第6話 隣の席のアイスメイデンは放課後デートがしたい 【後】

 時があっという間に過ぎ去り、現在午後五時半。

 そろそろ勉強会もお開きになる頃合いだ。

 慣れというのは恐ろしいもので。

 三日前、つまり月曜日の初日は数学のプリントを消費するだけで精一杯だったのに、今では五枚のうち三枚は下校前に終わるようになっていった。

 これもひとえに秋乃さんのお陰。

 コミュニケーションが苦手な割には、教えるのが教師よりも上手い。

 マンツーマンだから、というのも大きくはあると思うのだが、それを差し引いても分かりやすい。


「秋乃さん、ごめん。ここの古文だけどうしても訳せなくてさ、教えてくれないか?」


「ええ、任せて。これは、そうね……古文の教科書、36ページに一例が載ってるからそれと照らし合わせてみて。やってみたら冬月くんなら出来ると思うから」


 秋乃さんは全部を教えてくれる訳じゃない。

 確かに何もかも教えてくれた方が手っ取り早いと思う、お互いに。

 だけど秋乃さんは自分で解けるように誘導してくれるのだ。

 これが実に身に付く。

 自分で調べて解く、というのは普通の方法なのだが、意外と実践しない。

 何故なら、人に聞いた方が早いからだ。

 だが聞いただけの知識では、スキルアップに繋がりはしない。

 所詮楽をして覚えた知識なのだ、すぐ頭から消えてしまう。

 この勉強法を始めてはや二日。

 俺はいつの間に虜になりつつあった。

 難問を自分で調べて解いた時の快感と言ったらもう。

 

「おっし、解けた!秋乃さん、なんとか解けたぞ! 見てくれ!」


「騒がなくて良いから、貸して。うん……うん、合ってるわね。じゃあこれは回収するわ、お疲れ様」


 相変わらず淡白な秋乃さん。

 でも髪を耳にかけた横顔が綻んでいるところから見るに、内心喜んでくれてはいそうだ。

 秋乃さんが笑顔だと、なんかこっちまで嬉しくなる。

 いつもクールな人だからだろうか。

 普段から笑えば良いのに。


「今日は一先ずこんなところかしら。解けるスピードも上がってきたし、悪くない学習速度ね。じゃあもう帰って良いわよ、冬月くん」


「え、もう?」


「もうって、そろそろ下校時刻の18時よ。わたしは冬月先生にプリント渡してくるから先に帰ってて」


 時計を見ると針が18時を指す直前になっており、外に目を向けてみるとオレンジ色の夕陽が雲を突き抜けてグラウンドに降り注いでいた。

 運動場や体育館から人が捌け始めている。

 確かに下校時刻のようだ。

 となると、ヤバい。

 秋乃さんとの勉強会が楽しくなってきて、思う存分楽しみすぎたせいで、あの件をすっかり忘れていた。

 ズバリ、遊びに行く約束だ。


「冬月くん、なにしてるの。ほら早くして、鍵閉めたいから」


 秋乃さんは既に準備を終え、教室から出ようとしている。

 多分、今誘わなければ今日誘うことは出来ないだろう。

 なら直ぐ覚悟を決めて誘うしかない、と。


「秋乃さん、ちょっと待ってくれ。帰る前に大事な話があるんだ。聞いてくれるか?」


「冬月くん?えっと……」


 秋乃さんの肩に手を置き、一呼吸。

 

「……はっ。夕暮れの教室、二人きりの空間。このシチュエーションはあの本に書いてあった……ということはもしや。こほん、冬月くんちょっと待ってくれるかしら。深呼吸するから」


 何故。


「ど、どうぞ」


「ありがとう。すーはー、すーはー……ふぅ、準備完了よ。それで話って?」


 なにがなにやら、頬を染めて上目遣いをする秋乃さん。

 そんな彼女に俺は怪訝な顔を浮かべながら、こう告げる。


「秋乃さん」


「はい」


「…………今からさ、時間あったらゲーセン行かない?今日から稼働する新作アーケードゲームがあるんだけど、それ二人用なんだよね。秋乃さんが良かったら、なんだけど」


「……はぁ?」


 おや、秋乃さんの様子が明らかにおかしい。

 不思議だ、遊びに誘っただけなのになんで不機嫌そうな顔をしているんだろう。

 どうしてこんな冷えきった目をしているのだろう。

 もしやゲーセンがいけなかったのか?

 

「ちょっと冬月くん、どういうつもり?今の雰囲気はどう考えてもアレをするべきところでしょう?」


「アレって?俺はただ最近少しは仲良くなれた気がしたから、遊びに誘っただけなんだけど。 あっ、もしかしてゲーセン嫌い?なら他の……」


 そう言うと、秋乃さんは更に不機嫌になっていき。


「…………ふん!」


「いっ!」


 脛を蹴りあげてきた。

 あまりの痛さに俺は悶絶。


「ぐおぉぉ……」


「バカ」


 うずくまると、秋乃さんは一言残して部屋から出ていってしまう。

 これはどうやら失敗したようだ。

 しかしここで諦める訳にはいかない。

 俺は痛みに耐え、秋乃さんを追って教室から出た。


「ま……待って、秋乃さん!返事は?今日じゃなくても良いんだけどさ!」


 秋乃さんはまだそう遠くない距離に居てくれた。

 俺が追ってくると踏んで、歩行スピードを緩やかにしてくれたのかもしれない。

 お陰で声が届いたらしく。


「…………」


 秋乃さんは足を止め、腕組みをしながら若干怒っている顔つきでこちらに振り向いた。


「はぁ……まったく、仕方ないわね」


 そしてため息を吐くと、諦めたような表情で彼女はこんな問いを投げてきた。


「二人きりよね」


「え? あ、うん。そうだけど……ダメ?」


「────ッ」


 秋乃さんは相変わらずよくわからない。

 今度はいきなり嬉しそうに頬を緩ませ始めた。

 一応機嫌は治ったと思って良いのか?

 理由は今一わからないが。

 

「良いわよ。今日はもう遅いから明日でよければだけど」


「マジで!?良いの、秋乃さん!?」


「ええ、構わないわ。仕方ないから付き合ってあげる、そのに」


「よっしゃ、これでなんとか首の皮が繋がったな!姉さんもこれなら文句を……ん? 今何て言った、秋乃さん?放課後デートとか、聞こえたんだけど」


 聞き間違いかと思い、俺は訊き返す。

 だがどうも聞き間違いではなかったみたいで────


「楽しみにしてるわ、明日の放課後デート。じゃあまた明日ね、冬月くん。ふふっ」


「え……えぇー?」


 呆然とする中、秋乃さんは足取り軽く角を曲がって姿を消してしまったのだった。


「あ……鍵……」

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