17話 花火

 聡子を送り届け、魔法界で観光した3人は、夕方に事務所に帰ってきた。


 ちなみに魔法界からは魔法界にある空間移動魔法装置で帰ってきた。魔法界から人間界に行くための装置には正式なパスポートがないと通ることができない。また、ここからは反魔界へと行ききすることも可能なため、警備は魔法界で1番厳重だ。


『あるときはあそこの門から、怪物が押し寄せてきたんだよ。対応の帰りに食べたおにぎり美味しかったなぁ』


 歩きながら、カワタレがなんてことのない口調で言っていた。


 お土産の袋をたくさん手に持って、事務所の屋上にひゅん、と転移する。夕焼けを背に、屋上をあとにして2階へと向かう。


「カワタレ様のお帰りだぜ! たっだいまー!」


 カワタレを先頭に、事務所のドアをくぐる。


 事務所には、雅、ルナ、マリット、クイーンの本部のメンバー全員がそろっていた。クイーンは魔法界の雑誌をめくる手を止め顔を上げる。彼は魔法界に家を持つため3階の部屋には寝泊まりしていない。そろそろ帰宅する時間だが、運良くくれなたちと会うことができたようで、出張続きの彼は嬉しそうに柔らかい笑みを零す。


「おかえり。任務ご苦労様。くれなくん、ゲンくん、カワタレくんが何かしなかったかい? 街中で雷魔法ぶっ放したりとか」

「おっ兄貴久しぶりアンドただいま! ギリなんとか!」

「おいギリなんとかってなんだ。何もしてないから」

「あらあら、3人ともお疲れ様。夜ご飯一応用意しておいてよかったわ」

「そうですね。カワタレさんの好きな手巻き寿司ですよ、今日」

「マジか! よかったー間に合って。日頃の行いが良いからかな」

「それは関係ないと思いますけど」


 カワタレとくれなとゲンは、どさり、とお土産の入った大量の紙袋やらビニール袋を置く。


「王子、初めての魔法界楽しかった!?」

「う、うん……! たくさん美味しいもの食べたり、空飛んだり、お菓子食べたり、ジュース飲んだりして、楽しかったよ。今度ルナちゃんたちとも行きたいな」

「へへ、行こ行こ! なんなら僕の実家泊まろ! お父さんもお母さんもお兄ちゃんも大歓迎してくれるから!」

「えー俺も行きたい! お泊りしたい!」

「もちろんゲン様も! この本部のみんなで行きましょう! 部屋余ってるんで!」


 ルナの言葉にくれなは花が咲くように、嬉しくなる。


 くれなの背を、とん、と誰かが優しく叩いた。振り返るとカワタレがいた。


 カワタレとくれなは目を合わせて、何かを察したように微笑み合う。


「あの、みなさん、クイーンさんも。ご飯食べた後お暇でしたら、ちょっとお付き合いしてほしいんです」



 夕食後、夏の涼しい空気が肌を撫でる。本部のメンバー全員は、返納列車で夜の海に来ていた。


 カワタレが目を瞑り、手をぎゅっと組む。


「【魔の力よ、魔を持つものを受け入れ、隠し、包め】」


 結界が円盤状に広がり、直径50メートルほどに空間を包む。


 結界を張り終わったカワタレが両手を大きく上げる。


「それじゃ、人間界魔法少女管理本部、魔法花火大会! はじまりはじまり!」

「いえーい!」


 ゲンのよく通る声を皮切りに、賑やかな花火大会が始まった。


 花火大会開催のきっかけは、魔法界で娯楽アイテムを扱う店に来たことだった。何でも店主がゲンの古い友人だそうで、顔を見せに行きたいとのことで、軽く立ち寄った。


 訪れた店で一番興奮していたのは、くれなだった。初めて花畑に訪れた妖精の子供のように、くれなは目を輝かせて商品を見ていた。隣で商品の簡単な説明をするカワタレが「テンション高いくれなちゃん、可愛すぎて写真撮りたい」と言って、店主にうちは撮影禁止ですと言われるくらいに、くれなは楽しげだった。


 その中で特にくれなが惹かれたのが、魔法花火だった。


 魔法花火。店主の店の物は、見た目は人間界の普通の手持ち花火とほぼ同じだが、大きく異なる点は、付属の道具に閉じ込められている全く熱くない魔法の白い炎を灯すと、手持ち花火がしゅるる、と手に吸い込まれていく点だ。もちろん身体に害はない。


