11話 コンビニに行こう
6月も半ばになり、雨の多い日が続いている。
夜、23時半。くれなは毛布に顔をうずめて目を瞑っていた。眠っているのではない。何度消しても、消そうとしても消えない、どうしよう怪物に脳を埋め尽くされたままひたすら耐えていた。
何をやってもダメな日というものがある。それが今日だ。
今日は本当に身体が動かない。ひたすら眠くて、熱はないのに頭がぼうっとして、おまけにどうしよう怪物がたくさん出てくる。
____どうしよう、このまま一生、このどうしように憑りつかれたままだったら。
過去への後悔と未来の不安が消えてくれない。
特別魔法の特訓を毎日して、たまに返納列車の仕事をして。あっという間に日々は過ぎていく。最近は金色の糸を指から出す特別魔法も慣れてきて、いろんなところに引っかけたり、愛用している脇差に括り付けて、遠くにいる怪物相手に遠距離攻撃を仕掛けることもできるようになった。今は特別魔法だけでなく、炎や水などを操る属性魔法の練習も始めている。
嬉しかった。できるようになることが増えるたびに、カワタレとゲンが褒めてくれた。雅もルナもマリットもクイーンも、カワタレやゲンが、くれながこんなことをできるようになった、などの話をするたびに、自分のことのように祝ってくれた。
なのに、今日の朝、突然泣き出したくなった。怖くなった。辛くなった。
そして、初めてカワタレに、待機命令を言い渡された。今日は1件、返納の仕事が入った。けれど、カワタレはくれなの両肩に手を置いて、真剣な顔で言った。
『こんな真っ青な、可愛い可愛いくれなちゃんを働かせることなどできない。カワタレ様のために今日は休みなさい、命令』
カワタレは何でもお見通しなのだろうか、とくれなは感じた。同時に、休むことで、新たなどうしよう怪物に襲われないことを安堵する、臆病でずるい自分も見透かされているのではないか、と新たな不安にも襲われた。
一日泥のように眠り続けたおかげで、何故か今は眠くない。それに何も食べていないからお腹も減っていた。何もしていないのにお腹が減っていることですら、申し訳なく感じる。
未だ残るどうしようの不安を抱えながら、くれなは静かに部屋を出る。豆電球を点けて、階段を降りていく。
事務所のキッチンにある、買い置きのインスタントのスープでも飲もうと、ドアを開けようとしたときだった。
バタバタ! と階段を上る音がする。
「あれ、王子! ただいま! 体調はもう大丈夫?」
「ルナちゃん、マリットちゃんも」
小走りで階段を上ってきたのは、ルナとマリットだった。
「ふたりとも、もしかしてお仕事だったの?」
「えぇ。私たち、魔法界に行って雅さんが捕まえた怪物の報告してきたの。あぁもう、おなかペコペコ」
「雅はねー、まだやることがあるから魔法界の怪物管理事務所に泊まるって!」
そうなんだ、とくれなは頷く。雅の特別魔法は珍しいものだから、きっと魔法界でも重要な立ち位置なのだろう。
「そうだ、僕たち今からコンビニ行こうと思うんだけど、王子も行こうよ!」
「こらルナ、くれなは体調が悪いのに」
マリットがルナの肩をぽすんと叩く。夜中にお出かけ、友達と。くれなは目を輝かせて、わくわくと擬音が似合うほどに、期待の息を吸う。
「ううん、行きたい……! 一日中寝てた分際で、おこがましいけど、ふたりとお出かけしたい、な」
「やったー! あと、おこがましいなんて思わなくっていいんだよ! 出かけたいときには出かけるのが1番だもん」
「ルナちゃん……ありがとう」
「ねぇねぇ大人買いしよ! お菓子もカップ麺もジュースも、好き放題買おうよ! ボーナスも出たし!」
