25話 涙


 人間界へと繋がる転移門へ、サニーとクイーンは歩いていく。


「サニー、フラれちゃったね」

「……その呼び方は久々だね、クイーン」

「幼馴染として、君の涙にハンカチを渡したくなっただけだよ」

「泣いてないもん」


 サニーが頬を膨らませる。クイーンは困ったように笑いつつ、その膨らんだ頬をつん、と指で刺した。


 くれなにすべての秘密を話した。くれなはこの世界の人間ではないこと、クーデターの主犯である、サニーが信頼していた魔法少女が、禁止されている魔法装置を使って、別の世界線から呼び出した人間であること、それ故に、魔力の質が周りに影響を与え、周囲の人間が急に冷たくなったこと。全て。


 だからくれなを、元の世界に帰したかった。クーデターを止められなかったゆえに、くれなを傷つけてしまった。その贖罪を果たすには、元の世界に帰すのが一番だった。


 世界線を書き換える魔法が禁じられているのは、世界の均衡が崩れてしまうことだけではない。世界線が変わることにより、いたはずの人がいなくなり、いないはずの人が生まれて、不和を起こす。くれなが生まれたはずの、本当の世界のくれなは行方不明扱いになっている。数年に一度、人の過去と、その過去に映った人のリアルタイムの今を見ることができる特別魔法の使い手によると、くれなの本当の家族は、くれなが行方不明になってからずっと、娘を探しているらしい。


 だが、くれなは首を振った。


『私の魔力が原因で、たとえ何十人の人間に嫌われていてもいいんです。私が心から大事にしたい人たちは、この世界にいますから』

 

 くれなのはっきりとした物言いに、クイーンもサニーも何も言えなくなった。


 そしてその「大事な人」が今、マリットという裏切り者に命を脅かされていると伝えると、くれなは動揺しながらも、すぐさまユニコーンの馬車へ向かい、城をあとにした。


 その後を追い、クイーンとサニーはここに来たのだ。


「___この世界線のくれなくんは、どこにいるんだい?」


 クイーンはずっと抱いていた疑問を投げる。


 別の世界線から特定の人物を呼ぶくらいだ。当然この世界にも、この世界の「本当の」くれながいるはずだ。名前や姿は違えども。


「しかるべき研究所で、クーデターのときに私を襲おうとしたときに、私がかけた催眠術で眠ってる。私の一番弟子の、隠し玉だからね。丁重に扱ってるよ」

 

 そもそもなぜ、クーデターの主犯は、禁止されている魔法を使ってまでくれなを呼び出したのか。それは簡単。この世界の本当のくれなが、重宝される存在だったからだ。


 カワタレとは面識がない魔法少女だったが、カワタレの「先生」にはよく面倒を見ていた、とても優秀な魔法少女がいた。それがこの世界の本当のくれなだった。


 そのスペアとしてこの世界に無理やり連れてこられたのが、カワタレがよく知る赤須くれな本人だった。


 くれなが実質スペアであることは、サニーは言わなかった。言えなかった。あんなに怯えていた目をしていたのに、今や痛いほど真っ直ぐにサニーに意見を言えるようになった。そんな子に、あなたはスペアの人間です、なんて、言えなかった。


 クイーンは使い魔の蝶を指に乗せ、リアルタイムのカワタレたちの状況を見守る。そして、息を短く吸った。


「サニー、急ごう。カワタレくんが自爆した」


 サニーは少し目の幅を大きくして、すぐに目を瞑り、姿勢を正す。


「クイーン、私の遺書の場所は分かるよね」

「___君はいつも、僕が昔あげた、桃色のお菓子の箱に宝物をしまうからね。僕が初めてあげたジュエリーも、今もそこにあるんだろう?」

 

 サニーは目を開くが、何も答えない。


「……まさか君の遺書を、思い出の宝箱から手に取る日が来るとはね」

「察しなさい。私はあなたがくれた宝箱に、命を託すの。他でもない、あなたにね」

「身に余る光栄だよ」

「嘘つき。本当に光栄に思うなら、駆け落ちでもして女王の座を捨てさせてくれても良かったじゃない」


 今度はクイーンが何も答えない。最後の最後まで、この幼馴染は似た者同士だった。互いを想うがあまり、遠ざかるところが。

 

