第35話 束の間の休息

「休暇、ですか?」

 朝、十二階の診察室を訪れたプロジェクトリーダーの三木理子専務の意外な言葉に僕、天野未来は目を丸くする。

「ええ、この一か月大変だったでしょう、なにせずっと会社に缶詰めだったじゃない? 少しリフレッシュするといいわ」

「でも、仮にも僕の為にみんな動いてくれているのに、肝心の僕が休暇だなんて・・・・・・」

 一歩専務に詰め寄り、両手を斜め下に広げて抗議する。医療班の皆さんは連日頭を悩ませているし、呪術班の方々は全国各地に研究の旅に出ている。それを尻目に当事者の自分がのんびり休みなんてありえない。


「そろそろ労働基準局に何か言われそうだしねぇ」

 後ろからそう言ったのは三木七海さんだ。彼女曰く僕が被験者となっているこの一か月は事実上24時間出勤扱いになっており、法律で定める規定労働時間を遥かに超えているらしい。会社としてはブラック企業の烙印を押されるのは御免だという事のようだ。


「我々医療班も一度、発想の転換をしたくてね」

 橘医師の言葉にDr.リヒターが頷いて続きを語る。患者である自分が身近にいるとどうしても既存の治療法に意識が向いてしまい、革新的ドラスティックな発想が出来ないでいる。なので一度僕から離れてチーム全体で改めていくつかの治療法を検討し直してみたいとの事。またそのための機材や環境の整備も込みで、しばらく僕がいない方がいいとの事だ。

「まぁ帰ってきたら覚悟しておきたまえ」と並んで笑う二人の表情が何か怖いんですけど。


「会社の経営的にも、そろそろ気合を入れなおさないといけないでしょうしねぇ。ね、理子ちゃん・・・・・

 隣で登紀さんがにっこり顔でそんな事を言うと、専務はぎくっ、と顔を引きつらせて「あ、あはは、流石ねー」と冷や汗を流す。

「どういう、こと?」

「この一か月時遡プロジェクトにかかりっきりで、藍塚薬品としての営業成績がねー」

 冷ややかな登紀さんのツッコミに専務は、勘弁してーとばかりに手を胸の前に持ってくる。え、この会社そんな事になってたんだ・・・・・・。


「まぁそんな訳だから二週間ぐらい、ふたりでゆっくり旅行にでも行ってらっしゃい。あ、領収書はちゃんと貰ってきてね」

 そう言って僕と登紀さんにカードと現金が入った封筒を渡す専務。ずっしり重い封筒の中には、見たこともないような万札の束が入っていた。

「こんなに・・・・・・?」

「余ったら返してもらうから、しっかり贅沢して全部使ってきなさい」


 そんなこんなで僕と登紀さんはスマホの居場所を会社と共有した後に、本社を追い出されてしまった。仕方ないので近場のバス停に向かおうとしたところに、見覚えのあるスポーツカーが横付けして来る。

「よう未来、休暇なんだって? お疲れ様」

「父さん!」

 専属運転手ドライバーの父にも連絡が行っていたようで、助手席には母もいる。どうやら会社が気を利かせて、今日は家族で休みにしてくれたようだ。


 久々に帰宅した我が家だったけど、さすがにのんびりとくつろぐ気にはなれない。なにせこの体は今も一秒ごとに若返っている、自分に残された時間はあと十八年しかないのだ。普段そのために奔走してくれている医療スタッフが身近にいない今の状況に、どうしても心細さを掻き立てられてしまう。


「大丈夫やって、みなを信用せなんだらあかん。ほれに病気なんやったら気分もリラックスせな、病は気からやで!」

 登紀さんが僕の顔色を見て笑顔を向けてくれる。ああ、思えば60年もこの病と付き合ってきたんだな、彼女は。

「ありがとう、じゃ、会社のお言葉に甘えますか」

 気分を切り替えて二人は居間の座布団に腰を下ろす。ほどなく母がお茶を入れて来てくれたので、家族三人と登紀さんでティータイムと洒落込むことにした。


「にしても、登紀ちゃんって私よりずっと年上やったんやねぇ」

「どうりで阿波弁が板に付いとるワケやな」

 母さん父さんの言葉に、その節は嘘をついてごめんなさいねと頭を下げる登紀さん。思えば初めて父と会った時は運送会社への謝罪に行く時だったし、母の場合も夏の阿波踊りの時に浴衣の着付けにこの家に訪れた時で、まさか彼女が138歳にもなる大お婆さんなど想像のしようもなかっただろう。


「ほんで、未来の病気が治ったとして、それからどうするの?」

 真面目な顔で母が登紀さんに聞く。かつては彼氏彼女だった二人の関係は今や様々な要素が複雑に絡み合い、カップルなどという表現では収まり切らない間柄になっていた。

「ほらもちろん、未来君と親しいお付き合いを続けて行きたいですよ」

 諸問題など何処吹く風、とばかりに笑顔で返す登紀さん。その変わらない態度が僕はすっごく嬉しかった。

「でも未来君がなー、100歳超えのおばあちゃんなんて受け入れられへんのちゃう?」

「そんな事無いよ、登紀さん以外こそ受け入れられないから!」

 前にも言った事だけど、僕は登起さんの見た目年齢に惚れたわけじゃい。あの日出会った時からずっと彼女に惹かれていたんだ、勇気を出して告白し、交換日記を通じてよりを深めていった。それは僕の人生で一番の恋愛だったんだから。