「出た、ルナの浪費癖。自重はしなさいね、ただでさえ私たち魔法少女は、食欲が旺盛なんだから。コンビニが潰れない程度にね」
「もぉ、わかってるよぉ」
ルナが唇を尖らせる。ルナとマリットが自室から財布を取ってくるのを待ってから、魔法で街に馴染む軽装に着替える。3人は会話を弾ませながら、夜の町へと歩き出した。
*
「大変だ! おにぎり2つ買うとジュース貰えるって!」
「ねぇくれな、このクレープ美味しいんだよ。イチゴ味好き?」
コンビニでの買い物はそれはそれは盛り上がって、くれなの心に蔓延っていた怪物も、ひっそりと心の隅に追いやられるほどだった。
おにぎりもサンドイッチもカップラーメンもお菓子も買って、目いっぱい詰まった袋を計3つ持って、夜の道を歩く。友達と歩いている、それだけで、くれなは心が弾んでいた。
「今日は晴れてよかったね!」
「そうだね。風が涼しくて気持ちいい」
「ねぇ、焼き鳥もう食べていいかな? アツアツの食べたい」
「えぇ? 歩きながら?」
「いただきまーす!」
「話聞いてないじゃない。だったら最初から聞かないでよ」
ルナとマリットのやりとりを、小さく笑みを零しながらくれなは見ていた。
焼き鳥をもぐもぐと食べながら、ルナが口を開く。
「そういえば王子、おつまみ買ってたけど酒飲むの? 魔法界の魔法少女になったとはいえ、まだ未成年だよね?」
魔法界の魔法少女になったとしても、人間界同様、飲酒は成人を超えてからが規則だと、カワタレに教わっていた。
くれなは首を横に振った。
「これは、カワタレさんとゲンさんの分なんだ。この前、カワタレさんが『コンビニのおつまみ高いけど美味いんだよな』って言ってたし、今日お仕事休んじゃったから……そのお詫び」
「えらすぎない!? 聞いた? マリットちゃん」
「気遣いするのはいいことね。だけどくれな、ちょっと気になったんだけど、お給料何に使ってるの? 私たちと買い物行っても、あんまり買ってるの見たことないから」
「えっと、お菓子とか、ご飯とかで、あとは貯金かな」
「えっ、貯金!? 僕一銭もしてないよぉ。てかバッグとか本とかアクセサリーとか大人買いしないの!? 大人買い月1でしない!?」
「ルナが大人買いしすぎなんじゃない?」
魔法少女は魔法で自由に着替えることができるが、バッグやイヤリング、ピアスなどの装飾品は魔法で出すことはできない。ルナは買い物好きのようで、貯金という単語に目を丸くしていた。
バイトをしたことがないくれなは、生まれて初めて給料をもらった。が、使い道が分からず、というか欲しいものが思いつかず、自分や本部の仲間たちへの差し入れ等、食べ物に使っている。服は魔法で出せるし、メイクなどをしても服を魔法で着替えれば落ちてしまうとのことだから、化粧品なども買う必要性があまりなかった。
マリットが「あのねぇ」と己の腰に手を当てる。
「くれなってば、お給料で私たちの分のお菓子とか、いろんな県のお土産とか買いすぎなの!」
マリットの言葉に、くれなはサッと顔を青くする。
「ごごごごっごめん、めめめめめめめっ迷惑だったかな?」
「まっ、まぁ、気持ちは嬉しいけど? というかそんなにすぐ謝らないでよ。私、別に怒ってないから」
「そうだよ! マリットちゃんはツンデレさんなだけだから! くれなちゃんに初めてもらったお土産のチョコレートクッキー、まだ開けずに大事にとっといてるんだよ?」
「ちょっと!」
「未だに食べるかどうか、真剣に悩んでるくらいに嬉しかったみたいだし! だからまた買ってあげて!」
「こらルナぁ! 余計なこと言わないでよ!」
「痛ぁい! マリットちゃんがビンタしたぁ!」
