21話 さぁ、復讐を
*
____元気すぎる子ですが、誰とでも仲良くなる子でしてね。しかも、本当に才能があるんです、空は。なんせ、あの旧鳳凰堂家と羽根野家の血を引いているし、お父様の羽根野大地様が直々に鍛えた子ですから。あ、もちろん血筋じゃなくて、空が一生懸命頑張ったってことが、一番のあの子の力の源ですがね。
休憩時間、魔法界の担当者はなんてことのない口調で言った。空を大事に、そして誇りに思っている口ぶりだった。
その瞬間から雅の思考が激流のごとく止まらない。弟や実家のことは考えないようにしていたし、クラロイドもルナも、雅が頭を痛めたり、過呼吸になったりするので、昔のことを話さないよう気を遣ってくれていたから。
封をしていた記憶がいきなり開いて、動揺で脳が埋め尽くされる。旧、鳳凰堂ということは、実家はもうないのか。復讐を誓っていた癖に、恐怖で実家に関する情報をシャットダウンしていたから知らなかった。そしてさっき会った人間の魔法少女は、大地の。
「……やび、雅!」
はっ、と意識が戻る。ルナが心配そうに雅の顔を覗いていた。
「担当さん、まだまだ電話長くなりそうだからもう少し休憩しててだって。大丈夫? お腹減ってるの?」
「ルナと一緒にしないの」
「冗談だよぉ。僕だって空気くらい読めるし」
マリットはルナを小突いて、雅に視線を向ける。
「あの、鳳凰堂って、雅さんの実家の家名ですよね」
「うん。ほんと、嫌な偶然よね」
雅は誤魔化すように、はは、と笑ったふりの声を零す。
「雅、あの空って子ともう会いたくない? 昔のこと思い出しちゃう?」
「……分からないの。でもお願い、空さんには私が叔母だってことは言わないで」
「でもあの子、雅さんの弟の子供なんじゃ」
「怖いの」
思わずマリットの言葉を遮ってしまうほどに、雅は恐れていた。雅は顔を両手で覆う。
「私は親に歯向かった暴力女で、弟をひとりにしてしまった罪人なのに、今の今までそれに見ないふりをしていた。そんな私が、弟の大事な子に、あんなに真っ直ぐな子に、どう接すべきか分からない。私は、いるべき場所から逃げ出した、おまけに実の親に手をかけた罪人だってこと、どうして今まで見ないふりしてきたんだろう」
「違う!」
ルナが雅の両肩に手を乗せる。雅はゆっくりと、おぼつかない揺れた瞳のまま顔を上げた。
「罪人って呼ばないでよ。僕が、僕の家族が雅をほんとの家族のように受け入れたのは、雅が罪人だからじゃないよ。雅がとっても素敵な女の子だったからだよ」
ルナの声ははっきりと雅の耳に届く。だけど、手が届かないほど奥の揺れる心には届かなかった。雅は俯く。
もどかしげなルナの背にそっと、マリットは手を添える。
「……ルナ、己を罪人だと思わないようにすることは、そう簡単にできないものよ」
「だけど!」
「私は孤児院育ちだから、本物の家族っていうのはよくわからないけど……血が繋がってるからこそ、簡単に割り切れないこともあるんじゃないかな」
ルナは眉を下げ、言葉を探す。こんなときどんな言葉をかければよいのかわからなくて、ルナはそんな自分が情けなくて、胸がずしんと重くなった。
しばしの静寂の後、車両のドアが開いた。
「お、お疲れ様です、失礼します」
「王子! どうしたの?」
「あの、休憩中だって聞いて、お菓子と飲み物持ってきました」
くれなは静寂を包むようなあたたかな声とともに、菓子盆とコップと麦茶のピッチャーが乗ったおぼんを持ってきた。
「ありがとう、くれな。気を取り直して、私たちもまったりしましょ」
「……そうだね。おやつおやつ!」
担当者は電話が終わったが、カワタレとゲンと喋っている。なんでもカワタレのファンだとか。
ルナの好きなメロンのお菓子があり、ルナは目を輝かせたが、すぐに、くれなの後ろの人影に視線が移る。
「し、失礼しまーす。なんか魔力ピリピリしてる、この部屋」
おずおずと、くれなの背に隠れて空が来ていた。おぼんを小さなサイドテーブルに置くくれなの後ろに、緊張した面持ちでくっついている。
雅は顔を上げて、目を見開く。
