7話 返納の仕事
返納列車が転送装置でワープしたのは、福島県の山奥だった。
ゲンの特別魔法、物や己を浮遊させる魔法で動く返納列車は、怪物と一緒で魔力を持つもの以外は見ることができない。魔法界の技術で、物を組み立てるときにそういう認識を阻害する魔法をかけて作るらしい。
さらに、列車は使用しないときには、簡単に魔法で解体できる。普段この列車は、解体して事務所の屋上に置いてある。
列車が指定された座標に降りる。座標には既に結界はなかった。恐らく結界を張った魔法少女が力尽きたのだろう。
ぷしゅう、と車両のドアが開く。3人は列車を出て、魔法少女を探す。
「くれなちゃん、結界お願いできるか? 薄くて構わないから、広範囲のやつで頼む」
「は、はいっ」
「多少、雑でもなんでも大丈夫。仮に残党がいようが、絶対に逃がしやしないからな。カワタレ様を信じてくれ」
カワタレの力強い言葉に、心に張り詰めた糸が自信を取り戻す。大丈夫、の言葉でまたひとつ、安心する。
それと同時に、この人はどこまで理解してくれているのだろうと思った。くれながいつも結界を張るとき、もし結界のどこかに隙があって、怪物が一般の人のところまで行ってしまったらどうしよう、と、どうしよう怪物の所為で不安になっていたことを、もしかしてこの人は知っていたのだろうか。
先に行ってる、とカワタレとゲンは歩みを進める。くれなはその場に留まり、両手をぎゅっと組んで、目を閉じる。
「【魔の力よ、魔を持つものを受け入れ、隠し、包め】」
呪文とともに手に力を込めると、頭上から水が流れるように結界がおりてくる。
結界はイメージさえうまくいけば、広範囲にかけたり、強度を高くしたりできる。魔力を持たない一般の人間にはいつも通りの光景が広がり、仮に結界の中に入ってもいつも通りの風景の仮想空間の中を進むことができるので、被害は出ないのだ。
少しして、くれなは立ち上がる。辺りをきょろきょろと見渡して、結界が無事におりたことを確認する。少し不安は残るが、同時にカワタレの「大丈夫」の言葉が耳に残っているから、どうしよう怪物に脳を支配されることはなかった。
くれなは早歩きでゲンとカワタレを探す。
2人を見つけ駆けだす。2人の足元には、黒いセーラー服を着た女の子が、うつぶせで倒れていた。片足は通常では考えられない角度で曲がっている。
「あぁ、結界ありがとな」
「カワタレさん、ゲンさん、もしかしてこの方は、もう……」
ゲンがゆっくりと、無言で頷く。
『返納列車の仕事は9割が死体アンド残党処理だからね。くれなちゃんのスカウトや記録係の3人を助けたような仕事は、あくまでイレギュラーだ』
以前、カワタレがそんなことを言っていた。その時から覚悟はできていたけれど、実際に自分以外の血や、亡骸を目にすると、なんと言葉を発していいか分からなくなる。
静かに、カワタレは片膝をついた。
「勇敢なる少女に祝福を」
そう言うと、カワタレは結界を張るときのように、胸の前で両手を組んで、目を閉じた。ゲンも同じように、手袋をした手をぎゅっと組む。くれなも急いで、同じことをした。きっとこの言葉とこの祈りが、魔法界なりの弔いなのだろうと思った。
少しして、カワタレは目を開けて立ち上がる。
「ゲン、彼女を霊柩車両へ。足の骨が砕けてるみたいだから、丁重に」
「了解!」
「私とくれなちゃんは残党を探そう。あっちから気配がする。多分、1体かな」
「はっ、はい」
普段よりもずっと落ち着いた、真面目な声。
カワタレはこの仕事をして随分長いと、くれなはルナから聞いていた。残党を2人で探しながら、この人は今まで何人の魔法少女を弔ってきたのだろう、と考えた。