ふん、と頬を赤くしてマリットは腕を組む。そこまで喜んでいてくれていたのか、とくれなはたじたじと照れた。
「あ、よかった、王子嬉しそう」
ルナが揶揄うように呟く。くれなは「えっ」と、短く息を吸う。
「わ、私、そんな分かりやすいかな?」
「えぇ。いつも心配になるくらい顔に出てる」
マリットが即答した。
「王子、この間サニー様たちが来たときもめちゃくちゃ考えごとしてたでしょ? クイーン様が執務室に連れて行ってから、少し落ち着いたみたいだけど」
「うっ」
「ふふ、くれなってば図星だね」
くれなはがっくりとうなだれる。今日の昼もカワタレには何でもお見通しなんだと思っていたが、どうやら己がかなり顔に出るタイプのようだ。
くれなは人差し指で頬を掻く。
「本当に私、いつも考えごとばかりなの……。カワタレさんにも、いつも大丈夫かどうか確認してもらったり、励ましてもらったりで、情けないね」
はは、とくれなは誤魔化すように笑った。そんな自虐的な笑みのくれなの顔を、マリットが覗き込む。
「あの、もし嫌なら話さなくてもいいのだけど、人間だった頃、大変な思いしてきたんでしょ? カワタレさんから少しだけ聞いたの」
「あ……うん、ちょっとだけ」
本当はちょっとどころではなく、今日みたいに起き上がれないほどの後遺症が残っている。けれどくれなは何故か、アカネたちを庇うように、ちょっとだけと、そう言ってしまった。完全に無意識で、言葉を縛る呪いのようだった。
マリットはどこか真剣な声で続ける。
「よかったら、私たちにも話してくれない? 仲間がどういう仕打ちを受けてきたか、知りたいんだ」
「そう! 前からマリットちゃんと雅とも言ってたんだ。王子の事情を知ったら、何か力になれることがあるかもしれないって。でもカワタレ様が『本人が言えるようになるまで待ってあげてくれ』って。きっと、何も知らない方がかえって気を遣わないでいいと思ったんだろうね」
2人は穏やかな眼差しでくれなを見つめる。
唇を折ってきゅっと噛みしめる。
「あの、不幸自慢とかって思わない?」
「当たり前でしょ。私たちをあんまり舐めないでよね」
「僕たちを誰だと思ってるの? 大事な大事な王子の、先輩で友達だもん。そんなこと思わないって!」
温かな言葉に、心臓の端がじんと滲んだ。
話すと長くなりそうだから、と、話すのは事務所に帰ってからにすることになった。その間、歩きながらイチゴクリームの入ったクレープを食べた。星の見える夜の道、甘い味と軽やかなおしゃべりが、くれなの心の怪物を追っ払ってくれていた。
*
事務所でたくさんの食べ物を並べ、賑やかな食卓を囲んだ。遅めの夕飯をたくさん食べ終えて、食後のお茶を飲みながら、くれなは「暗い話になってしまうんですが」と、ポツリと、過去について話し始めた。
中学生で魔法少女になって、チームに入って、そこからはずっと罵詈雑言を浴びせられながら戦っていたこと。唯一の肉親の母ともうまくいかなくなって、殴られる日もあったこと。友人もおらず、金もなく、頼れる人も愛してくれる人もおらず。何もかも諦めて、死にかけたあの日まで、とにかくアカネのスカウトのために、夢中で脇差を振るっていたこと。
ひとしきり話し終えたくれなの瞳に映ったのは、俯いて怒りに拳を震わせるルナと、不機嫌の塊のごとく眉間に皴を寄せたマリットだった。
先に口を開いたのは、ルナだった。
「許さねぇ! 人間界のいち魔法少女ごときが舐めやがって! 雅と怪物事務所に頼んで大型怪物100体ぶっぱなしに行ってもいいんだかんな!?」
くれなの肩が跳ねる。ルナのこんなにも低く、ドスの効いた声は初めて聞いた。彼女は、ぱん、と音を立てて、胸の前で拳を手のひらに打ち付ける。
