第15話 奥様と侍女
「何回見ても、とっても綺麗ですぅ」
「あ、あんまり見ないで……」
鏡の中、テレーズに髪を梳かしてもらいながら私は真っ直ぐな視線から逃げるように目を伏せた。どうしてですか、とテレーズは驚いた声をあげる。
「とっても綺麗なのに! 奥様の目!」
「き、気持ち悪くないの……? 左右で色が違うのよ……?」
震えそうになる声で尋ねれば、全然、とテレーズの明るく否定する言葉が届いた。そう言ってくれるのではと期待していなかったと言ったら嘘になるけれど、あまりにも表も裏もない声で言われるとどうして良いか分からない。
「仔猫とかも左右で違う色の目をしてるじゃないですか! しかも両目ともとっても綺麗な色で!」
「猫……」
テレーズに悪気がないのは分かる。でも、魔女と言えば猫とばかりに言われるから、これも魔女の証、使い魔に猫を従えているのと同じ、と思われるのではないかと怖くなってしまう。
「テレーズ、猫好きですし! ちょっと羨ましいです!」
「羨ましい……?」
悪気がないのは本当にそうなのだと分かるのに、心の奥がずきりと痛んだ。羨ましがられるようなものではないのに。私は彼女の両目とも同じ色が、羨ましい。ずっとそうなりたかった。皆と、同じように。
けれどそんな詮ないことを言っても何が変わるわけでもないから、そう、と私は目を伏せた。所詮、ないものねだりだ。彼女も、私も。
「もしかして、それを気にしてらしたんですか?」
はた、と気付いたのかテレーズが問うてくる。無遠慮にも感じたけれど、この素直さが彼女の持ち味であり良いところであることを私も理解していた。
「……そうよ」
胸の痛みを堪えながら私は肯く。微笑もうとしたけれど頬が震えてできない。どうしてだろう。こんな風に、真っ直ぐに問われたことなどないからだろうか。いつも、気持ち悪い、と蔑まれた。それに反応を見せれば益々眉根を寄せられるだけだからどうすれば良いか分かるのに、こんなのは、知らない。
「勿体ないです!」
「……」
想像もしていなかった言葉がかけられて私は思わず目を上げた。鏡の中の私が驚いた表情を浮かべている。テレーズは真剣そのものといった表情で、手に持った櫛を強く握りしめながら私に訴えかけてきていた。
「奥様、綺麗ですよ。奥様の目も、お
此処に来た日と朝だけでしたもん、と不満そうに唇を尖らせるテレーズを私は信じられない思いで見上げる。確かに今日、テレーズから髪を梳かしたいと言ってきて私はそれを許した。もう知られてしまったし、と思ったからだ。
「最初の日は緊張してできなかったけど奥様付きの侍女になるって判ってから、髪の毛を結う練習も一杯したんですよ。ドレスの選び方だって、必要なことは全部。テレーズ、嬉しかったんです。奥様のお役に立てるようにって頑張りました」
今日だってやっとお世話ができて、とテレーズは笑う。けれどそれが少し寂しそうに見えた気がして私は瞠目した。
どうして、そんな顔をするのだろう。分からない。
「でも奥様は、テレーズのこと、要りませんか?」
「そ、そんなことないわ!」
自分でも驚くほどの大きな声が出た。テレーズもびっくりした、と目をぱちくりと瞬かせている。あの、と私は自分がしたことをどうして良いのか分からず小さな声で言葉を探した。
「テレーズのこと要らないとか、そんなこと、思ったことない。テレーズは私の先生だし、此処でやっていけてるのはテレーズのおかげなのよ。テレーズの振る舞いを見て、人との関わり方を、ま、学んでるの」
テレーズみたいにはできないけど、と言いながら俯く私とは裏腹に、テレーズは目を真ん丸にして、ホントですか、と顔を輝かせた。
「ホントにホントにですか!」
「ほ、本当……」
申し訳なく思いながら私は答える。テレーズを先生と思っているなんて、嫌がられるかもしれないのに考えもせず話した自分が嫌になった。フラヴィの前でも何とかしなければという思いから口走ってしまっていたけれど、改めて言うと申し訳なさが勝つ。
「嬉しいです!」
「え」
でも、テレーズはそうは思わないようで、本当に嬉しそうに笑うから私は呆気に取られた。
「テレーズ、奥様のお役に立てていますか?」
「い、いつも助かってるわ……本当よ」
ぐ、と鏡の中の顔が近づいてきて私は気圧されながら答えた。嬉しそうな声が耳元でする。わー、とテレーズが嬉しそうに笑って、うふふ、と喜ぶ声も続いた。
「テレーズ、嬉しいです。奥様のお役に立ててる! ずっとお役に立ちたかったんです! 良かったぁ」
そのままへなへなと座り込むから私は慌てて振り返る。椅子の背凭れに手をかけて体を捻れば、床の上にぺたりと座り込んでえぐえぐと涙を零すテレーズがいて困惑した。
「怖かったんですぅ。テレーズ、お役に立ってないんじゃないかと思って。奥様、ひとりで何でもできちゃうし、テレーズなんていなくても困らなさそうだし。も、もしかして嫌われてるかもとか、お、思っちゃってぇ」
「えっ。そ、そんなわけないじゃない」
私はあまりのことに驚いて椅子から離れ、テレーズの前に膝を着く。わ、わ、と慌てるテレーズを私は真っ直ぐに見た。右側の長く伸ばした前髪がさらりといつもの場所に戻るから、一瞬だけ躊躇って、私は前髪を耳にかける。これでテレーズには私の目が見えているはずだ。
「あなたが私の侍女になってくれて良かった。これだけは伯爵に私、感謝してるの。あなたじゃなかったらきっと、私は此処まで屋敷の皆と話せてないだろうから。ありがとう、テレーズ」
「う、うぅ、奥様ぁ……」
子どもたちにしているのと同じように。普段から親切にされたらありがとうと言うのよ、と言っていたのはこの口なのに、一番身近な人に感謝を伝えていなかった。
「わ、私も、その、怖くて。この目を綺麗だなんて言ってもらったの、両親以外では此処に来て初めてなの。マックスも、フラヴィも、あなたも、同じように言ってくれた。嬉しい」
怖い。嬉しい。そう言葉にすれば胸の痛みは少し落ち着いた気がした。これが、これが怖い気持ちと、嬉しい気持ち。知っていたはずなのに初めて知ったような気がした。
「奥様は綺麗ですぅ。もっと色々、お世話させてください〜。あと子どもたち皆がジゼルお姉さんって呼んでるのも羨ましいですぅ。テレーズもジゼル奥様って呼んで良いですかぁ」
「え、も、もちろん」
今それが関係あるのか分からなかったけれど思わず頷いたら、えぐえぐと泣いたままのテレーズにありがとうございますぅ、とお礼を言われて私は目を白黒させたのだった。
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