第65話 希望と不安
ピピピピピピ・・・・・・
けたたましく鳴る枕元のスマホをひっつかんで、寝返りを打ちながら停止ボタンを押す。
(もう朝か、さすがにまだ眠いなぁ)
夕べは深夜の帰宅だった。でも今日から出勤する事を決めている以上朝寝坊は出来ない。布団にそえた腕を伸ばして上半身を起こすと、ひとつあくびをして布団から這い出した。
不思議なもので、
「あ、未来君おはよー」
「早いわね、出社時間ギリギリまで寝ててもいいのに」
台所では母、芹香と登紀さんが朝食の準備をしてくれていた。僕と違って肉体的にも疲れているはずの登紀さんだけど今日も早起きだなぁ、見た目は女学生でも実年齢は大お婆ちゃんな彼女はやっぱりそのせいで朝が早いんだろうか。
背中を向け並んで包丁と鍋の担当をしている二人を見ると、まるで本当の母娘のように見えて思わず笑みがこぼれる。まぁ年齢的には中年女性と大お婆ちゃんが並ぶ台所なんだけど、誰が見てもそうは思わないよなぁ。
居間に行き、出勤のための服装に着替えて、社に持っていくお土産や得た資料を社用鞄とスポーツバッグに纏める。会社から出た休暇である以上お土産は常識だし、時遡プロジェクトの被験者としては事態の進展を願って旅で得た経験を活かしたいところだ。体が中学生レベルまで若返っているのでスーツやシャツがぶかぶかなのがちょっと悲しい。
「「いただきます」」
母と登紀さん、僕の三人がテーブルを囲んで朝食にかかる。ちなみに父さんは個人タクシー経営なので決まった出勤時間はなく、今も自室で高いびきだろう。タクシー業自体が夜の仕事なので早起きにはあまり意味がない、車社会の徳島県なら尚更だ。
朝食はやっぱり絶品だった。ご飯とお味噌汁、金時豆の煮物にアスパラの豚肉巻き、レンコンとさつまいもの天ぷら。帰って来て早々徳島産のオンパレードだ。
「うん、美味しい、さっすが」
「昨日まで東北やったからねー、対抗意識出してしもたわ」
あ、なるほど。昨日まではずっと旅行飯だったし、特に最後の宮城での食事はとてもクオリティが高かった。そのせいで肥えた舌にもこの朝食は負けないほどの美味しさだった。
「地元の味じゃからねぇ、食べ
母さんがそう続く。飲み慣れた水は一番体に合うというけど、これがそういうことなんだろうかな。
「おー早いなみんな、まだ出勤には早いだろうに」
朝食が終わり、歯を磨き終えて出勤準備が終わった所でようやく父さんが起きて来た。一応プロジェクトの専属ドライバーとしての立場もあるので、このあと僕と登紀さんを社まで送ってくれるそうだ。
「あなた、朝食はどうします? 登紀さんが腕によりをかけて作ってくれてるけど」
「さすがに食べる時間は無いだろう、二人を送って行ってから帰ってきていただくよ」
そう言ってどっこいしょと居間に座る父。と、TVが七時の時報を告げ、県内ニュースに切り替わる。
『お早うございます、まず最初のニュースですが、吉野川下流の吉野川橋南北のアンダーパスが増水の為、通行が出来なくなっております。迂回路は橋上の交差点ですが、混雑が予想されるため――』
「げ、とうとうアンダーパスも通行止めか、どーなってんだこりゃ」
頭を抱える父。なんでも四国はこの冬から春にかけて記録的な少雨だったにもかかわらず、吉野川水域の水位は減るどころか例年以上に上がっているらしい。
「東京とかのニュースでも言ってたよね、それ」
「そうやねぇ、利根川水域でも水不足みたいやったのに、吉野川だけなんで?」
僕と登紀さんはそう声に出した後、顔を見合わせて目をぱちくりさせる。
・・・・・・まさか、ね。
◇ ◇ ◇
「本当に休暇はもういいのね」
「はい!}
出社後、三木理子専務のオフィスに出向いて預かった旅費とカード、領収書を返却する。残金を数えながら「欲がないわねぇ」などと嘆きつつ、社内テレビ電話を通じて各部署に通達する。今日から被験者、天野未来が職務に復帰すると。
「じゃあまず最初に広報部に出向いて頂戴、とくしんの記者にアポ取っておいたから」
そもそもが僕の休暇は被験者時の24時間体制の超過勤務問題が建前としてある。しかも休暇中も表向きこの藍塚の社内に居たという設定になっているから、若返った事のネタばらしも含めて世間に釈明する必要があったのだ。
広報部で
「あの、何か気になる事でも?」