 吸い込まれた後は、人間でも魔法少女でも魔法生物でも、自由自在に魔法の炎を出すことができる。指からも、手全体からも、自由自在に。手から出す炎は、灯すときに使用した白い炎同様全く熱くないので、ぐるぐる回っても頭上から噴射しても、全く問題ない。おまけに服にも草にもどこにも燃え移ることはないのだ。


 しかし浜辺で勝手に花火をするのはご法度だ。花火の燃えがらなどが残ってしまうし、近所迷惑でもある。


 だが魔法花火の人気の理由の中で、燃えがらが出ない、という利点がある。燃えがらは出るには出るのだが、手からさらさらと、金色の星屑のような砂が空気に溶けるだけ。魔法の炎が無くては存在すらできない成分でできているため、燃えがらが0.00000001グラムでも地に落ち、迷惑をかけることはない。


 それぞれ白い炎を灯し、しゅううと気持ちの良い音とともに、火が出始める。炎魔法とは違う、熱くない炎に、何故か自然と、皆笑顔を零していた。


 指を振って炎を舞いたり、手を上に掲げて上から炎を降らせたり。


「きゃー! うふふ! くれなちゃんあーんして? 炎飲んでるとこ写真撮りたいわ!」

「の、飲む!?」

「くれな、怖いときは無理しなくていいからね。雅さんテンション上がってますね?」

「当たり前じゃない! もう、ルナとマリットばっかりくれなちゃんと仲良くしてるから、私が今日はくれなちゃん独り占めするのよ」

「雅ずるい! カワタレ様も!」


 雅はくれなに炎を出した手のまま抱きつき、それを見ていたカワタレが全速力で走ってやってくる。雅が炎を出していない手でくれなの手を引いて、3人は追いかけっこをはじめた。


 パチパチと弾けるタイプの炎を人差し指から出している、クイーンがルナとゲンともにその光景を笑って見ている。


「しかし結界を、花火をするためだけに使う魔法界運営の事務所って、うちくらいだね」

「あはは! そこがうちのいいところじゃない?」

「そうですよ! それに上から怒られたらみんなで説教されに行きますよ。クイーン様ひとりに責任は負わせませんって!」


 クイーンは「頼もしいな」とふたりの部下に笑いかける。


「本当によかった。王子が自ら提案するなんて、初めてのことで、僕うれしいんです」

「そうなのかい?」

「はい。王子、僕とマリットちゃんと出かけるときも、自分の意見は絶対に言わないというか、どこ行きたいとか、何が欲しいとか、一切言わなかったんです。でもマリットちゃんが『自分自身のことは自分自身が一番知ってるんだから、何でも言って』って、王子に無理ない範囲で考えてもらうよう言って……だんだんと王子が行きたいと思う所にも楽しく行くようになったんです」


 だんだんと、なんて口にしたが、本当に少しずつの道のりだった。


 くれなは自分の意見を言うことを恐れていた。何か言って返ってくる言葉に恐れていて、何をしてもどうしようと思考回路を不安で埋め尽くして。


 徐々に氷が溶けるように、くれなは自分の言葉で、自分の気持ちを話すようになった。ルナとマリットはそれが何よりも嬉しかった。


 だけど、その氷を溶かしたのは、自分たちだけの影響じゃなかった。


「でも、やっぱりカワタレ様がいたほうが、王子は胸を張っているんですよね」


 くれなに後ろから抱きつくカワタレを見ながら、ルナはぽつりと呟いた。


「ヤキモチ、かな?」

「い、言っておきますけど、マリットちゃんもきっとおんなじ気持ちですよ。だから僕だけが王子を独占したいって、思ってるわけじゃないですからね!」


 ルナの視線は真っ直ぐで、だけど、小さな熱を宿している。


「ただ、ちょっと……カワタレ様が羨ましいだけです」


 ルナがくれなと共に過ごしていても、くれなに最初に手を差し伸べたカワタレには敵わない。カワタレもくれなと話しかけたり、出かけたりしている。その時間の歩幅はきっとルナと過ごす一歩よりも大きくて、差が埋まることはないのだろう。


