第22話 わたしのこと、わすれて

「な、なにこれ……」

 未来君が驚いて私から身体を離す。それも当然の話で、今のこの光景を見て平然としていられる人などさすがにいないだろう。


 私の足元を中心にして、半径3mほどの赤く輝く月が地面に浮かび、下から二人を照らし出している。周囲はまるで黒いフィルターでもかかっているかのように、景色も施設も、星々すらも闇に霞んでいる。


「あ、あああ・・・・・・っ!」

 頬を押さえて後ずさる。そう、思い出した! あの遠い約束の日、私が呪いを受けたその夜は今夜と同じ月食の日だった、魔方陣か何かだと思っていたあの赤い円は、月蝕に赤く照らされる月面だったのだ。


 そして、あの日と同じ様に、月の外周から、ゆっくりと・・・・・・手が、生えてくる・・・・・・・・


「ひ、ひぃっ!?」

 まるでゾンビの登場シーンのようなホラー光景に未来君が後ずさり、一瞬おいて「登紀さん、逃げて!」と私の身を案じて叫ぶ。その間にも、地面から生えてきた手が地面を支え、そのか細い身体を赤い月から這い上がらせる。


「え……こ、子供?」


『おにいちゃん、だぁれ?』

『かわって、くれるの?』

 子供たちが未来君の方を向いて、物欲しそうな顔でそう聞いてくる。その言葉に私の全身に悪寒が走り抜ける!

「え、何を・・・・・・?」

 その痩せ細った幼子たちの問いに安心し同情したのか、彼は片ヒザを付いて柔らかく問いかける。


「ダメえぇぇっ! 未来君、その子達から離れてえぇっ!!」

 私の叫びに未来君がびくっ、と反応し、子供達は『えー』と不安顔を見せる。


 どうして、どうして未来君が『こっち側』におるんな!今までこの世界に居たのは私とこの子達、そして魔方陣だと思っていたこの月だけやった、ほなのになんで今回だけ、彼まで連れ込んでしもとるん!!

 そしてそれは最悪の想像を掻き立てられる。この子達は私だけじゃ飽きたらず、未来君まで生け贄に、時遡の呪いに引きずり込もうとしとるんか! そんな事っ、絶対にさせへんっ!!



 一歩足を引くと、それに従って足元の月が動く。その上に立つ子供たちもそのままスライドし、未来君から一歩遠退く。

「この子達と口を利いちゃダメ、私から逃げてえぇっ!」

 背を向けて走り出す。そうだ、距離をおけばきっと彼もあちら側現実に戻る、きっと近すぎたんだ、抱き合っていたから彼を巻き込んでしまったんだ、ほんなら距離を置けば!


 登紀さん待って! という彼の声を振り切って丘を掛け降りる。来ちゃダメや、私から出来るだけ離れるんや、そう祈りながらひたすらに走る。


「登紀さんっ!」

 ああ、やっぱり彼は追って来る。追ってこないはずがないんだ。


 と、ズルッ、ザザァッ! と音が聞こえる、未来君が足を滑らせて派手に転んだみたいだ。足元の月が地面を照らしている私と違って、暗闇の丘を全力疾走で駆け降りているなら無理もない事や。いつもなら一も二も無く駆け寄って大丈夫と手を差し出したいけど、今だけは違う。この幸運を生かして、彼からこの子らを引き離さないと!


「はぁっ、はぁっ、はぁ・・・・・・」

 未来君を振り切って科学館の建物に身を隠す。もう建物は閉館しており、もし上手く潜り込むことが出来れば彼を完全にまく事が出来るだろう、期待はしていなかったがそれでも入り口のドアに手を添え、体重をかけると、ドアは意外にもきぃっ、と音を立てて開いた。


「はぁ、はぁ、こ、ここまで、来れば」


 科学館の入場口から展示館に向かう、ガラス張りの渡り廊下を歩きながら、確認するようにそうこぼす。もうさすがに彼はあちら側に戻っただろう。私を心配そうに探しているだろうけど、それに心が痛むけど、今だけはゴメンね未来君。


 渡り廊下の外側に、ひとつの光が目に止まった。


「え・・・・・・うそ」

 未来君と目が合った。全ての景色も人々も薄黒いフィルターがかかっているこの世界で、彼だけはその存在をはっきりと輝かせている、彼と、私だけが。

「なんで、まだ、『こっち側』に、居るのよ・・・・・・」


 未来君が何かを叫んで科学館の入り口の方にダッシュする。見つかったんだ、こっちに来るんだ、嫌、ダメっ、来ないでっ!

 息をのみ込み、展示館に向けて走り出す。でも力強い足音は、しっかりと追いかけてくる、追いかけてきてくれている。追いかけて来てしまう。


「登紀さんっ!!」

 ほんの数m先に彼は立つ。この暗闇の世界に彼だけはまるで蛍のように、全身をうっすらと光らせてそこに佇んでいた。

 赤い月光を下から浴び続ける私と、7人の子供達と向かい合って。


「どうしたんだ、何があったの、その子供たちは、一体何なの?」

 一歩詰め寄って、顔を不安に歪めて、それでも私を追い詰めないように声を押さえて彼が言う。その優しさや私を案じてくれる気持ちが、今は痛い。


「ダメ・・・・・来ないで、今だけは、お願いだから!」

 一歩後ずさる。このままじゃ未来君まで呪いと贄の世界に巻き込んでしまう。でも、どう言えば彼は私から、この子たちから離れてくれるのだろう。真面目で優しい彼が、怯える私と痩せこけた哀れな子供達から・・・・・・そんなの、絶対無理じゃない!


