第9話
文化祭が来週に迫っていた。
これから1週間、授業は昼まで。午後はすべて文化祭の準備に時間を使うことができる。
教室では、クラス企画として決まったお化け屋敷の衣装や仕掛けの制作がはじまっていた。
そんななか、わたしたちは教室の片隅でこっそりと――お化け屋敷と関係のない作業のわりには大胆に、移動カフェの荷車を作っていた。
まだパーツの段階だからお化け屋敷に紛れられるって、とほのかは軽く言っていたが、いつ見咎められるか気が気じゃない。
それなら家で作って、完成した荷車を引いて登校する方がましに思える。
荷車の土台は手押し車だ。工事現場で砂利を運ぶような、一輪車。
本当はリヤカーの方が構造的に適しているが、予算の都合で買えなかったと、ほのかが悔しそうに言っていた。
カフェとはほど遠いイメージの手押し車に木枠を取りつけ、板を乗せて作業用のテーブルにし、平らに停められるようにストッパーをつけるのだという。
先週まで、ドリップコーヒーを練習するわたしを横目に、フラペチーノ風ドリンクを飲んでばかりいたくせに、意外に設計がちゃんとしている。
わたしはほのかの指示に従って板を切ったり、釘を打ったり、リメイクシートを貼ったりするだけでよかった。
お化け屋敷の大道具班が墓石のオブジェに苦戦しているのをよそに、わたしたちのカフェは着々と進んでいる。
たぶん明日はここで作業のつづきはできないだろうな、と思うくらいにはかたちになっていた。
そろそろ片づけてこっそり帰ってもよさそうに思いはじめたときだった。
ほのかが明らかに材料ではなさそうな画用紙を取り出した。
「何それ」
「あの、えーとこれは……」
さっきまでは「ケトルとドリッパーを置くから」とか「コーヒー豆はこの隙間から荷台に収納して」とか、お化け屋敷とは無関係のことを堂々としゃべっていたくせに、その画用紙はなかなか見せようとしない。
心なしか頬は赤らんでいるし、いつもより視線があいにくい気もする。
辛抱強く待っていると、ほのかは画用紙を裏返しのまま、恐る恐る差し出してきた。
「……見て」
両手でそれを受け取りつつ、ほのかの顔を眺めてしまう。
いつにない真面目な顔。
カフェをやろうと言ってきたときよりも真剣な、思いつめた表情だ。
「何なの、これ」
「いいから見て」
「いや、前情報なしで見るの怖いんだけど」
そう言って躊躇っていると、ほのかは画用紙を奪い返して表面をわたしの目の前に突きつけた。
たんぽぽ柄のコーヒーカップと、そこから立ち上る湯気。
コーヒーカップの丸みに沿うように「たんぽぽ珈琲」の文字があしらわれている。
コーヒー色だけで描かれた絵柄を見ていると、不思議とどこからかコーヒーの香りが漂ってくるような気がした。
ほのかはぶっきらぼうに画用紙をひらひらと揺らした。わたしはほのかの手から画用紙を受け取り、改めてそれを見つめた。
シンプルでありながら、既視感はない、絶妙なバランスが保たれている。
「たんぽぽ珈琲の看板だよ。ロゴマーク作ったの」
ほのかは相変わらずそっぽを向きながら、あまり口を動かさずに言った。
もしかして、これは照れているのだろうか。
思えば、ほのかの書く文字だってそれほど見た記憶がない。
絵なんてなおさらだ。
「真凛もそれでいいって言うなら、作業台の前側に描いたりさ、スタンプを作って、それを押したシールを紙コップに貼ったりさ、そういうの、してもいいんじゃないかなって」
コーヒーの味見でいばっていたほのかが。
ひそかにロゴマークを作っていたなんて。
わたしは胸がぎゅーっと締めつけられるように感じた。
ほのかはちらちらとこちらに視線を寄越し、わたしの反応をうかがっている。
不安げだったその顔に、少しだけ明るい色が差した。
そして、笑いをこらえられないような、くしゃくしゃな顔になる。
たぶん、わたしも同じ顔をしている。
「じゃあ、早く荷台作っちゃわないとね。スタンプとシール作りの仕事が増えちゃったし」
憎まれ口を叩くと、ほのかはようやく目をあわせて笑ってくれた。
「じゃあさ、これ早く終わらせて真凛の家行こ! シール作りながら味見してあげるからさ」
「だから、ブラックコーヒーの味も分からないヤツが味見に来ても意味ないんだってば」
秋晴れの午後、窓際の床にはキラキラと日差しが降り注いでいた。
ほのかの髪もまつげも肌も金色の光を纏って、いつになく輝いているようだった。
いつまでも、こんな時間がつづけばいいのに。
文化祭当日なんて来ずに、ずっとほのかとカフェの準備をしていたい。
二人三脚のような日々をゆっくりと歩いていたい。
叶いはしないとわかっていながら、そんなことを願ってしまう。
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