23話 裏切り者


 スカーレット・スワンが解体され、2日が経った。


 身柄引き渡しや事務作業や事情聴取を終えて、全員の仕事が落ち着いた今日、お祝いパーティーをした。くれな以外の全員が酒を飲んで、クイーンが予約しておいた高いレストランのテイクアウトディナーをたくさん食べた。


 復讐を終えた。だからといって、身体の細胞が生まれ変わったり、どうしよう怪物が出てこなくなったり、恐ろしい記憶が消滅するわけじゃない。明日からも生活は続く。


 けれどこの夜のことを、ずっと覚えていたいとくれなは願った。


 深夜にようやく全員はそれぞれの部屋に戻った。酒に弱いルナとマリットは、雅とゲンに運ばれていた。その間もずっとルナとマリットは「くれなが生きててくれて本当によかった」という趣旨の言葉を、へにゃへにゃと酔っ払いながら言っていた。


 おやすみ、と別れて部屋に戻ったけれど、くれなは目が冴えて眠れなかった。いろいろ考えてしまう。アカネたちはどうなるのだろうとか、カワタレがゴミ屑女呼ばわりするところまでアカネたちに怒りを露わにするのを、止められなかった責任だとか。


 諸々のことを考えても仕方ない。と、くれなは部屋をあとにする。こういうときはまず、ココアを飲むことにしている。カワタレが眠っているときなど、カワタレに大丈夫と言ってもらえない状況のときはいつも、ココアを飲む。次にバナナを食べて、それでもダメなときは、コンビニに行って何か好きなものをひとつ買う。ある意味、心の治癒行為だ。


 キッチンがある2階の事務所へ行くと、先客がマグカップを片手にソファに座ってテレビを見ていた。カワタレだった。


「カワタレさん、お酒ですか?」

「くれなちゃんにはお見通しか。そうだよ。あったかい妖精蜂蜜の酒。君にはまだあげられないな」

「ふふ、じゃあ私はココア、飲みます」


 くれなはキッチンに向かい、ココアの素でアイスココアを作る。ココアとカワタレの姿で思い出すのは、夜中にどうしよう怪物に襲われて、部屋で泣いていたときだ。


 カワタレは夜中だというのに、察したかのように部屋を訪れてきた。その手にはあたたかいココアの入ったマグカップがふたつあって、落ち着くまでずっと話をしてくれた。あの夜のことは、きっとこれからも忘れないと思う。


 アイスココアを手に、カワタレがいるソファへと歩く。カワタレはテレビの音量を小さくして、くれなを見る。


「眠れない?」

「……はい」

「どうしよう怪物か? それともあのスワンとは名ばかりの腹黒元チームメイト、あぁ、今は犯罪者集団だったか。そいつらのことか?」

「ど、どっちでもないので、お気遣いは優しいお気持ちだけ、大事に受け取りますね。ありがとうございます」


 くれなはアイスココアをテーブルに置いて、カワタレの隣に腰かける。この事務所で食事をとるときはいつもカワタレの隣だから、自然と隣に座る癖がついた。


「いろんなことがあったね。強そうな喋り方で演じる作戦、通用してよかったよ。まぁ私は最後、素が出ちゃったけど」

「か、カワタレさんがゴミ屑女って言ったことバレたら、怒られちゃいますかね」

「絶対大丈夫。あそこまで言わないと、あいつは大人しくならなかったよ。ま、怒られるときは思い切り駄々こねてやるよ。だって頭きたんだもーん」


 カワタレは全く反省していない。彼女は反省などしなくとも全てをまかり通せる力と権力と地位があるから、よほどのことをしない限りは生きていけるのだ。


 ココアを口に含む。飲み込んで、くれなはふわりと微笑んだ。


「……まだ、ふわふわしてます。泣き方も忘れて、どうしよう怪物で脳を埋め尽くされて、毎日苦しみに溺れていた私が、こんな気持ちになるなんて」

「はは! ここにいるみんながそうだ。私はもちろん、みんな君が幸せなら、自分も幸せだって思う気の良いやつらだからな。ま、『復讐なんて意味ない』なんて、復讐を嫌うような大層お高い思考の方々には毛嫌いされそうだけど」