「空さん、私にお話するときみたいでいいんだよ。雅さん、空さんがお話しをしてみたいそうです」
くれなの言葉は、雅の鼓膜を撫でても頭までは聞こえない。それくらい、雅は空の顔を見て放心した。
「大地……?」
小さな小さな声でつぶやいて、雅は固まる。わかっている。大地がいるはずがない。人間をやめて歳を重ねるのが遅くなった自分よりも、大地はもうずっと大人になっているはずだ。なのに、視覚と心がちぐはぐになって、喉が苦しい。だってあまりにも、目の前の彼女の瞳が大地に似ているから。
雅の顔をじっと見つめた空は、少しして顔色をぱあっと火が灯るように明るくした。
「やっぱりそうだ! もしかして、女神様!?」
「えっ?」
雅だけでなく、ほかの3人も首を傾げた。
空は雅の動揺した顔色などお構いなしに、雅に歩み寄って、彼女の手を握る。
「お会いできて光栄です、女神様! あなたのこと、お父さんからたくさん聞いてます! すごい、本当に魔法界にいたんだ……!」
「あ、あの、私は女神でもなんでもないのよ」
「えっ、でもお父さんが家宝だって言って、毎日朝の挨拶をしている肖像画はあなたじゃないんですか!? 顔も髪色も一緒ですもん。それに、私が間違えるはずないです。だって、毎朝屋敷の全員が集まる大食堂に飾られているんですから」
家宝の肖像画も、朝の挨拶なんて習慣も、雅が鳳凰堂の屋敷にいた頃にはなかった。食事を全員でとる習慣も。ということは、雅の顔をした肖像画は、大地が作らせた物。
「……ごめんなさいね。きっと、私が少し似ているだけよ」
弟が自分を覚えてくれている、ささやかな喜びがじわりと胸に広がる。同時に恐ろしくもあって、指先が冷たい。弟はもう娘がいる歳になったというのに、まだ己は、弟の心に蔓延っているのか。
「あなたも……あの子に、そっくりね……うっ」
「雅!?」
ふらりと横に倒れかける雅を、ルナが駆け寄って支える。マリットとくれなも慌てて駆け寄った。
「くれな、コップ取ってくれる?」
「は、はい!」
「雅さん、休みましょうか?」
「……大丈夫、ここで倒れたら、一生後悔するわ」
誰の目から見ても、大丈夫ではない。雅は額を手で覆い、なんとか立ちあがる。
そんな顔色の悪い「女神様」を見て、空は唇を折り、濡らす。脳裏には父の言葉があった。
『彼の方は、鳳凰堂のことを思い出すと苦しくなってしまうらしい。だから、幸せな国で暮らしているんだよ』
空にとって、肖像画の女神は憧れだった。だから、だからこそ。
「ご、ごめんなさい! 女神違いだったかも」
少し裏返った声に、4人の視線が空に向く。
「これは私の独り言なんですけど、お父さんはいつも言ってます。女神様のおかげでクソな実家を、義理の兄弟と協力して、粉々に内側からぶっ壊すことができたって。あと、今、たくさん野球もゲームも、いろんな楽しいことができるようになったのは、女神様のおかげだって」
「……空さん」
くれなにも、空の「独り言」が空自身に言っているものではないと分かった。これが空なりの、苦しい記憶に頭を痛める女神様への、感謝と優しさなのだろう。
「私もすごく感謝してるんだ。私の大切な家族を、助けてくれたから。他の大きい家と違って、自由の楽しさを当たり前のように味わえるのは、お父さんが女神様の言葉を胸に頑張ったからだし。辛い思いしてきた女神様の話を聞いて、私も厳しい鍛錬に耐えることができたんです」
空は痛いほど真っ直ぐな眼差しで、雅を見つめる。
「『今は女神様を辛くさせてしまうから会えないけれど、でも、死ぬ前に絶対迎えに行くんだ』って、お父さんが言ってました」
空は深く頭を下げた。
「私の、独り言です。忘れてください。嫌な気分にさせたらごめんなさい」
雅はしばし空を見つめて、短く息を吸った。
「……よかった」
ふらり、と雅は一歩を踏み出す。空の前に立ち、ゆっくりと頭を上げた空を見つめ返す。雅の眼差しには不安などの危うい感情はなく、愛おしさで溢れている。
心から、空の言葉が嬉しい。未だ、心を締め付ける忌々しい記憶を飲み込むことはできない。けれど、空の言葉が、未だに居る心の中の、たくさんの刃物が刺さったあの夜の雅に、手を差し伸べてくれた。