初めて会った日に「桃頭アカネたちが死ぬのも時間の問題だろう」と軽く言ってはいた。だが、顔も知らない魔法少女の亡骸のために祈るカワタレの声は、真剣だった。
そういえば、カワタレのことをよく知らないと、くれなはふと思った。
お酒が好きで、しかもお酒に強くて、よく頭を撫でてくれたりハグしてくれて、スキンシップが多くて、くれな以外の4人と喋るときも明るくて。
いつも一歩前を進んで、些細なことで悩んでしまうくれなの手を引いてくれる。
それ以外はあんまり知らない。家族のこととか、一番好きな食べ物とか、趣味とか、それから、それから____
「いた!」
カワタレの声に、はっと意識が戻る。声の出所に視線を向けると、小さなどす黒い球体が、ふわりと浮いていた。目や鼻や口はなく、本当にただの真っ黒な球体だった。
「なんだこいつ? ブラックホールか?」
怪物は手足があったり、どろどろと溶けながらも目があったり、どこか生き物の雰囲気があったりすることがほとんどだ。なのに、目の前のこれは無機物のように、ただただ浮いているだけだ。生き物の雰囲気がない。微動だにしないことが、余計に異質さを際立たせている。
「ど、どうしましょうか、カワタレさ___」
カワタレの方を向いて、指示を伺おうとしたときだった。
「危ない! 離れろ!」
「え」
カワタレの声に神経が震える。黒い球体に視線を向けた時にはすでに、球体から黒い触手が勢いよく、くれなの顔めがけて力強く伸びていた。
衝撃に備えるように、顔の前で腕をクロスする。
が、衝撃は来なかった。
「ぐっ」
カワタレが魔法の炎に包まれた手を伸ばし、くれなの顔めがけて放たれた触手の腕を、ぐっと握って焼き切る。しかし、もうひとつの触手が伸びて、カワタレの脇腹にどしん、と黒いそれが命中した。
「うおっ……!」
「カワタレさん……!」
カワタレが地に倒れる。くれなは駆け寄り、側にしゃがむ。
____やってしまった。
どうしよう怪物が心臓を満たす。人間をやめてから味わった中で、一番の苦しさを携えて、怪物がくれなの心を締め付ける。
____どうしよう、私の所為だ。私がぼんやりと馬鹿みたいに別のことを考えていたから、愚図だから、のろまだから。カワタレさんに迷惑をかけた。どうしよう、傷が深かったらどうしよう、後遺症が残ってしまったらどうしよう、私の所為で、本当に情けない、怖い、どうしよう、どうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしよう
「はは、やってくれるじゃねぇか!」
どうしようで埋め尽くされた、くれなの心の海をカワタレの声が裂く。
大丈夫ですか、とくれなが聞くよりも早く、勢いよくカワタレは飛び起きる。
そこからは速かった。目にも止まらぬ速さで、カワタレが駆けだす。びゅんびゅんっ! と素早く伸びてくる触手をかわして、彼女は手を前に伸ばす。黒い球体の周りを囲むように、魔法陣が複数浮かぶ。そこから、炎、尖った氷の塊、雷が飛び出てくる。
黒い球体が焦げ、どろり、と溶けて崩れる。黒い泥のような重たい液体の中から、緑色の核が出てきた。
カワタレの手から、銀色の、美しい装飾が施された大きな斧が出てくる。
「オラぁ!」
大きく振りかぶり、カワタレは核めがけて斧を振るう。核が真っ二つに切れる。それと同時に、地に広がった、かつて核を覆っていた黒い泥が塵になっていく。
「ふう。終わりかな」
「かっ、カワタレさん、お怪我は? ゲンさんに診てもらった方が」
「全然平気だ。あれくらいの攻撃じゃ、カワタレ様の綺麗な肌に傷なんかつけられやしない」
カワタレはくれなの方を振り返り、いつものように堂々と口角を上げる。その燦燦とした顔に、くれなは余計に苦しくなる。
『もっときびきび動けよ! カス!』