「嫌われたって、私がその分、誰よりも皆さんのこと、大好きですもん」


 くれなの言葉には目に見えない力強さがあった。カワタレは口角を上げる。


 数ヶ月前まで今にも死にそうな顔をしていた、哀しい魔法少女が、こんなにも気持ちを伝えられるようになった。それだけでもう、カワタレは胸が苦しくなるくらいに嬉しかった。


「あの、カワタレさん」

「何?」

「欲しいものとかやりたいこととか、その、ありますか……? 私、お礼に何かその、あなたの願いをかなえたいんです。ご飯奢るとか、遊園地のチケット渡すとか、それぐらいのことしか、できないけれど」


 おずおずと、くれなはカワタレの顔を見る。


 カワタレはにやりと目を光らせて、くれなの肩に腕を回す。


「じゃあ1個だけ。私の部屋きてよ」



 カワタレとくれなは、カワタレのベッドで並んで寝転んでいる。温かな毛布の下、ふたりは寄り添っていた。


「き、緊張して、眠れないです」

「はは! まぁ、こんな綺麗な顔のカワタレ様がいたら、眠るものも眠れないか」


 カワタレがくれなにしたお願い。それは、今日だけ一緒のベッドで寝てほしい、という幼子のようなお願いだった。


 そんなことでいいんですか? と、思わず聞いていた。くれなは給料をもらっている身なので、多少の贅沢ができるくらいには、貯金もそこそこある。ご飯を10人前奢ることもできるのに、と思ったが、カワタレは「君と一緒に眠りたいんだ、今日は」といつものように笑うだけだった。


 まだ秋になる前の夜の空気は、生暖かい。毛布の中で自分の手をどこに置いたらよいのか、なんて思考を巡らせていると、カワタレが息を吸った。


「特別魔法、使うのが上手くなったな」

「へ?」

「桃頭アカネを捕らえたときの糸の魔法、きちんとコントロールできてた」


 カワタレは毛布の下で、くれなの手に己の手を重ねた。


「属性魔法もいろいろ使えているし、体術も言わずもがな。君はもう、カワタレ様がいなくてもやっていけるだろう」

「……カワタレさん、どこかへ行ってしまうんですか?」

「……いや、私はずっと、ここにいるよ」


 くれなはきゅっと、カワタレの指を柔く握る。ここにいると目の前の大事な人は言っているのに、何故か、喉の辺りが苦しくなった。


「今日頑張ったご褒美にひとつ、教えてあげよう。私の特別魔法についてだ」

「き、聞きたいです……! マリットちゃんが言ってました。カワタレ様は英雄だから、特別魔法をそう簡単に明かさないんだって」


 くれなは目を輝かせる。カワタレは微笑ましいものを見るような眼で、続ける。


「私の特別魔法はね『感情色』。誰かの気分とかが色で見えるんだ。悲しい時は青、怒っているときは赤、みたいにさ。たったそれだけ。しかも重症の人とか見ると、すごく濃い色に見えて、くらくらしてしまってね。だから、魔力の緻密なコントロールが必要な治癒魔法を、私は使うことができないんだ」


 カワタレの声は少し残念そうだった。けれど、くれなの目の輝きはますます増していく。


「すご、すごい……! だから私がどうしよう怪物に襲われているときも、心に寄り添うような、欲しい言葉をくれたんですね」

「……残念に思わなかったのか? 『英雄様』の特別魔法が、こんなもんで」


 くれなは首を振る代わりに、顔の近くの毛布を包むように握った。


「カワタレさんにもらった、たくさんの『大丈夫』の言葉に救われてきたんです。こんなものなんて思うはずないですよ。むしろ、納得しました。カワタレさんはいつも、私の心が見えているかのように、優しい言葉をくれたから」


