12話 ある魔法少女の追憶


 英雄と呼ばれる者に必要な素質は、数多の屍の上に立っていても、笑顔で手を振ることができるかどうかだ。


 時はさかのぼり、6年前。


 王城の豪華絢爛な己の部屋で、カワタレはひとり、暗闇の中で装置を起動する。人間界のとある少女を映し出す、監視装置。


 どかり、と椅子に腰かけ、虚ろな目でぼんやりと、装置が起動するのを待っている。


 その装置は本来は人間界の魔法少女を監視する装置だが、魔法装置を研究する機関が、女王の命令で改良を加え、魔力を持った魔法少女になる前の人間も監視できるようにした。


 そんな大層な装置が、カワタレの自室に置かれていることには理由がある。


『カワタレ、その子はいずれ人間界で最強の魔法少女になるだろう。だから、監視を頼みたい』


 女王、サニーの言葉を思い返し、カワタレは盛大な舌打ちをした。


 ____何が最強だ。力だけあったって、なんの役にも立たない。この子もろくな目に合わないまま、無様に死ぬだろうに。


 カワタレの心は、もう光を宿していない。クーデターを扇動した主勢力を殺してから。


 魔法界最強の魔法少女だった、を、たったひとりで殺してから。


 カワタレは俯いて、白い手袋を外した。手を鼻に当てて、匂いを確かめる。サニーにもらった妖精蜂蜜のハンドクリームの匂いとともに、血の匂いがする。


 何度手を洗っても、恩師を殺したときの血の匂いが消えない。自分の手がとても汚いものに感じる。パンやお菓子など、手づかみで食べるものを食べることができなくなった。あまりに手を洗いすぎて手がボロボロになった。見かねたサニーがくれたハンドクリームを塗っても、血の匂いが消えてくれない。


 ____私が、もっと『先生』の気持ちを察していれば。


 そう思うことが何度あっただろう。英雄としての恩賞で貴族の地位を貰って、城から民へ向けて手を振って。いついかなるときも、ずっと心が毒の沼に浸されている。


『私はどんな特別魔法よりも、属性魔法よりも、体術よりも、心を学ぶべきでした』


 そんなことを王城の女王の部屋で呟いたとき、サニーはカワタレの頭を撫でながら言った。


『人の心を学ぶには、人を見て、接して、己の頭で考えることが一番だよ。私も今更それを痛感している。本当に愚かなこの国の女王を、許さなくていいからね』


 サニーはひどく悲しげな眼をしていた。


 装置がぶうん、と音を立てて起動する。赤い髪の、小学生くらいの少女が、友達と笑って帰っている。時折早送り再生をして、ここ1カ月ほどの様子を一気に見る。


 フレンチトーストを食べて、母親と笑いながらテレビを見て、宿題をして。随分とお気楽な生活をしているものだ、とカワタレは心の中で毒を吐く。


 その後も、昼は女王の公務の付き添いや、夜は貴族たちの夜会や食事会の参加。忙しい日々をただただ数をこなすように過ごしていた。


 そんな日がしばらく続いたある日、装置越しに見た少女は、母親の誕生日を祝っていた。


『お母さん、お誕生日おめでとう! これ、私が描いたプレゼント!』

『ありがとう、くれな! 綺麗な絵ね? さすがは私の娘だわ』


 小さなケーキと安売りのスーパーの寿司。なのにとても幸せそうだ。直前に豪華な夜会の食事を、無理に飲み込んで口にしてきたカワタレは、何故か、胸がざわついて仕方がなかった。後から気づいたが、それは「羨ましい」という感情によく似ていた。


 昔、教え子仲間たちとともに、先生の誕生日を祝ったことを思い出す。そのときは上手く祝えていただろうか。今更思い出したって、何かが変わるわけでもないのに。


 でもあのときは、楽しかった、ような気がする。


 そんな気持ちが、カワタレの背をつんと押した。少しだけの、ほんの気まぐれで、あの少女に接触してみることにした。


 サニーには「気晴らしがしたい」と適当な理由をつけて、転送装置で人間界に降り立った。命令されたのはあくまで監視だから、接触はすべきではないのだろうが、カワタレはなんだかどうでもよかった。


 少女とは、すぐに接触することができた。


『君、このキーホルダー落としませんでしたか?』


 魔法界で適当に買ったユニコーンウサギのキーホルダーを見せて、声をかけた。不審者感極まりない声の掛け方ではあったが、人との会話に慣れていないカワタレはそれに気が付かない。


『いっ、いえ。私のじゃないです』

『あぁそうでしたか、ごめんなさい』


 そこまで口にして、何を期待したのだろう、と呆れた。この少女が「いつも見守ってくれてありがとう」なんて言うかと思ったのだろうか、と。


 この少女はこれから、魔法少女になる。魔法界の職人による、変身アイテムの作成が始まっていた。少女があと数年、中学生になった頃あたりに渡すことになっていると、耳にした。


