第19話 追及-1


 海側に突き出したようにあるバルコニーの手すりに座り、クラヴィスはじっと、ただじっと真っ直ぐを眺めていた。星の灯りだけが頼りの中、その足元さえも暗く何処までも続いているように思える空間。顔を上げれば標のような星たちが居るというのに、その先はどこまでも続いて果てが無いように思えた。海に面した断崖絶壁、暁の神子の為に建てられた神殿から見る景色は、きっとルーメンのどの神殿から見える景色よりも美しい。辺りは徐々に明るくなり、空と海の境目をあらわにする。限りの無い水平線の向こう、微かに白んだ空は刻一刻と色を変えていく。その中、一瞬だけ、空は紫を帯びる。


「……っ」


 そしてまた、色を変えていく空は、何時しか淡い青になっていた。


 メディウムに着いたのは昨日の事だった。

 王宮に入って早々に臣下たちに囲まれたフォルテは、当初の予定通り王族としての仕事をこなさなければならなかった。冬石の事があっても、無くても、この帰省はその為だ。予め分かっていた事にさして驚くことなく、クラヴィスに後はよろしくと言って王宮の奥へと連れられて行った。ウェルスはなすすべもなくそれを眺めるしかなかったが、フォルテの姿が見えなくなると苦笑を浮かべてクラヴィスを見る。


「何時もこんな感じよ。大丈夫……えっと、ウェルスの事よろしくね」


 すぐに彼らの下へ来たフォルテ付きの侍女は、二人に恭しく頭を下げるとこちらですと踵を返した。クラヴィスにとっては久しぶりの勝手知ったる王宮だが、サルトスとは違った造りのここはウェルスには珍しかったらしい。木材をふんだんに使った温もりのある建物と違い、石で作られた建物はどこかひんやりと冷たい印象だ。案内を受けながら廊下の端に寄ったウェルスは、ペタペタと石の壁を触っては、ふっと笑みを漏らす。


「気持ちいい」


「でしょ! 俺は自分の家に帰るつもりだけど、ウェルス一人で大丈夫? 俺、ここにいた方が良い? 」


 クラヴィスの過保護は、今はいないフォルテではなくウェルスに向けられたらしい。矢継ぎ早に心配だと告げるクラヴィスに、ウェルスは苦笑いする。


「そんなに心配しなくてもいい。そこまで子供じゃないし」


「それもそっか。多分、何日かはフォルテ動けないから、その間は街を案内するよ。行きたい所とか見たいものあったら教えて。二人でカーティオの用事済ませてもいいけど、それするとフォルテに怒られそうだからやめとこう」


 クラヴィスに寄れば、フォルテは当初の予定では一か月程をかけて行う公務を、必要な分だけをこの数日に詰め込むらしい。きっと終わった後はとても不機嫌だよって困った顔をしたクラヴィスに、ウェルスもその様子が当たり前のように浮かんで、二人で顔を見合わせて笑った。

 通された部屋の前でクラヴィスと別れ、ウェルスが入ったそこは寮の何倍も広かった。アカデミーに入るまで、同じような部屋にいたが、その時はティエラと一緒だったので、どこか寂しいと思ってしまったのは仕方ない。一人の方が気楽だと思った事もあったが、本当に一人になると案外つまらないものだなと、ベッドに身を投げ出したウェルスは思った。


 クラヴィスの言った通り、フォルテは五日目の朝になって漸く二人に合流した。

 その日、朝食をともにと言われていたクラヴィスが、朝早くに王宮に上ると既に二人の姿は食堂にあった。本来なら、クラヴィスが同じ食卓に着くのは許されないが、そこはフォルテの一言で解決した。クラヴィスが促されるままに席に着くと、ウェルスはフォルテにもういいのかと問うた。その言葉に頷きと共に苦笑し、うんざりと言った姿に、同じように二人が苦笑を返したのは言うまでもない。


「僕がいない間、二人はなにしてたの? 」


「クラヴィスに街を案内してもらっていた」


「よもやカーティオの用事済ませてないよね? 」


 フォルテの言葉に、顔を見合わせた二人は思わず噴き出した。


「なに? 」


「ううん、何でもない。大丈夫、フォルテをのけ者になんてしてないから。それは三人で行こうと思って待ってたんだよ」


「……それならいいけど」


 納得しているようでやっぱり不満を顔に乗せたフォルテは、目の前の朝食を優雅に口に運んだ。


 既に旅支度を済ませて来ていたクラヴィスは中庭で二人を待った。

 本格的な冬の訪れに身構えた様な庭、そこに咲く花は多くなく、必然的に緑で囲まれている。色とりどりの花で彩られたこの場所が美しい事はクラヴィスも知っているが、その季節にはアカデミーに居て、後数年は見る事は叶わない。そして、その数年後には、ここに自由に入る事は叶わなくなっているだろう。もう、その頃は『子供』ではなくなっているから。それでも、この場所の美しさを知らなければよかったとは思わない。知っているからこそ、大切にしたいと思うから。


「クラヴィスお待たせ、行こう」


 振り返れば、王子としての豪奢な衣装をまとったフォルテではなく、自分と同じように動きやすい旅装束を身に着けた彼がいた。彼もまた、数年後にはあの衣装や王冠で自由には動けなくなるのだろう。でも、今は……。


 春の女神の神殿はメディウムを見下ろすような場所にあった。王宮を中心に広がる街並みの向こうには、暁の神殿と何処までも広がる空と海が見える。


「すごい……」


 神殿の入り口に立ち、自分たちが先ほどまでいた街を眺めてウェルスが溜息を吐いた。森に囲まれたサルトスには海がない。海を見るのも初めてだと言っていたウェルスは、白い街並みとその向こうにある二つの青に目を奪われた。


「僕は、この国を護りたい。もちろん、ルーメン全土を愛しているけど、僕の国はここだ。ここを僕の出来る限り護る事が、ルーメンを、皆を護る事だって思ってる。今、何が起こっているかなんて考えても分からないし、そんな無駄な時間を過ごすなら、僕は動く。出来る事をそのままにしていたくない」


 ウェルスもそうでしょ、と続けたフォルテは、にっこりと笑って見せた。


 神官たちの案内を受けて神殿の最奥に入った三人。本来なら王族しか入れない場所だが、フォルテがルーメンの危機を救うためと説明してウェルスとクラヴィスの入室も許可してもらった。


「ここの鍵はいらないんだね」


「神官たちが居るからじゃないかな。オレアの神殿、『今は』警備を置いてるって言ってたから、普段は無人なんでしょ」


 なるほどね、とウェルスが納得して頷く間に、クラヴィスは祭壇の上に飾られている腕輪に近づいていく。少し緊張した面持ちでカーティオから預かった水晶を取り出すが、何も起こらない。オレアでは近寄っただけで神器の弓が輝きを放ったが、今、目の前にある神器の腕輪の輝きはその装飾によるもの以外にはなかった。


「フォルテ、こっち来て」


 首を傾げ、しばらく考えていたクラヴィスがフォルテを呼ぶ。言われるままに隣に立ったフォルテの耳を飾るピアスに、クラヴィスがそっと触れた。その途端に周囲に光が溢れ、それはクラヴィスの手にしていた水晶へ吸い込まれるように入っていった。その様子を後ろで見ていたウェルスが、ほぉっと息を吐いた。


「鍵はこっちで必要だったって事か」


「みたいだね。そういう事なら、扉にしても、神気の解放にしても次はウェルスにお願いしないとだね」


「分かった」


 神殿を出た三人は、その足でゲンティアナを目指して馬を進めた。



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