「ほんでコレやもんねぇ、この真面目君は」

「はっはっは、こーゆーヤツやけん、よろしく頼むわ」

 赤面している登紀さんに父さんが笑顔で返す。母さんはハイハイご馳走様と皆の湯呑みにお茶を継ぎ足していく。僕の真面目さをツマミに茶を飲まれてるみたいで何かちょっと嫌だ。


 その後、お昼ご飯を食べに近くのレストランに出向き、その後は海沿いの公園で体を動かした。入院漬けになっていた体はかなりなまっていて、頭一つ背の低い登紀さんに運動能力で全然かなわなくて、散々引きずり回されてしまった。

 ふと考える。登紀さんはもう138歳の大おばあちゃん、その彼女が公園でこうして見た目相応の少女のようにはしゃぐのは、彼氏である僕に気を使ってくれているのだろうか。それとも体が元気だから素で運動を楽しんでいるのだろうか。

「どしたん、難しい顔して?」

 あ、いけないいけない、顔に出てたようだ。例えどちらにしても僕が変に気を遣えばかえって登紀さんは困るだろう。だったら僕も深く考えずに今を楽しむべきだ。


 ひとしきり遊んだらもう夕方になっていた。帰りの車内で登紀さんはちょいちょいと後ろ手を指し、僕も「あー、うん」と頷いて返す。なんかもう習慣と言うか、僕と登紀さんがデートしてる時は自然と第三者の目線が意識に入る。さっきのレストランから、いや会社を出る時からか・・・・・・本当にもう。


 帰宅後、僕は今日の分の交換日記の執筆に入り、登紀さんは母さんと夕食の準備を手伝っている。昼から運動をしたせいか、しっかりお腹が減っている・・・・・・思えば不思議なものだなぁと思う。僕の体は一秒ごとに若返っているのに、お腹はちゃんと減るのみならず、その日使ったエネルギーに比して空腹度が増すなんて、病気でも呪いでも、どちらにせよ律義な事だ。


「おーきたきた。って、なんか量、多ないで多くない?」

 父さんが運んできた料理にそう注文を付ける。確かに四人分にしては多いような気がする。と、登紀さんが僕の方を見て、人差し指を窓の外に示す。ああそういう事か、と立ち上がり、玄関から外へ出る。


 少し離れた路地に駐車しているワンボックスカーの際に行き、コンコンとドアをノックすると、ウインドウが電気音を立てて下がっていく。車内にいたのはもうすっかりお馴染みの出羽亀さんだ。

「あちゃー、バレてたか」

 へへへと頭をかく三木七海さん、助手席には彼女の尾行の師匠であるアイン・J・鐘巻さんもいて、よっ、と右手を挙げて笑顔を見せる。

 まぁ尾行を責めるつもりは無い、今の僕は世界的に貴重な奇病の検体なのだ。世界中に公開しているとはいえ、その研究を独占したい輩が僕を誘拐する可能性だってゼロではない。なのでスマホの居場所登録に加えて、こうして僕らを警護してくれているのだから。


「夕飯ご一緒しませんか? 登紀さんお二人の分も用意しているみたいですよ」

「お見通しかー、トキちゃんには敵わんなぁ」

 やれやれといった表情を見せた三木さんが、鐘巻さんの方をちらりと見る。

「ご相伴に預かってこい」

 二つ返事でそう返す鐘巻さんに、やったーとわざとらしくバンザイする三木さん。

「鐘巻さんもご一緒にどうぞ」

「いや、俺はいい。家族団らんみたいなウィットな付き合いは苦手でな」

 ドアポケットからがさがさとパンを取り出し、こっちのほうが落ち着くんだよ、とダンディな態度で返す。流石にこれじゃ無理に誘う訳にもいかないと、彼を残して七海さんと家に向かう。


「ね、お風呂頂いてもいい? トキちゃんと」

「大丈夫だと思うよ」

 ラッキー、と悪戯っぽい笑顔を見せる彼女。今日一日ずっと車の中だったらしく、リフレッシュできるのは有り難いらしい。

「なんなら天野君も一緒に入る?」

「絶対それ言うと思った」

 予想していたからかいを上手くかわすと、「手強くなったなー」と手を広げて軽く舌打ちする七海さん。



 そんな僕らを車内から見送るアイン・J・鐘巻。元国際警察インターポールの警部であり、当時の登紀さん(偽名、沼田さん)と仕事をしていた彼は、誰に言う事もなく呟いた。


「私があの家・・・の敷居を、跨ぐわけにはいかんからな・・・・・・」

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