 もうすぐ、血なまぐさい世界に飛び込む。力の強いこの少女のことだ、きっと強い怪物を相手にして、スカウトを受けて、反魔界との切っても切れない因縁と立ち向かって。


 大切な人たちに幸せを与えてもらったのに、その人たちを殺す日が来るかもしれない。


 ____私のように。


『あの!』


 はっ、と我に返る。少女はこちらを見上げていた。きらきらと、明るい感情をいっぱいに詰め込んだ瞳で。

 

『お兄さん、すごくかっこいいですね! もしかして、芸能人ですか?』


 どうやら少女はカワタレを男性だと思っているようだった。


『……いえ。そんな大層な人ではないですよ』

『あ、ごめんなさい! でも、かっこいいと思って』


 はは、と眉を下げて少女は笑う。


『王子様みたいで、びっくりしました。あっ、あの、握手、してくれませんか!?』

『はぁ』


 少女は小さな手を差し出す。だが返事をしたのは良いものの、カワタレは手を差し出すことをためらった。


『すみません、私の手は……とても汚いんです。君のように綺麗な手の持ち主に、触られていいものではない、です』

『だから、手袋してるんですか?』

『……えぇ』


 淡々と、だけど力なく告げるカワタレを見て、少女は笑顔で続ける。


『私、昨日お母さんとハンバーグ作ったんです。お母さん、お給料日だったから、チーズ入りのやつ。洗ったけど、私の手だってお肉いっぱいで汚れてましたよ? それよりは絶対、お兄さんの手は綺麗です!』

『そ、そういう問題ではないのですが』

『それに』


 少女の瞳は真っ直ぐ、カワタレを見つめている。


『お母さんもお花屋さんで働いていて、お水触るから手ががさがさだって、言ってました。でも、綺麗です。頑張り屋さんの手だから』


 頑張り屋さん。その単語に、カワタレは小さく目を見開いた。


 ____カワタレは頑張り屋さんだね。頑張り屋さんの子は、みんな美しく見えるよ。


 そうだ、あのとき、先生は笑ってそう言ってくれた。なのに上手く答えられなくて、ただ淡々と、そうですか、なんて言って、それしか答えられなくて。


『……先生』


 カワタレは小さく呟く。頭に残った、微かな思い出の声を、噛みしめるように。


 少女は不思議そうにカワタレを見上げている。カワタレは持っていたユニコーンウサギのキーホルダーを、少女へ向けて差し出した。


『これ、差し上げます』

『えっ』

『持ち主が見つからないから、途方に暮れていたんです。君のような心の綺麗な子に貰ってもらえれば、この子も幸せでしょうから』


 少女の手にそっと、キーホルダーを乗せる。


『この子、お守りでもあるんです。だから、きっと君をずっと、見守ってくれますよ』


 少女は手に乗ったキーホルダーを「可愛い……」と呟いて見つめている。

 

『じゃ、じゃあ、大事にします。ありがとうございます、お兄さ___』


 少女が顔を上げた時、カワタレの姿はもう、なかった。



 その日から少しずつ、カワタレは人と積極的に関わるようになった。


 後輩たちの育成に力を入れ、しばらく休んでいた後輩たちとの鍛錬にも励んだ。


 また、人の心を学ぶべく、多忙なスケジュールの合間に勉強し、魔法界のカウンセラーの資格も取った。様々な人と会うようにして、特に後輩の一人、反魔界出身のゲンという名の男とは、姉弟のように軽口を叩き合う仲になった。


 その中で、少女を装置で見守る夜の時間は、いつの間にかカワタレが心を落ち着かせる時間となっていた。


『いつも見守ってくれて、ありがとね』


 ある日、少女があのキーホルダーに向かって、そんなことを微笑んで呟いた。


 カワタレの鼻の奥が、つんと痛んだ。透明な臓器に何かが温かく光っている。これが、人を愛おしいと思う感情なんだと、強く自覚した。


 ____いつかこの子がこちら側の人間になっても、たくさん笑って過ごせるように、私も手を尽くそう。


 徐々にカワタレの手からは、血の匂いが消えていった。


 しかし。


 やがて少女が、くれなが魔法少女になった頃、異変が起きた。


『何故あの子をスカウトしに行ってはいけないのですか』


 サニーに直談判しに行ったカワタレの顔には、もどかしさと怒りが滲んでいた。


 魔法少女になってから、少女の、くれなの様子がおかしくなった。


 最初はよかった。くれなは持ち前の魔法少女としての才能と、明るい性格を活かし、チームメイトとともに怪物を順調に倒していた。


 しかし、どうやらチームメイトの中にひどく自尊心の高いものがおり、くれなを陰口や無視などで傷つけ始めた。


 おまけに、くれなの母親の様子もおかしくなった。魔法少女になった日を境に、何故かよそよそしくなった。まるで、自分の娘が何か異質なものに成ったと感じているかのような、そんな避け方だった。