 そもそも、敵わないだとか、差だとかを考えている時点で、自分はカワタレとは違うのだと、ルナは考えていた。


 とん、とゲンが骨の指で肩を叩いた。ルナの真っ直ぐな視線がきょろきょろと横にそれる。ゲンもクイーンも、あたたかな顔をしていた。


「くれなちゃん、俺とカワタレにもたくさん話してくれるよ。ルナちゃんとマリットちゃんとおそろいのネックレス買ったとか、美味しいもの食べたとか」

「そうそう。……くれなくんが頑張ったのもあるけれど、そこまで考えてくれる大切な友達がいたっていうことが、彼女にとってきっと、今まで支えになっていたはずだよ」


 ルナは小さく俯く。ふたりの言葉が、あまりに自分の羨望だとか嫉妬だとかが混ざった心の塊を、ふわりと包み込むから。


「……それは王子が決めることですよ、クイーン様」

「あ、そうだね!? ごめんごめん、年寄り特有の決めつけはよくないね」


 またやっちゃったよ、とクイーンは眉を下げて笑う。クイーンはまだまだ年寄りとは言い難いのに、こうやってすぐ謝る。ルナはそういうところが、クイーンの魅力だと思っている。


 ルナはたっと一歩踏み出し、ふたりの方を振り返って、口角を上げた。


「でも、ありがとうございます、お二人とも。少しでも王子のためになれたらいいなって思えただけで、僕はあったかい気持ちになれました」


 ルナの表情を見て、クイーンとゲンも穏やかに微笑む。心からの言葉は、夏の空気ともう消えた花火の黄金の砂と共に、風に乗って消えていった。



 手持ち魔法花火はまだまだ減らない。本部の全員の賑やかさも、少しも減ることはない。


 両手から火を放ちながら走り回るカワタレたちを、ゲンは砂浜に腰かけて見ていた。


「ゲンさん、花火まだ残ってますよ?」


 くれながとことこと、手から黄金の砂を風に溶かしながら歩いてくる。


「俺はちょっと休憩ー、夜の海も綺麗だなって思って!」

「ふふ、今度は海水浴にでも行きたいですね」

「ね! くれなちゃん、座りなよ! お兄さんとお話しよ!」

「じゃ、じゃあ、遠慮なく」


 くれなはゆっくりと砂浜に座る。彼女の横顔は随分と楽しそうに見えた。最初に会った時の、全てに怯えた震える瞳は、賑やかな仲間たちの様子を温かく見守っている。


 昼間、聡子から聞いたが、くれなはゲンに対する聡子の誤解を解こうと、懸命に話をしてくれたそうだ。聡子は「ゲンさん、優しくて魅力的な同僚さんがいるのね」と楽しそうに話してくれて、ゲンもそれに笑いながら頷いた。


 くれなは強い魔法少女だと、ゲンは思う。己の中に巣食う不安の怪物と戦いながらも、周囲の面倒や問題を放っておけない。たとえ自分のことを後回しにしても。そういうところにきっと、カワタレも惹かれたのだろう。


 だからこそゲンは、己が背負う事情を、血塗られた運命を、彼女にいつ話そうかと迷っていた。魔法界で生きていくなら、クーデターのことも魔法生物のことも知っていかねばならない。だけど優しいくれなはきっと気を遣ってしまうと、それが申し訳ないと思って言い出せなかった。


 けれど、今なら。


「くれなちゃんさ、俺に聞きたいこと、あるでしょ」


 ゲンは言ってから、ずるい聞き方をしてしまったと思った。話したいのは己の方なのに。


「そ、それは、その」

「いいよ。何でも聞いて? 俺は今ちょっと、昔語りしたい気分。だから何でも答えてあげる」


 くれなの顔を覗き込む。


 くれなは瞳を左右に揺らし、少しして、意を決したようにゲンに目を合わせて口を開いた。


「あの、ゲンさんってご飯食べたら、食べたものどこに行くんですか……?」


 くれなの顔は真剣そのものだった。ゲンは今はない瞳がまばたきを繰り返すような、そんな心地に襲われる。


 ゲンは堪えきれず、思いきり吹き出す。


「あはっ、あはははははは! なっ、何それ!? あはははははははは! 今このタイミングでそこ聞く!?」

「えぇ!? だってずっと気になってて……! 何でも答えてくれるっていうから……!」

「あはははは! だからってさ、ははっ、本当、くれなちゃん面白すぎでしょ。ふ、あははは……!」

「笑いすぎじゃないですか!? うう、恥ずかしくなってきた……」


 手を叩いてゲンは笑い続けた。


「ごめんごめん。俺が言いたかったのはさ、俺という存在について!」

「えっ、哲学ですか……?」

「ううん」


 ゲンは手を後ろについて、星を見上げる。


「俺のこと、最初、怪物の仲間だって思わなかった?」


 なんてことない口調の言葉に、くれなは短く息を吸った。瀕死のあのとき、そう思っていた事実を、今思い出した。


 くれなが何かを言うよりも前に、ゲンはくれなの方へ顔を向け、口を開く。


「俺たちは昔、『怪人』って呼ばれてた。反魔界の住人は、魔法界側のやつも、過激派勢力もみな等しく、怪人」


 ゲンは少しだけ唾を飲み込み、くれなの瞳を真っ直ぐに見る。


「怪物っていうのはね、俺たち魔法生物の成れの果てなんだ。人間が年老いて病気になる確率が高くなるように、俺たちも寿命が近づくと、怪物になる可能性が高い。つまり俺も、遠い未来にもしかしたら怪物になるかもしれないね」