「私は女王サニー。最期くらい、愛しい我が子のためにこの身を尽くすわ」


 凛とした声には、サニーが心を殺して女王を務めているうちに失いかけていた、何かがきらりと宿っていた。



「カワタレさん、カワタレさん……!」


 何度も呼びかけるが、返答はない。血まみれだが、まだ息はある。


 カワタレの自爆攻撃の後、カワタレの結界は綺麗に消えてなくなった。代わりにその上から張ったくれなの結界が、マリットを逃さないように閉じ込めている。マリットも無傷ではないようで、頭から血を流して静かに地に倒れていた。


「……ゲホッ! く、れ、な、ちゃん」

「今すぐ治療します! 喋らないで!」


 拙い治癒魔法に集中する。けれど、いつマリットが起き上がるか分からない。


 ____どうしよう、気が散って魔法が上手くできない、いやだ、いやだ、どうしようどうしようどうしよう、カワタレさんがいなくなったら!


 指先が震える。こんなときまでどうしよう怪物に襲われる自分が、情けなくて仕方がない。


 目の前の大事なこの人を絶対、絶対失いたくないのに。


 震えるくれなの手に、そっと冷たい手が触れる。カワタレの、血がべっとりとついた手に、くれなの思考がクリアになる。


「わたしが、いな、くても、だいじょう、ぶ、だから、な」


 その言葉が、くれなの心に留まり続ける。カワタレは目を閉じ、だらりと腕の力をなくした。


「カワタレさん、カワタレ、さん」


 途切れ途切れに名を呼ぶ。カワタレの胸に耳を当てる。まだ辛うじて、心臓は動いている。


 くれなはぐっと唇を噛み、最大出力で治癒魔法をかける。このままどうしよう怪物に従って何もできないより、やれることをやるだけやってやる。カワタレの言葉が、くれなの心を立ち直させた。


 しかし、カワタレの応急処置すらできていないというのに、今度はマリットが目を覚まし、立ち上がった。


 くれなの姿を見ると、マリットは瞳を目いっぱい輝かせた。

 

「くれな、来てくれたのね! 早速だけど準備は良い? サニーの首を取りに行くの!」

「……マリットちゃん、なんでこんなことしたの」

「私が率いる勢力には既に根回し済みだから安心して。あなたは私の右腕として迎え入れるからね」

「無謀だとは思わなかったの」

「あぁ、私の兄弟たちのお墓にも案内するわ。きっとみんな喜ぶでしょう」

「マリット!!」


 くれなの声には怒りが滲んでいた。くれな自身抑えきれないほどの、煮えたぎる感情が。


 マリットはため息を吐き、顔色を戻す。


「……もういいわ」

「よくも、よくも!!」


 ふたりは互いの武器を手に、ぶつかり合う。けたたましい音を立てながら、くれなの脇差とマリットの大型パチンコがしのぎを削っている。


 マリットは鉄の弾を手から生み出し、風魔法で目にも止まらぬ速度で放つ。だが、くれなは並外れた動体視力ですべて捉えていた。脇差ですべて切り落とす。さすがのマリットも驚くが、すぐに次の魔法の用意をする。


 くれなは数多の絵から飛び出す武器も全て脇差で切るか見事に躱し、マリットの魔法も全て躱す。


 マリットはぎり、と歯を食いしばる。もう魔力もあまり残っていないというのに、これ以上長引くのはまずい。けれど、攻撃を大きくしても細かくしても、くれなに当たらないか切り裂かれるかで、キリがない。まるで、カワタレの言葉で覚醒したかのようだった。


