第11話 時を刻む振り子

 きゅっ、と左手の甲を握られる感触があった。

(え・・・・・・神ノ山、さん!?)

 心臓が跳ね上がる。暗闇のプラネタリウムで、あの神ノ山さんが満天の星空の下でいきなり手を握って来るなんて、そんなのドキドキするなという方が無理だ。手のぬくもりが伝わるにつれて、どっどっどっどっ、と心臓が早鐘を打つ。こ、この状況って、もしかして・・・・・・

 不埒な妄想をする自分が恥ずかしくなって思わず顔を逆に向ける。こんな顔を見られたらまた呆れられる。いやでも、手を握って来たのは神ノ山さんの方なんだし、僕が照れるのはなんか違うじゃないかと思う、単にからかわれているだけなら動揺しちゃだめだ! と意を決して、首を彼女の方に回す。


 彼女の頬に、光が流れていた。まるで流れ星のように。


(・・・・・・え!)

 彼女は泣いていた。天井を見上げたまま瞬きもせず、目からぽろぽろと雫をこぼしている。その涙が星の光を反射し、きらきらと星の輝きを映し出していた。


 声が出なかった。

 「どうしたの、大丈夫?」と声をかけるべきなのに。どうしてかそれが出来ない。握られた左手は熱いくらいに熱を持っているのに、僕は彼女の涙から目を離すことが出来なかった。


(・・・・・・きれいだ、すごく)

 星明かりに照らされた彼女の顔は、その涙もあいまって幻想的な、いや神秘的といっていい見姿をそこに表していた。その手の先には自分の手がある、そこから自分に繋がっていることが、まるで自分もその絵の一部であるかのような気がして動けなかった。動いちゃいけないような、気がした。


 いやいやと心で首を振る。なんて不謹慎な事を想うのだろう。女の子が泣いている姿に見とれるなんて、僕はいつからこんなひどい男になり下がったのだろう。

 でも、動けない。どうしてだろう、ここで動く事が、彼女に声をかけ、慰める事の方が、彼女を傷付けることになるような気がするのは。

 どうしてなんだろう。その美しい涙の輝きを、僕はどこかで見たような、知っているような、そんな不思議な思いに囚われてしまうのは。


 体を正して上を見上げる。星の光を浴びながら、左手に彼女の体温を感じて目を閉じる。と、彼女に握る手が少しだけ強くなった。少し迷った後、僕は左手を返して彼女の手を握り返した。


 不思議だった。目を閉じているのに、僕には周囲の姿が手に取るように想像できていた。満天の星明りの中、僕と彼女は草原の真ん中に手を繋いで横たわっている、彼女はその瞳から宝石のような涙を流す。でも彼女は嗚咽も発していなければ、鼻をすする事も、顔を歪めることもない。ただただ流れる涙を受け入れるかのように、虚ろに星を眺めている。


 自分の心がその絵の中にある事に、心の底から嬉しさを感じる。彼女と手で繋がっている事に、自分もその神秘的な世界にいる事が感じ取れる事、まるで自分が世界に受け入れられるような、そんな嬉しさや誇らしさが湧き上がって来る。


 そんな蜜月の時間は、館内が明るくなることで終わりを告げた。



「大丈夫? 神ノ山さん」

 出入口付近にあるイスに座った彼女に声をかける。本当はもっと早くそう言うべきだったんだろうけどそれが出来なかった。放映終了後、なんとかハンカチを出して涙をぬぐい、不思議そうな顔をしている彼女を連れてプラネタリウムを出るのがやっとだった。

「ごめん・・・・・・なんか、迷惑かけてもたね」

 彼女の謝罪に、ううん、と首を横に振る。僕の方こそ君に見とれて連れ出すのが遅れたのに。


「ヘンな女やって、おもた?」

「ううん、泣いているのはびっくりしたけど、手を握ってくれたのは、その・・・・・・嬉しかったよ」

 それは事実だ。泣いている彼女が、どこか自分を頼ってくれている気がしたから。

「ありがとう、もう大丈夫、楽んなった」

 そう言ってにっこりと笑顔になる。よかった、いつもの神ノ山さんだ。でも――


「ほな、科学館の方でも見て回ろか」

 立ち上がる彼女の正面に立ち、右手を差し出した。

「まだ少し心配だから、よかったら・・・・・」

 不思議と照れは無かった。普段から何か特別なオーラを纏ったような神ノ山さんが、今だけはどこか儚げで、消えてしまいそうな存在に思えたから。


 その手を彼女がきゅっ、と握る。

「ありがと」

 そのまま腕を引き付け、とすん、と自分の胸に体を預けてくる。


 ぴったりとひっついたままの体制は、長かったのかそれとも一瞬だったのか、よく分からなかった。

「天野君って、案外たらしなんやねぇ」

 ・・・・・・え?

 ぼふっ!と顔が湯気を上げる音が聞こえた気がした。「うわわわっ!」と声を上げて一歩引くが、彼女は腕を掴んで離さないまま、逆に僕を引っ張って歩き出す。

「ほら、行こ! 未来・・君!」



 科学館の入り口は中庭を通り抜ける長い渡り廊下になっていて、その先にある受付の横には早速科学に関する展示物が揺れていた。

「フーコーの振り子、だって」

 6~7mほどもあるワイヤーで天井から吊るされた、バスケットボールほどもある大きさの振り子が、ゆっくりと左右に揺れている。

「時間と共に揺れる方向も変わるんやねぇ、地球の自転の証明なんやな」

 振り子の周囲にはドミノみたいなプラスチック棒が立っている。揺れる振り子はその棒をひとつずつ倒しながら角度を少しづつ変えて行っているのだ。


 と、僕の手を握る彼女の力がきゅっ、と強くなった。神ノ山さんは振り子を見ながら、何か思いつめたような表情を見せていた。ふと、あのプラネタリウムの時のような儚さが、今の彼女にダブった気がした。

 元気づけるようにその手を握り返すと、彼女はあっ、と反応して息をつき、こちらに笑顔を向けて来る。よかった、いつもの彼女だ。どうやら気のせいだったみたいだ。


 二人で並んで科学館に入る。それとすれ違うように出て来たのは、先に入って全ての記録系アトラクションを塗り替えて来た本田と川奈の二人だった。彼らは奥に向かう人影を振り返ってしばし呆然とした後、目を丸くして・・・・・・


 同時に、同じ言葉を、発した。



 ――今、天野の隣にいたの・・・・・・誰だっけ――

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