 その言葉に、くれなは固まる。


「そ、そんな、私たちが今まで退治してきた怪物は、みんな?」

「あぁ安心して。人間界を襲う怪物のほとんどは、人工的に生み出されたものなんだ」


 安心して、なんて言っても、怪物が元魔法生物であることは変わりはない。


 ゲンはくれなの顔を曇らせてしまったことに申し訳なく思いながら、気を取り直すように「でもね!」と明るく声を出した。


「サニー様とその一番弟子さんが、反魔界すべてが敵ではないって、友好的に接してくれてね。怪人って呼び方も魔法生物に改めるようになった。時間はかかったけど、次第に反魔界の新魔法界派は、魔法界で堂々と暮らせるようになったんだよ」


 ゲンの脳裏に、初めて魔法界に遊びに行ったときの光景が浮かぶ。


 建物も簡素で、未開拓地ばかりの故郷とは違い、色彩に溢れた発展した地。これからは自由に遊びに来てね、とサニーが優しく語りかけてくれたあの日のことを、ゲンはいつまでも忘れない。


「でもそれも、クーデターで揺らいじゃったんだよね。クーデターの主犯は、その一番弟子さんだったから。しかも表では親魔法界派だったはずの、そこそこ大きい街の領主だった俺の家も、それに加担しちゃった。父上にも兄上にもやめてって言ったのに、俺じゃダメだった」


 ゲンは軽く俯く。燃え盛る大切な故郷が、故郷だった場所が、己の家族の手よって滅んでいく光景が、嫌というほどに脳裏に蘇る。


 くれなにここまで話すつもりはなかった。だけど、誰かに聞いてほしいという自分の願いに逆らえなかった。


「今でも思い出すんだ。反魔界の罪のない、昨日まで一緒に遊んでた友達や、優しかったお店の店員さんや、寄付と遊びに行っていた孤児院の子供たちの悲鳴とか」


 怪物を生み出す装置に、罪のない人を生きたまま放り込む、父の姿も。


 さすがにそのことは言えなかった。くれなに血なまぐさい話を聞かせるには、今は花火が綺麗すぎる。


 ゲンは誤魔化すように笑う。


「何が言いたいかっていうとさ、そんな醜い血をひく俺でも、それからこんな楽しい時間にこんなこと話しちゃう空気の読めない俺でも、これからも仲良くしてくれたら嬉しいなーってこと」


 はは、と短く笑い声をあげる。くれなから返ってくる言葉に、何故か恐れている自分に気が付く。馬鹿だ、とゲンは心の中で自分に呆れてしまう。自分が話したいからといっても、もっと別のタイミングで言えばよかったと今更思った。せっかく彼女が、勇気を出して花火に全員を誘った、記念すべき日に。


 くれなの顔をおずおずと見る。


 くれなは何も言わず、ゲンの手に己の手を重ねた。


「私はあなたを否定しません。ゲンさんと出会ったあの日に、ゲンさんがそう言ってくれたの、覚えてますか?」


 くれなは柔らかに微笑んだ。子供を見守る親のような、慈愛に満ちた笑みで。


 何も言わなくとも、答えがわかっていく。変に同情の言葉をかけられるよりも、否定しない、というそれだけが、それだけが。


 ゲンは短く息を吸って、また空を見上げる。


「……風が気持ちいいね」

「……はい」

「もう少し、このままでいて」

「もちろんです」

「くれなちゃん」

「はい」

「俺は、これからもずっと君の味方で、君を守るから」

「私だって、ずっとゲンさんの味方ですよ。それにもっと強くなって、あなたを守ってみせます」

「じゃあ俺はもっともーっと強くなろー」


 ゲンの声は徐々に、いつもの明るさを取り戻していく。


 夜空の下で、ふたりは笑い合う。


「2人とも、打ち上げ花火やりますよー!」


 ルナの声でふたりは手を取りあいながら立ち上がった。どうしよう怪物も、醜い血も、何もふたりを脅かさない。ふたりは迷いのない背中で、仲間たちの元へ駆け出した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る