 カワタレはまばたきをする。ちかちかと、視界が雷魔法を使ったかのように煌めいている。何にも代えがたい、美しい煌めきだ。


「それに最初に会ったときの私も、重症でしたよね。きっとくらくらしただろうに、ごめんなさい。でも、ありがとうございました。私を、見つけてくれて」


 視界の煌めきが増していく。手放したくないくらい、大切な輝きが。


 ______私を救ったのは、他でもない君だったのに。


 カワタレは胸に湧き上がる心地よい感覚を噛みしめる。


「なぁ、ぎゅってしていい?」

「はい。もちろんです」


 カワタレはくれなを抱きしめる。何も言わず、凪いだ空気が部屋に漂う。気まずさなんて少しもない。言葉にしなくとも、互いを想うことを互いが知っている。それだけで、いい。


 しばらくそうしているうちに、くれながウトウトと瞼を閉じたり開けたりを繰り返すようになった。


 やがてスー、スー、と静かな寝息が、抱きしめたままのくれなから聞こえてくる。


「君はいつまでも、私の大事なお姫様だよ。これからも、いつまでもね」


 眠り姫を起こさぬよう、小さな小さな声で呟いた。


 *


 数時間後、朝日が昇る頃。カワタレはするりとベッドを抜け出す。


 己のベッドで眠る彼女は、未だ目を覚ます気配はない。それに安堵と、寂しさが混ざり合って、心臓を締め付けている。


 カワタレは部屋を出る。ドアを閉める直前、名残惜しそうにくれなを見て、眉の端を下げた。


「_____さよなら」


 小さな言葉は、くれなの耳には届かず、朝の空気に溶けるだけだった。


 かつん、かつん、と靴を鳴らして、階段をのぼっていく。たくさんのくれなとの思い出を抱えて、重い足を動かす。あどけない寝顔、美味しいものを食べるときの嬉しそうな顔、懸命に魔法の練習に励む顔、そして、魔法少女になる前に出会ったあの日の顔。


 屋上にはもう、くれなとクイーン以外のこの本部のメンバーが揃っていた。


「カワタレ、もう出発できるよ」

「あぁ。それでは、作戦を開始する。目的は2つ」


 淡々とした声に、全員が至極真剣な顔つきで応じる。


「1つは裏切り者、クラロイドをおびき出し、捕縛する」


 カワタレたちは既に、裏切り者を突き止めていた。クイーンの蝶や魔法界の各都道府県の担当者からの応援で、調査を行い、全て事細かに記録し、証拠も映像と書類、山ほど残っている。


 雅たちは複雑そうな表情をしている。この作戦で、彼女らは「ふたり」の親愛なる人を失うのだ。


 カワタレは意を決したように少し間を開け、息を吸った。


「もうひとつは、くれなちゃんを元の世界に帰すことだ。クイーンさんの付き添いで、彼女の身柄はサニー様に引き渡す。我々はもう二度と、彼女に会うことはできない。覚悟はできているか?」


 覚悟。まるで自分に向けた、今更な問いのようだと、カワタレは内心考えて、すぐに考えを掻き消した。


 誰も何も言わず、静かに頷く。


「……行くぞ」


 カワタレの声と共に、全員は列車に乗り込んだ。曇り空の中、朝日が少しずつ、昇り始めていた。



 くれなは人生2度目の魔法界を歩んでいる。それも、王城へ向かうユニコーンの馬車に乗って。


 朝起きたら事務所にクイーンしかいなかった。他の方は? と尋ねると「急遽夜中に任務が入ったけれど、くれなちゃんだけは王城からお招きがかかっていてね。一緒に来てくれるかい?」とのことだった。


 最初は王城からなんて、もしかして元チームメイトの件で自分も処罰されるのだろうか、と、どうしよう怪物に襲われた。けれどクイーンに確認したところ「むしろ良いことだよ! 何か貰えるんじゃないかな?」なんて穏やかに笑うから、どうしよう怪物は心の隅に引っ込んだ。