「謝るのはこちらだわ。失礼を許してね、ごめんなさい。あなたのような美しい心の魔法少女が、あの子の傍にいてくれて、よかった。本当に……」
雅は口元を押さえた。
「ほんとに、よかった……」
目に溜まった涙が零れていく。静かに涙を流す雅の背を、ルナが「よかったね、雅」と温かな声とともに優しく撫でる。マリットもくれなも、初めて見る雅の涙を見つめながら、顔を見合わせて微笑んだ。
「女神違いでしたけど、もうひとりの女神様は涙も綺麗なんですね。お父さんにも、伝えておきます」
空の答えに、雅は涙を流しつつ頷いた。噛み締めるように、何度も。
*
休憩にしては濃い休憩時間が終わり、記録係の3人は再び業務に戻る。
くれなと空は、カワタレとゲンのいる車両に戻った。4人はソファに腰かけて、麦茶を飲む。
「空さん、女神様って、雅さんのことで間違いないんだよね?」
「……うん。肖像画だけじゃなくて、お父さんが少しだけ隠し持ってる写真と、顔が全く同じだった。あとね、お母さんから聞いてたんだ。お父さんが口癖のように言う肖像画の女神様は、お父さんのお姉さんのことだって」
「へー! じゃあ、雅ちゃんは空ちゃんの親戚?」
空は頷いた。
「昔、面会希望の書類を出したとき、『彼女は今もトラウマで苦しんでいて、会えない』って言われたその日から、お父さんは実家を吸収でも没落でもなんでもいいから、潰すことを決めたんだ」
「……鳳凰堂は先代当主の病気が悪化して、息子が引き継いだ直後に吸収されたと聞いていたが」
「うーん。どこまで本当かは、娘の私にはわからないや。ただひとつ言うとしたら、お父さんとお父さんの義理の弟のおじさんは、身内から見ても優秀だからね。『なにか』してもバレないくらいの手腕はあるんじゃない?」
「はは、恐ろしや恐ろしや」
カワタレは軽やかに笑った。
空はきゅっとコップを両手で握る。その顔にはどこか安堵が見えた。女神様の今を知ったことへの安堵が。
「女神様が辛いことを笑顔で話せるようになるまで、私たちは、ずっと待ってる。相手の全てを知ることだけが愛じゃないし、ささやかに待つことはきっと、罪じゃないと思うから」
全てを知ることだけが愛じゃない。くれなは空の言葉にきらきらとした何かを見た。
以前、カワタレのことをもっと知りたいから、本人にもっと教えてほしいと言ったことがあった。あのときはカワタレも喜んでくれたし、今のように親しくなるきっかけになった。でも、相手の事情すべてを把握しているからといって、完全なる理解者になるとは、限らないのだろう。
ぷしゅう、と扉が開く音がする。ルナとマリットが「終わったよー」と伸びをしながら入ってきた。
「お疲れ。雅は?」
「魔法界に電話連絡中です」
「そーらちゃん!」
ルナは空に駆け寄って、彼女の片手を両手で握った。空は驚いたまま、まばたきをパチパチとする。
「本当にありがとね。雅が泣くのはいつも、嬉しいときだから。僕もすごく嬉しいんだ」
ルナの言葉に空は瞳を輝かせた。
「……えへへ、はい! こちらこそ!」
雅と担当者が戻るまで、全員で楽しく軽やかなおしゃべりをして、時間は流れていった。
*
空と担当者を魔法界の支部に降ろし、手を振って別れる。
『今度お会いするときは、魔法界からのスカウトのときになるよう、頑張ります!』
空は最後まで、気持ちいいくらいに明るい魔法少女だった。全員で大きく手を振り、列車はもう昼になった青空を飛んでいく。
夜からの任務だったため、交代で仮眠をとることになった。まずは雅とマリットとカワタレが眠っている。ゲンは電話がなったので、先頭車両に向かった。
ルナは「僕は夜型魔法少女だから」と、くれなとソファに並んで座り、次の絵本のストーリーを考えてはノートにメモしていた。くれなも、魔法界の歴史の本を読んで勉強している。
はぁ、と静かな空気に、ルナのため息が混じる。
「どうしたの?」
「……ちょっと、自分の力不足を感じてさぁ」
ルナはノートにシャープペンシルを置く。
