10話 あの子


 サニーとクラロイドとテーブルを囲む。3人掛けのソファ2つには、今ここにいる計9人は座り切れないので、備品のパイプ椅子を持ってきて、全員でクイーンのお土産を食べている。


 サニーはもう少女の姿ではないのに、子供のようにチョコレートをめいっぱい頬張っている。クラロイドはにこにこと満面の笑みで、正面に座るくれなを見つめていた。


「カワタレさんが気に入るっていうから、どんな子が気になっていたのよ。でも、あなたも可愛らしいわね? 見ているだけで、赤い目のうさぎさんを撫でている気分だわ」

「い、いえそんな、恐縮です」

「まぁ、言葉遣いも丁寧ね! どこかの誰かさんにも見習ってほしいものね」


 屋上のときと同じように、くれなを庇うように、カワタレがさっとくれなの前に腕を伸ばす。


「恐怖! 権力を盾に誰にでも手を出す女上司!」

「テレビ番組みたいに人を侮辱するのやめてくださる?」

「お、落ち着いてくださいおふたりとも」


 ばちばちと火花を散らした睨み合いが始まる。けれどくれな以外の全員は、おしゃべりとお菓子とお茶に夢中だ。どうやらいつものことらしい。


「あの、私のことは気に入らないとか、ないのですか?」


 話を逸らすように尋ねると、クラロイドは左右に首を振った。


「そんなわけないわ。どうして?」

「だって、私はカワタレさんの部下ですから」

「おほほ! そんなのあなたを嫌う理由になんかなりませんことよ? わたくしが気に食わないのは、くれなさんの横でわたくしを睨むこの方だけですもの!」

「くれなちゃんがいなけりゃぶん殴ってる」

「ゲンさんも数少ない浮遊魔法の使い手として尊敬していますし、本部長のクイーンさんも言わずもがな。そして記録係の3人は妹のようなものですわ」

「えーほんと!? クラロイドちゃん優しい!」


 ゲンが嬉しそうに手袋をした手で拍手をする。


「うふふ、私たち記録係もクラロイドさんのこと、お姉さまのように思っているわ。ね、ルナ、マリット」

「雅の言うとおり!」

「私も同意見です」


 クラロイドはふふん、と心底嬉しそうに鼻を鳴らした。豪華な見目の印象通りといえばそうだけれど、この人はどこか余裕があり、なかなか懐の広い人みたいだ。


「でしょう! わたくしってば実力がある上に優しくて、おまけに人望も厚いのよ?」


 自信に溢れた声だ。よく通る声に、くれな小さく微笑みを零す。


 くれなが人間をやめて魔法界の魔法少女になってから少しが経つが、会う人すべてが自分の芯をしっかりと持っているというか、真っ直ぐな人ばかりだ。くれなは羨ましいと思った。自分もいつかは、そうなりたいとも。


 いつの間にかチョコレートを飲み込んだサニーが、クラロイドの腕に抱きつく。


「じゃあこの後さ、ゲームセンター行きたいな!」

「ダメですわ。まだ公務がありますわよ。ただでさえここに来ることも、臣下たちに無理言って押し通したのに……」

「けち」

「ケチで結構ですわ。あと、先ほどのお説教もまだ終わっておりませんからね?」

「うーるーさーい! クラロイドちゃんの高飛車! 悪役令嬢!」 


 サニーは唇を尖らせる。それでもクラロイドは譲らず、ぎゃあぎゃあと互いに主張を交わして、ふたりの言い争いが始まってしまう。が、カワタレも「雅、この紅茶美味しいな」と茶をすすっていた。もはやこれさえも日常のことのようだ。


 温かで穏やかな空気が流れている。だけど、くれなの心の端で、先ほどの言葉が根をはっている。


『くれな、この私と一緒に、魔法界へ行こうよ! 今よりもずっと、とびっきり、幸せな暮らしをさせてあげる。これからも永劫に』


 あの時のサニーの瞳は、得体のしれない、夜の海のような奥深さを宿していた。見つめられているだけで、その海に手を引かれて、足元から水浸しになっていくような、不思議な感覚を味わった。逸らせない視線が焼き付いた跡が、未だに心に残っている。