いつかの日に言われた言葉が、呪いのように脳に浮かぶ。
くれなは深々と、頭を下げた。
「本当に、本当にごめんなさい……!」
「え? 何が?」
「私がとろかった所為で、カワタレさんに痛い思いをさせてしまいました。ごめんなさい、ごめんなさい……」
カワタレが斧をしゅん、と魔法で消して、くれなの方へ歩みを進める。
「はは! 何を言ってるんだ! 1ミリも痛くないぜ?」
「でも」
「私にとっては、くれなちゃんの可愛い可愛いお顔に傷がつく方が、よっぽど嫌だよ。もし君を守り切れなかったら、私は死ぬほど後悔する」
カワタレの明るい声に、くれなはゆっくりと顔を上げる。ぐっと唇を嚙みしめる。自分の情けなさに押し潰れそうな心臓を、携えながら。
この人はいつもそうだ。強くて、綺麗で、かっこよくて。明るく輝く一等星のような人なのに。
____そんな人が、どうしてこんな私なんかを、気にかけてくれるのだろう。
「……どうしてカワタレさんは、そんなに優しいんですか?」
くれなの問いに、カワタレは不思議そうに首を小さく傾げる。
本当は心の隅に抱えていた疑問が、不安が、くれなの口を突き動かす。
「私、わた、わたし、このままだと馬鹿になります。だって、カワタレさんも、ゲンさんも、雅さんも、ルナちゃんも、マリットちゃんも、みんな私に、罵詈雑言を浴びせてこないから」
口が勝手に動く。止まらない、止まれない。自分が何を言っているのかわからなくなる。
「まだ始まって1週間と少しだけど、もしこのままずっと素敵な日が続くと、優しい人たちに、特にカワタレさんに、依存してしまうんじゃないかって、あなたに迷惑をかけてしまうんじゃないかって、どうしようって、なるんです」
くれなは眉の端を下げ、唇を噛んで俯く。
「私は、誰よりも優しいあなたに、嫌われたくないのに……」
消え入りそうな声だった。声に出しているくれな自身でさえ、恥ずかしくて、情けなくて、哀しくなるくらいに。
これから耳に入るであろう、カワタレの返答が怖い。
嫌われたくない。どうしよう、あぁ、また怪物に埋め尽くされていく。
ぎゅっと目を瞑ると、そっと、顎に何かが触れた。カワタレの指だと気づいて、ゆっくりと目を開く。
くい、とカワタレはくれなの顔を優しく、上げるようにいざなう。
彼女は穏やかに、柔らかく微笑んでいた。片方の手には、白い包み紙に包まれた、キャンディーのような何かがある。カワタレはくれなの顎から指を離し、包み紙をとった。
「あーん」
カワタレの整った顔立ちと、小さな黄色いアメのようなものを持った、彼女の指が近づく。
「……あ」
言われるがままに口を開けると、優しくそれを放り込まれる。
「む……!」
口に入れた瞬間、視界に閃光が走る。ぱちぱちぱち! と音を立てて、視界にきらきらと星がまたたく。恐らく何かの魔法だろう。
「はは! 『雷グミ』しかなかったや。それより、今日の昼飯何食べようか? 喜多方ラーメンでも行くか?」
青空の下、星のまたたきの中で、カワタレがいつもの声で口角を上げる。あまりにいつも通りの声だから、心に蔓延るどうしよう怪物が、少しだけ鳴りを潜める。
グミを飲み込むと、星の輝きがそっと消えた。代わりに、カワタレの人差し指がそっと、くれなの桃色の唇に触れた。
「ずっと一緒にいてくれるなら、馬鹿も依存も上等だよ。くれなちゃんなら、いくらでもかかってきてくれ」
唇に触れる長い指の感触が、くれなの心をこの場に繋ぎとめている。
「好きな気持ちに意味なんかない。好きだから好きなんだ。私は好きな人は好きだし、嫌いなやつは嫌いだ。たとえどんなに信頼していた相手でも、このカワタレ様を裏切ったら、容赦なく殺せるくらいにな」
鋭い言葉が耳を撫でる。カワタレのダイヤモンドのような瞳は真っ直ぐで、口元は少し笑っているが、どこか冗談とは思えない。
