第12話 夏の日の告白
7月末、国分寺高校の片隅に黄色い声が響く。今日はプール開きの日で、4時限目には1年女子が割り当てられていた。
「ふーっ、気持ちええー」
私は朝からテンション高めやった。何せ水泳など何年ぶりのことになるやら、もう100年以上も前の幼子の時に川遊びをして以来な気がする。あの時代は男の子も女の子も普通に丸裸で川に飛び込んでおり、こんなスクール水着に水泳帽、消毒液のにおいがする青緑色に箱型のプールなど、すべてが初めての経験だった。
「しっかしトキちゃんって、背は低いのに結構出るところ出てるねぇ、このロリ巨乳」
「下品な言い方せられん!」
隣にいる
「ちょっと私にも分けなさいよ、そのたわわなエキス」
「そんなものどうやって分けるんや!」
何か吸い取られそうな気がして胸を両手で隠して一歩引く。まぁ確かに長身の彼女は意外にもあまり胸が無く、それをぴっちりと覆う水着がちょっとアンバランスなセクシーさを醸し出している。
「スポーツするんやから無い方がええじゃろ?」
「まー、そうなんだけど、やっぱ将来モテたいじゃん」
そう返すせっちゃんに私はあれ? と首をかしげる。
「本田君だけじゃダメなん?」
私の問いかけにせっちゃんは「えー」と呆れ顔で私を見る。そんな風に見られてたんだと言いつつ息をつくと、後ろ手でちょいちょいと一人の女生徒を指差す。その先にいたのはビード板に捕まって必死な顔でバタ足をしている副委員長、宮本さんだった。バタ足といっても機敏さは全然無く、一足ごとにどぼん、どぼぉんと水面を叩き続けている・・・・・・見るからに運動は苦手そうだ。
「本田君に近づいてみてわかったけど、まぁあの二人絶対にデキてるわよ。多分キスまでは確実に行ってるんじゃないかな?
「うっそ! ほんまに?」
あまりにも意外な話やった。本田君は柔道一直線な体育会系で、宮本さんは文学まっしぐらなタイプやのに、よく共通の話題があったもんや。
「多分本田君が小説のネタにしやすいタイプなんだからでしょうねぇ」
「あ・・・・・・なるほど」
プールサイドに腰かけて話を続ける。確かに宮本さんの性格を考えたら、今時柔道なんて人気のない部活に打ち込む委員長は格好の話のネタになるだろう。ひょっとしてキスもそのために? なんか彼が気の毒になって来る。
と、突然後ろから、いつもの下世話なニヤニヤ声が割って入る。
「人のことより自分はどうなのよ、あれから天野君と進展あったー?」
今日は『女の子の日』故に見学だった
「おまはんいっつも人のことばっかやねぇ、自分も彼氏くらい作ったらどうなん?」
ななみんはそのおさげリングな髪型も相まって年齢以下の可愛らしさがあるが、時折はっとするほど色気を感じる時がある。その瞬間だけは大人が女子高生に扮しているような錯覚にすらとらわれるほどだ。彼女が本気で恋愛に動いたらさぞモテるやろうに。
「私はねぇ、しょーじき男子にはキョーミ持てんわ」
腰に手を当て、天を仰いでそう嘆くななみん。だからって女が好きなわけでもないけどねー、と付け足す。
「かといって委員長や副委員長みたいに、何かに打ち込んでいるってワケでもないよねぇ、ななみんって」
せっちゃんの問いに、まぁねと返すななみん。毎日明るく元気な彼女だが、確かに生き甲斐的な何かは感じられないでいた。
「私は何事も広く浅くなのよ、のめりこむのは好きじゃないし。で、天野君とは進んだ?」
話題を戻された。あのあすかむらんど遠足以来、確かに彼との距離は微妙に近くなっとる。彼がシフトの休日にはたいていお弁当を持って資料館を訪れ、昼食と懇談の時間を取っとったし、その時だけは私は彼を下の名前の『未来君』と呼んでいた。まぁさすがに学校では天野君呼びやけど。
まぁ変わったというか良い方向になったんは阿波弁を隠さなくてもよくなった事だ。郷土文化研究部に所属しているなら、その研究の一歩として積極的に方言を使うのは立派な活動の一環、という建前のもとに地を隠さずに話せるのは大きなメリットだった。
そんな話をすると「そっちじゃなくてー」と二人が揃って抗議する。知らんて。
同時刻、一年男子は全員が体育館に集められて社会講義の授業を受けていた。この度地元、徳島の大企業の藍塚グループがこの国分寺市に新たな部門の会社を設立するとのことで、その未来を担う若者を確保しようと会社の偉いさんが近辺の高校を公演して回っているのだ。就職組がある程度いるこの高校にとって、人手を確保したい会社側と就職先を決めたい生徒側は確かに利害が一致していた。
とはいえ朝からずっと喋りっぱなしなので、ほとんどの生徒は退屈からダレ気味で、周囲からもひそひそと雑談が聞こえてくる。
(なんで大学生じゃなくて高校生なんだろうなぁ)
(賃金安くて済むからじゃね?)