 ____あの言葉は、冗談、なのかな。


 だけど「永劫」なんて力強い言葉を使った言葉をかけられて、心臓がざわざわする。


 おまけに、先ほどのカワタレの言葉の意味も、よく嚙み砕けていない。


『サニー様には、あんまり近づきすぎない方がいい』


 カワタレはどうして、そんな忠告をしたのだろう。クラロイドは魔法界の、女王直属の魔法少女隊のトップらしい。そんなクラロイドとあんな風に子供のような喧嘩をするカワタレが。どんなに態度の悪い店員にも、道ですれ違った子供にも、誰に対してもさっぱりと、明るくはきはきと接するカワタレが。


 思考を巡らせていると、とん、と肩に軽く、何かが触れた。視線を向けると、くれなの肩に指をのせた、クイーンがこちらを見下ろしていた。


「くれなくん、ちょっとだけ一緒に来てくれるかい? 今日はサニー様、お昼ご飯もここで食べていくそうだ。出前を取るために、経費用の口座のキャッシュカードを取り出すから、金庫のある僕の執務室を案内するよ。今後僕が不在のときも、使うことがあるだろうから」

「はっ、はい」

「カワタレくん、くれなくんをお借りするよ」

「お、いってらっしゃい。くれなちゃんに変なことしたらクイーンさんの首を刎ねるからな」

「上司に言う言葉じゃないよね? あと変なことするわけないでしょ」


 物騒な言葉に見送られながら、ソファをあとにする。


 すぐ側の執務室に向かい、クイーンがドアを開ける。「どうぞ」と促され、執務室へと入る。ドアを閉めると、クイーンがこちらを向いて、口を開いた。


「緊張してるかな? さっきからずっと、視線が泳いでいるからさ。ランドリーの集金当番を3回連続で忘れて、あの優しい雅くんに正座でお説教されたカワタレくんもね、この間そんな風にきょろきょろ目を泳がせていたよ」


 優しげな声だった。カワタレが正座をする想像をして、くれなは口元を手で隠し、笑みを零す。


「……ふふ」

「あ、笑ったね?」

「ご、ごめんなさい」

「いいんだ。笑顔が見れて嬉しい。むしろごめんよ? こんなおじさんと一緒で。君があんまり思いつめた表情だから、連れ出したくなってしまってね。緊張するよね、あんなに偉い人がいきなり来るなんてさ」


 そうやって爽やかに笑うクイーンに、くれなの心がじんと滲んだ。どうやら強面な雰囲気とは打って変わり、この人もカワタレたち同様、心優しい人のようだ。


 金庫は部屋の奥にあった。ステッカーがたくさん張られた金庫は、ゲンとルナが「可愛くしてあげる!」と美術系の知識があるマリット監修でデコレーションしたらしい。


 しゃがんで金庫を開けたクイーンから、一通りの説明をうける。クレジットカードや通帳自体手に取ったことがないくれなは、なんだか大人になったような気がして少し嬉しかった。


 説明を終えて、クイーンが立ち上がる。


「そういえば、くれなくんの人間だったころの苗字は『赤須』なんだよね」

「は、はい」

「綺麗な名前だね。赤色の赤が苗字で、くれないのくれなが名前。響きが綺麗で、凛とした君によく似合う」


 褒め言葉に、くれなはたじたじと頬を染める。ここにいる人たちはたくさん褒めてくれるけど、未だ照れが消えない。


 すると、クイーンが顔を真っ青にした。


「って、セクハラになってしまうか!? すまない、下心は一切ないよ? もし気持ち悪かったらいつでも言ってくれ、本当に申し訳ない」


 お手本のように慌てるクイーンに、くれなはまた、小さな笑みを零す。


「……ふふ。いえ、その、嬉しいです」

「よかった。ほんとごめんよ」

「いえ。あの、魔法界の人には苗字ってないんですか? 私が出会う人は皆さん、お名前しか名乗らないので」


 ふと湧いた疑問を口に出す。クイーンは穏やかに微笑む。


「前はあったんだけどね、なくなったんだ。サニー様の勅令、平たく言うと命令でね」

「命令?」

「少し前に、って言っても、くれなくんはまだ子供だったであろう頃にね、大きなクーデターがあったんだ。それで、クーデターを扇動した人の家柄と少しでも縁があった人や、出身地が近い人が、差別を受けてしまって……。それに心を痛めたサニー様が、魔法界の家名を名乗ることを禁じたんだ」

