウェルスの知るサルトスは、深い緑の葉と木々の色で満ちていた。雪の存在は知っていたが、それを目にしたことはなく、ウェルスにとって本の中のモノでしかなった。だからだろう、白い世界が何を意味するのかは、想像すらもしたことがなかったのだ。

 知らないことを不安に思ったことはいくらでもある。だがこれは、まるでそう……恐怖だ。


「サルトスに雪は降らないし、緑の葉は永久のように思えていたけれど……なんでだろう。でも、シルファでもどうかな……。母様の傍に着くのはアカデミーを卒業した後だから」


 知らないことで何かを見失っている感じがして怖いと思うのだ。そう思ったとたん、震え出しそうになる身体をウェルスは自分の腕で抱きしめる。そんなウェルスの肩に温かなクラヴィスの手が添えられた。


「じゃぁ、それはアカデミーに帰ってから、調べてみるっていうのはどう? 俺も手伝えることがあったら手伝うしさ」


 たったそれだけ。それだけの事で、ウェルスは暗闇の中に落ちそうな自分を引き上げられたような気がした。


「僕もちょっと興味あるから、一緒にやろうよ、ウェルス」


「あり、がと」


 クラヴィスとフォルテ、二人の笑顔の向こうに広がる白い世界に、吸い込まれそうだとウェルスは思った。


 雪が積もるそこに道のようなものは見えないが、変わらず先頭を行くクラヴィスには分かっているようだった。何故迷わないのかとウェルスが聞けば、所々に無造作にある岩が、実は道標なのだと教えた。それを知らなければ、運よく森を抜けたとしても、雪原の中で方向を見失う事になるのだという。加えて、永久凍土のこの地では、寒さに対する備えをしていなければ、早々に凍えて身動きが取れなくなる。自然と精霊たちの力を借りたそれはまさしく姿のない城壁であった。

 いつの間にか無言の中で歩を進める三人の間には、サクサクと雪を踏みしめる音だけが響いていた。次第に傾いた太陽が白い雪原を柔らかな橙色に染めていく。世界を照らすのは同じ太陽だというのに、時間に寄って、場所に寄ってその顔は様々だ。オレアの草原を照らした夕陽は、命の躍動を感じさせるような力を感じた。今、ゲンティアナの雪原を染める夕陽は、全てを包み込むような温かさを思わせる。


「俺さ、なんでずっと寒いゲンティアナに夏の女神なんだろうって思ってた」


 サクサクと足音は変わらず響く中、一番後ろを歩くウェルスが穏やかな口調で言葉を紡いだ。初めて真っ白な世界の中で優しい笑顔を浮かべる女神の姿を見たのは、幼い頃に母が読んでくれた絵本の中だった。ルーメンの創造の物語で語られる女神たちは、慈悲深いものとして描かれていたが、それはきっとルーメンの民に向けたものだったからなのだろう。


「きっと、ゲンティアナの民にとって夏の女神は、憧れで、救いだったんだね」


 雪と氷に閉ざされた世界で、芽吹く緑はあるだろう。けれど、一面の緑は決して見ることはない。刻一刻と暮れていく雪原は、すぐに太陽などまるでなかったかのように暗く冷たいものへ変わる。暗がりの中、月と星の灯りを反射するそこは、何ものも拒絶するような美しさとなる。

 救いか、とフォルテが呟いた。願い祈る事が決して間違いだとは思わないけれど……。


「自分にないものを望むのは、どうしようもない事かもね。って、ほら、着いたよ」


 だが、クラヴィスが指差した先には、これまでと変わらない雪原が広がっている。


「見ててウェルス。きっと今まで以上に素敵な景色が広がっているから」


 首を傾げたウェルスに、くすりと笑ったフォルテがクラヴィスをつついた。こくりと頷いたクラヴィスが、何もない目の前の空間をを確かめるように掌を滑らせた後、扉を叩くように拳を振った。その場所から波紋が広がる様に空間は波打ち、その波が消えるとその向こうには、夕焼けと同じ色の灯りに照らされた街があった。雪原を染めた色と同じ、だが、暮れ行く雪原を見た時のどこか寂しさを覚えたのとは違うもの。ここには命の躍動を感じさせる温かさがある。そう思えた途端、ウェルスはなぜか泣きたい気持ちになった。

 街に入った所で、老齢の男性が数人の伴を連れて三人を出迎えた。ゲンティアナの長老衆を纏めるノイアだ。それまで先頭に立っていたクラヴィスは、さっと二人の後ろに控えて膝を付く。


「お待ちしておりました、フォルテ様。そちらがサルトスのウェルス様ですね」


 ここでの扱いは、あくまで王族とその従者という事なのだろう。メディウムでもそうではあったが、それよりも強い線引き。アカデミー内では友人として対等な立場で付き合ってきたウェルスは、どうしても、そんなクラヴィスのふるまいに慣れないでいる。戸惑いながらもノイアに頷いて見せたが、フォルテは慣れた様子でにこりと笑った。


「精霊たちから聞いてると思うけど、明日は神殿に行きたい。僕たちだけでも構わないけれど、そちらがよしとされないのなら同行を。後、クラヴィスに関して、神殿内では僕と同等に扱う様に。彼がいないと役目が果たせないから」


「承知いたしております。神殿には精霊たちがおりますので、私共はこちらで控えております」


「うん、ありがとう。助かるよ」


 フォルテの言葉に、ちらりとだけクラヴィスを見たノイアだったが、それ以上、声を掛ける事もなく踵を返した。

 ウェルスがフォルテと共に案内されたのは、メディウムと同等の賓客を迎える部屋だった。今の建物に入ったのも二人だけだったし、食事の時も居なかったから、クラヴィスはまた別の場所にいるのだろう事は分かった。

 アカデミーにいて出自を全く気にしなかったと言えば、そうではないが、ここまであからさまにされるとウェルスは戸惑ってしまう。メディウムでも思ったが、フォルテとクラヴィスはその辺は慣れている。まだ、もう少し先の事ではあるけれど、自分も何時かは王族の席を離れて神官になるだろう。そうなった時、兄弟と言えども、シルファやティエラと気軽に話をする事も出来なくなるのかも知れない。何時までも、今のままではいられない……分かっている。


「俺も、そうすべきなんだよな」


 ウェルス自身、自分には何もないような気がずっとしている。神子の三人はもちろん、リデルやフォルテ、ソリオ……彼らは女神の加護を得ている。クラヴィスは自分の歌が必要だと言ってくれたが、目の前で見た彼の力と比べて、やはり、自分だけが何も持っていないのではないかと感じてしまう。一人、広い部屋の中でベッドに入ってみたが、どんどん沈んでいく思考に、ウェルスは大きなため息を吐く。しかし、それではいけないと、そんな思考を振り払う様に目を閉じた。眠れないような気がしていたが、朝からずっと歩いてきた身体はしっかりと疲れていたようで、すぐに意識は遠くなっていった。

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