15話 桃色の空の下


 返納車両の先頭車両で、ぼんやりと空から知らない街並みを見下ろしている。山の緑を超えて、灰色のビルを超えて。


 今この列車は、東京の本部に帰っている。本部の転送装置で、魔法界に行くためだ。


 やることがない。カワタレと聡子がいる車両に戻ろうか、と考えがよぎっても、戻るに戻れない。


『あなた、その、強い方なのね。強者の雰囲気があって、ちょっと怖……少し緊張してしまうわ。な、何か気に障ること、私したかしら?』


 聡子は少し気まずそうに、お茶を出したくれなの顔を見て言った。


「うわああああああ……」


 情けない声とともに、くれなは頭を抱えて俯く。即座に「そんなこと全くないです! わたくしは隣の車両におりますので何かありましたら呼んでください……!」と、逃げるように車両を移動した。カワタレが「くれなちゃん」と名を呼んだような気がしたが、振り返ることができなかった。


 威圧する気なんて1ミリもなかった。寧ろそんなオーラを出していたか、と自分自身で驚くくらいだ。


____どうしよう、怖がらせちゃった。カワタレさんも動揺してた。私の所為だ。最悪だ。第一印象が大事だって、この間読んだ『人と仲良くなる手引き』って本にも書いてあった。どうしよう、情けない、自分が本当に。


 どうしよう怪物がまた出てくる。カワタレに大丈夫だと言ってもらいたいが、聡子はカワタレにメロメロで、ずっとふたりは、楽しそうに話をしている。だから邪魔はできない。


 聡子の表情を見て、カワタレをかっこいい人だと思うのは、自分だけじゃないんだと改めてくれなは認識する。事務所でルナと子供の様にふざけあったり、マリットにからかわれて怒ったり、雅につまみ食いを叱られたり。面倒くさがりでズボラな一面もある、そんなカワタレも、失礼だが黙っていれば芸能人のようなオーラを放つ煌びやかな人だ。そういえば以前、一緒にスーパーに買い出しに行った時も、知らない人に「あの人イケメン」「モデル?」なんてひそひそ言われていた。


 ____私、カワタレさんと並んでも恥ずかしくない人になりたいのに。こんなことで落ち込んでいる時点でもう、ダメダメだ。


 空き時間には魔法の練習を魔力が尽きるまでした。人と仲良く接するための本をたくさん読んだ。でも、そんな微々たる前進も、まだまだ足りないのだろう。そんなことを思っていた時だった。


 ぷしゅう、と先頭車両の扉が開く。くれなは脊髄反射のごとく、慌てて振り返る。


 そこには棒のアイスを2つ持ったゲンが立っていた。


「可愛いお嬢さん、イチゴとバニラ、どっちがいい?」


 そう言いつつも、ゲンはイチゴ味の方をじーっと見つめている。くれなはふっと笑みを零す。


「じゃあ、バニラいただきます」

「いえーい! 俺イチゴにしようと思ってた! 以心伝心だね」

「……ふふ」


 アイスを受け取り、包み紙を破る。備えつけの折り畳み椅子を2つ広げて、座る。


 バニラ味のアイスをぺろぺろと舐めていると、ゲンが口を開いた。


「少しここで俺とゆっくりしていようか。くれなちゃんはなーんにも悪くないからね」

「……そう、ですかね?」

「うん。俺が断言する、くれなちゃんは何も悪いことしてない。もしかしたらだけど、くれなちゃんの魔法少女の適合反応見せるくらいの魔力にさ、圧されたのかもしんないよ、日立海さん」


