第50話 想起-10
祈りが届いた日以来、夜になると神殿のあった場所を訪れるのがソリオの日課になっていた。中央に座り、何をするでなく、祈りの力と神気を感じるだけであったが、今日は違った。
「寝られないのか? 」
「リデル、それはそのままお前に返すよ」
ゆっくりとした足取りでやってきたリデルは、断ることなくソリオの隣へ同じように腰を降ろした。ぽっかりと開けたここからは、夜空が良く見える。春の気配を感じながらも、しんと冷えた夜空は星々を綺麗にか輝かせていた。
「なぁ、女神の記憶ってどうすれば得られるんだ? 」
夜空を見上げたままの言葉は、冷えた空気の中に溶けていくようだった。
「時が来れば……って言えればいいんだけど、何がきっかけだったのか分からない。俺は、ここに立った時だったけど、そのまえにカーティオたちと来た時には何も起こらなかった」
ソリオはその時を思い出す。
あれは、今と同じようにこの場所に座り、空を見上げていた時だった。片方をウェルスに渡した耳飾りは、何かが抜け落ちた感じがして落ち着かなかった。それから渡した方の耳へ触れることが多くなっていたのを、リテラートに言われるまで気づかなかったが、気付いてしまうと気になってしまう。ほぉっと息を吐き耳朶へ触れた時、確かにそこにないはずの耳飾りの存在を感じたのと同時に、脳裏に失くしていた記憶が流れ込んできた。そして、自分の無力さに悔しくて泣いた記憶の中のソニアと共に、声を上げて泣いていた。
「今の俺は、女神の弓を使えるってだけで何も持っていないんだ。だから、せめて女神の記憶だけでも得られたらって思ったんだけど……」
ミルの弓を手にした時、もしかしたらそれが得られるのだとリデルは思っていたが、違っていた。何かのきっかけが必要なのかもしれないが、それが分からない。今のままでは、皆の足手まといにならないかと不安なのだ。
「リデルの弱音。初めて聞いたかも……」
「そうか? 」
「何時も、なんか冷静だなって思ってたんだけど」
「そうありたいとは思っているけど、実際はそんなことない。何時も迷う事ばかりだよ。誰かの、何かの特別になりたいと思っていても、自分にその資格があるのかと思うと、何時も踏み出せずにいる」
魔力を自覚なく使っているとカーティオに言われた時、リデルは可笑しなことだが少し嬉しいと思っていた。エイレイ家の長男は黄昏の神子の側近として召し抱えられる事が決まっているから、別にリデルだから選ばれた訳ではない。生まれから選ばれたが、その実、自分には何もないとずっとそう思っていたから、魔力を使う事が出来るというそれだけでも特別なように思えた。
「特別なんて……そんないいものじゃない」
王家の無いゲンティアナで、家柄が人の優劣を決めるものだった。王家や貴族がいる国よりもそれは強く、どんなに魔力が高く、その扱いに長けた物でも、長老衆と呼ばれるゲンティアナの自治に携わる家系以外の出身者は要職には着けない。そんな場所で、辺境の村で生まれたソリオの存在は、長老衆とそれに連なる者にとっては疎ましい以外の何ものでもなかった。
「体裁を繕うために、長老家の一つに養子になった。両親は村の存続を盾にされて断れなかったらしい」
「そんな、ばかな……」
「そう、馬鹿げてる。でも、争いを好まないというゲンティアナの現実はそんなものだ」
幼い頃に生まれ故郷を離れた経験はリデルもソリオも同じであったが、その状況は恐らく違うのだろうと、先程の話からリデルは感じていた。
「ソニアはそれでもティアナの代わりにゲンティアナの民を愛そうとしたの」
「……えっ」
二人だけだと思っていたその場所に、気付けば一人の女性が立っていた。光を浴びた草原を思わせる緑の髪が星明りで輝いている。その姿は物語の中で見た女神ミルと同じだった。
「もっと、ちゃんと出来ていたら、あなたも、ゲンティアナの民も……苦しまずに済んだのかしら」
「どうして……」
「記憶だけではティアナの願いを叶えられないから。この場所であなたが私を望んでくれてよかった」
穏やかに微笑むその瞳はリデルを捉え、ゆっくりと近づくと女神の加護があしらわれたブレスレットを指先で撫でた。