「す、すごいですね。苗字をなくすって」

「まぁね。しかも魔法界の王城には、すごい魔法の装置があってね。いくつか装置はあるんだけど、その中のひとつに『魔法界の民の特定の言葉の口封じをする』魔法の装置があるんだ」

「わぁ、そんなこともできるんですね……びっくりです」

「まぁ、そんないいものじゃないから滅多に使わないけどね。人の魂を縛る魔法は、あんまりよろしくないから」


 くれなは頷いて、確かにそうだと思った。魔法は万能だ。くれなはまだできないが、炎や雷を自在に生み出すこともできる。


 まだまだ知らないことが多いと感じた。もっと魔法について勉強して、優しくしてくれる人のために活かしたいとも思った。


「聞きたいことは、どんどん聞いていいんだよ。どんなに目上の人でもね」

「……はい」


 クイーンの温かな声は、くれなの背をそっと押してくれた。くれなは安堵したかのように、笑みを零した。



 昼はピザと、近所のファミレスのオードブルを頼んだ。さすがに年中無休食べ盛りの魔法少女および魔法界の住人、計9名ではピザ屋だけでは量が多すぎて迷惑がかかるとのことで、ファミレスにも注文を入れた。


 クラロイドもサニーも、リーズナブルな価格で食べられる食事が好きらしい。


「ピザ久々に食べた! お城のご飯も美味しいけど、やっぱ人間界のご飯はひと味違うね」

「ま、わたくしが普段行っている店とはまた違った美味しさですわね」


 ふたりはどこか満足げで、そのあと少しお茶を飲んで、13時頃になって「サニー様、そろそろ休憩は終わりです。帰りましょう」とクラロイドが立ち上がった。


 の、だが。


「やだやだやだ! 帰りたくない!」

「だーめーでーすーわ! ルナさんにしがみつかないでください!」

「さ、サニー様に抱きついてもらえるなんて嬉しみの極みなんですけど!」

「ほら、ルナも喜んでるじゃん! 利害一致してんじゃん!」


 そういう問題ではないのだが、サニーは遊園地をあとにする子供のごとく、まだここにいたいと駄々をこねていた。


 ご飯を食べながらのおしゃべりの中で知ったのだが、サニーはカワタレよりもクラロイドよりも、何倍も年上らしい。何倍、と倍の数字で年齢が違うことは魔法界ではよくあることなのだろうが、サニーの振る舞いはカワタレよりも自由奔放だった。


 結局「帰りにゲームセンターに30分だけ寄る」ことを条件、というかクラロイドが悩みに悩んだ末妥協して、2人は帰ることになった。


「寂しいわぁ。雅さん、お姉ちゃんとして、ルナさんとマリットさんのことお願いね。あ、でも無理はだめよ? 何かあったらわたくしを呼んで。ありあまる大人の権力でなんとかいたしますから」

「うふふ、クラロイドさんってばご心配なさらず。今度いらしたときは、クラロイドさんの好きなバナナブレッドでも焼きますね」

「ま、私は雅のご飯いつでも食えるけどな! 羨ましいだろクラロイド?」

「は?」

「あ?」

「もう、カワタレ様もクラロイド様も静かに蹴り合わないでください!」


 またもや闘いが始まる。少し離れたところでサニーは、その様子をからからと笑いながら見ている。くれなは口を一文字に結んで、彼女にそっと近づいた。


「あの、サニー様」

「ん? なーに、くれな」


 聞きたいことは聞いていい。クイーンの言葉が心を支えている。


「屋上でおっしゃっていたことは、その」

「あぁ、あれ? 冗談冗談」


 サニーは微笑みを携えたまま、くれなの赤い髪をそっと撫でる。くれなの耳元に、顔を寄せた。


「な、わけないよ。返事はどうかな?」


 鼓膜を撫でる囁き声は滑らかで、心を引き込まれそうな、不思議な声色だった。


 手を引く声に、くれなは少し目を閉じる。


「永劫」に幸せになれるのなら、この心に蔓延るどうしようの怪物から解放されるなら、彼女の手を取るのだってひとつの選択肢だ。魔法界には魂を縛る魔法だってあるのなら、比喩じゃなく本当に永劫に、どうしようなんて感情からも解放されることだってできるかもしれない。