(まぁ工場の単純労働だろうし、そうなんだろうねぇ)
(2,3年じゃなくて1年集めてる時点で青田刈り確定やなぁ)
そんな声を聴き流しながら、
「ここにいる皆さんの半数ほどは、あと2年で社会に出ることになります。その覚悟と未来をしっかりと見据えつつ、今の青春時代を悔いのないようにやり尽くしてください」
社長の奥さんである三木専務がそう演説を締めくくる。こんな大企業に夫婦経営とは珍しいが、演説はどちらも非常にエネルギッシュなものがあり、身内で固めた無気力な会社とは違う実力主義を感じさせた。
そういや同じ部活のクラスメイトの三木さんと同じ苗字だなとは思うが、その覇気がお軽いノリの彼女とは全くの正反対だ、まぁよくある苗字だし。
ようやく講義が終わり、皆首をコキコキしたり背伸びをしたりしながら、やれやれと体育館を後にする。まだ1年生の一学期から真剣に将来を考える者はあまりいないだろうから猶更だろう。でも専務さんが最後に言った言葉だけは皆の心に響いたようだ。
「今の青春をやり尽くす、か」
そう呟いてまず頭をよぎったのは、クラスメイトの神ノ山さんの事だ。単に同じクラス、同じ部活というだけじゃなく、多分だけど、自惚れているのかもしれないけど・・・・・・彼女は僕に好意を抱いている、と思う。
中学時代に片想いをしたことがあった。でも結局告白もできず、それどころかろくにお近づきにすらなれずに、彼女は上級生の、ちょっと不良の入った男と交際を始めた。ほどなく彼女が髪を茶色に染め、耳にピアス穴をあけた時点で僕の恋心は儚く霧散してしまった。その時はしょせん女の子はそういうものなんだと思っていた。
でも今は違う。自分が一目見て奇麗だと思った人が、自分に好意を寄せてくれている。
もしここで僕が踏み込まなければ、神ノ山さんとの縁が切れてしまえば、彼女は次の恋を探すだろう。それがどんな相手であれ、失恋したのは彼女が僕を見なかったせいじゃない、一歩踏み出さなかった自分のせいなのだ。
ああ、そうだよな、と思う。中学時代ももし告白していたら、万に一つあの子と付き合っている未来もあったかもしれない、彼女が髪を染めることも、耳に穴をあけることもなく、自分の隣で笑っていたかもしれない。例えほんの1%の可能性であったとしても、それをゼロにしたのは自分なのだ。
でも踏み出すのは勇気がいる、怖くないわけがない。彼女にせせら笑われてクラス中の晒し者になる未来がありありと思い描けてしまう。君みたいな真面目君好みじゃないよ、身の程を知ったら、はい天野君玉砕ー、などとはやし立てる声がどうしても頭をよぎる。特に勉強もスポーツも飛びぬけていない、背だって高くはないしイケメンなんてうぬぼれることもできない、ただ真面目なだけの自分が神ノ山さんみたいな美人と並び立つ様を、どうしても思い描くことが出来なかった。
家に帰って机に向かう。今日の宿題は会社演説に対するレポートの提出だ。社訓や徳島の未来予想図に対しての文章はすらすら書けたが、どうしても専務の最後の言葉、神ノ山さんの事が頭から離れない。
「ほい未来、コーヒー淹れたよ」
お母さんが部屋に入って、机の脇にコーヒーカップの入ったトレーを置いてくれた。それをすする間に母は書きかけのレポートを手に取って目を走らせる、事務員の母は速読が得意で、新聞も小説もあっという間に読み終えるという特技を持っていた。
「よく書けとるねぇ。あ、でもここ誤字あるよ、あとここは句読点打って、ここは改行な」
コーヒーを一口すする間にこのチェック度である、
「ねぇ、どーやったらそこまで文章に強くなれる?」
母の尊敬できる部分を知ってみるのもいいかなと思い、普段あまり聞かないことを聞いてみる。
「聞きたい?」
突然に嬉しそうな表情になった母さんが、いつにない勢いで食いついてきた。え、なに、地雷踏んだ?