 昨日あれだけ自分以外の全員はお酒を飲んだのに、任務は無事遂行できるのだろうか、と心配をしていると、目的地が見えてくる。


「クイーンさん、あのお城、ですよね? というかあの滝はなんですか……!?」


 くれなは馬車の窓から見える、魔法界の女王陛下が住まう場所を指さす。真っ白な壁にオレンジ色の屋根が愛らしい城は、上空に浮かんでいるうえに、滝が流れている。


「くれなくんの反応を見ると、僕はとっても嬉しくなるよ。童心に帰れる」

「そ、そんなにはしゃいでますかね、私」

「うん。どんどんはしゃいでくれたまえ。君の嬉しそうな様子を見ると、心が跳ねるよ」


 クイーンの言葉を受けて、くれなは照れくさそうに頬を染めながら、また窓の外を眺める。


 そうこうしているうちに、王城の正面入り口である大きな扉までたどり着く。


 ぎぎぎぎ、と扉が開く。扉を守る騎士たちに軽くお辞儀をして、ふたりは城を進む。シャンデリアや汚れひとつないステンドグラス。豪華絢爛な雰囲気の城内を進んでいく。


 そして女王の間に、サニーは柔らかな微笑みを浮かべて待っていた。


「やっほ、ふたりとも! 少しぶりだね。元気してた?」


 サニーは手を大きく開き、すたすたと歩いてくる。くれなとクイーンがマナーである胸に手を当ててお辞儀をする前に、サニーはふたりの手を握った。


「じゃ、行こうか!」

「えっ」

「大丈夫だよくれなくん、おじさんも僭越ながら付き添いますんでね」

「えっ、ちょ、えぇ?」


 サニーに手を引かれながら、女王の間をあとにする。相変わらず考えが読めない方だと思いつつ、クイーンが何も言わずに、くれなとともに手を引かれていくことに、違和感が拭えない。


 ____なんだか、変な予感がする。


 そんなことを思ってしまう。予感がますます増していったのは、人気ひとけのない裏庭の四阿にまで来た頃だ。


 四阿に案内され、サニーの「座ってお茶にしましょうね」の声で、3人はテーブルを囲む。


「くれなが好きなガーネット・スプリング芋のお菓子、用意しておいたの。クイーンから聞いたんだ」

「サニー様もお好きなんですよね。くれなくんも好きだと聞いたときは、何だか運命じみたものを感じました」

「ねー!」


 何気ない、凪の言葉が飛び交う。けれど細い線を張り詰めているような、妙な違和感があった。


 サニーが紅茶を直々に淹れ終わる頃、くれなは耐えきれず、問いを口にした。


「あ、あの、お二人にお伺いします。今日はその、どのようなご用件で私はお招きいただいたのでしょうか?」


 精一杯言葉を選んで、疑問を零す。


 かちゃり、とサニーはティーカップを置いた。


「くれなちゃん、どうか夢だとは思わないでね」

「……は、はい」


 サニーは至極真面目な、今まで見たことない、女王たる風格を隠さない表情で続ける。


「今から話すことは全て現実の話で、君に何度謝っても許されないほどの、私の罪なんだ」



 一方、人間界のとある県。繁華街の路地裏には、大きな結界が張ってある。カワタレが張ったものだ。


 その強固な結界に、クラロイドはドシン! と背を叩きつけられる。


「ぐ、はっ……!」


 クラロイドは反魔界の過激派勢力の捕虜に行わせた罠の待ち合わせの通信に、まんまと引っかかって約束通り路地裏に訪れた。


 細い路地裏は攻撃の軌道が分かりやすい。おまけにビルの窓に隠れていたルナと雅による奇襲も成功し、もうあとは、時間の問題だろう。


「もう終わりにしよう、クラロイド」


 銀色の斧を持ったカワタレは淡々と言って、クラロイドに歩みを進める。


 クラロイドは頬の土汚れをぐい、と拭う。


「ふふ、はは、そう、ね。もう、いいでしょう」


 クラロイドがパン! と胸の前で手を叩く。


 その刹那。


 カワタレはに雷でできた魔法の弾をを放つ。クラロイドじゃない、魔法少女に。


 ビルの窓からルナの高威力の炎の魔法と、雅の同じく高威力の水の魔法も放たれる。そして起こった白い煙の中、ゲンがすかさずクラロイドに駆け寄り、治癒魔法をかけはじめる。


 そう、全ては「彼女」のためのお芝居だったのだ。


「もう『裏切り者のフリ』は終わりだ。なぁ、本当の裏切り者さん。いや」


 煙の中、彼女が真っ直ぐにカワタレを見つめる。


「_____マリット」


 名を呼ばれた彼女の目には、揺るがない何かが宿っていた。

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