第17話 担当の基準


「坊主も分かってんだろ。嬢ちゃんが見ず知らずの坊主をオレから守ろうとしたこと」


 命に関わるからな、とマックスは言う。私は言葉もないままマックスを見つめていた。


「少なくとも、嬢ちゃんが自分に危害を加える人間じゃない“かもしれない”っていう可能性には気付いてる。本能みたいなもんだろうけどな、そういうのは結構侮れないぜ。何せ周りにも世界にも散々裏切られてきたチビどもだ。何が自分に仇なす存在になるか、いつでも怯えてる」


 それはマックスの経験にも聞こえた。ショーが上手くいっても折檻されたと言っていたから、何が自分を守ってくれるものなのか分からなかったのではないかと思う。そしてそれは、環境も状況も違っても、立場や境遇はきっと、他の子たちも同じなのだ。


 だからじっと様子を見る。甘い顔をして牙を剥いた存在も過去、いたかもしれない。そう思えばこそ簡単には信じない。


「ビルの案にはな、オレも賛成だ。そう言ったら嬢ちゃん、引き受けてくれるか」


 勿論、とマックスは笑んで続けた。


「名前を付けて、ハイ終わり、ってわけにはいかねぇから、あの坊主の面倒を見てもらうことにはなる。何もいきなり嬢ちゃんひとりでやれとは言わねぇさ。ビルについて、そうだな、見習いってのはどうだ」


「は?」


 私より早く異を唱えたのはビルだ。それは二人で相談していなかったのだろうか。私は肩を震わせたけれどビルはマックスしか見ていなかった。


「何を言い出すんだ」


「どう見ても手を焼くだろう、あの坊主。お前だって逃げられてばかりだ。人手はあった方が良いぜ?」


「だからって」


 何の役にも立ちそうにない私が入ったところで、ビルの負担が増えるだけではないだろうか。私はおろおろと二人のやり取りを見守った。


「驚くのも分かるけどさ、そうデカい声出すなって。嬢ちゃんが怖がる」


「え、あの」


 マックスにちらりと視線を向けられ、ビルをたしなめる材料にされた私は思わず声をあげたけれど、言葉は続かなかった。はぁ、とビルが息を吐いた。


「……そんなつもりは」


「わ、分かってます。大丈夫」


 慌ててそれだけ何とか絞り出した私の言葉を聞いて、許してもらえて良かったな、とマックスがビルに笑う。ビルはまた唇を真一文字に引き結んだ。私にはマックスがビルの神経を逆撫でしているようにしか見えなかったけれど、でもそれもいつものことと言えばいつものことだった。私がいつまでも慣れないだけで。


「嬢ちゃんの手本になってやれよ」


「……何も俺である必要はないだろう。俺は無愛想だ」


 自覚があるのは良いけどな、とマックスが今度は息を吐く。ビルの無愛想は子どもたちの前でも変わらず、マックスやテレーズに比べるとあまり慕われているとは言いづらいこともある。けれどビルを気に入って、ビルとしか一緒にいたがらない子がいるのも確かだった。


「嬢ちゃんは伯爵の奥方、なんだろ。他の使用人に付けるわけにはいかないんじゃないか」


「……お前なら技術が優先だと言うと思っていた」


 ビルが零すと、あー、とマックスは唇の端を歪めるようにして笑う。普段ならな、とビルの言葉を肯定し、けど今回は条件が違う、と首を振った。


「チビどもの扱いに慣れてる誰より嬢ちゃんをあの坊主は受け入れた。それなら“いつもの”やり方じゃダメなんだ。それにオレは無愛想なお前のブレなさを評価してる」


 初耳だな、とビルは答えた。そりゃ、とマックスも返す。言ったことねぇからな、と。


「大人の機嫌ひとつで左右されてきたチビどもの一秒後の未来が、お前のその揺れのなさで約束される。それに安心感を覚えるチビどもが一定数いるんだよ。お前にはそういうチビを担当させてる。気付いてなかったか?」


「……そういう基準の話は今までしたことがない」


 まぁ、何となく相性が良さそうつって選んできたからな、とマックスはビルの返した言葉を肯定する。


「でも、オレはそういうことを考えながら提案してた。お前にとっちゃ分からなかった基準かもしれねぇが、今理解しただろ? あの坊主は多分、お前のブレなさと嬢ちゃんにしかない何かが必要だ。ってことで、引き受けてくれるか、二人とも」


 マックスは私たちが断れないのを解っていてそう言っているとしか思えない笑顔で形ばかりは依頼に見える言葉を選んだ。はぁ、とビルはまた溜息を吐く。


「そう言われると断れない」


 ビルが諦めたような声で零すそれに、私も、と頷いた。あの子のためだと言われたら、あの子に必要なものが自分にあると言われたら、それを突っぱねるなんてできるはずがない。


「でも、私が本当に名前を考えないといけない?」


 おずおずと窺えば、そうだな、とマックスが頷いた。譲りそうにない様子に私は困惑して眉を下げる。私の情けない表情は二人にはこのちょっとの時間で大分、見られていることだろう。


 少しずつ、目を出す練習をしている今日の私はテレーズの手で不安にならず、安心できる範囲で前髪を上げていた。マックスに診てもらった頬の傷は目立たなくなり、もう少しすれば傷跡も消えるとマックスには言われている。


「ビルにフラヴィの名前をどうやって付けたか訊くんだな。言われなくても嬢ちゃんなら解ってると思うが、子どもは愛玩動物じゃない。大いに悩むと良い。でもそうだな、名前がないと不便だから、来週また同じ曜日に聞かせてくれ」


「そ、そんな短いわ!」


 そうか? とマックスは笑うと部屋を出て行く。頑張れよー、と片手をひらひらさせながらも撤回せずに出て行ってしまったから、猶予を変えるつもりはなさそうだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る