「吉野川の異常な水位上昇ですよ、なんか新たな源流でも湧き出たんじゃないかって、ウチでもやっきになって調べてます。なにせそろそろ梅雨が来ますから、このままじゃえらいことになりますよ」
確かに。広報部のソファー横にあるTVでもそのニュースが流れっぱなしだ、すでに台風でも来ない限り達しない警戒水域になっていて、このままだと川の氾濫が予想されるとかで川岸の住民には注意が呼びかけられている。
僕はもう一度、登紀さんと顔を見合わせる。その現象にはどこか心当たりがあったから・・・・・・
◇ ◇ ◇
「待っていたよ、さぁさぁ見てくれたまえ、この充実の医療機器、薬品、そして我々の研究成果を!」
三木七海さんと合流した後、最上階の医療ルームに上がるや否や橘リーダーを始めとした医療班の面々が、大量の医療器具と共に大手を広げて出迎える、なんかあまりに自信満々過ぎてちょっと怖い。
「まずはこの
王さんが腕に巻く血圧測定計のようなバンドを掲げる。彼女によるとこれには体の細胞の変化を感じ取るセンサーと超小型化された自動注射針が搭載されていて、腕に巻いているだけで魔法陣の発動=細胞の急速後退化を認識し、すかさず”橘ワクチン”の細胞弾を撃ち込む機能が備わっているらしい。
ちなみにもう特許申請もしているそうだ、この機器はセンサーの感知種類を変えるだけで他の病状にも応用が利く。例えば寝たきりの患者や孤独生活を送る人たち、目を離した隙に死が訪れかねない人に身につけて貰えば、万が一の時に迅速に投薬が出来るのだから。
「多くの方にプロジェクトへの出資をしてもらっているからね、利益的な結果も出さないと」
ベルッティ君がそう続く。
他にも橘ワクチンの変異種、細胞分裂を促進して時遡病を押し止める薬品から、全身すっぽり覆うスーツで体の各所の温度をバラバラにすることで細胞縮小と温度の関係を測るセンサースーツ、一秒以内に細胞や血液を瞬時に採取する機械など、この数日で完成させた研究成果を続々と披露される。まだ理論だけのものも多いけど、それでもわずかな間にこれだけの成果を出してのけるとは・・・・・・
「やはりキッカケは”橘ワクチン”の完成だったよ、あれで皆やる気になったんだねぇ」
Dr.リヒターの言葉通りワクチンの完成が医療班の、そして世界中の医療協力者、研究者の大きな転換点となった。呪いを否定するのではなく、そういうこともあるかと考えた上でそれに対抗する医療法を模索する事で、今までになかったアイデアをどんどん出すことが出来たのだ。
「おおかみさま、とやらがゴメンナサイするのももうすぐだよ!」
ヤボ君が胸を張ってそう宣言する。医学では歯が立たないと思っていた呪いの力を、今まさに彼らが追い詰めにかかっているのだ。これはなんとも痛快な話じゃないかと思わず笑顔がこぼれる。
「ほな、ななみん。しばらく未来君をお願いな」
「あ、うん。早速行くんだ」
登紀さんがそう言って僕にアイコンタクトする。そう、彼女はこれから”七つのひみつ”のうちの一つ、どうして登紀さんが生け贄の身代わりになり得たのかを調べに行く。手がかりがあるわけでは無いが、それでも彼女が呪いを受けた時の記録や場所を探れば何かが分かるかもしれないと言っていた。
ちなみにマルガリータさんとピーター君はすでに剣山から戻っていて、呪術班の留守番役のアバ・ハリス君と一緒に、僕たちが持ち帰った旅の資料の検討に入っている。登紀さんの秘密が分かれば、呪いの方の解明もさらに進むだろう。
「じゃあ登紀さん、頑張って」
「未来君も、しっかりね!」
コツンと拳を合わせて後、登紀さんが部屋から出て行く。さぁ、いよいよ最終ラウンド、この呪いをみんなの力で打ち破るんだ!
登紀は一階のロビーまで来ると、スマホでアイン・J・鐘巻を呼び出す。こと捜査や調べ物に関して彼の右に出る者はおらず、自分のルーツを探るのに彼以上の協力者は考えられなかった。ほどなく彼の車を回してもらえることになり、玄関に横付けしたワゴン車に向かって足を踏み出す。
背後で聞こえるロビーの大モニターTVのニュースに、ぞくりとした悪寒を感じながら。
―日本の南岸に発達した前線がゆっくりと北上しております、日本各地でも、間もなく”梅雨入り”の時期で―
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