 でも。


 くれなは目を開いて、サニーの瞳を真っ直ぐに見つめた。


「不敬だとは分かっています。でも私は、ここで幸せになると、決めているので」


 血を流し尽くしたあの日、真っ赤になった自分の手を握ってくれたカワタレの、そして自分を受け入れてくれた本部の仲間たちの、傍にいたいから。


 サニーは目を丸くした。呆けたようにくれなの瞳を見つめ返し、今度は何かを懐かしむように、穏やかに笑った。


「なーんだ、フラれちゃった」


 その声に棘はなかった。サニーはくれなの髪から手を離し、ひらひらと軽く振った。


「ばいばい。また会うときは、呼び方は『サニーちゃん』でいいからね、くれな」 

「ぜ、善処します」

「はは! かたーい! じゃあね!」


 颯爽とサニーとクラロイドは、事務所をあとにした。比喩ではなく、本当に嵐のような人たちだった。


 ドアが閉まるのを見届けたくれなの肩を、とんとんとマリットが軽く叩く。


「くれな、サニー様に何か言われたの?」

「うん、冗談を」


 手を引かれるくらい強い瞳と、言葉を思い返す。


「ちょっとした、冗談」


 まるで、本当のような『冗談』だった。



 ゲームセンターはいろんな機械音や話し声でいっぱいだ。おもちゃ箱に飛び込んだような陽気な空気の中で、サニーとクラロイドはUFOキャッチャーに悪戦苦闘していた。


「アームの力がアホみたいに弱すぎますわ!」

「次! 次絶対取れる! 両替してくるからクラロイドちゃん、台キープしといてー!」

「かしこまりました!」


 サニーは駆け足で台をあとにする。2人の格好は変わらず魔法装束のままだったが、クラロイドのパンツスーツも、サニーのドレスも相当目立つが東京のこの町では珍しい格好ではないので、溶け込んでいた。ただしさすがにロングドレスはコスプレかと思われてしまうので、クラロイドに言われてサニーはドレスの丈を管理本部の事務所に居たときより少し短くして、ワンピースのようにしている。


 サニーのドレスの裾が揺れ、彼女が駆け足で向かった先は、両替機ではなかった。


 階段近くのプリクラの機械に、鮮やかな黄緑の髪の、カワタレが腕を組んで立っていた。


「今度は来る前にちゃんと連絡くださいよ、サニー様」

「あれ、カワタレったら見送りに来てくれたの? まぁ、気配で分かってたけど」


 ころころと軽く笑うサニーに、カワタレはふっと笑みを返す。


「一応、貴方様は私の第2の人生の師ですからね」

「その割にはみんなの前で冷たかったじゃーん?」

「親が授業参観に来てるような気分になるんですよ、分かってください」


 カワタレは誤魔化すように後頭部を手で掻く。


 サニーは大事な大事な「教え子」を真っ直ぐに見据える。騒がしい空気の中、ふたりの間の酸素だけが、どこか強張っている。


「カワタレ、あまりあの子に入れ込みすぎないようにね」


 あの子、が誰を指しているのか、言葉にせずとも分かっていた。


「だって、あの子は」

「それは、ご自分に言い聞かせてらっしゃるんですか?」


 カワタレの鋭い目が、サニーの声を遮った。


「……はは、ご想像にお任せするよ」


 肯定でも否定でもない答えに、カワタレは口をへの字にする。サニーはひらひらと手を振って、切り裂くような大股歩きで、カワタレの前を去った。 

 

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