カワタレは指を離し、くるりとその場でマントを翻して回る。
「前にも言ったけど、カワタレ様は君の懸命に生きる姿に、日々の気力をもらっていた。すごくね? 生きてるだけで、生きていく力を他者に与えるなんて、並大抵の人間にはできやしないさ」
カワタレと目が合う。
くれな自身、そんな大層なことをした覚えはなかった。ただただ、必死に地獄でもがいていた。それだけだった。
「……本当にそれだけで、私を助けてくれたんですか?」
くれなの問いに答えるように、カワタレはくれなに向かって手を差し伸べる。
「そういうもんだよ。君にとってはたったそれだけでも、私には救いだった。だから、私は決めたんだ。今度は私が、地獄で苦しむくれなちゃんに手を伸ばすと。それに___」
ふたりの間を風がびゅう、と通り抜ける。くれなの長い赤色の髪が大きく揺れ、カワタレの顔が見えなくなる。
「……あ、すみません、風の音で聞こえなくて」
もう一度いいですか、と口に出そうとして、口が止まった。カワタレにぐい、と腕を引かれ、くれなはカワタレに抱きしめられる。強く、しっかりと。
「……いや、やっぱり何でもない。いずれ話す。今は、今だけは、まだ、このまま」
耳元でカワタレは囁いた。その声に何も言えなくなる。落ち着いていて、何故か、どこか、願うような声だったから。
カワタレの身体がするりと離れ、くれなの両肩に彼女の手が残る。くれなの肩をトントンと手のひらで優しく叩いて、カワタレは息を吸う。
「とにかく私は、君のためなら復讐だって、人殺しだってできる。それだけだから」
はっきりとした声が耳に残る。
復讐も依存も、決して明るい感情なんかじゃないのに。
『それだけ』なんて言葉で、真っ直ぐに好意をくれる。突飛な発言も、目の前のこの人が口にすると何故か、信じてしまう。どこまでも前を向ける。そんな力をくれる。
「あの!」
くれなはカワタレの手を、ぎゅっと両手で握る。言うなら今だと、無意識のうちに口が動いていた。
「カワタレさんのこと、もっと教えてください。趣味とか、よく聞く音楽とか、昔どんなことしてたとか、あと、えっと」
あわわ、と瞳をきょろきょろと揺らす。せっかくカワタレが堂々と、無敵の笑顔で、手を差し伸べてくれたのに、上手く言葉が紡げない。
カワタレの瞳をそっと見上げる。彼女は目頭を指で押さえて、ため息をついた。
もしかしてまた、空回ってしまっただろうか、とくれなに不安の足音が近寄る前に、カワタレが口を開く。
「なんてことだ。私のくれなちゃんが可愛すぎる」
「えっ」
思いがけない言葉に、くれなは小さく声を漏らす。そんなくれなの両手を、カワタレは目頭から指を離して、ぎゅっと握り返した。らんらんと、弾んだ心が隠しきれない顔つきで。
「なんて、なんていじらしい子なんだ! このカワタレ様に興味を持ってくれるなんて! 私を見上げるその夕焼けのような麗しい瞳! かーっ! たまんねぇな!」
カワタレの声は機関銃のように止まらない。可愛い、最高、綺麗、天才。歯の浮くような言葉の嵐に、くれなは徐々に顔を真っ赤にして、最終的に俯いてしまう。
「ふたりともお待たせ! 運び終わっ……どういう状況?」
「わっ、私にも分からないです……」
「ゲン! 聞いてくれ、くれなちゃんが可愛い!」
ゲンが無理矢理引き離すまで、褒め言葉の嵐は続いていた。3人は喜多方ラーメンを食べて、道の駅で名産品を買いあさって、帰路についた。
その日、くれなの心にどうしよう怪物が再びやってくることはなかった。真っ直ぐな褒め言葉の嵐が、くれなの芯を支えていた。
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