第9話 闇医者の治療
「さ、話は終わりだ。そろそろ痛み止めが効いて来た頃だろ。痛い思いさせたくないし、動かれるのも困るからな。
嬢ちゃん、悪いけど坊主のことそのまま頼むぜ。つっても嬢ちゃんにしがみついて離れる気ぃ、なさそうだけどな」
私は痛み止めで意識のないはずの子どもの手がきつくドレスを握り締めているのを見て苦しくなった。きっと怖い思いをしている。言葉が通じないのか、治療してもらえるとは思っていなかったのだろう。だから逃げ出した。
「本当に治療、なんですよね?」
横になった状態でも真っ直ぐにマックスと呼ばれている青年の目を見つめて問うた。楽しむように細め、彼は頷く。
「そうだ。オレは天才なんでな、期待してて良いぜ」
「分かりました。お願いします」
飄々とはしているけれど、先ほど見せた目の奥の愛情を私は信じたいと思った。治療、と言って
私に人の言葉の真偽を図る術はない。魔女と呼ばれても私は魔女ではないし、人のことなんて判らない。でもその言葉に滲んだものが嘘だったとしても、誰かのためかどうかは判るつもりでいる。
私が覚悟を決めて頷くと、青年は楽しそうに口角を上げた。
「……へぇ。良いじゃんか。肝の据わった女は嫌いじゃない」
「彼女は伯爵の奥方だ」
「なんだよ、サガること言うなよ。それくらいオレにも解ってるっての」
「言って良い冗談と悪い冗談がある」
ビルが釘を刺すけど、マックスは別に本気じゃない。そんな軽口を言われたことも今までないけれど、私だってそれが真剣かどうかくらい判る。マックスはビルのそれを冗談の通じない人くらいに取ったのか、はいはい、と軽くいなし、二度首を振ると真剣な目をこちらに向けた。私にではないのは解っているのに、それを見て私は緊張する。
ランプの灯りだけが照らす誰も喋らない薄暗い空間で、かちゃ、ぐちゃ、というマックスの作業する音が響く。金属の器具が擦れる音と、患部の肉を開く音だろう。見えないけれど、だからといってあまり良い気分がするものではなかった。
「……ふぅ、終わったぜ」
どのくらいの時間が経ったのか。時計の秒針の音はすれど視界に入る場所にはないから、私には経過時間が分からない。それでもマックスがそう言って額の汗を拭うのを見て、緊張して入っていた力が抜けるのが自分でも分かった。
「成功だ。いやー流石オレ。天才」
マックスが言うほど血が出ているようには見えなかったけれど、拭った額が赤く濡れている。血が、と私が言うと、あぁはいはい、とマックスも気付いたようだ。洗ってくると言って部屋の扉を開けて出て行った。
私は固い寝台と思しき場所でまだ体を固定されたまま、動くこともできずにマックスが戻ってくるのを待つ。けれど先に動いたものがあった。
ビルだ。
「……此処に入ったのか」
「つ、連れて来られたの。この子を中庭で見つけて、あのお医者様に抱えられて気付いたらこう」
「あぁ、あいつは怪力男だから」
はぁ、とビルは溜息を吐く。腕を伸ばして私を固定している拘束具のようなものを外した。締め付けがなくなって動けるようになった私をビルの大きな手が支えて起こしてくれる。ドレスを強く握り締めている子どもも、包帯が巻かれた場所をあまり動かさないようにしながら一緒に起こした。まだ意識は戻りそうにない。
「見られたなら仕方ない。あなたにも見せる」
ビルが再びの溜息と共に零した。丁度マックスが戻ってきて、あんまり動かすなよ、と静かに言った。私の前まで来ると子どもの指を一本ずつ丁寧に開いて私から離していく。長時間握り締められていたドレスはしわくちゃになっていた。
「嬢ちゃんのことも念のため診ておくか。坊主にぶつかられてただろ」
「え、あ、その、大丈夫で……っ」
止める間もなくマックスの手が私の頬に伸びた。ぴり、と痛みを感じて体を震わせる。引っ掛かれてるなー、消毒しとくぞー、とマックスは脱脂綿に消毒液を浸し、私の頬に再度触れる。しみるかも、と言うと同時にまたぴりっとした痛みを覚えて私は目を閉じた。はいはい我慢、とマックスは慣れた様子で私の頬を何度か消毒する。
子ども扱いされているみたいと思うと同時に、母の手を思い出して胸の奥が締め付けられる気がした。よく知らない植物に触れてはかぶれた私の手を母はよく手当してくれた。ソルシエールの父に嫁いだ母はどんな思いだったのだろう。私のことは、可愛がってくれたと思うけれど。あなたもソルシエールの娘ね、と呆れたように笑っていた。
「血はそんな出てないし表面を引っ掻いた程度だな。消毒しとけば大丈夫だろ。けど嬢ちゃん、その前髪が丁度傷に触れて痛いんじゃねぇか? 上げとくと良いぜ。折角の美人なんだか……ら……」
「あ、やめ……っ」
慌てて目を開いた私が止める前に右目は外に触れた。ずっと長い前髪で隠して来た目が二人を見る。二人も私を見ていた。ビルの表情はよく分からないけれど、マックスは露骨に驚いたようすだ。う、と私は両目を閉じた。
「驚いた。嬢ちゃんあんた、左右で目の色が違うのか」
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