 やがてチームメイトにも母親にも避けられていると察したくれな。でも彼女は、なんとか関係を修復しようと努力した。敵を誰よりも倒せばまた仲良くなれるかも、家事をきちんとやれば母も機嫌を直してくれるかも。そんな思いで。


 ____くれなちゃん、そんな奴ら相手にしなくていい、早く、早く私が、迎えに行くから。


 そして今すぐにでも早く、カワタレ直々にスカウトに向かいたいと、サニーに直談判した。


 けれどサニーは首を横に振った。


『心苦しいけれど、あの子はまだ人間界に居てもらわないと困るの』

『何故ですか?』

『未来視の装置によると、彼女はまだまだ強くならなければならない。今の彼女ではまだ反魔界の主力を倒すには実力不足なんだ、だから____』

『意味が分からない!』


 カワタレは思わず声を荒げた。


『だったら私が指導すればいい話だろ! さっさと魔法界の魔法少女にして、特別魔法も属性魔法も使えるようにすべきだろうが! それになによりも、あんな辛い目にあってる子を放っておくっていうのか!?』

『あの子に関しては、慎重にならざるを得ないんだ』


 サニーは鋭い瞳でこちらを見据え、口を開く。


『彼女はね、君の「先生」の忘れ形見なんだよ』


 カワタレの心臓がどくん、と脈打つ。サニーから「先生」の話を聞くのは数年ぶりだった。


『クーデターのとき、使うことが禁じられている魔法装置のひとつ、「異なる世界線とこの世を繋ぐ魔法」で呼び出した人間。それが彼女だ』

『何、を』


 もう、忘れていたはずの血の匂いが蘇る。


『赤須くれなは、この世界線の人間じゃない』


 はっきりとした声に、空気が重く揺れる。


『君の先生は、全く関係のない子を失った母親の記憶を操作し、くれなという娘がいるように仕立て上げたんだ。だが、友人や母親でさえもが距離を置くようになったのは、魔法少女になったことにより、異なる世界線の周波数と魔法少女の魔力の周波数が、上手く嚙み合わなくて彼女の周囲に悪影響を出しているからだろうね。特に親しくしていた人ほど、その噛み合わなさは増していく。母親が一番の例だ』


 声が出ない。喉が重い。


『ただ、魔法少女チームのチームメイトに関しては、不運と言わざるを得ない。底意地の悪いクズな奴らに当たったことと、魔力の周波数が噛み合わなかったことが重なったかな』


 カワタレの胸が締め付けられて痛くなる。


『常に魔力と隣り合わせの生活をしている、人間じゃない私たち魔法界の者は、耐性があるから大丈夫だよ。だから』

『なんですか、それ』


 思わずサニーの言葉を遮っていた。カワタレはにらみつけるようにサニーを見据える。


『つまり、くれなちゃんは、私たち魔法界の都合の所為で、今辛い目にあっているということですか』

『……うん』

『そしてこれからも、彼女のその才能を利用する予定ってことですか』

『そうだよ。反魔界の主勢力を打ち倒せば、平和な世がやってくる。君の「先生」と仲間たちが望んだ、平和な世が。私が救えなかった君の「先生」の望みを叶えてやりたい。どんな犠牲を払ってでも』

『……貴女はまだ「先生」の亡霊に、しがみついてばかりですね』


 サニーは何も答えなかった。そのままカワタレに背を向けて歩いていく。この人は変わってしまった、とカワタレは何故か悲しく思った。変わったのはお互い様だけれど、明らかにサニーは過去に縋りついている。昔は、少女ひとりでも犠牲にするのをためらう、悪く言えば甘い、よく言えば、優しい人だったのに。


 カワタレは弟分のゲンとともに、人間界の魔法少女管理本部に配属を希望し、周囲の反対を押し切って魔法界をあとにした。国の大臣たちは大層反対したが、サニーが「彼女は十分国に貢献した。少しの間だけでも、楽にさせてあげて」と主張し、ふたりは希望通りの配属を勝ち取った。


 ____くれなちゃん、今度は私が、君の手を取る。本当の君の「王子様」になってみせるからな。


 決意は固く、カワタレの道しるべとなって、両足を支えてくれていた。


 そして数年後の、うららかな春の日。


「美しいだな、近くで見ると、ずっと」


 ふたりはまた、出会った。






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