 _____結局こんなときまで、あなたはカワタレを選ぶのね。


 そんなことが脳裏によぎった瞬間、マリットはくれなの脇差に腹から右肩にかけてを切り付けられた。


「……ぐっ!」


 マリットはその場に片膝をつく。くれなはすぐさま脇差を構え、目にも止まらぬ勢いでマリットを倒して跨る。


「ねぇくれな、あなたは被害者なのよ? サニーのやつがクーデターさえ起こさせないよう気を付けていれば、あなたは幸せに暮らせていたのに」


 マリットが嘲るように微笑む。くれなは顔色ひとつ変えない。


「私は、魔法少女返納列車のくれな。被害者ではなく、異なる正義をもったひとりの魔法少女として戦う」


 くれなの瞳には、揺るがない芯があった。


「あなたの友として、戦う」


 真っ直ぐな言葉に、マリットはある言葉を思い出す。


 『_____いつかくれなは、自分ひとりで決断することになんのためらいもなくなると、いいよね』


 あの日マリットが言った言葉は、今、現実になっている。こんな形で、現実になってしまった。


「あは、あはははははははははははははは!」


 マリットはどくどくと血を流しながら、大声で笑う。


 しかしすぐに、くれなのことをひどく恨めしそうに、睨みつけた。


「嫌い、あんたのそういうところが、嫌い嫌い嫌い! 大っ嫌い!!」


 子供のような、絹を裂くような叫び声が結界の中に響く。


「弱っちいくせに人の事情に突っ込んで、綺麗な言葉ばっかり並べて! 裏の世界も、汚い世界も知らない、甘っちょろい空気にどっぷり浸かったあんたみたいなの!!」


 そこまで言い切り、マリットは肩で息をして、唇を噛む。今度は悔しそうに、くれなから目を逸らして。


 しばしの静寂ののち、小さく息を吸う音がした。


「……なんで、アタシの手を取ってくれなかったの」


 雫を一滴垂らすように、マリットの本心の言葉が空気に溶ける。


「ルナに、アタシの相棒にとってあなたは王子様だったけど、私にとっても」


 くれなは脇差を構えなおす。いつでも彼女にとどめを刺せるように。


「あなたのお姫様に、なりたかった」


 くれなが脇差を、マリットの心臓めがけて振るう。


 _____その刹那だった。


 何かが勢いよく空を切った。くれなが視認できたのは、炎の魔法。炎の弾はくれなの脇差を持つ手に当たり、カラン、と地に脇差を落とさせた。


「くれなちゃん、もういいよ」


 聞きなれた、ずっと恋しかった声が、耳を撫でる。ぎこちなく、振り返る。


 そこにはクイーンと、クイーンに背を預け目を閉じるサニーと、そして。


「な、なんで?」

「サニー様がすべての魔力を使って、私を生き返らせてくれた。もう、この国の偉大な女王は、息を引き取ったよ」


 クイーンがそっと、全てを託し終え、どこか晴れやかな顔で眠るサニーを地に寝かせる。そして彼はマリットの元へ歩み、マリットの手を後ろで組ませ、魔法を封じる特別な手錠で、彼女を捕まえた。


 くれなは結界を溶かしていく。空から木漏れ日が射して、カワタレの背を照らす。


「だから言っただろ? カワタレ様がいなくても大丈夫だったな、君は」


 カワタレはいつも通りの声で、いつも通り、堂々と笑った。 


 くれなはすぐさま立ち上がり、走り出す。


「う、あ、あぁ」


 心から望んでいた彼女の言葉を、声を、ずっと耳に残しておきたいと思った。


 くれなはカワタレに思いきり抱き着いた。カワタレの胸に顔を埋め、涙を流す。


「うわああああ、うわあああああん! うわああああああああああ!」


 カワタレは泣きじゃくるくれなの後頭部を、ゆっくりと撫でる。


 カワタレが生きている喜び、先ほどまで優しく話をしてくれた、偉大な女王を失った悲しみ。そして、大切な友だった人との、戦い。


 感情がぐちゃぐちゃになって、苦しくなって。こんなにも心臓が苦しくなるくらい、大事な人たちが、くれなにはできたのだ。


 遠くから涙目のルナと雅とゲンが走ってくる。3人も、傷一つなく息をしているカワタレと、泣きじゃくるくれなを見て、くれなと同じように涙を流した。





 


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