結実の力を持った女神ミルは、女神たちが人と交わる手助けをしたという。だが、ゲンティアナの民とソニアは簡単にはいかなかった。ティアナの事が思い出せなくとも、その心の奥にはゲンティアナを愛した彼女への想いが強く残っていた。悩んだ末、二人はソニアと結びつきを持つ一族に特権を与えることで解決を試みた。その結果、無事に女神の血筋は続く事となったが、その時に与えたそれが今でも色濃く残ってしまったのだろう。
「あの時は、あの方法でしか道を見いだせなかった。でも、それがあなたを苦しめてしまったのなら、ごめんなさい」
ソリオはミルの謝罪に首を横に振った。きっと、それは人が人であるからで、ミルの、ソニアのせいではなかっただろう。
「それは仕方のないこと、あなた方を責めるのは違う。だけど、教えてください。俺は一族の出身でないのに何故、加護を受けて生まれたのでしょうか」
「恐らく一族と道を違えた者が過去にいたのでしょう。間違いなく、あなたはソニアの血族よ」
裕福ではなかったけれど、村の人たちが支え合い穏やかな日々を過ごした記憶は今もソリオの中にあった。最初こそ捨てられたと思いはしたが、年を重ねるごとに自分の存在が両親の重荷になっていたのではないかと思っていた。父はサルトスの人だったから、恐らく、一族の地を引いているのは母だったのだろう。
「そう……ですか」
そうか……と呟くように微笑んだソリオの頭を優しく撫でたミルは、その手で耳飾りに触れた。すると、一筋の光が地面へと真っ直ぐに伸びた。
「これは祈りの力が通った道。確かに時の狭間とこの場所を繋いだもの。そして、それを作ったのはティアナが選んだ彼女の加護を受ける者」
「ティアナの加護……もう、選ばれていると? 」
リデルの質問に頷いたミルは、彼の手を取ると、その手に矢を三本渡した。取られた手を見るとブレスレットの石が減っている。ミルは自らの加護を込めた石を使い矢を作ったのだ。
「これでティアナを時の狭間につなぐ鎖と、加護を受ける者の枷を砕くの。そして、女神と人を隔てる壁を壊して真なる加護を彼の者へ」
「それはいったい」
「この森……黄昏の神子と対で生まれた、月の王子」
「ウェルスが……ティアナの加護を受ける者」
「私の役目はここまで……」
ハッとして顔を上げたリデルの目に映ったのは、その存在が薄く透き通っていくミルの姿だった。
「私は記憶が作り出した幻、役目を終えたら消えるだけ。けれど、愛しい子、ずっとあなた達を見守っているわ」
突然の邂逅は、その終わりも突然だった。
ミルが消えると共に、彼女が作り出していた柔らかな光も消え、森には静寂が訪れた。残された二人は、しばらく唖然と彼女が確かに居たあたりを見つめている。もしかしたら、夢だったのではないかと思うほどにそこには何もない。だが、リデルの手には、彼女が作り出した三本の矢と、石の減ったブレスレットがあった。
「えっと……」
手の中の矢を見つめ、リデルは何かを言わなければと言葉を探すが、中々出てこない。とりあえず、自分は記憶以上の事を得たが、それに伴う責任のようなものがじわりとのしかかってくる。
「ウェルスが加護を受け取って、それで冬石の問題が解決できるといいのだけれど」
言いながら立ち上がったソリオは、リデルに向かって手を差し伸べた。それを受けてリデルが立ち上がると、後ろから足音がして二人は振り返る。
「森が騒いでいたから……それに、リデルが帰ってこなかったし」
近くにあった木へ掌をつけると、瞳を閉じたティエラは、ふっとその顔を緩めた。
「そっか……ウェルスが……俺も」
「ダメだ」
「まだ言ってない」
「どうせ、行きたいって言うつもりだっただろう」
答えを先回りされ、むぅと頬を膨らませたティエラがソリオを見るが、ソリオは苦笑いで何も言わない。普段だったら、ティエラの援護をするが、今回はとてもそうは出来ない。
「分かってくれ、ティエラ。お前が魔物の手に落ちたら、アカデミーもサルトスも全て魔物の餌食になる」
俯き、はぁっと大きなため息を吐いたティエラは、顔を上げたかと思うとニヤリと笑う。
「じゃぁ、その代り、絶対に帰って来て。クラヴィスも一緒に。そうしたら、とっておきのコーヒーをごちそうするよ」
「あぁ、ついでに街でティエラの好きな菓子を買って来よう」
そうして微笑を交わす彼らの約束を後押しするように、木々がさわさわと葉を揺らした。
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