「雅のようにたくさん苦労した頑張り屋さんに、僕みたいなぬるま湯で育った人の言葉は、薄っぺらいかもしれないよね」
ルナは俯いたまま、唇を折る。
優しい家族に不自由ない生活。雅はそのどちらも手に入らなかった。雅にはなんの落ち度もないのに。
この事務所に所属するものは皆、何かを抱えていた過去がある。いつも飄々としているカワタレも、己の手で師を殺さねばならなかった。ゲンはクーデターの一件で悲しい思いをした。マリットは未だ過去のことを詳しく話そうとはしないが、彼女も「生まれ育った孤児院は、悪意を持った者に壊されて跡形もないよ」と言っていた。
______それに比べて、僕は。
暗い思考の川に、やわらかな光が差す。くれなが、ルナの頭を撫でたのだ。
「薄くないよ。ルナちゃんが言うことも一理あるけど、大変な思いした人の方が偉いとか、そうじゃない人の言葉はだめだとか、そんなことは限らないって、思うな」
くれなの言葉は、いつもルナの心の影を照らしてくれる。一般的には間違ったことでも、綺麗事でも、今ルナが一番欲しい言葉をくれるのだ。
ルナは身体を横に傾けて、くれなに体重をそっと預ける。細い首をくれなの肩に乗せた。
「王子のそういうところ、僕、ずっと前から大好きだよ」
ただかっこいいから好きなんじゃない。こういうところが、ルナがくれなを「王子」と呼ぶ理由だ。
ルナはいつものように、明るく笑う。
「僕はこれからも雅の傍にいるんだ。苦労した人の傍に、苦労してない人がいちゃいけないって法律ないもんね!」
____もちろん、王子の傍にもずっといるもんね。
くれなへの想いは口には出さなかった。言わずとも、目が合って互いに微笑むだけで、もう言葉はいらないような気がした。
ぷしゅう、と扉が開く音がした。まだ仮眠の交代時間には早いのに、とくれなが首を傾げると、ゲンとカワタレが慌てて走ってきた。
「くれなちゃん! 朗報だ!」
「魔法少女チーム、スカーレット・スワンの逮捕状を、兄貴が手に入れました! やったー!」
嬉しそうなふたりに、くれなはぽかんと口を半開きにした。
逮捕。ついに、アカネたちと真っ向から対面するときが来るのだ。
「とうとう、来るってことですか? 復讐のときが」
「あぁ。……怖いよな。でも大丈夫。みんな一緒だ」
カワタレはくれなの頭をぽんぽん、と軽く叩いた。それに、強ばった心が少しほぐれる。
「カワタレ様、僕もそいつら捕まえに行きたいです!」
「そう言うと思ったぜ、ルナ」
ぷしゅう、と扉がまた開いた。マリットと雅が歩いてきた。
「私たち記録係も行くわ。ふふ、血が躍るわね」
「くれなのことを散々傷付けたんだから、それ相応の罰がないとね」
「よっしゃあ! 僕たちの王子のためだもん、一肌でもふた肌でもやつらの皮を剥ぐよ!」
「あはは! そこは一肌脱ぐじゃないんだ?」
いつもの微笑ましい空気が流れていく。
くれなはきゅっと、手を組む。復讐を望む気持ちと、アカネを見て、かつての怯え続ける人間だった頃の自分に戻るのではないかと、薄暗い霧が心に広がる。
くれなにゆっくりと雅が近づく。雅はしゃがんで、くれなに目線を合わせた。
「くれなちゃん、復讐って恐ろしいわよね」
「……はい。頼りになる皆さんがそばにいてくれる上に、自分で決めたことなのに、情けないです」
「いいの、いいのよ」
雅は立ち上がり、くれなを横から抱きしめる。
「復讐が誰かの心を救うことだって、あるわ」
雅の声には力強く芯があるような、説得力があった。きっと雅の弟が、雅のために実家に復讐したことが、雅の心を救ったことが背景にある。
くれなは雅の胸の中で頷いた。
全員でテーブルを囲み、作戦会議を始める。
「クイーンさんによると、『殺さなければいい』とのことだからな。カワタレ様に作戦がある。もちろん上の許可は取り済みだ」
カワタレは堂々たる顔つきで、口角を上げる。
「怖い思いには仮面を被せりゃいい。私たちは奴らの前で、幸せな復讐の物語を演じるんだ」
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