第19話 刻む時、戻る|登紀《とき》

『 い け に え 』 


その言葉を聞いた時、私は背筋の凍りそうな悪寒と同時に、それにそぐわないその明るい声に胸が締め付けられるような思いに囚われていた。

「生け贄・・・・・・おまはんら、どういうことかわかっとるん?」

『うん、とってもいいことなんだって』

『かみさまになるんだよ』

『ひとばしらになって、おとうやおかあをたすけてあげるの』

 ああ、やっぱり。この子たちは物の善悪も分からないまま、大人たちにいいように利用されようとしているのか。あるいはそういう迷信が信じられていた頃の子供達なのか。どちらにせよ酷い話や。


『でもね、おおかみさまが、かわってもらえ、って』

「おおかみさま?」

 おおかみ?それとも大神おおかみと訳すべきなのか。どちらにしてもその存在が私に呪いをかけたのやろうか、この子たちの身代わりとして。


 だとしても、どうして私が選ばれたんやろう。


 77歳のお婆さんだった私が、この子たちの年齢まで若返るのに70年はかかる。そんなに長い間この子たちは待つことになるのに。

 私もまた、若返る長い時を、孤独と孤立で生きて行かなければならんのに。

 そして今、やっと長い時の中で、かすかな暖かい時間を迎えていられたのに。


 疑問と恐怖と、そしてこの子たちへの哀れみが頭の中でぐるぐる回る。そのオオカミ様とやらはどうしてこんな酷い事をするのか。どうせならあの時、お婆ちゃんの私をそのまま身代わりにしたらよかったのに、こんな長い間私を弄んで、この子たちを待たせて・・・・・・

 私の二度目の人生に、あたたかな想いを与えてくれた人たち、離れ難い出会いをした自分に、別れを告げる運命まで課して。


「・・・・・・未来君っ!」

 駄目だ。とてもこのまま彼と別れるなんて出来ない、だって恋してしまった、恋されてしまった。ああ、私は何て不用意な約束をしてしまったんやろう、どうせお婆ちゃんやからええなんて思った自分をひっ叩きたい、これじゃまるで振り込め詐欺に遭った老人と変わらんやないか!


『だいじょうぶだよ、おばあちゃん』

「え?」

 頭を抱えてしゃがみ込む私に、子供のひとりが下から見上げてそう告げる。

『おばあちゃんは、ときをさかのぼる。だからときをすすむものとまじわったとき、おばあちゃんは”こっち”のひとになる』

 どくん、と心臓が跳ね上がる。”こっち”の人。つまり時を遡り、普通の人々とすれ違い、いつか生け贄になってこの子たちを救う、そんな世界と隔離された存在ということ。

「時を・・・・・・進むもの?」

 そこだけが思考に引っかかる。時を進む、それは私以外の全ての人々の、当たり前の日常のはずなんじゃ・・・・・・


『たとえば、あれ』

 別の子供が一方を指差す。その先にあったのはさっき私がネジを巻いたあの掛け時計だ。薄暗い世界の中で、無音のまま針の上で人形が躍っている。


「・・・・・・時計?」


『うん。だから、そのときおばあちゃんは――』

『そのときおばあちゃんがいのったら、おばあちゃんのすきなひとは』


 -みんなから、わすれられる-




 そんな子供たちの声を最後に、闇が掻き消えて光が差す。踊りを終えた仕掛け時計のドアがぱたんと閉まり、カッチ、コッチ、と無機質な音を響かせる。


「おんや、お客さんかいな。女の子の小遣いで買える品はあらへんでぇ」

 声がする、人が居る。仕掛け時計の音を聞いた店主らしき人物が不愛想にそう言った後、急に口調を変えてこう続ける。

「どないしたんや、おまはん、泣いとるんか?」



 店主に構わず店を飛び出した。涙がぽろぽろ溢れて止まらなかった、ただひたすらにアパートに向かって全力で走った。

 恐怖と、寂しさと、孤独と、憐れみと、後悔と、絶望と、喪失感と。あらゆる負の感情が混ざり合って心を揺らし、それが体の水分を全て涙に変えるような勢いで溢れてくる。光の水玉を撒き散らしながらただ走った、全力疾走する疲労感も、悲鳴を上げる足の筋肉も、今の私にはなんの気晴らしにもならなかった。


 部屋に駆け込み、制服のまま畳んだ布団に突っ伏す、そのまま嗚咽を出して私は泣いた。でもそれすらもどんな声を出せばいいのかすらわからなかった。ただただ「あぁぁぁ」とうめき続けながら涙を流し続けた。



 涙と声が枯れ尽くした時、ようやく私は思考を整理する余裕が出来た。そして思い返してみた時、その全てがカチッと音を立ててハマる気がした。同時に私の中にある呪いの力の全てを理解した、理解できてしまった。


 時計、時を順進する物。それが仕掛けを発動する時、時を遡る私は”呪いの側”に立たされる、この正常な世界と隔離された存在になる。皆は私を忘れ、あの子たちの世界へと誘われる。


 だから今日、先生は”チャイム”が鳴った時、私を一瞬忘れたんや。委員長会議の時も同じやった。ここ最近であの呪いの子供たちを夢で思い出したんも、思えば明け方スマホの”目覚ましアラーム”で目覚める瞬間だったのだ。

 せっちゃんが一瞬私を忘れたのはコンビニのイートインで作っていたカップ麺のタイマーがゼロを示した瞬間やったし、ななみんがそうなったのは体育の時間で私の50m走のタイムを計っていた時やった。


 そしてあの阿波踊りの日、未来君が呆然と私を見つめてからコンビニに駆け込んだのも、道端にある仕掛け時計が9時を告げた瞬間。



 -そのときおばあちゃんがいのったら、おばあちゃんのすきなひとは、みんなからわすれられる-


 時計の仕掛けと重なっただけでも彼らは一瞬私を忘れた。もしその時私が望めば、私の親しい人は私の全てを忘れるというの・・・・・・私の”呪い”を成就する、その手助けのために。


「至れり尽くせり、やなぁ」

 いつか来る未来君との、そして友達との別れの時、その力を使えばみんなは私の事を奇麗に忘れてしまうのだ。後腐れも無く、私の事は無かったことにされる、悲しまれることも、思い出も、恋心も消え去って・・・・・・


 私は、彼らと、すれ違う。



「望んどらんわ、そんな事ぉーーーっ!!!」


 布団を叩きつけて、声にならない声を上げて絶叫する。


 かつて代わってやるなどと迂闊な約束をした自分にも。

 そのおかげで長い時を生きてこられた人生を有り難いと思わない自分にも。

 いけない事は分かっていて、それでも友達を作って青春してしまった事にも。

 

 その全てに、怒りと悲しみが込み上げて、心の中で爆発する。


 未来君と恋をした自分にも。

 自分に恋した未来君にも。

 その恋心すら消し去る余計なサービスを備えた、その”呪い”にも。


 時を遡る私の『登紀とき』と言う皮肉の利いた名前にすら。

 私が恋する男の子の『未来みらい』という、すれ違う運命を示したような名前にすら。


 私は、私自身を、そして世界を。


「うわあぁぁぁぁぁぁーっ! いやああああああああーー!!」



 呪った。

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