 悪く思わないであげてね、と言ってゲンはアイスをかじる。


「何もした覚えはないのに、もしかして嫌われてるかなってなるの、しんどいよね」

「……はい」


 くれなの心臓の強張りが、少しほぐれた。


「ゲンさんは、お戻りにならないんですか? アイスまで持ってきていただいて、申し訳ない」

「もー前から言ってるでしょ! 申し訳ない、ごめんなさい、じゃなくて?」

「あ、ありがとう、ございます」

「あはは! よくできました!」


 明るく笑い飛ばすゲンが、くれなの頭を優しく撫でる。手袋越しの骨の感触が、心地よかった。


「あのね」

「はい?」

「うーん、多分だけどね」


 ゲンの手が止まる。彼はそのまま、くれなを真っ直ぐに見つめる。


「多分っていうか、確実に日立海さんは、俺のことも怖がってるかもしれないから。くれなちゃん、ほんっとごめんよ」


 謝られる覚えなどひとつもないのに、ゲンは軽く頭を下げる。


「そんな、謝らないでください。というか、そんなことないと思いますけど」

「ううん。もしかしたら、くれなちゃんが怖がられたのは、俺に巻き込まれたところもあるかな」

「それは一体、どういう……」

「わけはまぁ、後で話すよ。でも、これだけはお願いしたい」

「は、はい」


 イチゴ味のアイスを思いきり口に入れて、アイスのなくなった木の棒をくれなに向け、ゲンはどこか寂しそうに笑う。


「魔法界にいる間は、俺のことを君たちと同じ普通の魔法界人だと思ってね。くれぐれも、『化石頭のゲン』だとは、思わないで」



 桃色の空、薄紫色の雲、昼間の明るさなのに青白く輝く月に、カラフルだが品の良い色の街並み。洋風の建物が立ち並び、色鮮やかな屋台が風景を彩る。がやがやと賑わいとともにたくさんの魔法界の者や、ゲン同様頭部が動物だったり、羽が生えた馬だったりが歩いている。


 桃色の風を切って、緑のドラゴンが飛んでいく。本部の転送装置から飛ばされた、この国一番の大きな広場の真ん中で、くれなは口を開けて空を見上げていた。


「まぁまぁ! 魔法界……しばらく見ないうちに随分と発展したのねぇ」

「聡子さんが最後に来たのはいつですか? 何十年前?」

「あ、カワタレちゃんったら何気に年齢聞こうとしてない?」

「あはは、冗談冗談。素敵な淑女に年齢は関係ないですから」


 空を見上げるくれなの横で、カワタレと聡子が冗談交じりに小突き合う。


「あはは! くれなちゃんずーっと口開いてる」


 ゲンの声でようやく、くれなは意識を地上に戻す。


 ゲンは今、金色の髪の見目麗しい成人男性の姿をしている。人間界でスーパーやレストランに行くとき同様、魔法界の魔法少女以外の役人に配布される、特別な魔法道具で姿を変えているのだ。赤いスーツがいつも以上に映えて、いよいよひと昔前のホスト感が増している。


「す、すみません、どこもかしこも、おとぎ話の世界みたいで……」

「感動した?」

「逆に怖いです……」

「なんで!?」


 視線をふるふる泳がせてくれなは辺りを見渡す。


「こんな絵本のごとく綺麗な世界にいると、醜い自分だけ浮いているような気がして、周りの方々のお目汚しではないかと……」

「え!? その美しい顔面をお持ちなのに!? くれなちゃんカワタレにあんだけ可愛い可愛い言われてんのに、まだそんなこと言ってんの!?」

「うう……」


 そう簡単に自己評価を上げるのは難しい。カワタレにほぼ毎日褒められていても、くれなはまだ、自分自身を認めることができていなかった。


 未だ落ち着かなさげに瞳を揺らすくれなに、ゲンが白い手袋をした両手を伸ばす。ゲンはくれなを正面から軽々と抱えた。


「よっ」

「わっ!?」

「本当に浮いてたらこんな感じの浮遊感するよ? 大丈夫だいじょーぶ! 高いたかーい!」

「わ、ふふ、ゲンさん、あははは! ちょっ、やめてください、あはは……!」


 子供をあやすがごとく、抱えられながら身体を上下に動かされる。思わずくれなは無邪気な笑い声をあげていた。


 しかしすぐに、何かを察したようにゲンの動きが固まる。どうしたのだろう、とくれながゲンの方を見る前に、カワタレの姿が目に入った。カワタレは目が合うものすべてを凍てつかせる冷たい瞳で、いつの間にか出した銀の斧を片手にこちらを見つめていた。ゲンもそれを察し、ぎこちなくカワタレの方を振り返る。