 とん、とお尻が何かにぶつかる。え? と息をついて後ろを振り返る。そこにあったのは展示物を囲う柵と、入場受付のデスクだった。

 その柵の後ろには、展示物である巨大な振り子が、ゆっくりと揺れていた。


「フーコーの・・・・・・振り子」

 地球の自転を証明したその振り子。一度ゆらすと同じ方向に振れ続ける性質を持つそれが時間と共に振れる角度を変えることで、地球が回転している事を示した振り子のレプリカ。

 それは太陽が、星が、月が、東から登って西に沈むことの、時が流れる事・・・・・・の証。


 彼に危機が迫っている、その彼はここから決して逃げない、そして今ここに時を紡ぐ仕掛けがある。


(そういう、こと、なんか)

 その時が来たんだ、と、私は悟った。いつかは未来君の記憶を消して、彼を思い出にするつもりでいた。でもそれはもっと先に事になるかと思っていたけど、その時は今だと運命が告げているんや。

(もうちょっとだけ、一緒に、おりたかったなぁ・・・・・・)


 すっ、と体の力を抜いて、未来君に向かってまっすぐに立つ。さぁ、本当の事を話そう。



「登紀さん」

「聞いて、未来君」

 静かに口を開く。

 終わりの語りを、始める。


「私ね、もうお婆ちゃんなの。今年で138歳になるんだよ」

「・・・・・・え?」

「私の誕生日ね、12月15日なの。1884年、明治17年の」

「じょ、冗談・・・・・・だよね?」


 愕然とした表情の未来君を見て、私の胸がずきり、と痛む。でも話さなければいけない、伝えておかなければいけない。記憶を消す以上、せめて、せめてその前には、私の事を知って欲しいから。


「77歳の時、私はこの子たちと出会った。この子たちね、生け贄なんだって」

「いけ・・・・・・にえ?」

「それでね、この子たちに『代わって』ってお願いされたの。私はもうお婆ちゃんだったし、この子たちが可哀想やったから、いいよって言っちゃったの」

「登紀さんが、ええっ、どうして?」

 その声に頭を振って返し、そして続ける。

「それは分からない。でもその時から私の体は、若返り続けた。一年に一歳ずつ、一秒に一秒前まで」

 そう言って横の受け付け机かのペン立てから一本のエンピツを手に取る。


「見て」

 私は右手でそのエンピツを握りしめ、ゆっくりと振り上げてから左手を前に出し、その手の甲に勢いよくエンピツの先を振り下ろす!

 ズン! という音を立てて手の甲から平まで貫通する。未来君が声にならない声を上げて、私の目の前まで駆け寄って、そして、見る。


 貫通したエンピツの先が、ぽろりと私の掌から零れ落ちるのを。私の握るエンピツの胴が、途中から切断したように消え失せているもを。

 そして、私の手にわずかな傷も、血の後すらも残っていないのを。


「そんな! なんで・・・・・・」

「私の体はね、一秒ごとに、その一秒前に作り替えられているんだって。だから、一秒前の私には、刺さっているエンピツなんて無かった・・・・の」


 声を出す事も出来ずに固まる未来君。あまりに現実味のない私の話を、信じざるを得ない目の前の光景を、摺り合わすことができないといった表情で。


 その彼が、あ、と何かに気付いた顔をする。

「じゃ、じゃあ、あのお墓の晴樹さんって・・・・・・」

 ああそうか、思えば不自然な話だったよね。もし私が見た目通りの年齢なら、あの神ノ山家のお墓に私の愛した人が眠っているのはあまりにも不自然だ、そんな事も彼は聞かずにいてくれたんだ。

「そう、私の旦那様。もう70年以上前に亡くなったの」

 あの時はセックスまでした、なんて言った。でも本当は性交どころか結婚し子供まで産んで、夫婦として同じ人生を歩み続けた伴侶だった。病で先立たれたけど、時代がら恋はしなかったけど、それでも夫として添い遂げて来た、大事な人だった。


 そんな事実を聞いて、未来君は認めざるを得なかった。私の呪いを、若返りを。


「今も私は若返り続けている。それでね、この子たちと同じ年まで若返ったら、私は生け贄になるんだって」

「そんな! そんなのダメだよ!!」

「どうして? 私はもう十分に生きたの、他の人が羨むくらいに、こんな若くて健康な体で」

 両手を広げて笑顔でそう返す。そう、私は恵まれた。老いる事もなく若返り、青春を、恋を堪能した。だからこれも運命と受け入れなければいけない。


 なのに、なんで、涙が、止まらへんのや・・・・・・


 すっ、と彼の手が私の頬に添えられる、親指で涙を優しくぬぐってくれる。


「僕が、代わるよ」


 ああ、やっぱり未来君だ。彼ならそう言うと思ってた。好きな女の子が泣いて感情を殺しているのを見て、それを助けようとしないわけなんて無かった、知ってた、だから・・・・・・


 周囲の子供たちがその言葉に、顔をぱぁっと明るくするのが気配でわかった。でも、ダメ。生け贄の身代わりは、あくまで私でなくちゃあかんのよ。


 私の顔を覆っている彼の両手を、外側からそっと包み込む。その手の甲を握りしめて頬からそっと離して、私は首を横に振った。

「未来君はダメ、ちゃんと生きなさい」

「そんなのダメだよ・・・・・・僕は、君が好きなんだから!」


 最後の最後までそう言ってくれるんだね、本当にありがとう。

 じゃあ、その未練を、無くしてあげる。


 時を紡ぐ振り子が揺れる空間で、私はついに、その言葉を、発した。



 ――わたしのこと、わすれて――






「僕はここで・・・・・・何をしてたんだろう」

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