「実はねぇ、私とお父さん、学生時代からずっとね・・・・・・」
今日も今日とてお弁当持参で、資料館へ未来君の陣中見舞いに向かう私。ちなみにななみんは最初の日に来て以来興味を無くしたらしく、あれから一度も来ていない。まぁ元々帰宅部になるために入った部活だし、展示品は初日で見尽くしているとなればわざわざここまで足を運ばないだろう。
とはいえ山裾に開かれた広い敷地の芝生公園は、夏の日差しにすがすがしい風を運んでくれる。こういうのどかな休日を堪能できるだけでも、ここに足を運ぶ価値はあると思うんよ。
「こんにちわ。今日もお弁当持ってきたよ」
受付の机に座る未来君に声をかける。でもいつもなら喜んで顔を赤らめて受け取ってくれるんだけど、今日は何か様子が違っていた。無言でお弁当を受け取ると、しばし瞑目した後に意を決したように立ち上がり、真っすぐに私を見つめる。え、何、何かまずいことしてもうた?
「お、お昼に大事な話があります!」
びくん!と体が跳ね上がる。そんなまっかっかな顔で距離の近い男子に言われることが何なのか分からないはずもない。まして100年以上も生きているこの私が!
「う、うん、待っとる」
そう返して、入室しかけた資料館を出ていく。ああどうしよ、こんな大おばあちゃんが10代半ばの男の子に告白される? いやでもその原因を作ったのは明らかに私の方やし、でも返事どないしたらええんやろ・・・・・・
昼休みが来てしまった。いつものお弁当を食べる広場で、彼は予想通りの真っ赤な顔で私の前に立つ。私もまた緊張の面持ちで彼の顔を見る。頬が熱い、なにこの青春シチュエーション、恥ずかしながら人生初体験や。
彼が手にしていた紙袋に手を差し入れる。やおらそれを取り出すと、まるで卒業証書を授与するかのように頭を下げて”それ”を私の前に突き出し、宣言する!
「僕と、交換日記してくださいっ!!」
は、と目を丸くする。開いた口が塞がらない。完全に時間が固まってしまっている。いやこの時も私の体は1秒ごとに若返っているはずなんだけど・・・・・・
どどどどどっ、と空気と地面が軽く震える音が響く。私たちがえっ?とそちらを向くと、そこには屋外トイレの陰から将棋倒しのように潰され倒れこむ人の山があった、しかもみんな知ってる人だし。
「あ、あはは~、お邪魔しましたぁ」
一番下敷きになっているななみんが頭をかいてごまかそうとする。その上にはメモとシャーペンを構えたまま真顔の宮本さんがふむふむ、と頷いてペンを走らせ、さらに上や横には本田君や渡辺君、せっちゃんに加えてなんと未来君のご両親までが姿を見せている。少し後ろには職員の
ま、まぁ、こんな目立つ場所でこの状況を作った私たちも私たちやけど。
交換日記を受け取ってお弁当した後、私は居辛くなって(当たり前や)そそくさと退散した。まさか後をつけられて張られているとは、元探偵のこの私が・・・・・・学生侮れじやなぁ。
アパートに帰宅して、どすんと畳んだ布団の上に腰を下ろす。あーあ、なんかせっかくの休みがヘンな形で終わってしもた、また明日から学校やなぁ。交換日記書いて渡さんと。
紺色の厚紙の表紙で閉じられたやたら立派な日記帳を開く。どうやら外国の本格的なものらしく、それだけで彼の気合の入り様が伺える、それはそれでちょっと嬉しかった。
ぱらり、とページをめくり、最初の一頁を見る。
『好きです、付き合ってください』
ただ1行、日記にはそう書かれていた。
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