第3話
わたしたちは教室に戻り、ベランダで腰を落ち着けた。
わたしは自前のアウトドアチェアに。ほのかは教室の隅に転がっていた、空気の抜けかけたバレーボールに。
南向きの2階のベランダはグラウンドに面していて、そこでは野球部やサッカー部が練習をしている。
日が短くなってきたせいで、まだ4時を回ったばかりだというのに太陽は重たい橙色に染まりはじめていた。
ほのかはすっかり冷めたカフェモカを飲み干して、紙コップをもてあそんでいる。
「ねぇ、真凛ってコーヒー好きでしょ? どんな種類のコーヒー豆が好き?」
わたしは「あー……」と言葉をつまらせた。
ミルクの泡が消え失せたカプチーノをくるくると揺らしながら、正直に答える。
「コーヒーが好きって言っても、別に詳しい訳じゃないよ。あの自販機のコーヒーしか飲んでないし」
「えっ、じゃあコーヒー淹れられないの?」
「コーヒー豆を粉にして、お湯を注ぐだけなんじゃないの?」
ほのかはあからさまに残念そうな顔をした。
おそらく、ほのかはコーヒーを淹れることはできないものの、特別な技術が必要だということは知っているのだろう。
そして、その技術をわたしなら持っているだろうとあてにしていたのだろう。
ほのかはバレーボールの上でぽよぽよと少し弾んだ。くちびるの上にペンを載せられそうなくらい、つんととがらせている。
「どうすんのさー。本格淹れたて絶品コーヒーが売りのコーヒースタンドで企画書通っちゃってるんだからね?」
「もう企画書提出済みなの!?」
しかも、無駄にハードルを上げているし。
「淹れたてコーヒー」だけだったら何とかなるものでも、「本格」「絶品」がついているんじゃ半端なものは出せない。
「へへ、真凛なら付き合ってくれるって信じてたから、先に申請しちゃった」
「いや、まだやるなんてひと言も——」
あまり乗り気になるのも、それをほのかに悟れるのも恥ずかしく、渋る様子を見せつける。
だけど、ほのかは表情ひとつ変えることなく、強引に話を進めていく。
「じゃあ、あたしは移動販売の荷車作っとくから、真凛はコーヒーがんばってよね」
カフェをやりたいと言った張本人はコーヒーを丸投げする気らしい。
「がんばるって何をどうやって」
「美味しいコーヒーを淹れられるようにがんばってねってこと。ね、お願い」
ほのかはわたしの手を取り、ぎゅっと握ってきた。
後ろから抱きついてきたり、手を握ったり、ほのかは何の躊躇いもなく触れてくる。
それがわたし相手のときだけであることを、教室内で長く観察してきたわたしは知っている。
そこに、特別な気持ちは少しもないことも、知っている。
あまり長く触れあっているのは、心に毒だ。ほのかの手を優しく押し返す。
ほのかが少しだけ表情を曇らせる。きっと、断られるかもしれないと不安に思ったのだろう。
わたしがほのかの願いを叶えないはずがないのに。
「文化祭まで1ヶ月しかないけど、どうにかなると思ってるの?」
「何とかなるよ! あたしもがんばるからさ。ふたりなら何でもできる!」
自信満々の笑顔を、西日が金色に染め上げる。
長いまつげは光の粒を纏い、艶のあるセミロングが風そのもののようにはらはらと動いている。
本当に、何とかなってしまう気がしてくる。
愛想がよくなければ愛嬌もないし、そのせいで友だちはほのかしかいないし、だいたいのことは諦めるか最初から望んでいなかったことにして生きてきた。
心を広げすぎて薄く脆くならないように、こぢんまりと丈夫な状態を守ることばかり考えてきた。
ほのかはそんなわたしを、いつも包みこんで、引っ張って、たまに痛いくらい叩いたりする。
だけど、わたしはそれが嫌じゃない。
ほのかだから嫌じゃないのか、嫌じゃなかったからほのかに特別な気持ちが生まれたのか——。
わたしは冷めきったカプチーノを飲み干して、腰が重たそうに見えるように立ち上がった。
見上げてくるほのかの瞳が、わたしを映すにはもったいないくらい、潤んで艶めいている。
「分かったよ。やろう、カフェ」
ほのかは少しも想像していなかった返事を聞いたかのように、新鮮なまぶしい笑顔を浮かべた。
飛び跳ねるように立ち上がり、正面から抱きついてくる。
だめだ、心に毒すぎる。黙って身体を押し返すと、ほのかの頬が意外と紅潮していた。
それほど嬉しかっただけのことだろうけど。
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