「埋める」

「なにを!? 誰を!?」

「おま、お前どうして……私が聞いたことがないくれなちゃんの素敵な大きな笑い声……よくも……」


 禍々しい気配は、ゲンが「ちぇ」と残念そうにくれなを降ろすまで消えなかった。


 ようやく斧をしまい、カワタレは腕を組む。


「それじゃ、くれなちゃん、ゲン、今日のおさらいだ」

「は、はい」

「はーい」


 今日の流れは、まず聡子を魔法界の高等学校に送り届ける。聡子はこれから、魔法界の高等学校で、特別講師として働くそうだ。詳しい手続きなどは高等学校の事務員に引き継ぐとのことで、くれなたち返納列車の仕事は送り届けることで完了する。


「ついでに送り届ける道中で、市場に寄る。聡子さんをご案内するんだ」

「年寄りのわがままをごめんなさいね。あの辺りはクーデターで集中的に被害を受けたところだから……クーデターから復興した街を、どうしても見たいのよ」


 聡子が軽く頭を下げる。


「もちろん! 俺たちもお供します!」


 ゲンが片手を上げて明るく笑う。聡子の肩がびくりと跳ねた。くれなは聡子の姿をじっと見つめてしまう。明らかに、大きな声で驚いただけではないような、そんな雰囲気があって。


 それに気が付いたカワタレが、聡子の背を優しく叩く。


「こらゲン、楽しみなのは分かるがはしゃぎすぎだ」

「魔法界で買いたいおつまみメモがA4の紙で3枚あるカワタレに言われたくなーい」

「うるっせぇ。聡子さん申し訳ない、が急に大きい声出して」

「いえ、いいのよ」


 カワタレはその言葉を聞いて「よかった」と微笑む。聡子もどこか安堵したように、口元を押さえて微笑んだ。だけど聡子からは、どこか大人の対応というか、何かを抑えているような印象を感じる。


 くれなは、自分も何か言わなくてはという意識に駆られる。だけどこういうとき、どういう言葉を発せばよいのか分からない。


 カワタレと聡子はまた冗談を言い合って、笑っている。


 くれながおどおどと言葉を探っていると、ゲンがくれなの耳元に顔を寄せた。


「……はは。ほらね、やっぱり怖がられたでしょ、俺」


 その諦めたみたいな口調に、くれなは何も言えなくなる。けれど、けれど。


 くれなは振り返り、ゲンの手を取って両手で握った。


「でっ、でも、ゲンさんは、優しくて、面白くて、怖くないです……!」


 ゲンが呆気にとられたように、目を丸くする。そしてすぐに、眉を少し下げて、笑った。


「……くれなちゃん、優しすぎて逆に心配になっちゃうなぁ」


 いつもの明るい笑みより一層柔らかい笑みに、くれなはまた言葉を探す。だが発するより前に、カワタレが「2人とも行くぞー」と声をかけた。


 

 見たことのない蛍光色の魚、眩しいほど輝くフルーツ、漫画でしか見たことがないような大きな肉の塊。市場はくれなの目が足りないほど、目新しく好奇心をかきたてるもので溢れていた。


「聡子さん、これ見て。無限に花が出てくる風魔法の送風機だって」

「あらまぁ! 面白いけどこれ花で部屋がいっぱいになっちゃわない?」

「新しい職場に飾れば?」

「うふふ、嫌よ花を無限に出すおばさんなんて」


 カワタレと聡子はいつの間にか手を繋いで、屋台を巡りに巡っている。その後ろを、妖精蜂蜜の棒付きキャンディーを舐めるくれなと、両手いっぱいにカワタレが買ったお土産の袋たちを持ったゲンが歩いている。


