第16話 提案


「名前?」


 ある日、私はビルとマックスからされた提案に、聞こえた単語をそのまま繰り返した。


 子どもたちがいる大部屋以外にも幾つかあった部屋のひとつ。大体は子どもたちの世話をする者たちが集まって話し合ったり立てた企画を検討したりする場として使われている。


 また、子どもたちの記録も保管されていた。マックスたちの分は先代の伯爵が日記がてらに記録していただけで此処にはないということだったけれど。


 私はといえば皆の真似をして子どもたちと関わり、思っている以上に無茶苦茶で破天荒な生き物であることを知った。その対処にも慣れてきて、やるぞと意気込まなくても危ないことをしようとすれば本気で叱ることができるようになってきた頃だ。


 子どもたちも人を見ている、と言われてどうやらテレーズや私は見くびられているらしいと気付いた。せめて注意は聞いてもらいたいと四苦八苦した結果、怒らせると怖い、という予想外の評価を子どもたちがしていると教えられた。思ってもみなくて複雑な心境になっていたら、まるで良いことのように二人からされた提案だ。


「正直、予想外だった。嬢ちゃん毎日来るじゃないか。それでいて上では使用人顔負けに働く。評判も上々だ」


 マックスが笑顔で言うそれは大人から見た私の評価なのだろう。子どもたちとは違う視点の、一緒に子どもたちと関わる立場の者からの。


「ご、ごめんなさい……立場もわきまえず……」


 私が恐縮すると、ああ、悪い意味じゃないんだ、とマックスは驚いた様子で言い添えた。え、と私は伏せた顔を上げる。優しい目をしてマックスは私に微笑みかけていた。子どもたちに向けるのと同じ顔だ、と思ったけれど黙っておく。ただただ居た堪れない。


「嬉しいのさ。口だけじゃない。嫌々でも渋々でもない。真剣に関わってるのは見てりゃ判る。まぁ伯爵夫人としてというよりはやっぱり“ジゼルお姉さん”だが、悪くない。今の子どもたちに必要なのは肩書きがどうとかじゃなく、心から向き合って接してくれる誰かだ」


 誰に懐くかは子どもが自分で決める、とマックスは言う。子どもたちは性格もそれぞれで、一緒に遊びたがる大人は自分で選んでいる節が確かにあった。誰でも良い、という子もいれば頑なに懐いた人としか遊ばない子も。子どもたちも人を見ている、と言われた意味を私はそれで理解したとも言える。


「子どもだってな、馬鹿じゃない。目の前の相手が信頼に足る相手かちゃんと見てる。その選択を間違うと命に関わるからな、チビどもの場合」


「……」


 嬢ちゃんには刺激が強かったか、とマックスは楽しそうに目を細めた。でも事実だ、と静かに続ける。


「そこでだ、嬢ちゃん」


 マックスはこれが本題とばかりに私を真っ直ぐに見た。私が伏せた視線を上げるまで待ち、私と目が合うとにっかと笑った。


「嬢ちゃんが捕まえたあの坊主な、嬢ちゃんに名前を付けて欲しい」


「え……」


 驚いて目を見開く私に、良いだろ、とマックスは言う。


 あの日、マックスが処置を施した異国の子ども。患部を濡らさないようにしながら体の隅々まで洗って清潔な服を着せると、益々中性的で綺麗な子どもになった。一切の口を利かないけれど、耳が聞こえないわけではなさそうだ。こちらの言葉も多少は分かっていて、空腹か尋ねれば首を振って返答する。けれど名前を訊いても何も言わない。


 マックスの処置は前回で終わりではなく、本格的なものはまた後日行うようだ。引き摺らずに歩けるようになるには何度かに分ける必要がある、とマックスは以前言っていた。


 大部屋で過ごすのは難しく、すぐに脱走を試みるから別の部屋にひとり入っている。此処へ来たばかりの子どもは時々ひとりの方が落ち着く子がいること、その方がこの場に慣れていくことができることを私はビルから聞いていた。ビルはあの子どもの担当でもあるけれど、するりと逃げられては部屋の中で追いかけているらしい。


「呼ぶ名前がないと困るだろう。それにビルの発案だ。嬢ちゃんに名前を付けて欲しいんだと」


「……それだと語弊がある。俺は彼女が適当だと思っただけだ」


「はいはい、それで良いぜ。本質は変わらねぇからな」


 ビルの訂正を片手であしらってマックスは答えた。ビルはムッとした様子だったけれど、ずっと唇を真一文字に引き結んでいるせいで元からなのか分からない。


「で、でも、どうして私に……?」


 急なことに思えて私が驚いて尋ねれば、ほら、とマックスがビルを促した。ビルは面倒そうに少し口を噤んだけれど、渋々といった様子で開く。


「この中では一番、あなたを信頼しているように見える」


「……」


 そんな、と思った。私はあの子の担当ではないし──新米の私はどの子も担当ではないけれど──、木の上から飛び降りてきたあの子を受け止め、処置の間ずっと一緒にいただけだ。それだって意識のない中だったからあの子が覚えているとは思えない。


 大部屋にもあの子はまだ現れない。何度か此処で子どもたちの世話をする人物がどれだけいるか、顔見せのためにビルと一緒に部屋へ入ったことがあるだけだ。私が入っても、あの子は別に一切話さないし何をするわけでもない。ただ壁際にあるベッドの上で膝を抱えて座り込み、私をじっと睨むように見ていただけだった。とても好感触とは言えないのに。


「オレはあの坊主を切り刻んだし一番ダメだったみたいだな! 嬢ちゃん相手には逃げなかったらしいじゃないか。それが全てだよ」


 マックスの言葉に、私は信じられない思いで瞠目した。

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