第6話
「まさか、真凛がこんなに本格的に道具揃えてると思ってなくてさ。豆で買ってきた方がよかったね」
「何これ」
「マンデリン、だって。真凛とマンデリン。似てたから」
ふたを開けてみると、さらに銀色の内ぶたがついていた。ほのかを見ると、ほほえんで缶を指さしてくる。
首をひねりながらふたを剥がした瞬間、ふわっと苦くて香ばしい香りが解き放たれた。中身は細かく挽かれたコーヒーだった。
「マンデリン……なんてコーヒーあるの、はじめて知った」
「あたしも、お店で見てはじめて知った。ね、これ淹れてみてよ」
促されるまま、粉をスプーンですくい、フィルターに入れていく。自分で挽いたのとは比べものにならないほど、さらさらとキメが整っている。
ほのかはわたしの作業を穏やかな目で見つめ、口をほころばせた。
「まりん、りんりん、まんでりん」
「変な歌作るな」
ほのかがわたしのために選んでくれたコーヒー。
ブラックコーヒーを飲めないほのかが、何を基準に豆の種類を選ぼうかと考えあぐねているとき、このマンデリンが目に入ったのだろう。
そのときのほのかの表情を見てみたい気がした。もしかしたら今の変な歌は、そのときに口からこぼれたりしたのかもしれない。
沸騰したお湯を少しだけ冷ましてから、粉へと注いでいく。
お湯が粉を通るかすかな音すら聞こえるほど、キッチンは静かだった。その静けさを、コーヒーの香りを含んだ湯気が渡っていく。
ほのかは目をつぶり、鼻をふんふんと鳴らした。おもむろにまぶたを開くと、眠たげなほほえみを浮かべて見上げてきた。
「あたし、さっきのよりマンデリンの方が好きかも」
「コーヒーの味も分かんないくせに」
サーバーから新しいカップへと注ぎ込む。
まずはブラックでどうぞ、と言うと、ほのかはくちびるを歪めた。
「しょうがないなぁ……ぐえ、にっが」
「コイツ……」
額を小突きたくなるのを我慢する。
ほのかは舐めるようにコーヒーを少しずつ口に含み、苦味を再確認するとカップを置いた。さっきのコーヒー牛乳を、安心感の漂う表情で飲んで、ほう、と息をついた。
「わたしが無理だなって思うものは、たぶんみんなは美味しいんだと思う」
みんなに美味しいと言われるより、たったひとり、ほのかに美味しいと言われた方が嬉しいのに。
そんなことは口が裂けても言えない。それなら、強硬手段に出るしかない。
ほのかのマンデリンのカップを取り上げ、氷でいっぱいにしたグラスに移しかえる。
氷がパキパキと音を立て、みるみるうちに小さくなっていく。
「お、なになに?」
「いいから黙って見てな」
冷蔵庫からチョコレートシロップとホイップクリームを取り出すと、ほのかにもおおまかな予想がついたらしい。途端に目を輝かせる。
ホイップクリームはすでに泡立てられて、マヨネーズのような容器に入ったものだ。グラスにそのまま絞って、コーヒーに浮かべる。
その上にチョコシロップをかけ、さらにカラフルなチョコスプレーと銀色のアラザンを振りかける。
ほのかは身を乗り出して脚をばたばたと鳴らした。
「うわうわ! 何これ! こんなの作れるの!? 絶対売れるよ、これ!」
ストローを差すやいなや、グラスをほのかに引ったくられた。
どの角度から見ても同じなのに、ほのかはグラスをくるくると回しては、はわはわと声にならない歓声を上げている。
ほのかはストローでコーヒーとホイップクリームをかき混ぜると、思いっきり吸いこんだ。
眉がふにゃっと下がり、瞳がとろんと溶けそうに和らぐ。
「やば、美味しい! マンデリンめっちゃうま!」
「マンデリンじゃなくてクリームとチョコシロップが美味しいんでしょ」
ほのかは夢中で某カフェのデザート系ドリンクを飲んでいる。思った通り、ほのかの好みにはぴったりだったみたいだ。
いつも激甘の100円コーヒーを飲んでいるほのかのために作ったものだから、美味しいと言ってもらえなかったら意味がない。
文化祭のカフェ企画のゴールはここでもいいな。
ほのかの至福の表情を見ていると、そんな勝手なことを思ってしまう。
「よし、これは絶対メニューに入れよう。ていうか、これメインでもいいくらいでしょ」
「いいの? これ、どう見ても本格淹れたて絶品コーヒーではないと思うけど?」
「わたしが美味しいと思うものなら何でもいいの」
ほのかはしゅごごご、と派手な音を立てて飲み干すと「おかわり!」とグラスを突き出してきた。
冷蔵庫にはキャラメルソースとメイプルシロップがある。ほのかのキラキラと驚く顔がまた見られるのなら、何杯だって作ってやる。
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