「僕の王子になんてことしてくれたんだっつーの! ああもう、装置使った後たびたび、カワタレ様が荒れるはずだ!」
「私も、はらわたが煮えくり返って溶岩みたくなってるんだけど。何それ、本当にありえない。火あぶりにしましょ」
マリットは人差し指から小さな炎を出している。
ふたりがあまりに怒るものだから、くれなはあわあわと両手をわけもなく動かして、首を振る。
「でも、アカネちゃんたちがいなければ、こうやってスカウトされることもなかったし、いっ、今は感謝してるよ?」
「くれな、感謝なんかいらない」
「え……?」
マリットのはっきりとした声が空気を裂く。同時に、くれなの未だ残る、アカネへの恐怖心にも爪を立ててくれた。
「自分を不幸にしたやつに、感謝なんて感情をくれてやる必要はないと思う。くれなは実力があった、才能があった。そいつらがいなければ、もっと幸せになってたし、もっと実力が伸びて、もっと上の組織からスカウトが来てたかもしれないよ」
「……でも、復讐するためにここにいるような、そんな私だし、そもそも復讐なんてきっと、褒められるような感情じゃないし」
「それでもだよ」
マリットはくれなに右手を伸ばして、くれなの肩に手を置いた。
「復讐なんかしなくていいとか、復讐は自己満足だとか言う輩は、その場で舌を嚙みちぎりたくなるほど絶望した経験がない、脳内お花畑な奴らだもの」
マリットの手の感触が、言葉に確かな重みをくれる。
本当は今日、ずっと考えていた。復讐すると誓ったけれど、自分は復讐なんてしていいほど、できた人間なのだろうか、と。
「感謝なんかしなくていい。復讐を責める権利なんて誰にもない。堂々と、胸を張って復讐しよう、くれな。私はなんだって協力するから」
マリットの言葉は痛いほど真っ直ぐ、体の内側の見えない臓器に響く。
胸を張って、復讐したい。今日一日ずっと戦っていた心の怪物が、薄れていく。
くれなは己の肩に置かれたマリットの手に、己の手を重ねた。
「……ありがとう、その言葉で私、これからも頑張ろうって思える」
マリットとくれなの目が合い、ふたりは同時に、吹き出すように微笑んだ。
温かな空間で、ルナがずいっとくれなの方へ身を乗り出す。
「ちょっと王子、僕も頼ってよね! 僕、こう見えても作家のはしくれだし、なんなら王子の辛かった体験と奴らの所業、絵本にして社会にばらまいたっていいんだよ?」
「ルナが書いたらバッドエンドになるじゃない」
「そうだけど!」
「そこは否定しないのね」
「ふふ。ルナちゃん、ありがとう。その気持ちだけで胸がいっぱいになったから、大丈夫だよ」
くれなの言葉に、ルナは満足げにふふんと鼻を鳴らした。
穏やかさを取り戻した空間で、お茶を飲む。背を押してくれたふたりの顔を見て、どうしようが消えていく。
「でも王子、カワタレ様がいるなら安心だよ。だって、カワタレ様はとっても強いし、魔法界では有名人だからね! 正直、こんな下っ端事務所に所属する人じゃないんだよ、あの方」
「そ、そうなの?」
「あれ、くれな知らないの? ……まぁ、『あのこと』を話すのは、また今度でいいか」
マリットは気まずそうに目を逸らす。くれなは小さく首を傾げた。
ルナとマリットは目を見合わせ、確認するかのように小さく頷く。マリットが真面目な顔で、息を吸う。
「あの人はね、魔法界転覆を企てたクーデターを引き起こした主勢力を、たったひとりで倒した、通称『英雄』様なんだよ」
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