第5話 兆候-5


 主の命を携えた水の精霊は、一路、東を目指していた。

 人が馬を使っても数日掛かるその距離は、精霊達にとっては半日とかからない。アカデミーを出た頃は真上にあった太陽は、随分、西に傾いでいるから、そろそろサンクティオの神殿が見える頃のはずだ。


「っ!? 」


 神殿のある場所を見据えて精霊は、魔力の迫る気配に咄嗟に身構えた。膨大な魔力の正体を探ろうと感覚を研ぎ澄ませてみれば、今まさに神殿を中心とした結界が展開され、徐々にその範囲を広げている所だった。自分はメディウムの神子の使いだから、結界に飛ばされることはないかも知れない。けれど、大丈夫だという保証はどこにもなくて、最悪の場合、消されてしまう事もある。


「どうしよう……」


 主人であるカーティオの顔が浮かぶ。なぜ自分がここにいるのかを考えれば選択の余地はなかった。やはり、カーティオに名を付けて貰えばよかった、と、迫る結界の領域に精霊は思う。それが、存在を名付けた相手に委ね、相手が死ねば、自身も消滅することになったとしても、ただ漂うだけの存在だった自分を認めてくれたカーティオならばそれでも良かった。しかし、それを当のカーティオはよしとしなかった。人よりも長く、長く生きる存在を縛る訳にはいかないと……。


「ここで消えたら、どうしてくれるのよ! 」


 絶対に戻ってやる……と、精霊は結界領域に向かって飛んだ。ぶつかると思った瞬間、瞳を閉じてその時を待ったが、それは何時までもやってこなかった。結界を潜り抜けたらしく、恐る恐る目を開ける。

 目前に広がるサンクティオの街並みは、相変わらず美しいまま、そこにある人間達の活気も何ら変化は見られなかった。どういう事だ? と精霊は頭を捻る。神殿からあれだけの大規模な結界が展開されたというのに、サンクティオの民たちは何事もなかったように日常を繰り返している。

 そう言えば聞いたことがある。人間の中にも魔術を使うのを得意とする者と、そうでない者がいて、それは国によっても違うのだと。

 精霊が主としているカーティオは、魔術も武術も得意で、魔術に至っては人間たちがマスターと呼ぶ程の使い手だ。しかし、その一方で弟のフォルテは、武術は得意だが魔術は余り得意ではないらしい。メディウムでは魔術と武術の得意不得意にあまり偏りはないようだが、サンクティオでは魔術が得意な方がまれで、だからと言って武術に秀でるものもさほど多くはない。所謂、普通の人達が多く、その為、国内では剣術を習得する者が多くなる。あれだけの魔力の波が通り過ぎても人々が気付かないのは、そういうの事なのだろう。

 しかし、結界が展開されたのは事実だ。守護石たちに訪れた変化と、サンクティオの現状が無関係だとは思えなかった。とにかく急がなくては、と精霊は神殿を目指した。


 神殿に近づくにつれ、放出される魔力が強くなっていく。一体、何にこんなに使う事があるのだろうかと考えて、思いつくのは理を捻じ曲げようとすること。

 見えてきた神殿の前に人影がある。見覚えのあるそれは、この国の国王と王妃のものだ。王妃は確か神官の出だったはずで、近づけは恐らく気付くだろうとその人影に向かって一筋に飛んでいく。


「貴方は……」


 声を掛ければ届くだろうという距離に来て、ルウィアが精霊の存在に気付いた。それに応える様にくるりと回転して見せれば、両手を差し伸べられて、素直にその手に乗る。


「もしかして、アカデミーに何か……」


 精霊が纏う魔力がカーティオのものだと気づいたのだろう、ルウィアは眉を寄せて恐る恐る精霊に訊ねた。ふるふると首を振った精霊は、カーティオに渡された魔力と共に彼からの言葉を乗せる。