「あのふたり仲いいなぁ。妬かない? くれなちゃんは」

「へ? いえそんな、むしろカワタレさんが楽しそうで、何よりです」

「さすが余裕があるなぁ。本妻の余裕というか」

「あ、あの、あの砂漠蛇型ラーメンってなんですか……!?」

「余裕じゃなくてこれは食べ物にしか眼中がないやつかー」


 くれなたちもくれなたちで、ファンタジーな商品を扱う店を巡りながら、ショッピングを楽しんでいた。


 が、それを時折見ながら、羨ましそうに唇を噛む女がいた。カワタレである。


「カワタレちゃん、ヤキモチ? ごめんなさいね、あなたを私が独占してしまって」

「全然問題ないですよ。この後、存分にあの赤髪の彼女とデートしますから。だから今は、私が聡子さんを独り占めさせてください」

「あら、優しい。それにしてもラブラブねぇ、あの赤髪の子と」

「はは! そうなんです。ラブラブなんです」


 カワタレは心から嬉しそうに笑った。


 ふたりで店をあちらこちらと物色する。カワタレが鮮魚店で羽の生えたカニを見ていると、聡子が繋いでいた手を離した。


「カワタレちゃん、あの金髪の、『魔法生物』の彼は、弟さんのようなものなの?」


 聡子の目には、明らかな気遣いと、一抹の不安があった。


 カワタレはまばたきを2回して、ふっと温かい微笑みを零した。


「……えぇ。耳を塞ぎたくなるほどうるさい奴ですが、私が一番しんどかった時に、傍にいてくれた弟分です」

「そう、そうなのね」


 聡子は噛み砕くように、何度も頷く。


 カワタレは何も言わずに、聡子の手を取って繋いだ。


 魔法生物。人の姿を持たない、反魔界の出身者で親魔法界派の者をそう呼ぶ。だがひと昔前、聡子が現役だった頃は「怪人」と呼ばれ怪物と同じ生き物だとされていた。怪人が蔑称とされ、魔法生物と呼ぶようになっても、未だ魔法生物の者に恐怖心を持つものは多い。もちろん長命なカワタレはそれを知っている、痛いほど。


 だからこそ、ゲンのことを「弟分」と呼ぶ口調を、揺るぎない信頼が宿る言葉を、強めるのだ。


「あ、あの! もしかして『英雄の』カワタレ様ですか?」

「え?」


 背後からかけられた声に、カワタレが振り向く。


「い、いや、人違いだ」

「いえ! 私、あなたをクーデターの後の式典で見たんです! カワタレ様ですよね!?」

「……ごめんなさい、聡子さん。あー、変装してくればよかった」

「さすがの有名人ねぇ」


 小声で囁くカワタレの周りに、いつの間にか人が集まってくる。


「何?」

「カワタレ様だって! カワタレ様」

「へぇ、初めて見たぜ。綺麗な顔してるなぁ」

「記念に写真とってくれよ!」


 人が人を呼んで、カワタレの周りに集まる。まずい、一旦ここから離れるべきだとカワタレが聡子の手を引いて、走り出そうとしたときだった。


「きゃー! カワタレ様ー!」


 熱心なファンが飛び出して、聡子と肩を思いきりぶつける。聡子はその拍子に身体をよろめかせる。


「きゃっ!?」

「危ない!」


 カワタレが声を上げても虚しく、そのまま聡子は、地に倒れる、


 かと思われたのだが。


 何者かの手が聡子の小さな身体を支える。


「大丈夫!? 日立海さん!」


 焦りを含んだはっきりとした声は、ゲンのものだった。ゲンはしっかりと聡子の身体を片腕で支える。


「ケガはないですか?」

「え、えぇ……」

「ゲン! 助かった! 私を抱えて上へ!」

「もー、カワタレが変装なんかしなくていいだろうとか言うからー!」


 ゲンは浮遊魔法で、聡子を人混みから離れたところへとふわりと運ぶ。聡子がゆっくりと着地したところには、くれなが立っていた。


「さ、聡子さん大丈夫ですか?」

「えぇ……あの方が助けてくれたわ」

「くれなちゃん、後で合流しよう! 俺はカワタレと空中散歩してくる!」

「は、はい! お気をつけて!」


 くれなに声を投げかけて、ゲンは空を飛ぶ。そして人に囲まれるカワタレの身体を抱え、上空に避難する。人々の「待ってください!」なんて声を綺麗に跳ね除けて、2人は空を飛んで消えていった。

 


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