『メディウムのカーティオです。これがトルニス王、もしくはルウィア王妃の下に届くと仮定してお話しております。今朝から、私の持つものをはじめとする守護石全てが光に包まれるという現象が起きています。我々が感じるその光に悪意的なものはありません。また保有者である我々にも変化はございません。しかし、初めての事であり、季節が移ろう時期である事から、念のため冬石の状況をお伺いしたく遣いを飛ばしました。そちらにお変わりはございませんでしょうか。有事となればアカデミーの封鎖を視野に我々は動き始めます……が、何事も起きていない事を願わずにはいられません。お返事をお待ちしております』


 カーティオからの伝言を二人は顔色一つ変えずじっと聞き入っていた。そうして全てを聞き終えた時に、トルニスがほぉっと息を吐く。精霊にはそれが安堵とも、諦めとも取れた。


「精霊殿、ご苦労であった。申し訳ないが、このまま取って返し、カーティオ殿はじめとする神子たち、そしてアカデミーで暮らす子供たちへお知らせ願いたい。冬石に亀裂が入った。サンクティオはゲンティアナの協力の下、冬石の時を止める術を施している最中であると。この先、どのような事が起こるか想像がつかない……。その為、今年の冬はどうか、アカデミーの結界を強化し、そのまま留まって欲しいと……」


 ひゅぅっと息を飲み込んだ精霊に、トルニスはぐっと拳を握りしめ、ルウィアが瞳を伏せた。


「どうか……ルーメンの子らを……」


 その言葉に精霊はルウィアの頬へ口づけると頷いて見せた。ありがとうと呟くように吐き出された言葉は震えていて、精霊を手にするルウィアの肩をトルニスがぐっと抱き寄せた。

 王族としての勤めと、親として出来る事は時に相対するものであった。いずれはその手を必要としなくなるとしても、親である事には変わりがないのに、王族というだけで手を差し出す事すら許されない時もある。理解していても、納得の出来ない事も……。

 それでも、王族としてあるからには、国民を護る事を優先しなくてはならない。自身も父王から教えられ、それを子であるリテラートに説いてきた。サンクティオの王子として、何より、守護石を持ち生まれた神子としての使命が彼にはあるのかも知れない。共に在る事は出来ないが、どうか、彼の行く道に幸あらんと願う事は許されるだろう。


「精霊殿、一つ、我が息子、リテラートへの遣いを頼んでもよろしいか? もちろん、対価は払おう」


 同意を伝えるように精霊はルウィアの手を離れてトルニスの肩に乗った。


「ありがとう、心優しき精霊よ」


 精霊を肩に乗せたトルニスは、ルウィアを伴い私室に戻ると、金銀の装飾が施された箱を取り出し開けた。中に収められていたのは、赤い宝石があしらわれた剣であった。トルニスが取り出した剣をルウィアが受け取り、簡素だが丈夫な革の袋に入れると、袋に封印を施し、軽量の魔術を掛けた。


「精霊殿、これでお持ちいただくのに不便はないかと」


 差し出された革袋を受け取ると、紐の部分へ身体を通した精霊は、確かめるようにゆっくりとトルニスの肩から飛び上がる。これならば今来た道を飛んでも差支えはなさそうだ。

 大丈夫と伝えるようにトルニスの前で留まると、宝玉が差し出された。魔力の込められた宝玉は、とても美味しそうだ。いいのかと訊ねる様な視線を向けた精霊に、二人は微笑んで頷いた。精霊が宝玉をぱくりと口の中に入れると、体中に優しい魔力が満ちる。それは、遣いの対価としては十分だった。


「精霊殿、どうか皆をよろしくお願いします」


 ぐるりと精霊が二人の周りを飛ぶと、青く輝く魔力の軌跡が取り囲んだ。それは精霊の祝福となり、二人を護る礎になるだろう。

 トルニスが窓を開け、精霊はまたカーティオの待つ、サルトスのアカデミーに向かって飛んでいった。




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